いたいのいたいのとんでけ(9) 無数の四葉が舞い降りたあの瞬間を友康はきっと生涯忘れないだろう。 アルクが去って月日は砂のようにサラサラと過ぎていった。 友康はあの古いアパートを出て、自宅へと戻った。たった四畳半のあの空間は、二人の男子が住むには圧倒的に狭かったはずだ。それでも、幸せな記憶が確かにあそこに眠っていた。 引越しで荷物を全て運び終わった後、友康は半日ほどそこに留まり、思い出に浸った。部屋を出るのはまるで二人の日々まで打ち消してしまいそうで少し怖かった。夜に心配に思った母が迎えに来ると、友康はやっと重たい腰を上げた。そして、何も言わずにそこを後にしたのだ。 アルクがいなくなって、友康は自分が使い物にならないのではないだろうかと危惧していた。けれど、そんな大層な事にはならなかった。ただ、油の中で動くように鈍く日々が過ぎていく、それだけだ。 それから友康は新しい学年に進み、高校での最終学年となった。理系男子のクラスで限られてしまうこともあり、また榊とは同じクラスになった。榊とは、あれからよくしゃべるようになった。そして学校では、前のように友康がクラスメートから避けられることはなくなっていた。 それには理由がある。榊の提案で一つ小芝居をうったのだ。 いつもの教室で、クラスメートが一人たりとも休んでいない日に。榊はまたよく通る声で友康に話しかけた。 「なあ、佐藤。 お前って本当は俺のこと好きなんじゃねーの?」 クラスメートがぎょっとして、固まった。 榊の演技は大層上手で、榊がまるでそれほどの自惚れやだとこっちが勘違いしてしまえるほどだった。実際クラスメートで榊の演技を疑うものなどいなかった。 あらかじめ二人で作戦を練っていたので、友康は榊を睨むフリをした。 「違う」 友康も大きな声で答えた。 「俺は確かにホモだけど、学校の奴らには興味ない」 その言葉にクラスはざわめいた。 ゲイであるだけで、女子は気味悪がり、男子は自分が対象範囲内だと勘違いする。ゲイがまるでそういう生き物だと思い込み、その前に人間であるということを忘れてしまうのだ。 友康は真っ直ぐ榊を見つめて、口を開いた。 「俺には好きな奴がいるんだ」 決意を秘めた瞳で友康は言い切った。 「そいつ以外は好きになれないと思う」 突然、遠くに感じていたゲイが人間らしく思えたのだろう。恋愛話が好きなクラスの女子は「ええ!」と高揚した顔で叫び、男子は自分が対象外だと知り胸をなでおろした。 そんなクラスメートの雰囲気を感じ取りながら、榊は友康の机へと一歩近づいた。 「ふぅん、そうなんだ」 「ああ」 二人が近づくとやはり空気がピンと張り詰める。 何が起こるか分からないとクラスメートは思っているのだろう。 しかし。 「……佐藤、今までごめんな」 榊が一言そう呟くと、教室は一気にざわついた。 そして、友康がフッと笑んで「もういいよ」と言うと、クラスはその緊張感をやっと解いて各々壮絶なおしゃべり合戦へと移って行ったのだ。 それからは友康はクラスメートに避けられる事がなくなった。むしろ、「好きな奴ってどんな人?」と堂々と聞いてくる輩が増えたくらいだ。 そうするうちに榊はいつの間にか友康の一番近いポジションへと移っていた。学校にいる時の友康は大概は榊と一緒にいるし、榊は家にさえ遊びに来るようになっていた。もともとお互いに好意を寄せていた仲だし、やはりゲイだという共通点がある。要は一番一緒に居て楽なのだ。 けれど、榊が一度冗談で、 「なぁ、俺たちつきあおっか」 と言った時、友康は自分でも驚くほど高速で即答していた。 「だめだ」 榊は驚いて、目をぱちくりとさせた。 小芝居をうった時に言った言葉が決して嘘ではないということが身にしみて分かった。 「ずっと好きな奴がいるんだ」 友康が静かにそう言うと、友康は目を伏せた。 「俺はそいつ以外、多分好きになれない」 「佐藤って……まだアイツの事を?」 榊は伺うように言った。友康は声を出さずに頷く。 いなくなってからもよく思い出すのだ。何度も何度も夢にも見た。 もう一年近く経つ。懐かしさもある。けれど思い出すたびに、その頃の気持ちがそのまま残っていたりもするから、思い出したあとは切なさで押しつぶされそうになる。 それはまるでずっと枯れない押し花のよう。 「俺、今ちょっと本気だったのに」 榊が少し情けない顔をして笑う。友康もつられて、眉を下げた笑い方をした。 「でもアイツが相手なら仕方ないな」 榊は頭を掻くと、仕方なさそうに息を吐いた。 榊はきっと未だにアルクの正体は分かっていない。けれど、友康がアルクとずっと会っていない事を榊は知っている。アルクが少し不思議な存在だったという事も。 それでも、榊もアルクによって救われたところがあるのだろう。アルクの言葉で榊は、自分を受け入れるきっかけになった。