いたいのいたいのとんでけ
いたいのいたいのとんでけ(4)



 アルクがこの世界に来てから一週間。未だ兄が迎えに来る気配は見られない。
 昨夜、アルクは初めてカマクラ布団を解除して、友康と一緒の布団で寝た。なのに、友康は何もせずただ一緒に眠った。ケツに入れたり、犯したり、どうぞどうぞとアルクが思っていたのにもかかわらず、だ。
 夜中に、一度だけ目が合った。
 だからアルクは言ったのだ。

「僕、いいよ?」

 友康の目の中が月の光で反射して光っている。友康は何も言わなかった。何か考えているのだろうが、それが何かなんてアルクには分からない。
 友康の腕がそっと動いた。その右手をアルクの髪の中に掻き入れると、不意に友康の口が開いた。

「……カレーくいてぇ」
「え?」
「カレー」

 何それ、とアルクは不満げに聞いた。友康は優しく笑った。友康が笑うと目の下に一筋だけ笑い皺ができる。それを見つけると何故かこっちも幸せな気分になる。四葉のクローバーのジンクスってこんな感じかなとアルクは思った。

「ご飯に乗せて食べるんだ。 ちょっと辛いけど美味いよ。 一人だと作らないんだ。 何日もカレー食べ続けるのが嫌でさ」
「ふぅん?」
「明日、一緒にスーパー行こうな」

 頷くと、もう一度髪の毛を撫でられた。友康の体温が気持ちよくて、そのままアルクは寝入った。
 犯してはくれなかったけど、幸せな気持ちだった。






 最寄のスーパーマーケットという所に行くと、人がたくさん買い物をしていた。女性が多いが、併設されているゲームセンターや本屋のおかげで子供もたくさん居る。
 友康はカレーの材料を買うと言って早々にどこかに行ってしまった。いや、そうじゃない。アルクが入り口できぐるみに風船をもらっていたら、はぐれてしまったのだ。
 そんなに広い場所じゃないだろうし、と思ってアルクは勝手に散策することにした。
 けれど中に入ってみるとスーパーマーケットはそれなりに広くて、たくさんの食べ物が売られていた。こっちの世界の人はいろんなものを魔法も無しに作るらしい。それはある意味、すごいことだ。
 キラキラとショーウィンドウに飾られているものを見ていると、店員さんが「食べてみます?」と言ってきた。アルクが頷くと店員さんがそれを小さく切ってつまようじに刺して渡してくれた。  甘い。美味しい。
 思わずジャンプしてホップしてしまうくらいの衝撃。
 ショートケーキというものらしい、がこんなに美味しいものを食べたのは初めてだった。どんな魔法を使ったらこれを作れるだろうと考えるが、どうせ自分では作れないような気がした。魔法では作れないようなものがこの世界にはたくさんあるのだ。

 友康に買ってもらおう、と思って友康を探そうと振り返った瞬間。

「あれ、お前、佐藤の弟?」

 どこかで見た顔の男がアルクの前で立っていた。アルクが不思議そうに男の顔を眺めると、ふと記憶の彼方から名前が降りてきた。

「あ、サカキだ?」
「……なんで呼び捨てなんだよ」

 榊は不満げにアルクを睨んだ。アルクにとってそんなものは怖くないから、目をそらさず見つめ返す。

「今日は一人かよ」
「友康ならカレーの材料買いにいってるけど」

 榊はチッと舌打ちした。それがどういう意味での舌打ちかはアルクには分からなかった。
 なんだか不思議だ。榊は学校で会った時はアルクのことをホモだちだって言っていたのに今は弟としてしゃべっている。それに学校であった時よりも少しだけ、榊をまとう雰囲気が刺々しくない気がした。
 それなら今はきっと良い機会だ。前思った事が自然と口をついて出た。

「榊は友康のこと嫌い?」
「は?」
「なんで嫌いなの?」

 榊は面倒そうに答えた。

「……だって知ってるんだろ。 あいつホモじゃん」
「ホモだから嫌い? それってこの世界じゃ普通なの?」

 アルクは首をかしげた。ホモ、という言葉を聞いた限りではただの「状態」をあらわす単語だ。例えば、自分は「男」です。自分は「女」です。と言った括弧の中の単語と一緒だと思う。だから、「彼は男だから、嫌いです。」という文章は「彼は何かをしたから、嫌いです。」という文章に比べると少しおかしい気がする。単語に背景があるのなら分かるが、異世界の者には簡単に納得できる話ではない。

