いたいのいたいのとんでけ
いたいのいたいのとんでけ(5)



 この世界に飛ばされて10日以上経った日の昼。
 アルクはちゃぶ台に顔を臥せて、うぅーっと唸っていた。

(……気になる)

 学校へ行きたい。友康と榊が自分の知らない所で仲良くしてるんじゃないかと思うとお腹が痛くなって仕方が無い。こんなんならずっと友康のことを見ていたいし、傍にいてバリアを張っていたい。そんな魔法使えた事ないけれど。
 一度学校へ行ったときに着た制服は友康に没収された。アルクサイズに作り直した制服をもう一度友康のサイズに作り直させられた。でないと代えの制服が無いという。

「あーもうやだ。 散歩でもしよう」

 その場から飛び上がって、アルクは上着を着た。
 実は最近、趣味が一つ増えたのだ。公園散策。
 友康のアパートから少ししたところには大きな公園がある。そこにはアヒルが泳ぐ池もあるし、テニスやバスケが遊べるところもあるし、そこでジョギングしている人もいる。そんな広大な土地の中でひたすら四葉のクローバーを探す事、それがアルクの最近の時間のつぶし方だ。
 まだ本物の「四葉のクローバー」を自分の手で見つけたことが無い。アルクがとろいのか、はたまた運が悪いだけか、四葉のそれはいつも他の人の手に渡る。時々同じ公園で小学生たちも一緒にクローバーを探している時があるのだ。そんな時は、アルクの方が長い時間探していたのに、その子たちの方が先に見つけたりする。

「兄ちゃん、とろいなー」

 なんて指差されて笑われながらとぼとぼと帰ってくる毎日だ。
 それでもアルクは毎日めげずに探しに行く。

「よし! 今日こそ見つけるぞ」

 鼻息荒く、腕まくりをしてアパートを飛び出した。


 公園の中はいつも静かだ。平日のこの時間にここに入り浸る人間はマイルドな生き方をしている人が多い。ペットの散歩をするおじいちゃんだとか、写生をする学生だとか、ベンチでたたずむ老夫婦だとか。
 そんな穏やかな風景を尻目にアルクは地面に手をついて四つ葉を探し続けた。

「無いなー」

 数時間探すと、ここでいつもの小学生が登場する。背負っていたランドセルを地面に置いて、アルクが探しているところに駆け寄ってくる。

「兄ちゃん、今日も探してんの!」
「ちょっと! そこどいてよ。 僕が今探してたんだから!」
「やだよー」

 小学生は器用にクローバーを一つずつ品定めしていく。子供の集中力はこういう時発揮するのだと思う。アルクは最初の数十分で正直全ての集中力を使い果たしていると言っていいが、子供はずっとそれを持続させている。
 そしていつも元気の良い声が小学生から発せられるのだ。

「見つけた!」
「えぇ!」

 小学生がにかっと笑って、それを見せつけてくる。
 これで5勝0敗だ。勝負なんてしていないのに、子供は勝手にカウントしている。自分の力では見つけたことの無いそのフォルムは憎らしげで、だけどやはり可愛いと思う。

「兄ちゃんはいつまで経っても一人で見つけられないよな」
「悪かったな」

 ぷぅと頬を膨らませると、小学生は「兄ちゃんって子供みたいだ」と笑った。

「そんなに欲しいなら一個くらいあげようか?」

 上から目線で話してくる小学生にアルクはむくれた顔で返した。

「いらない」
「なんで」

 小学生は不思議そうに聞いてくる。

「だって自分の力で取ったものをやっぱりあげたいでしょ」

 友康にあげたら喜ぶと思う。けど、小学生が見つけたものを友康にあげても喜ぶだろうか。そもそも自分がとったものをやっぱりあげたいじゃないか。

「ふぅん、そうなんだ」

 小学生はランドセルを拾いに行って、リコーダーを中から出した。ぎこちない手つきでリコーダーで音を奏でる。エーデルワイスという曲だと前に言っていた。今度リコーダーのテストがあるらしい。
 素朴な音楽に包まれた公園でアルクはそれからも四葉を探し続けたが、その日も見つかることは無かった。






「ただいま」

 夕日が沈む時間にアルクがやっと公園から帰ると、玄関に友康以外の靴があった。その瞬間、胸の中にどすんと黒い塊が落下してくる。

「おかえり」

 友康の声に迎えられても黒い塊はなくならない。
 玄関といいながらも、一部屋しか無いこの間取りではすぐに来客が誰かも分かってしまう。榊だ。あれから友康は彼を何故か毎日つれてきて、カレーを食べさせる。
 嫉妬と言うものがもし炎というバロメーターで表せるならこんな燃えやすいアパートはとっくに消し炭だ。

