いたいのいたいのとんでけ
いたいのいたいのとんでけ(10)



 押入れをかき分けて、探した。
 コツンと手に当たる感触を確かめてから、友康はそれを勢い良く取り出した。

「あった!」

 悪魔を呼び出す魔法書だ。ほこりかぶったそれに軽く息を吹きかける。友康は一年ぶりに見た装丁を開き、あの日あの時に描いたはずの魔方陣のページを探した。
 あの時やった方法と同じ方法でやればいい。部屋の床にビニールシートを敷き詰めて、その上に今度は白い紙を一面に貼り付ける。そこに魔法書に書かれた魔方陣をガツガツと描いていく。できるだけ大きく、部屋いっぱいに。
 アルクが言っていた魔方陣を描く為の小難しいことは全て頭の中から消し去った。
 月の軌道や鼓動の大きさが何だ。魔方陣を描く条件なんてものは何一つ分からない。
 本当の悪魔が呼び出されてしまうかもしれない?それよりもアルクに会いたい。

(これでっ……)

 魔方陣の最後の線と線を結んだ瞬間、閃光が走った。
 どこからともなく風が舞い込み、部屋の中の紙も軽い置物も全てが宙に飛んでいく。

(……うまくいった!?)
 そしてその次の瞬間、青い煙が爆発的に膨らんだ。爆風に堪えながら、目を凝らす。煙の真ん中に何やら人影が現れた。
 友康は目を細くしてそれを見つめた。そして、言葉を失った。

「久しぶりだね、ともやす」

 美しく虹色に艶めく真っ青な髪。友康よりも少し背が高く、美しいパーツで作られた顔。
 目を伏せると、アルクに少しだけ似ている。当たり前だ、兄弟なのだ。
 天才魔法使いであるアルクの兄は腕を組み、眉間に手を置いた。

「お前はなんて危ないことをするんだ。 運悪く悪魔を召喚したらどうするつもりだったんだ」

 友康は小さく首を振り、「……考えてなかった」と言った。
 天才魔法使いはフッと笑みを浮かべた。

「お前はなんという強運の持ち主なのだろうね。 二度もこうやって俺たちの世界から俺たちを召喚するなんて」

 少し見直したそぶりの天才魔法使いの言葉に対して、友康は首を大きく振った。
 また紙一重だった。アルクを呼び出したかったのに、今度はその兄を呼んでしまうなんて。
 友康が深く絶望をしていると、天才魔法使いは口元で笑った。

「さて、じゃ今からままごとにつきあってやるよ。 お前の勇気に免じて一つだけ願い事をかなえてやろうか」

 天才魔法使いはまるで悪魔のような喋り方で唆す。
 友康が顔をあげると、さあと促した。

「……お前は一体何が欲しいんだ?」

 瞬間に彼の意思を友康は受け取った。もうお金なんかいらない。地位や名誉だっていらない。アルクに会うより前にあったものなんて何一つ欲しいものだとは思えない。
 想う心がそのまま飛び出した。

「アルクに会いたい」

 友康がそれを言葉にすると、天才魔法使いは瞳を細めて笑った。

「アルクが魔法使いになる前に、ともやすの方が先に魔法を覚えてしまいそうだな」

 おかしそうに呟くと、彼は高速で魔法を唱えた。小刻みに動く口が呪文を言い終えた瞬間、ポンッと何かがはじける音がした。
 ふと見ると天才魔法使いは姿を消していて、かわりに桃色の煙に包まれて現れたのは。

「アルク!」

 アルクが心底驚いた顔で突っ立っていた。キラキラと光る髪色も少し惚けた瞳も全てがアルクを象徴するものだ。
 友康は魔方陣の中に駆け込み、アルクを抱きしめた。静電気のようなものがピリピリと伝わってはじける。

