良き王たるもの(2)



「王様、疲れています?」

ハッと起きた時には自宅のソファにいて、しかも目の前に岬の綺麗な顔があった。
「いや…、寝てたか?」
「はい。」
そう言って岬は小さく笑みを浮かべた。
最近、大手会社との取引が転がり込んできたおかげで会社は随分と忙しくなった。社員が全部で20にも満たないような会社だが、この分ならもう少し増員してもいいかもしれない。いずれにしろ、この契約のかたがついてからの話だが。

「まだ仕事があるんでしょう?コーヒーを入れたのでよかったら飲んでください。」

岬はそう言って海堂にマグカップを手渡した。
海堂はそれを受け取りながら、岬を見つめる。
「すまないな。ありがとう。」
「いいえ。何か手伝うことはありますか?」
「いや、今日はいい。お前もあまり寝てないだろう?先に寝てろ。」
「…はい。」
その瞬間、少しだけ岬の瞳が揺れた気がした。
寂しそうに不安そうに。
海堂はそれに気づき、岬の頬を包み込むように手をあてた。
「どうかしたか?何か不安でもあるのか?」
「……いえ、あの…。」
「なんだ、一人寝が寂しいのか?そうだ!添い寝してやろうか?」
「いいえ、結構です!」
きっぱりと言われてしまい、海堂は肩をすくめた。
「なんだ、久しぶりに触れると思ったのに。」
岬は顔を真っ赤にして、背中を向けていってしまった。

(そういえば最近あまり岬を抱けてないな…。)

とにかく仕事が忙しくてそれどころではなかった。岬もそれは会社に所属しているのだから承知しているだろうが。

岬の背中を見ながら、仕事が終わってからこっそり岬を抱きしめてキスを落としてから寝よう、と海堂はおぼろげに考えた。
今まではベッドは一つだったが、岬が来てから随分経った。物置にしていた部屋を開放して岬の部屋もつくってやったしそこにパイプベッドも入れてやった。そのせいで一緒にいる機会が少し減ってしまったが、岬にだってプライベートが欲しいだろう。仕事も家も海堂と一緒ではさすがに息苦しくなってしまうだろう。それで王国を出て行かれては困る。


王たるもの。
何事も強制してはいけない。
無理を強いれば、民衆の反感を買ってしまう。


仕事を終えて、岬の部屋にいき、静かに呼吸する岬に口付けを落とした。
すやすやと眠る岬を見て海堂はなんだか問いかけたくなった。
確証が欲しい。
出て行かないという確証。
もうここにずっといるという確証。

「…お前はこの王国を愛しているか?」

岬と海堂だけの二人だけの王国。
岬が出て行きまた一人になると思うとどうしようもなく寂しくなる。


「…なんて王様が不安になっちゃダメだよな。」


王たるもの。
如何なる時も毅然とした態度でいるべし。


海堂は岬の髪をなでるとフッと笑い、そのまま自室へと戻った。






***






平日の昼休み。
やっとキリがついたところで、櫻井と岬は遅れて昼食をとっていた。
櫻井の手元には近くの弁当屋で頼んでいる幕の内弁当がのっている。

「っつーか前から思ってたんだけどさ、岬ちゃんって海堂のところに住んでんだよね?」
「あ、はい。」

対する岬は家で簡単に作ってきたサンドウィッチを手に握っていた。
「そもそもなんでアイツと出合ったわけ?」
「…それは。」
言おうとして岬は口ごもった。
なんと説明すればいいのか。

