いたいのいたいのとんでけ
いたいのいたいのとんでけ(7)



 翌日、公園に訪れた兄にアルクは昨夜の出来事をそのまま話した。

「そうか」
「うん」

 昨夜はまた布団を占領して1人で寝た。カマクラ布団の中で泣きはらしたアルクを、兄は物静かに見守った。
 友康はアルクのことを好きだったとは思う。けれど家族にされたことのトラウマに打ち勝つほどは好きではなかったのだろう。

「アルク、明日、一緒に帰ろうな。 迎えにくるから」
「……う、ん」

 アルクの頬に一筋だけ涙が流れると、兄は魔法を唱えた。
 アルクを取り囲むように生えていたシロツメクサが茎を伸ばして花を一斉に咲かせた。白色、黄色、桃色、紅色。こんなに綺麗でいろんな色の花が咲くなんてアルクは知らなかった。
 兄が静かに魔方陣の中に消えると、静寂が蘇る。アルクは膝を抱えたまま、しばらく声も出さずに涙を落とした。

 いくらか時間が経った頃。

「うわ、なんじゃこりゃ」

 いつもの声に顔を上げた。小学生が花いっぱいになっている公園を見て驚いていた。原因を解き明かそうとうーんと腕を組んで考えるが、何も思いつかなかったらしい。小学生は気にしないで、アルクの傍に歩み寄ってきた。

「兄ちゃん、まだ四葉のクローバー探してるの?」

 アルクの目が赤いのを見ると小学生は「あ」と笑った。

「見つからなくて泣いてんの。 兄ちゃん、子供だな」
「へへ、ばれたか」

 手で涙を拭いて、アルクは笑みを浮かべた。

「なんでか見つけられないんだよな。 本当は……好きな人に渡したかったんだけど」
「へぇ、そうだったんだ」

 小学生はランドセルを置いて、アルクの横に居座った。足元のクローバーを一本茎から引っこ抜くと、それをアルクの前に見せた。

「兄ちゃん、見てて」

 小学生は三つ葉のクローバーの葉っぱの一枚を二つに割いた。そのクローバーは見かけ上、四葉だ。

「じゃーん、四葉のクローバー完成!」

 小学生が嬉しそうにそれをアルクに手渡す。アルクは眉を逆八の字にした。

「だってそんなの嘘じゃん。 三つ葉をちぎっただけじゃないか」
「そうだけどさ」

 小学生は平然と言ってのけた。

「兄ちゃんがずっと毎日ここで探してたのは本当じゃないか。 だからちょっとくらいズルしてもいいんだよ」

 小学生はにかっと満面の笑みを浮かべた。アルクは手に置かれた四葉のクローバーを見て、そうなのかな、と呟いた。
 小学生は勢い良く言った。

「そうなんだよ!」
「……そっか」

 ありがとう、とアルクが言うと小学生はへへっと笑った。アルクは身体を起こすと、早速目前に広がるクローバーをかき集めだした。
 腕いっぱいになるほどそれらをちぎってそれを服の上に溜めていく。
 小学生は口をあんぐり開けた。

「……兄ちゃんそれ全部持ってく気?」
「うん」
「全部四葉にするの?」
「うん!」

 小学生の開けた口が大きくなった。
 アルクが首をかしげると、小学生はうーんっと腕を組んだ。

「流石にそれはしんぴょーせーが……」
「うん?」

 アルクが赤い目で聞き返すと、小学生は慌てて「なんでもない!」と答えた。小学生は右手で親指を力強く立てると、高らかに言い放った。

「兄ちゃん、ぐっどらっく!」
「いえーす!」

 アルクは元気良く返した。

 最後にする事が分かったのだ。
 自分の世界に戻る前に、友康の苦しみや悲しみを少しでも減らしてあげたかった。自分は魔法なんてろくに使えないまほうちゅかいだけど。
 それでも少しでも多くの痛みをとりのぞいてあげたいんだ。