「え? え? 友康、なんで? どういうこと」
「また召喚したんだ」

 アルクは足元を見て、「あ!」と叫んだ。あの時描いた同じ魔方陣があることに、アルクは目をまるくしてる。

「……なんで」
「会いたかったからに決まってるだろ」

 アルクの着るローブに顔を埋めて、友康は言った。

「……お前は俺に会いたくなかったのか?」

 問いかける声には不安が残っている。もう1年も経っている。アルクは友康のことを忘れていたかもしれない。友康に別に会いたくなかったかもしれない。
 友康が会いたかった一年間に一度も友康のことを思い出さなかったかもしれない。
 けれど。

「……そっんな、こと……ないっ……」

 掠れた声が友康の耳に届いた。
 体を離して顔を覗くと、アルクは涙をぽろぽろと落としていた。
 白い肌は途端に桃色に染まり、アルクは潤んだ果実のように震えている。

「本当はさ……」

 アルクが小さな口を開いた。

「ちゃんとした魔法使いになれたらその時にもう一回会いに来ようと思ってたんだ」

 涙に濡れた瞳で友康をそろそろと見つめる。

「友康にずっと会いたかった。 本当は大魔法使いになって友康の為に何でもできるようになりたかった。 でも、みちが険しくてさ。 僕はまだまほうちゅかいのままだ」

 会いたがっていてくれたんだ、と思うだけで自然と体が軽くなる。

「アルク、俺は」

 そのままのお前でいいんだ、と言いかけた時。

「ごめん。 僕、何にも役に立たないくせに友康のそばにいたいって思ってしまう」

 アルクはそれを悪い事のように言った。そんなことは無い。友康だって何もできなくてもそばにいたいと思う。
 そしてその実、それは”何もできない”わけでは決して無いのだ。できないことを数えるよりもできることを数えた方がずっと多いことに1年経ってやっと気づいたのだ。
 友康はぽつりと本音を漏らした。

「俺は、お前がいてくれるだけで毎日が楽しかったよ」
「……ほんと?」

 アルクは驚いたような声音だった。
 友康はアルクを静かに抱きしめた。ぎゅっと抱きしめると、アルクがそろりと抱き返してくる。
 多分、きっと。彼はずっと愛しい存在だろう。
 会わない間も思い出すだけで愛しい気持ちが何度でも回帰していた。

「言っておくが、返す魔方陣なんてものは無いんだからな」
「それ知ってるよ」

 アルクは笑った。
 久しぶりに見た笑顔だ。

「なんか昔の事なのに昨日の事みたいだ。 ずっと何回も思い出してたからかな?」

 頬を桃色に染めて、そんな可愛い事を言うアルクに友康は「俺とおそろいだな」と、微笑んだ。
 手を握り、視線を分かち合う。
 友康がキスしたいと思った矢先、アルクが「友康、キスしてもいいかな?」と伏し目がちで言った。
手でアルクの顔を撫でながら、友康は笑みを零した。
 さっきから気持ちがシンクロしすぎだ。堪えきれず声をあげて笑い、それでもアルクにキスすると、アルクもたまらず笑い出した。

 それから、アルクと友康は二人の過ごした1年間についていろいろと話した。アルクはずっと魔法学院に真面目に通っていたらしい。

「これでも一応ちゃんとレベルは上がったんだんだよ。 まほうちゅかいの中でも雑草レベルだったのがお花レベルになった」
「っつーかお前、雑草レベルだったのか」

 友康が笑うと、アルクは口を尖らせて「うん」とむくれた。ますます魔法の世界の階級が分からなくなる。幼稚園で言う、桃組だとかチューリップ組だという分類なのだろうか。
 アルクは続けて話した。

「お花にもいっぱいお花のレベルがあってさ、僕のは一番レベルが小さい奴。 うんと、たとえるなら」

 あ、とアルクは何かを思い出した。アルクは友康の方を向くと、嬉々として喋った。

「僕はねー、あれだよ、あれ。 黄色いお花。 初めて友康が押し花にしていたお花」

 友康はあー、と頷く。アルクも一緒に頷いた。

「たぽんぽ」

 ブハッ。
 友康が盛大に笑うと、アルクは「え? 違うかったっけ」と首をかしげた。一年も向こうに居たのだから、こっちのことなんて忘れててもおかしくは無いけれど、思いがけずツボをついた。
 友康がヒーヒー笑うと、アルクは「もう〜そんなにおかしくないじゃん」と言って、友康を小突いた。

