良き王たるもの(1)



「俺の王国はこの家族そのものだ」




海堂の父親の口癖はいつもこれだった。

一人息子の海堂と優しい母親と心身ともに頼りになる父親。海堂の家は正に理想に書いたような家だった。
その頃は海堂は父親の作った偉大な王国の国民の一人だったわけだが、それだけで十分幸せだった。家族を第一に考える父親はいつでも海堂と遊んでくれたし、時に窘めて海堂を諌めたりしたが、それでも最後にはガハハと笑いながら海堂の肩を抱くような人間だった。

しかしそんな幸せな王国もしばらくして崩れ去った。海堂が大学生の頃、父親はあっさりと病気で他界して、母もそのショックで寝込むことが多くなってしまった。

王がいなくなれば王国は崩れるものだ。昔極めた栄華も美しく散っていった。けれど心の中にはいつでも鮮明に思い出せるものだ。
だから父親の背中をいつも海堂は思い出した。

あの人は王様だった。
俺もあの人みたいになりたい。

誰もが認める良い王様に。






***






海堂は意識せずともいつも自分のあり方を考えるような人間だった。
王たるもの。それが海堂の心のうちで呟く口癖だ。


王たるもの。
何に対しても慈悲を持つべし。


その心意気で拾った、服もボロボロで憔悴しきっていた藤壺岬という男はいつの間にか海堂の愛しい人になっていた。
生きる希望も無いといった空ろな瞳だった。こういうのを見ると海堂はついどうかしてしまいたくなる。
その後分かった事だが、岬はどうやら大手グループの社長秘書をやっていたらしくえらく有能だった。それに加え、どうやらそのトップとけしからない、もといただならない関係だったらしく。
その事で一時は理性を失ってしまって乱暴に岬を抱いてしまったが、もうそんなことはしないと海堂は心に誓っていた。

海堂にとって岬は既にとても愛おしい存在になっていた。
張り詰めているようで本当は弱いんじゃないか。
強そうに見えて本当は泣きたいんじゃないか。
そんなことを思いながら危なっかしげに岬を見ていたら守ってやりたくなってしまい。

(俺の作るすばらしい国の国民にしたい)

そう思って。
つまりは好きになってしまった。

今、岬は海堂とその昔ながらの友人である櫻井と作った小さな会社に籍を置いている。
海堂の専属秘書として毎日海堂に仕えているわけだが、そうするともちろん海堂と一緒に経営をしている櫻井とも顔を合わすわけで。

この男が曲者なのだ。

まだ小学生の頃だ。
海堂とよく一緒に遊んだ「ごっこ遊び」。名づけて「王様ごっこ」。
二組に分かれて、国対国で対決する遊びだ。対決の内容は大抵は鬼ごっこや氷鬼なのだが、王様が捕まった時点でその国が負けてしまう、という内容だった。
その時から海堂は率先して王様に選ばれて、王様としてゲームに参加していたのだが、その頃から相手の敵国の王様は櫻井だった。
いわゆる好敵手。
敵国王。
幼い頃はいつもにらみ合って喧嘩ばかりして、それでもいつも一緒に対決して競い合う仲だった。
それが中学生まで続き、高校・大学と学校が分かれ、職場で偶然に再会したというわけだ。その時にはお互いの能力を認め合い、幼い頃とはまた違う考え方に行き着き、一緒に起業したというわけだ。

つまりどういう状況かというと…。




「岬ちゃーーーんっ!!ちょっとこっち来てくれる?」
「あ、はい。なんですか?」
「このファイルのデータなんだけどさー。」
「ああ、それなら。」

小さなビルで借りた部屋だ。まだ15人くらいしか社員を収容できないし、奥にガラスでしきられた社長室みたいなものがあるが、それだってかなり狭い。
海堂は社長室の外で他の社員と話していたが、そちらの方向を見てムッと眉間に皺をよせる。そこには櫻井と岬はガラス張りとはいえ二人っきりの密室で仕事している様子がありありと見えた。

海堂が岬を櫻井に「俺の秘書にする」と言って紹介した時は櫻井も驚いた。
けれど、岬の経歴を知った後は、嬉しそうに「いい奴、捕まえてきたじゃないか!」と笑っていた。もちろんそれは会社の社員としての意味だが。

それが少しだけ裏目に出たというか。
全てが海堂の思った通りにはいかなかった。

櫻井は海堂と櫻井の秘書として岬を扱うようになった。つまり世話をされるのは海堂一人じゃないという事だ。
あげく、なれなれしく「岬ちゃん」だなんて呼んでしまう始末。

櫻井は常時嘘くさい笑顔を張り付かせているような男だったが、それが岬の前でも当然のごとく装着されていた。
顔だって海堂に比べると甘く誘うような綺麗な顔をしている。そんな櫻井に対して岬も当然にこやかに対応していて、それでもって時々目線をあわせてクスクスと笑っていたりする。

(またアイツ、愛想ばっかりふりまきやがって…)

怒りの矛先は当然櫻井の方だ。
へらへらと談笑しながら岬と仕事する櫻井を見て海堂は密やかに握りこぶしを作った。
もちろんそれは社会人には必要なコミュニケーション能力だ。
けれど。

(それで岬があいつを好きになったら…)

なんて考えようとして必死に頭を振った。もとい、脳内に浮かんだ嫌なイメージを払いのけた。

(心を鎮めなくては…)

こんなことでやきもちを焼いて一体どうするつもりなのだろう。
ばかばかしいと思いながらも、海堂はわざと岬と櫻井が視野に入らないようにした。

(こんな時は。)

あれだ。
王の条件。

心の中で静かに詠唱する。


王たるもの。
何に対しても大らかに接するべし。


櫻井に対してもおーらかに。おーらかに。
あんな奴でも会社にとっては必要な奴だ。
こんなんで平静を失ってどうするんだ。
ふぅーと深呼吸をすると、どうやら少しだけ落ち着いたようだ。

ふと視線を上げると、ガラス窓の向こうにいる岬と目があった。
岬が穏やかに口元を上げて笑みを作ると、海堂はまいったな、と額のあたりを掻いた。
岬はすぐに視線を櫻井に戻してしまったが、海堂は尚も岬をとらえていた。

岬を誰にもとられたくない。

(王様なのに弱点ができちまった…)

それは恥ずかしいようで誇らしい。
複雑な感情だった。





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微妙に王様視点。心の中は葛藤ばかりです。
written by Chiri(8/16/2007)