***



 アパートに戻ると、どこかで見たことのある人の顔を見つけた。前にも、誰だろうと思ったのだ。赤茶のカーディガンを上に着て膝まであるベージュのスカートをはいた女性は少し地味そうだけれど、顔は綺麗だと思った。
 彼女は友康の部屋の前で扉を見つめたまま、立ち尽くしていた。
 しばらく彼女がそうしている様子をアルクは物陰から見ていたが、10分しても動きが無いと、仕方ないので自分から歩み寄った。

「あの、友康に用ですか?」

 後ろから声をかけると、女性は目を大きく見開いて、少し後ずさった。アルクはたくさんのクローバーを持っていたし、髪の毛には草がのっていた。彼女からしてみるときっとアルクは少しおかしい子だ。

「あなた……この前も見た……」
「あ、僕も覚えてます。 あなたは友康の知り合いの人ですか?」

 拙い敬語で話すと口が何故か乾く。
 女性は目を細めてアルクを見た。上から下まで遠慮がちなのか図々しいのか分からない様な視線だった。
 女性は小さな声で質問した。

「あの……あなた、友康のいい人なの?」

 それは戸惑いがちの声音だった。

「いい人?」

 アルクが聞き返すと、女性は一層困った様子になった。

「その……恋人かって言う意味なのよ?」

 アルクは目をぱちくりとした。日本語は難しいなと思いながらも、口が答えを勝手にしゃべった。

「違うよ、恋人じゃない」

 曖昧にはしておけない性格だ。友康はアルクを恋人にしなくて良かったと言ったからアルクは恋人であるはずが無い。
 はっきりと言葉にするとなんだか心まで持っていかれた気分にアルクはなったが、反面女性はあからさまにホッと胸を撫で下ろした。
 アルクはそれを見て口をキュッと結んでから、また大きく言い放った。

「でも僕は友康が好きなんだ」

 やはり、曖昧にはしておけない性格なのだ。アルクがそう言うと女性はまた青ざめた表情でアルクを見つめていた。

「あ、あなたは男の子よね? なのに友康を好きなの?」
「おかしい?」

 またそれだ、とアルクは心の中で思った。この世界の人たちは友康を何故そんなにひどい扱いのところに置きたがるのだろう。

「おかしいわよ、とっても。 そんなのおかしいの」

 女性は優しい口調なのに言っていることは排他的だ。
 アルクは眉間に皺を寄せた。おかしいのは自分の方だろ、と言い返したい。

「何がおかしいのか僕には分からない。 だって友康はこの世界で一人しかいないんだ。  女の友康がいたらなんて考えられないし、そんなの逆に気持ち悪いじゃないか。 友康は男だから友康で、そんな友康だから僕は友康が好きなのに」

 おかしいのは友康じゃないはず。それだけは確かだ。
 アルクの言葉に女性は驚いたようだ。アルクを怒らせたことが屈辱であるかのように、顔を赤くして、目を背けた。
 アルクはそれなのに強い口調で責めるようなことを続けて言った。

「友康は本当に優しいんだよ。 男だからとか女だからとかっていう価値なんて関係ないくらい。 友康はね、お母さんにたくさん押し花を作っているんだ。 渡せるか分からないけど、いっぱい押し入れに入ってるんだ」

 女性はそろりと顔をあげた。彼女の目が赤いのは何故だろう。彼女は鼻を小さく啜った。
 分かっていた。アルクのこれは完全なる八つ当たりのようなものだ。アルクはこの世界が少しでも友康にとって優しい世界になってくれればい良いとそう思った。
 それを今この瞬間に居合わせた彼女にぶちまけているだけだ。