「お前、変な事聞く奴だな。 お前の兄貴がホモなの嫌じゃないのか」
「僕、弟じゃないよ。 一緒に住んでるけど」

 榊は一瞬目を見開いた。

「なんだよ、本当のホモだちかよ」

 吐き捨てるように榊は言った。どこかいらついているようで、近寄りがたいオーラが一気に増した。
 アルクにはその反応が不思議だった。

「そんなに変なこと? おかしいの? 友康は優しいよ。 別に女の子でも僕に優しくしてくれない子は多いかもしれない。 そんなのよりずっと友康が僕はいいけど。 友康に召喚されて僕は本当に良かった」

 榊は目を細めた。意味分からないことをアルクが言ったのかもしれない。そうこうする間に榊の顔がみるみる青ざめていって、それはアルクから見ても突然の変化だった。

「僕、今変な事いった? 榊なんか泣きそうだけど」
「……泣くかよ、馬鹿」

 そんな震えた声で言われても、とアルクは思った。
 榊の拳は固く握り締められたままで、アルクは不憫に思った。榊は榊で何かを怯えているのではないかとすら考えが及んだ。

「おい、アルク」

 振り返ると、友康が居た。友康はアルクがはぐれたからと言って特に焦った風貌ではななく、飄々としていた。
 右手には既にカレーの食材が入った袋が垂れ下がっており、買い物を一人で済ましたということが見て分かる。
 友康は、榊の存在に気づくと片眉を上げた。

「なんで榊がいるんだ」
「だって、なんか会ったから」

 榊は居心地悪そうに足元を見ていた。気まずい空間なのだろう。榊が息もとめてそこに立っているのを見て、アルクはもう帰ろうかと思った。
 しかし友康は榊の表情を見て、ハァとため息を吐いた。

「今日カレーだけど、お前も来る?」

 アルクは目をぱちくりとさせた。友康はいつも榊にいわれの無い事を言われて傷ついているはずなのに、何故夕飯に誘うのだ。

「……行く」

 そして何故榊も行くと答える。意味が分からなかった。
 双方の顔を伺うが、まるで友達同士とは思えない。朗らかに動く部位がどこにも見られないのに、その状態で一緒にご飯を食べるなんて罰ゲームみたいなものじゃないか。
 もしかしたら。
 友康は前、榊の顔が好みだと言っていた。いじめられている相手でもそれは変わらないのかもしれない。友康はアルクのことを好みだとは言った事がない。最初から決められている男の好みというものはやはり覆せないものなのかもしれない。
 そう思うと、チリチリと胸を焼く痛みに苛まれる。
 榊は友康とアルクが歩く少し後からついてきた。足音がすごく耳障りだ。アルクは胸を抑えた。

「友康、おなか痛い」
「へ?」
「なんかおなか痛いよ?」

 友康の袖を掴み、そう言うと友康は眉を顰めた。

「馬鹿、お前それ心臓だろ」
「じゃ、心臓痛い」
「子供は嫌な事があるとすぐにおなか痛いって言うもんな」

 子供じゃない、とアルクは主張したが、友康は「なんせまほうちゅかいでちゅからねー」と馬鹿にした様子だ。ムカムカが抑えられなくて、友康の靴を思いっきり踏んだ。

「いで!」
「友康なんかもう知らない」

 ぷいっとそっぽを向いて、先を行く。友康の足を踏んだら少し心臓が痛くなくなった気がした。友康の怒った声が追いかけてきたが、アルクはそれを無視して早歩きした。

「こんなところに住んでるの」

 二人が住むアパートを見て、榊はそんなことを言った。友康が何か答えるより先に「なんかおかしい?」とアルクは詰め寄った。榊は少し後ずさりして「いや、別に」と答えただけだ。
 おなかの中にもやもやを溜めながら、部屋に入る。友康はすぐに台所に立って、野菜を調理する。
 朝から出たままだった布団をアルクが片していると、榊がためらいがちに聞いてきた。