「落ちてたのを俺が拾ったんだよ。」

不意に上から声が落ちてきて、思わず見上げた。
そこには海堂が不機嫌そうに岬と櫻井を見下ろしていた。もはやいつものことだが、岬と櫻井が二人で居ることに対してムカムカしていた。
「ハァァ?落ちてたって?」
「その言葉の通りだよ。」
「あ、でも本当にそうなんです。」
岬はそう言って曖昧に笑った。
それ以上はさすがに櫻井も問い詰めなかった。
海堂は岬の隣にあるソファに腰掛けた。
「岬、俺にもそれくれ。」
「あ、はい。」
岬はさも当然のように海堂にサンドウィッチを渡した。わざわざ言わないが弁当がある時は、予め二人分作ってあるのが常だった。
「うわ、何それ。まるで嫁みてー。岬ちゃん、部屋貸してもらってるからってそんな海堂のために働かなくていいと思うよ。」
「いや、そういうわけじゃ…。」
「うるさい。黙れよ、櫻井。」
「おーこわ。」
櫻井は肩をすくめると、手元にある握り飯にかじりついた。
俺は黙々と岬の作ったサンドウィッチを食べていたが、櫻井の奴がまた口を開いた。
「でもさー、落ちてたのを拾っただなんてお前ついてるよなぁ。」
「あ?」
「だってお前、会社の仕事もやらせて、家事までやらせてるんだろ?」
ついでに夜のお仕事まで、な。
だなんて海堂は口が裂けてもいえないが。
「いいよなー。まぁ自由はなさそうだけどさ。俺だってそろそろ嫁さん欲しいし。」
「お前は遊びすぎなんだろ。結婚どころか刺されてお陀仏とかありそうだ。」
「しゃれになんないこと言うなよ!でも俺だってそろそろ落ち着きたいわけですよ。」
岬は笑顔で海堂と櫻井のやりとりを聞いていたが、突然櫻井に引き寄せられた。
「おい、櫻井!」
海堂のイラついた声など聞こえないふりをして櫻井はそのまま声を大きくした。

「あ〜!俺が岬ちゃん拾ってればな〜〜!!」

海堂はイライラしながらタバコに手を出した。
ふぅっと重い息を吐くと、岬が困ったような笑みで海堂を見つめていた。

王たるもの、だ。

海堂は心の中で繰り返した。


王たるもの。
何に対しても大らかに接するべし。


おーらかに。おーらかに。
クソ櫻井に対してもおーらかにおーらかに。
海のように大きな器で接しなければ。

そうやって心を落ち着かせてどうにかその場はそれで収まった。





けれど、やはり最後まで抑えとおすのは無理だったようで。

午後の仕事も一区切りがつき、海堂がコーヒーを飲もうとして給湯室に向かうと、先着がいた。
見覚えのありすぎる二つの影。どうしてこの二人が一緒にいるだけでこうも胸糞が悪くなるのか。

(また、二人でいやがるのか…)

イライラしながら、櫻井と岬のいるその部屋に入ろうとしたが、二人の話している話題に気づいてつい足を止めてしまった。

「っていうかさー、まじで岬ちゃんいいのー?」
「何がですか?」
「海堂だよ。あんな奴の家にいたら大変だろ?」
「大変って?」
「だってあいつ暴君じゃない?君に家事までやらせてるんだろ?」
「いや、それは…。」

胸がやけにどくんどくん鳴っていた。
暴君だ、と。
もしそう岬に思われていたらと思うと汗がにじみ出てくる。

「大の男二人で住んでるっつーのも奇妙だし。よかったら安いアパート紹介しようか?」
「え……あの…。」

しどろもどろする岬にさえイラついてしまう。

「いいって。別に遠慮するなよ。そうだ、今度資料持ってくるから。」

強引に話を持っていく櫻井についにぷちりと何かが切れた。

(王様を裏切るなんて許さない)

そんなおどろおどろしい考えが頭の中を支配して、いつの間にか何かを口走っていた。


「岬を俺からとるんじゃない!」


そう言って無意識に岬を腕の中に納めていた。
突然の海堂の登場で岬と櫻井は驚いた。岬は海堂の胸の中でモゴモゴ動き、櫻井は不審げに海堂に視線を向けた。

「…どういう意味だよ?」
「どうってそのままの意味だ。俺は岬を放すつもりなんかないからな。」
「…お前、まさか。」
「うるせー。俺は岬が好きなんだ。正直、お前と二人でいるところを見ることでさえ腸が煮えくり返るんだよ。」
「ってどんだけ…。」

