いたいのいたいのとんでけ(3) アルクが来てから3日目の朝。 相変わらず布団の無い朝は厳しい。毛布で代用しているが、布生地の隙間から冷気がすり抜けてくる。 部屋の隅にあるカマクラ布団に見やる。 「……アレの中、入りてーな」 ぬくぬくと布団にくるまって寝るアルクの元に擦り寄る。そしてアルクの寝顔を覗くと。 驚いた。寝ていると思ってたらアルクの瞼は開いていた。 「何、お前もう起きてたの」 「……うん」 友康は声もなく気づいた。 アルクの目元にうっすらと涙のあとが見える。それは小さな驚きだった。 アルクは平気そうなふりをしているのだが、やはりどこかで寂しかったのかもしれない。アルクにはきっと向こうの生活があったのに、召還した自分が勝手に巻き込んだのだ。 「ごめんな、そうだよな……」 「違う」 アルクははっきりと言った。 「違うんだ。 だって兄ちゃんさ、すぐ来るかと思ってたから」 兄ちゃんは天才魔法使いだから、と小さく呟いた。 せめて布団から出てから泣けばいいのに、アルクはいつものカマクラ布団でバランスの悪いきぐるみを着たようにまんまるになってほろりほろりと泣いている。 「兄ちゃんにもここまで来ることはできないのかなって思ったらちょっと驚いてて」 「だからそれをホームシックって言うんだろ」 友康がアルクを布団ごと抱きしめると、アルクは不思議そうに顔を上げた。 「ああーもうこっちこいよ」 「だってケツほるって言ってた」 「朝から掘らないって」 アルクは疑いの眼差しを向けた。 それを振り払って、アルクを布団ごと腕の中に引き寄せた。 ポン 桃色の煙がはじけると、アルクが布団を脱いだ姿で腕の中でまるまっていた。自分より少し小さな身体は抱きしめるとちょうどぴったりとおさまってしまう。 「お前なんか体温高いな」 そう言うと、アルクはゆっくりと目を閉じた。 「友康もあったかいよ……」 すぅっと息を吸う音がなんだか心地よい。頭を数往復撫でると、アルクはそのまま落ちるように眠りについた。スピーという寝息が聞こえてきて、ホッと安心する。 「……なんだよ、アルク、もう寝たのか」 「……うん」 「ってどっちだよ」 つっこんでる間に今度は本当に寝てしまったようだ。魔法を解除されてぺらぺらになった布団をアルクにかけてやる。 そういえば、最近友康はしゃべらずに終わる日が無い。 一人暮らしで、学校でも避けられている。そうすると、学校で授業中当てられもしない限り、一日何もしゃべらずに終わってしまうことだってよくあることなのだ。ましや、人に触れる事なんて長い事していなかったくらいだ。 もし、アルクの兄ちゃんが来て、いきなりアルクを連れて行ってしまったら…… 「ちょっと寂しいな」 あったかいのはアルクの方だ。 *** 目が覚めるともう昼間だった。 肌に触れる布団はぬくもりに包まれており、いつまでも出て行きたくなくなる。けれどそういう時は大抵兄ちゃんが魔法で無理やり起こしてくるのだ。 (……あれ) 布団が普通に自分の上にかけられているのを見て、アルクは目を瞬いた。 「いつ、魔法解除したっけ」 朝方、夢を見た覚えはあった。兄ちゃんと一緒にいた魔法の世界での生活。それが夢だと分かって起きたのも覚えている。 「あ、そうか。 あの後、友康がかけてくれたんだ」 朝の出来事を順々に追っていくと、やっと思い出すことができた。肩にかけられた布団を眺めて、フッとアルクは笑みを浮かべた。 兄ちゃんは忙しい魔法使いだった。 国からも重宝されるほど特Sクラスの天才魔法使い。兄ができないことなんて無いと思っていた。正直、3日間もこの世界にいるとさえ予想できていなかった。 ごく軽い気持ちで自分はここに居たということにやっと気づいたのだ。 「でも、友康でよかったな」 召還してくれたのが。 アフターフォローも充実している。