友康もそれはきっと一緒だ。 「……アルクに会いてぇな」 ぽつりと呟くと、榊は「俺は会いたくない」と言った。友康が目で問いかけると、 榊は口を尖らせてぷいっと顔を背けた。 「だってあいつ、デリカシーないもん」 「はは」 確かに、と友康は笑った。 学校が終わって家に帰ると、珍しくリビングに父親の姿を見つけた。父親は最近巷で流行っているドラマを腕を組んで真剣に見ている。 父は友康がゲイだとカミングアウトした時、口を重く閉ざした。息子の目を直視できず、俯いたまま顔をあげようとしなかった。けれど、あれから母と話し合い、父も友康に対して徐々に態度をやわらかくしていった。今では、息子を理解しようとする努力しているのが分かる。 「ただいま」 「おかえり、友康」 友康がかばんと上着をソファに置くと、父は難しい顔で友康に話しかけた。 「なぁ、友康」 「ん?」 友康が振り向くと、父はテレビを指差した。 「こういう男はお前の好みか?」 指差した先には最近売れてきている俳優の顔がある。父は時々こうやってゲイを理解しよういう気持ちを行動にあらわしたりするのだ。 「いや……」 父の質問に若干引いてしまう。何が悲しくて父親と好きな男のタイプを語らなければいけないのだ。それに、精悍な顔をした俳優を見ても、正直うーんと唸ってしまう。 突然、台所から母の笑い声が聞こえてきた。エプロン姿の母が嬉しそうに話に加わる。 「やあね、お父さんったら。 友康の好みはそんなんじゃないわよ」 母はニヤニヤと笑いながら、友康の顔を流し見た。彼女はアルクの存在を知っているからか、友康の好みをまるで分かっているようなそぶりを見せる。 「もっと眠たそうな目で、でもズバズバ言っちゃうような子が好きなのよね〜?」 ……全くたちが悪い。 ハァとため息を吐きながら、冷めた目で母を見やる。友康は何も口にしないまま、居間を出て行った。 「何よ、あの子ったら。 でもゲイってもっと軽いイメージだったけど、うちの友康は本当一途だわ〜」 と、何故か誇らしげな母の声が聞こえた。知るか、と正直思う。 ゲイに対する嫌悪はなくなったのかもしれないが、息子の恋愛話を嬉々としたがる母親には困ったものだ。 家にいるのもなんだか気恥ずかしくなり、友康は靴を履いて、外出した。 行くあても無く、とりあえずうららかな陽気に身を任せ、足を進めた。だが、近くの公園に行くと、突然、 「アブラカダーブラ!」 ……奇声が聞こえた。 ゆっくりと瞳だけで追うと、中学生の男の子がため池の近くで何やらおかしな動きをしていた。丸の形に走ったり、踊ったりしながら、時々変な言葉を叫んでいる。 中学生は友康がじっと見ていたのが分かったのか、グルッと友康の視線を感じ取り、嬉しそうに駆け寄ってきた。 「もしかして兄ちゃんもやりたいの!?」 中学生は木の棒を持ちながら、きらきらと目を輝かせた。 「……え、やだよ」 なんでそうなるんだ、と呟くと中学生はちぇーっと呟いた。中学生は木の棒で地面に絵を書く。 「友達がさ、一年位前に宇宙人に連れてかれちゃったんだ」 地面にしゃがみこみながら中学生は木の棒を動かす。 「ふぅん」 友康は中学生の戯言を聞いて流した。まだ去年まで小学生だったような奴だ。感受性が豊か過ぎてそう言うことを言い出すことはよくあることだ。 「ここ、昔ミステリーサークルができてたんだぜ。 丸い円に意味不明な言葉が書かれてるの。 絶対ここなら宇宙人呼べると思ったのにな」 むーっと中学生は腕を組んだまま、唸った。なんだか中学生は寂しそうだ。 足元を見ると、シロツメクサがところどころに生えていた。自然とあの日の事を思い出す。 たくさん降らされた四葉。まるで雪でも降るかのように緑の欠片がひらりひらりと降っていた。それはとても不思議な光景で、友康がそれに見とれていた一瞬の内にアルクはいなくなってしまった。 中学生は土を軽く掘り起こしながら、魔方陣を書いている。それを見ながら、友康は頭をガリッと掻いた。 「……あー、もう。 会いてぇな!」 心から会いたい。 あの時の四葉は全て押し花にして残してある。けれどそれを見ていても何も変わらない。ならば、ここにいる中学生のように何か行動に移した方がまだましなのかもしれない。 (あれ?) 不意に、思い出した。 悪魔を呼び出す魔法書、あれはどこにやっただろうか。 もし、またあの魔方陣でアルクを呼び出すことができたら……。 『……運命っていうか?』 昨日の事のようにアルクの言葉が思い出される。 その運命を今度こそは起こしたい。 何かに急かされながら、友康は全速力で家に走って帰った。中学生がまた奇声をあげているのが遠くに聞こえた。 next うつりゆくものと変わらないもの。 written by Chiri(4/6/2010) |