「そんな顔すんな、馬鹿」

 馬鹿じゃないのに、馬鹿と言われた。違う、確かにアルクは馬鹿だけど、今は馬鹿じゃなかったはずなのに言われたから少し傷ついた。

「榊の馬鹿。 お前なんで友康のこといじめてるのに毎日来るんだよ」

 八つ当たりでアルクがそう言うと、榊は途端に暗い表情になった。

「ごめん」

 いきなり謝られて驚いたのはアルクの方だ。えーっと心の中で叫びながら、友康の方を見る。友康は表情も変えずに榊を見ていた。またアルクの心が傷ついた。

「ほら、カレー食えよ」
「もう何日目のカレーだよ」
「うるさいぞ、アルク」

 叱られてまたまた傷つく。アルクは耳を垂れ下げた状態でカレーを口に入れる。相変わらず美味しい。むしろ一日目より熟していて、旨みが増した気がする。なのに、食べる時は榊と一緒だからアルクの気持ちは萎んだままだ。
 本当は四葉のクローバーを探してきて、友康の心を奪ってやろうと思っていたのに。なかなか見つからないもどかしさもそうだが、友康がアルクのことをどう思っているのかが分からなくて心が痛い。
 しかも何故か今の空気もどんよりとしていて重い。先ほどのアルクの言葉が呪詛だったかのように榊はだんまりとしたままだった。

「さかきー、ごめん。 さっき僕が言った言葉ひどかった」

 いたたまれなくなってアルクがそう言うと、榊はびくっと肩を揺らした。榊も正直アルクのことは好きではないのだろう、とアルクは感じていた。アルクは自分が悪者だということを認識して、もうしゃべらないでおこうと心の中で決めた。
 なのに、途中で。
 いきなり、榊が泣き出したのだ。
 グスグスという泣き声に驚いてアルクが友康に何度も目配せするが友康の表情は変わらない。まるで榊の心のうちを分かっていたように、冷静に榊の状態を受け止めている。

「俺……、ご、めん……佐藤……」

 榊が不意に喋りだした。

 アルクは意味が分からずとまどう反応を隠せなかった。

「え? え」
「アルク、黙ってろ」

 友康はアルクに冷たい。
 榊はだらだらと涙をちゃぶ台に落として、鼻をすすった。ずっと堪えていたかのように目は途端に赤くなり、唇も赤みを帯びた。

「俺もさ、本当は佐藤のこと、すごく好きだったのに……」

 背筋に稲妻が走ったかと思った。
 アルクが慌てて友康の表情を伺うが、友康はずっと怖い顔をしたままだった。怖いというより何かを考えている表情。榊の言葉に嫌悪感を持っている顔ではなかった。
 ショックだ。
 ショックすぎて、食べていたカレーがまた出てきそうになる。
 クローバーをもっとはやく見つけていればよかったのかと思った。そうしたら友康のハートはアルクのものだったのに。
 友康は静かに呼吸してから、口を開いた。

「俺はもう気にしてない。 榊、今日はお前帰れ」
「……うん」

 榊の涙に濡れた瞳は確かに色っぽかった。
 そうか、この顔が友康の好きな顔なのか、とストンと理解する。
 榊が玄関に向かうと、友康が不意に「送ってくる」と言って席を立った。アルクが慌てて立ちあがろうとすると「お前はついてくるな」と即答された。
 涙が出そうになって頭を垂れると、友康にぽんと頭を叩かれた。

「すぐ帰ってくるから」

 ひどい奴なのだ。
 二人が出て行き、扉が閉じた瞬間、アルクは声もなく涙を滝のように出した。ひどい男なんだ、友康は。
 アルクとちょっと良い感じになっていたのに、結局の所あの顔が好きなのだ。所詮アルクみたいなまぬけな顔なんて嫌いなのだ。
 ぺらぺらの布団を丸めてからドスドスと殴りつける。心の憂さは一向に晴れないが、布団の綿がぼろぼろと出てくる。
 今日ほどこの世界に来たことを後悔したことはなかった。
 大体友康のアルクに対する態度がひどくなってきている。アフターフォローは丁寧に万全に!だ。もっと優しくしてくれてもいいはずだ。

 夜の10時を過ぎて友康が帰って来た時、布団は部屋で小爆発があったあとのように小さな破片へと変貌していた。

「うっわ、お前。 この布団どうしたんだよ」

 四畳半の部屋には布団から出た綿がそこら中に落ちていて、その中心には首から上全部を真っ赤に染めて怒った顔をしたアルクが座っていた。

「……もう僕帰る」

 お腹の奥底から地獄から届いた声みたいな音が出てきた。友康は少しだけ怯えた顔で聞き返した。

「は、はい?」

 アルクは友康の顔を真正面から見つめた。涙がまたぶわっと吹き出してきた。

「自分の世界に帰る!」
「お、おい」
「あっちに帰って顔の整形魔法覚えてくるんだ。 で、榊と同じ顔になって帰ってくる!」

 アルクの言葉に友康は目を見開いた。

「馬鹿、お前は馬鹿だ!」
「ひどい! また馬鹿じゃない時に馬鹿って言った」
「いや、今この時こそお前は馬鹿だろうが」
「ひーどーいー!」
「こんの馬っ鹿」

 突然抱きしめられた。アルクは何も言えなくなって「うぅぅ」と唸った。
 友康はひどい奴だ。アルクがお腹痛かったり、怒ってたり、泣いてたり、全部とめる方法を理解している。
 友康は言葉を選びながら、慎重に口を開いた。

「……あいつはさ、ゲイなんだよ」
「え?」

 暴れるのを止めると、友康はふぅっと息を吐いた。ゲイというのは、確かホモと同義だ。榊もホモだった?