異世界に飛ばされて、少しめそめそ泣いただけで、ここまで優しくしてもらえるなんて思わなかった。 (兄ちゃんでもこんなことあんまりしてくれないのに) 兄は国からの仕事が多いと、必然と出張も多くなった。何日も帰ってこなかったりすることはざらだった。アルクは兄と会いたかったが、兄はいつも居てくれるわけではなかった。 アルクは首を振った。兄の事を想う気持ちは今は置いておこう。 今日もやることも無いし、友康にくっついて学校に行こうかと思っていた。けれど、昨日行った限りでは自分の世界と同様に友康にとっての学校もそこまで楽しい場所でもないようだ。 「うん、今日は家にいよ」 四畳半のこの部屋。おそらくこの世界では貧しい人が住むところではないだろうか。 トイレもなければお風呂も無い。そのせいで昨日は友康に銭湯とやらに連れて行かれた。男たちみんなが裸になっているという恐ろしい空間。 それを見て、友康は「極上な空間だろ」と笑っていた。 あの笑顔がこわかった……。 けれど、そう言う友康は自分で言う割には普通なんじゃないかな、と思う。彼は自分のことを最初ホモといった。まるで犯罪者であったかのような告白だった。 けれど、そもそもホモってそんなに危険なのだろうか。なんとなく、言葉の響きで怯えているけれど。 ケツ掘るって言ってたけど、掘られた事なんて無い。そんな前触れも無い。友康は言葉ではなんとでも言うが、よくよく考えてみればひたすら優しくしてくれたというのに。 アルクは「そうだ」と声を発した。友康の部屋を見渡す。 「あれ、どこにあるのかな」 頭の中でその形状を思い出しながら本棚や机の中を漁る。欲しい物はなかなか見つからない。そもそもアレがどこに普段あるのかも分からない。薄いものだし、どこかに挟んで保管しているのか、束にして保管しているのか。 棚に収納されている本をパラパラと見ていたら、何かがひらりと舞い落ちた。 「あ」 思いがけず探し求めたソレを見つけた。 オカネというもの。これが友康が心底欲しがっているものだ。 床に落ちたオカネを見て、アルクはそれを宙に掲げた。 「あれ、描かれている顔が違う?」 昨日、銭湯に行った時に友康はあんなに欲しがっていたオカネを番頭さんに渡していた。それはもっと別人の顔をしていた気がする。色もちょっと違うようだ。 どうやらオカネとは通貨のようだ。サービスに対しての対価。何かをもらうには必要なもの。何かをしてあげたらもらうもの。 通貨なんてものは、インフラが無償で整っている自分の世界にはあまり必要の無い概念だ。社会の義務は当然あるが、それは各個人の能力別に国家が仕分けしている。この世界で言う共産主義というものに近いかもしれない。 アルクはあらかじめ見つけておいたプリント用紙を取り出した。そして、筆ペンのインクとクレヨンを机に並べる。 「ちょっと素材違うけど、きっと似たものなら作れるよね」 右手に鉛筆を持ったのは、自分の世界に置いてきてしまった魔法鞭の代わりだ。そして宙に魔法を使うための印を結ぶ。 ヒラヒラと用紙とインク、クレヨンが宙に浮かぶ。 あとは、上手に頭の中に方程式とイメージを連想するだけだ。 何度かリズム良く魔法鞭を振ると、閃光と共に、プリント用紙とインクとクレヨンから出来たオカネが空中に現れた。ぺらりぺらりと手元に落ちてきたそれを見て、アルクはにんまりと笑った。 「上手くできた」 作ったオカネは友康にあげるのだ。きっと喜ぶ。 学校から帰ってきた友康は少し疲れた様子だった。また今日も榊という奴に意地悪を言われたらしい。榊曰く、「あのホモだちは元気?」だそうだ。元気です。だからなんだというのだろう。 アルクは友康を部屋に招き入れると、部屋の真ん中で正座させた。 「なんだよ」 「友康にいいもんあげる」 今日一日はオカネを生産することに時間を使った。