櫻井は呆れたように海堂を見つめた。

「お前がホモだったなんて…。」
「うるさい、何が悪い。」
「…マジかよ…。」

開き直る海堂に櫻井はハァーッと息をついた。
言ってしまった海堂は何も後悔などしていなかったが、正直櫻井にとってははた迷惑な状況だった。

気持ち悪いなぁ、と侮蔑的な目線で海堂と岬を見つめる。

それに冷や汗をかいたのは岬の方だ。
海堂の信頼を一気に落としてしまう。そう思ったら何かを弁解しないといけない!ととっさに思った。
岬は海堂の腕から夢中で抜け出すと

「違います!!」

と叫んだ。

「はぁ!!?」
怒ったのは海堂のほうだ。

「私と海堂さんは本当なんでもないんです!本当ですから!!」

岬の鬼気迫る様子に、櫻井は目を細めた。
それが海堂を想っての嘘だということは櫻井にだってすぐに見てとれた。
だからといって情にほだされて、ホモップルを快く受け入れるようなお人よしにもなれなかった。気持ち悪いものは気持ち悪い。それは仕方が無いことだ。

「違うんです!本当です!!私と海堂さんはそんな関係じゃ…っ!!」
「岬、お前…本当にうちを出て行く気か!?」

必死で否定する岬の様子に今度は王様が声のトーンを変えた。

出て行かれる…
二人だけの王国が崩れ去ってしまう

そう思うとどうしようもない絶望感が海堂を襲った。

「お、お前…っ!!俺の王国から出ていくなんて許さないからな!!!」

気づけばとんでもないことを口走り、

「へ!?そ、そうじゃなくて!!王様、誤解しな――――――」

そして岬もそれに返していた。

言い終わってから岬はハッと口を噤んだ。
そして血走った瞳をした海堂もハッと気づいた。

((今、王様って…))

二人してそろりと櫻井の方を向く。
櫻井は目を真ん丸くして二人の様子をしていた。




「お前、まさか家で王様って呼ばせてるのか……?」

とんでもない性癖がばれてしまった。
これは恥ずかしい。

(やばい、ドン引きしてる!)と咄嗟に思ったのは岬の方だ。だが海堂はしまったと右手で額を押さえただけだった。

「お、お前、……ま、まだそんなこと言ってたの?」

何かを堪えるようにして櫻井は途切れ途切れの言葉を放った。
岬はそれこそ意味が分からないという風に聞き返す。

「え…、まだそんなことって…。」

その瞬間、プハァッと櫻井が盛大に噴出した。
そしてあからさまに壮大な大声で笑い出した。

「あははははははっ!!!お前、子供のころと全然変わってないんだなっ!!」

岬がわけがわからないといった風に海堂を見つめれば、海堂は少し赤い顔でふてくされていた。
さきほどの張り詰めた雰囲気がまた違う意味でおかしくなっている。

「あの、ちょっと、ついていけないんですけど…。」

岬がおそるおそる櫻井に話しかけると、櫻井は涙目で答えた。

「コイツさ、小学生の頃からずぅっと公言してたんだよ。『俺は王様になるのが夢だ』って。小学校の卒業文集にも書いてたんだぜ!?昔から何言ってるんだ、こいつはって思ってたんだけどさー。」
「櫻井!てめーばらすな!!」