「布団……一組しか無ぇの?」
「そうだけど?」

 答えると、榊は蛙のような顔になった。何その反応と思って苛苛が一層募って軽く爆発した。

「言っておくけど何も無いんだからな! 犯されてもないし、ケツ穴も無事なんだからな!」

 榊は唖然とした様子で、アルクを見つめた。少しするとポポポと頬を赤く染まり、か細い声で呟いた。

「お前、なんかほんとやだ」
「何がだよ」
「だって……デリカシーねーもん」

 ぷいっと向こうを向く榊に(お前に言われたくない!)とアルクは心の中で憤慨した。周りに当り散らしたくなる気持ちを必死で我慢する。
 そうだ、こういう時は友康の足を踏めばすっきりするんだ。

「いで! お前さっきからなんだよ」

 ツカツカと台所に行き、思い切り友康の足を踏んだが、友康はあまり怒っていない様子だ。口先だけで嗜めている。
 アルクが口を尖らせていると、友康はほらっと小皿にカレーを少量つけてアルクの口に持ってきた。
 刺激臭に驚いたが、舐めてみると意外だ。美味しい。

「美味いだろ?」

 友康は満足げに笑った。目元に笑い皺を見つけて、心の中に平穏が戻ってくる。ここに榊がいなかったらもっと幸せなのに、と意地悪なことも考えた。
 その後、小さなちゃぶ台を3人で囲んで、カレーをいただいた。ホクホクとしたジャガイモも、控えめに入っていた鶏肉も美味しい。それなのにその間、終始無言。この二人はどういう経緯で一緒に夕飯を食べるという暴挙に至ったのかと考えるが、そもそもその場に居た自分ですらよく分かっていない。

「……うまかった、ありがとう」
「ん」

 食べ終わると、意外なことに榊は感謝の言葉を紡いだ。
 結局二人の会話よりもアルクと榊の会話の方が多かったかもしれない。それほどまでに榊と友康はしゃべっていなかった。
 榊はそれだけを言うと上着を着て、帰る準備をした。

「また明日学校でな」

 声をかけたのは友康のほうだった。榊は一瞬だけ動くのをやめて、ゆっくりと友康の方を向いた。友康は特に表情も変えず、榊を真っ直ぐ見つめていた。
 なんだろう、これ。またお腹が痛くなってきた。

「うん」

 榊は一言だけそう言うと、扉を開けて寒空の下へ出て行った。パタンと扉が閉まると、アルクはやっと心からホッとできた。
 けれど、友康は閉まった扉をしばらく見ていて、それがなんだか悲しかった。

「……なんで今日榊呼んだの」

 アルクが無言の空間から言葉を創ると、友康は押し黙った。

「友康って榊が好きなの」
「違うよ」

 今度はすぐに答えが返ってきたが、まだ安心できない。その証拠に友康は言葉を一つ足した。

「俺はあいつの気持ち分かるんだよ」

 友康の言葉で胸がきゅぅっと締まった。切なさとか悔しさとか心もとなさが全部ぐっちゃぐっちゃに丸まった気持ちが心臓の中からあふれ出てきて破裂しそうになる。

「……友康、おなか痛いよ」

 泣きそうになりながらそう言うと友康はアルクの髪を撫でた。

「馬鹿、お前はそんなことでおなか痛くしないでいいんだよ」

 友康は困ったように笑いながら、アルクの頭をポンポンと叩いた。
 髪を撫でてた手が今度は頬を撫でてくる。

「……友康が抱きしめてくれたら僕、おなか痛くなくなるかも」

 アルクがポツンとそう言うと友康は笑った。友康の笑った顔を確かめようとした瞬間、

「ほらよ」

 友康の体温が降って来て、アルクはそれをそのまま受け止めた。友康の背中に手をまわすと、友康の全部が自分の手の中にあるみたい。

 本当に一瞬でお腹が痛くなくなったから、アルクはびっくりした。





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子供は違うところが痛くてもお腹が痛いって言うってチャングムで言ってたよ!
written by Chiri(3/24/2010)