「だから、僕もこれを贈るんだ。 好きな人に何度も優しい気持ちになって欲しいから」

 手の中のクローバーを抱きしめた。シロツメクサの花弁がそよそよと触れて、涙を誘う。

「もっとこの世界が友康に優しくなるようにって」

 ぽとんぽとんと涙が出てきた。ダメだ、泣かないって決めていたのに。友康には笑ってて欲しいから。笑顔でさよならだと思っていたのに。

「……もう僕は友康とはお別れなんだ。 だから僕の代わりに他の人が僕よりもずっとずっと友康に優しくしてくれたらいいと思う」

 アルクは女性をもう一度見た。
 彼女の正体は、……おそらく友康の母親だ。目元が友康とそっくりだ。
 友康をこんなところで一人で住まわせている家族。なのに、友康の様子をこうやって見に来ているということは愛情がないはず無いだろう。
 きっと難しいところなのだ。
 アルクの目から見ても、友康の性癖を彼女の中に受け入れがたい気持ちが未だ存在するのも分かった。
 自分は本当に何もできないまほうちゅかいだとアルクは思った。
 兄ちゃんだったら簡単にこの人の気持ちを変えられるだろう。優しい生活を友康に贈ってあげられるだろう。アルクにはそんな事はできない。せいぜい半分八つ当たりのような言葉で友康の母親に訴えかけるだけだ。
 友康の母親は厳しい表情でアルクをじっと見つめた。生意気を言うアルクを彼女は良くは思っていないだろう。
 彼女にも彼女の主張があるということは分かる。けれど、アルクはそれを折り曲げてくちゃくちゃに丸めて友康の為になるようにしてあげたいと思ってしまうのだ。

「あなたは……」

 友康の母親が何かを言いかけた。その時、足音がその後ろから聞こえた。特徴のある足音だ。貧乏だからと言って新しい靴を頑として買おうとしないのだから。制服を着た彼の足元が見えると、アルクは口を噤んだ。

「母さん……」

 友康は目を大きく開けて、母親を見つめていた。呆然と立ち尽くすのが分かる。今の友康の頭の中はきっと空っぽだ。そこに何か押し込めないと、何か押し込めないと必死で言葉を探している。

「あ、え、母さんから会いにきてくれたの初めてだ……な」

 友康はどこかぎこちなく口を開いた。それでも少し嬉しそうに見えた。同時にどうしていいか分らないくらい戸惑っているのもよく分かる。こんなに困惑している友康を見たのは初めてかもしれない。

「友康……」

 母親は相変わらず厳しい目をしていた。その顔でもし友康にひどい言葉を浴びせると言うのならアルクはその口を魔法で縫い付けてやりたいと思った。

 しかし。

「友康、うちに帰ってきなさい」
「……え」

 友康は呆然として母親を見つめた。

「本当は私が貴方を守らないといけなかったのに」

 ふとアルクは気づいた。厳しい表情で見つめているその顔は戦う母の顔だった。

「こんな中途半端な気持ちで来てごめんなさい。 でもたった今、腹が据わったから」

 友康はぴくりとも動かないで母親を見ていた。え、え?と小さく戸惑う声が聞こえる。
 母親はツカツカと歩を進めると友康を抱きしめた。友康はアルクから見て分かるほどビクッと体を揺らした。

「え? 母さん、え、何?」
「今までごめんなさい、友康」
「そんなこと」

 少しだけ頬を赤くして母親に甘えるのを我慢している姿は見ているだけで暖かい気持ちになる。今このときだけは友康がとても小さな子供に見えた。
 アルクはそんな友康を見て、くすっと笑んだ。

「……友康良かったね」

 二人の空間を壊さないようになるべく小さく優しい声でアルクは言った。
 腕の中にあるクローバーは友康にはサプライズのものだったけど、友康はきっとこれに気づいてもないだろう。

「……友康、兄ちゃん、明日迎えに来るって」

 アルクは一層小さな声で言った。二人の優しい空間を決して壊さないように。アルクが入る事で割れてしまわないように。

「僕は兄ちゃんのところに帰って、友康はお母さんのところに帰って。 きっとこれで良かったんだよね」

 友康にも聞こえないような小声でアルクは呟いた。
 二人での暮らしは束の間だった。
 けれど、本当に楽しかった。

(あるべきところに戻るのは寂しいけれど、僕は魔法つかいにならないといけないとやっと強く思うことができた)

 だって大好きな人を守る為にやっぱり男なら力が欲しいんだ。





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自分がこの世界にいられないならこの世界の誰かが友康にかわりに優しくしてあげて欲しいという、愛しさと寂しさと切なさ。
written by Chiri(4/1/2010)