今度は岬がプッと噴出してしまった。
まさか昔からそんなことを言っていたなんて知らなかったのだ。

「じゃーつまりアレだ。海堂は夢を叶えたんだな。…そういうプレイで。」

ぷくくくと笑い声をくぐもらせて、櫻井は言った。
それに対してどう突っ込めばいいか分からず、岬はそこに立ち尽くし。
海堂は沈黙。

「っぷぷ…アハハハ…」

静まり返った部屋にしばらく櫻井の笑い声だけが響く。
ヒーヒーと櫻井がついに腹筋に痛みさえ感じられるようになった頃。



「なんか……グダグダだな。」

やっとのことで海堂がそう口を開くと、櫻井は笑って

「あーグダグダだ。」

と合意した。

そして少しだけ間をおいてから、海堂の肩をポンッと叩いた。
海堂は眉を顰めたが、櫻井は気にせず少しだけ真面目な声音で言った。

「正直ちょっとヒいたけど、まぁそれ以上に笑えたからもういいや。お幸せに。」

にやりとイタズラっぽい笑みを浮かべて肩をすくめると、櫻井はそのまま給湯室を出て行った。
いやー久しぶりにこんなに笑ったわー、だなんて呟きながら。

岬はぽかーんとした様子で潔く帰っていった櫻井の後姿を眺めていた。

そして部屋に取り残されたのは王様とその国民。
もしくは海堂と岬とも言うのだが。


「…海堂さん、あの」
「ーすまない。」

岬は立ち尽くす海堂に小さく声をかけたが、すぐに海堂の声がかぶさった。

「えっ…。」
「俺、またやったよな。逆上して全部ばらしちまった…。」

ごめん、と海堂はもう一度小さく謝った。

岬はふぅっと仕方ないといった笑みを浮かべたまま息を吐いた。
どうしようもないのはこちらも一緒だった。
相手が愛おしいという気持ちが双方の胸の内に確かに息づいていた。
仕方ない人だけれどそれでも可愛いのだから。

海堂は俯いたまま、呟いた。

「俺またアホみたいなやきもちやいてさ、お前に出て行かれるのが不安で…もうサイアクな王様だな。」

口癖だったはずの「王たるもの」がもう出てこない。
まるで自分は王の条件を満たしていないことが分かるからだ。

岬は海堂の頭を両手で優しく包み込んだ。

「海堂さん、正直に言うと、私ね。」
「なんだ?」
「やきもちやかれるのは結構嬉しいですよ。」
「え…。」
「そんなんで海堂さんを嫌いになりませんって。」

そう言って岬は花のような笑みを浮かべた。

「だから、不安にならないでください。ね?」

子供に言うように岬は優しく言った。
海堂はあたたかいものが胸にこみあげてくる心地がした。

そのまま奪うように岬を抱きしめると、やっと安心したように息をすることができた。
抱きしめられたまま岬は優しい声音で言った。

「ねぇ、海堂さん。私、思ったんです。」
「…なんだ?」
「王様だからって一人で抱え込まないでいいと思います。話し合えばそういう不安もなくなります。」
「そうか…。そうだな。」
「はい、だから。私も言いますね。」

突然の岬の申し出に海堂はぴくと反応した。

「なんだ、やっぱりお前も何か不安があったのか?」

思えばやはりこの間家に居た時、何か言いたげな表情をしていたのだ。
岬は少し俯いたまま笑みを浮かべた。

「なんだ?」
「呆れないで下さいね。」
「いいから言ってみろ。」
「…えっと、…最近あまり王様が触れてこなくて、私…その、…。」

寂しかったです

そう言う岬は少しだけ頬が赤かった。
その様子に海堂は目を見開き、嬉しそうにハハっと笑った。

「なんだ、やっぱり添い寝してほしかったのか。」

岬はますます顔を俯けると、本当に植物が風にそよぐような声で言った。





「…添い寝だけじゃ嫌です。」
「…っ!!」


カーッと耐え切れなくなって海堂は岬の唇を強引に奪った。

「ん…っんん…。」

岬はそれに酔いしれながら、応えていく。
海堂は最後にぺろりと岬の唇を舐めると

「また、夜にな。」

と言って、岬の髪をなでた。
言わずと知れず、岬の顔は真っ赤に染まっていた。




そんな岬の表情を見ながら結局、王の条件なんてものは必要ないのかもしれないな、と海堂は思った。

王たるもの。
全力で民を愛すべし。

それに限るのではないだろうか。

少なくとも、海堂と岬の二人だけの王国ではそれで十分のようだ。





おわり



櫻井は爆笑したらどうでもよくなったみたいです。所詮他人のことなんてその程度です。
written by Chiri(8/16/2007)