「誰にも知られたくない。 誰にも相談できない。 ゲイに味方なんていないって思ってるんだ、榊は」

 友康はポツリポツリと話し始めた。
 それはアルクが来る前の話だ。友康が学校で避けられる前の話。






 友康はいつも視線を感じていた。同じ教室の対角線上の席。榊の視線だ。

「なんとなくゲイって同じ人種って分かるんだよ。 あいつ、俺のこといつも見ててさ、俺はあいつが俺のこと好きなんだと思ってこっちから告ったんだ。 顔もタイプだったし。 そしたら」

 友康の告白に榊は真っ赤な顔になった。心の中では嬉しいと榊は思っていたはずだ。しかし、口から出た言葉は。

『はぁ、俺がホモ? んなわけねーじゃん。 気持ち悪い』

 その後榊は自分を守る為に友康のことをホモ呼ばわりして蔑んだ。周囲もそれにのっかった。そのため、友康が一人学校で孤立するという図式になったのだ。
 気持ち悪いと言った言葉。
 あれはきっと榊本人のことを思ったのだろう。
 友康はずっと前から自分がゲイだということは分かっていた。目覚めがはやかったのだ。だから良かったけれど、榊はまだその壁を突破する前だった。

 アルクはそれを黙って聞いていた。この世界は「ホモ」にとってそんなにも生き難い世界だなんて分かっていなかったのだ。アルクの世界じゃないから当たり前だが、一人だけ共有できずに萱の外でいることは耐え難いほど悲しいことだ。

「だからあいつの気持ちが分かるんだよ」

 友康は小さく笑った。

 友康が自分の性癖を自覚したのは小学生の時だ。自分が何故女子を好きになれないか分からず、自分がどこかおかしいとすら思っていた。その頃、もしゲイに告白されても、「俺はそんなんじゃない! 近寄るな」と怒鳴るだろう。
 友康は榊に告白するタイミングを間違えたのだ。

「アイツは俺に好かれるよりも、自分の性癖がばれるのが嫌で。 だからきつい言葉で俺を罵った」
「うん」

 ひどい事だとアルクは思った。自分のキズが痛いからと言って他人を傷つけていい話ではないと思う。
 だが、友康は笑みを浮かべて言った。

「別に今でもアイツのこと嫌いになれないんだ。 だってあいつの気持ち分かるもん、俺」
「そう、なんだ……」

 また何かが決壊しそうになりながらアルクは呟いた。何を言ったってアイツを好きだという事実は消えないんじゃないか。
 友康は静かに口開いた。

「でも、それは俺がアイツを好きだからじゃなくて、アイツに同情してるんだ。 ちゃんとよく聞けよ。 好きっていうわけではない」

 はっきりと丁寧に友康がそう言うと、最後に一粒涙がアルクの頬に転がった。
 友康はアルクの頭を数回撫でた。今までにない優しくて穏やかな顔だった。

「目、閉じろ、馬鹿」

 馬鹿じゃない時に。
 馬鹿なんて言われてまた悲しいはずなのに。

 アルクが目を閉じると、優しいキスが唇に落とされた。それだけで今まで感じていたドロドロが全て溶けていく。
 自然と口をついて出た。

「友康が好きだ、僕」
「うん」

 初めて言葉にした瞬間、肯定してもらえて違う意味でなけそうになった。今度は嬉し涙だ。
 友康の背中をぎゅっと掴むと、友康もより一層強く抱きしめてくれた。体温が重なって、一つになっていくのが心地よい。

「友康、……今日もしないの?」

 顔を赤くしてアルクが言うと、友康はトントンと指をアルクの背の上で動かした。

「んー。 今考え中」
「なんで。 だって固くなってる」

 友康のソコはきっともうアルクのお尻に入れれるくらい固い。なのに、友康はトントンと指で背中を叩き続けてる。
 別にもういいじゃないかとアルクは単純に思った。

「だって後戻りができなくなるだろ。 俺もお前も」
「後戻りなんかする必要あるの?」

 アルクが聞くと、友康はフッと笑った。

「それも考え中だ」

 その夜友康の長考は終わらず、結局いつの間にかアルクは友康の腕の中で寝ていた。布団より寝心地はいくらか悪かったが、それでも心はいつもよりずっと温かかった。





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友康は据え膳を食べずに大事にとっておくタイプ。腐ったらどうするんだ。
written by Chiri(3/25/2010)