いたいのいたいのとんでけ
いたいのいたいのとんでけ(8)



 最後の日も一緒の布団で寝ることは無かった。友康は毛布にくるまり、アルクはその余った布団で眠った。
 友康の母は家に帰り、父親と話をつけてくると言った。アルクは友康にその夜が最後だとはもう一度も口に出さなかった。

「友康、僕、今日帰るから」

 朝になって、アルクはそれを友康に告げた。友康は驚いて、立ち上がった。

「聞いてない」
「言ったよ、昨日」

 友康は目を一層見開いた。
 もう用意はできていた。そもそも何も持たずにこの世界に来たのだから持って帰るものなんて一つも無いのだ。いや、持って帰るものが何も無いというのは嘘だ。アルクは何も持たずしてここに来て、いろんな優しさを与えられた。
 アルクが静かに笑うと、友康は拳を固く握り締めた。

「アルク、俺は」
「友康、もう兄ちゃんが来るよ」
「え」

 瞬間、二人の間に光が割って入った。
 畳にツーッと透明に光る線が現れて、まるでそこだけ黄金色に光っているようだ。その線は曲線をなし、やがて一つの円となった。魔法を現す方程式がすらすらと自動で書かれていき、線と線が繋がった瞬間、青い焔と共に人影が出現した。
 青色の閃光は兄の魔法が使われた時現れる色だ。

「やぁ、ともやす」

 兄は全てを知ったような顔で友康に優しく呼びかけた。
 友康は兄の事なんて何も知らなかっただろう。驚きながらも小さく首を縦に振って、挨拶をした。

「長い事、弟が世話になったな」

 兄はその場に固まる友康に語りかけた。
 兄が手を前方にかざす。声も無く、呪文を高速で唱えると、部屋が真っ青な光に包まれた。そして次の瞬間。
 友康の部屋はたくさんのイチマンエン札で床が埋まっていた。

「これはほんの気持ちだ」

 アルクは辺りを見渡した。四畳半の床に余す所無くオカネがちりばめられた。流石、兄だ。アルクにできないことも簡単にできてしまう。そのオカネには透かしも入っているし、描かれた絵も本物と全く同一のものだ。

「友康、よかったね」

 アルクが首を傾けて微笑むと、友康は顔を伏せた。友康の瞳がゆらりと揺れる。

「……金はいらないよ、消してくれ」

 アルクが驚いて友康に見やると、友康は顔をゆっくりとあげた。視線の先はアルクの兄である天才魔法使い。
 兄はその言葉に従って、お金を全て消した。四畳半がいつもの簡素な部屋に戻ると、友康は小さく息を吐いた。
 そして友康は怯む様子も無く、まっすぐはっきりと言葉を放った。

「あんたの弟はすごい奴だ」

 アルクは思わず固まった。
 友康はたくさんの言葉を語る性格ではない。だから、友康が本当の所アルクをどう思っているかなんてアルクに分かるはずが無かった。

「金なんていらない。 あんたの弟はそんなのと交換できないほど、俺に大事なことを教えてくれた」

 兄は静かに友康を見つめた。友康は言葉を切らさない。

「いなくなったらたまんないし、しばらくはどうしていいか分かんないと思う。 でも俺はあんたの弟が幸せでいてくれたらあとはもうどうでもいいんだ」

 一緒の気持ち、だ。
 アルクが友康に想っていた気持ちと同じ事を友康は言ってくれた。

「俺はアルクが大好きだ」

 心の奥底全てに染み渡るような言葉だった。
 いろんなものをくれたのは友康の方だ。優しさも幸せもときめきも全部もらったのはアルクの方だ。アルクがあげられたものなんてほんの些細なものでしかないのに。
 アルクは一歩足を進めた。
 友康と目があうと、友康は眉尻を垂らして、優しく笑った。なんだか泣きたくなるのは何故だろう。

「友康、僕もさ。 本当はさっき兄ちゃんがやったみたいにお金をたくさん降らしたかったんだけど……」

 友康はアルクを凝視した。アルクはキュッと口を結ぶ。

「僕にはそんなのできないから」

 右手を上げて、兄が向こうから持ってきてくれた自分の魔法鞭を掲げる。昨日、拾ってきた大漁のクローバーには夜に魔法をかけておいた。
 まだ、未熟な魔法しか使えないアルクでも、元ある形を簡単に変形する事ならできる。
 魔法を唱えながら右手を振ると、桃色の煙がパチンパチンと次々とはじけ飛ぶ。
 そしてそこからひらりひらり。
 無数の四葉のクローバーが友康の部屋に降ってきた。一枚一枚の葉が綺麗に四つに分かれている。
 ちょっとズルだよね、こんなの。
 でもそれはたくさん幸せになってね、という願いと祈り。
 届くかな、友康に。

「わ……」

 友康が狭いはずの部屋を見上げたその時、天才魔法使いとその弟は静かに時空の歪に消えていった。



***



「あれでよかったのか」

 歪の中で、兄はアルクを抱きしめながら尋ねた。アルクは落ちていく涙を払いながら、首を横に何度も降った。

「違うんだ、兄ちゃん」

 兄の胸元にぎゅっとしがみつく。

「僕、もっと友康の力になりたかったんだ。 だって僕は何も出来なかったんだよ。 本当になんにもできなかったんだ。 友康にもっといろいろとしてあげたかったのに」

 魔法の世界にいる時にもっとたくさん魔法を勉強していればよかった。こんなにもよくできる兄がいるのだから、たくさん近くで教わっていればよかった。だって魔法を使って何かをしてあげたいと思った時、アルクにはそんな力が一つも無かった。
 まるで赤ん坊のようだ。
 泣いて、意味の通じない言葉で叫んで、それ以外に何かできたことがあっただろうか。

「馬鹿、お前は最後にあいつの顔見てなかったのか」

 聡い兄は愚かな弟に言った。

「また一人で突っ走ったんだ、お前は」

 アルクは目に涙を溜めながら兄の顔を見つめた。

「お前は彼に自分のやれるもの全てをあげといて、それが何の意味も成さないと決め付けて今度は彼から全てを取り上げたんだ」

 ひどい奴だな、と言いながら兄はアルクの目尻にたまった涙を拭いた。

「赤ん坊だって愛するものからしてみれば、何かを与えられているように感じるだろう?」

 もう地位も名誉も必要無いと言える程の権力を持った兄にとってさえもこれ以上に愛しい弟がいないというのに。
 それを簡単に理解できる心はまだアルクには無いのかもしれないが。





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お互いのために別れようとするけれど、それがお互いの為にならない時もある。
written by Chiri(4/3/2010)