「で、たぽんぽまほうちゅかいは何ができるんだ?」

 友康が面白がって聞くと、アルクは急に真面目に語りだした。

「いろいろできるよ」
「例えば?」
「例えば、姿消したりもできるし、空を飛んだりもできるようになった」

 確かにアルクは少し自信を身につけたように見える。語る言葉も力強い。

「へぇ、すげーな」
 普通に見直して、褒め言葉が自然に出てきた。
 けれど、突然アルクの顔が友康の言葉に反して少し赤くなった。

「それに……あとは」
「ん?」

 無言。
 何を想像したのかアルクは急に首を横にブンブンと降った。真っ赤に染まるアルクの顔が変に色っぽい。

「え、何。 エロいこと?」
「ち、ちがう」
「いや、そうでしょ。 その顔」
「いや、だって……」

 僕、友康を何度も思い出して、とアルクが呟いた。その後の言葉は微妙な雰囲気にかき消された。一年間の間に何故かアルクの色気が増していて、友康はくらっと立ちくらみがした。会えない時間は二人の愛を育てつつも、お互いへの欲求も深めてしまった気がする。
 アルクは顔全体を赤らめながら、友康の服の袖を引いた。

「ね、友康、……今日もしないの?」

 一年前に聞いた質問がまるで昨日聞いたことのようだ。

「……する」

 友康が即答すると、アルクが首をかしげた。

「もう考え中じゃないんだ?」

 当たり前だろ、友康は笑った。

「もう一年間十分に考えた。 我慢なんてするもんじゃないって事が身にしみたっつの」

 さっきからまるで一年間の空白が無かったかのように、アルクとの距離が近い。それがくすぐったくて、本当にたまらなく嬉しい。
 アルクはそっか、と笑った。
 そしてその瞬間、友康の首に抱きついた。勢いで友康が後ろに倒れると、アルクは友康の口に何度もキスを降らした。

「好き、友康、好き」

 曇りの無い言葉がたくさん落ちてくる。友康がアルクの頬を撫でてやると、アルクは嬉しそうに笑った。

「なんか、たくさんの魔法を覚えたはずなのに今は頭真っ白だ」

 アルクがそう言うと、全くだ、と友康も笑った。
 会えなかった時の悲しみも寂しさも真っ白になって、今はただ目の前の人が欲しいという気持ちだけ。
 その全てに二人は身を委ねた。



***



 その後。
 アルクはあとからこっそりと様子を見に来た兄と相談し、この世界に定住することに決めた。魔法の勉強は別にどこでもできるし、兄が定期的に通って教えてくれるとのこと。仕事の忙しい兄はむしろ異世界の調査という口実で向こうの世界に居た時よりもアルクと一緒に居れると言って大いに喜んだ。
 あのおんぼろアパートをとても気に入っていたアルクは友康が止めたにもかかわらず頑として引き下がらず、結局そこにまた引越した。四畳半の狭い空間の中央にちょこんと座るアルク。どこか小動物のようで可愛らしい。
 貧乏なんてやってられるか、と最初の頃は思っていたはずの友康もそんなアルクを見て、アパートに入り浸るようになった。アルクは友康と常に近い距離でいられる故にこの狭さを好んでるということは今も内緒にしている。
 友康が大学生になって二人がまた一緒に暮らすようになるのは、それからもう少しあとのことだ。

 これは何もできない見習いまほうちゅかいがそれでも1人の人間の抱えていた傷を治したという、そんな些細なお話。
 例えば、転んだ傷をかさぶたにして治してあげたような優しくて小さな魔法のお話だ。





おわり



一人で頑張るよりも二人で一緒に頑張ればいいじゃない。
written by Chiri(4/9/2010)