魔法はそんなにたくさん使えないから100枚までしか作れなかったけれど。それでもこれでヒャクマンエン相当のものになったはずだ。 「じゃん!」 アルクは布団の下に隠していたものをお披露目した。友康はどれどれ、と言いながら近寄った。そして、見た瞬間、ブハッと噴出した。 「え!? なんだ、これ!」 友康はケタケタと笑った。 なんだか、……リアクションに不満だ。 アルクの予想では「嬉しい、アルクありがとう」と満面の笑顔で答えてくれるつもりだった。これでは、満面の笑顔でも意味あいが違う。 「何がおかしいんだ」 少し頬をふくらませると、友康は一枚オカネを手に取った。 「だって。 これ、俺じゃん?」 指差した先はオカネに描かれた人物像だ。そこにあえて友康の似顔絵を持ってきたところが粋なポイントだ。 「うん。 上手にできてるでしょ」 ちなみに昨日の銭湯で「極上の空間だ」と言って笑っていた時の表情を参考にしました。親指を立ててアルクがそう言うと、友康は一層笑い声を大きくした。 「オカネは特定の絵じゃないと使えないんだよ。 何、この高クオリティーであからさまな偽札」 友康は一向に笑いをとめない。 アルクは口をあんぐりを開けた。だって、昨日見たオカネと今日発見したオカネの絵柄が違うから、そこはどんな絵でも良いと思ったのだ。 「しかも、透かしも入ってないし」 友康は光に照らして、お札の中央部分を眺める。だってその透かしとやらを作るには多分根本的に材料が違う部分があるのだ。 アルクが悔しそうにオカネを見ていると、友康が突然口を割った。 「アルク、俺もいいもんやるよ」 「え?」 予想外のサプライズにアルクは嬉しそうに友康が出したものを凝視した。 友康の手には、黄色い花がのっていた。小さな小さな花びらが何重にも巻かれている花。なんだかもさもさしていて可愛らしい形だとアルクは思った。 「これ?」 「たんぽぽって言うんだ」 「たんぽぽ」 ふぅんと言いながらじっとそれを見る。魔法の世界にも花はある。けれど、どこぞの魔法使いがどんどん改造していくものだから、こんなに素朴な形など無い。 「雑草の一種かな」 「え、そうなんだ?」 可愛い花なのに、と呟いた。アルクはたんぽぽを手にとると、空缶にそれを挿そうとした。 「あ、それ」 「え?」 「押し花にしようと思うんだけど」 「押し花?」 友康は腰をあげると、押入れから何かを取り出した。大きな辞書を何冊も出てくる。そこには新聞紙が挟まっていて、そしてその中にはたくさんの花が挟み込んであった。 「これが押し花。 花を乾燥させて、圧力を加えるんだ。 そうするともう枯れないんだ」 「そうなんだ……こんなにもたくさん」 新聞紙の中にはたくさんの花がぺちゃんこの状態で並べてある。本来の色よりも少しくすんだその色はどこか重厚でレトロにさえ見える。 「友康って結構女の子みたいな趣味があるんだね」 ふふっと笑うと、友康が口をへの字にして反論した。 「違う、俺の趣味じゃない。 ……母親の趣味なんだ、押し花作りは」 「なんだ、そうなんだ」 「いつかさ、全部あげたらいいなって思って」 女の人の趣味なら納得が行く。でもそれを友康がまねをしているなんてどこかほほえましい気がした。 「じゃ、こんなにいっぱい押し花見たらきっと喜ぶね」 「……まぁ、渡せる事は無いだろうけどな」 友康が小声で言った言葉は良く聞こえなかった。聞き返そうとすると、友康は身体を横に向けてしまった。 友康はかばんから他のものも取りだした。今度は花じゃない。緑色の草なのに、綺麗な葉っぱの形だ。三つの丸がくっついたような形。 「これはクローバーって言うんだ」 「へぇ」 「三枚葉があるのが普通なんだけど、時々四枚葉のものがあるんだ。 そういうのは四葉のクローバーって言って、幸運が訪れるっていうジンクスがあるんだぜ」 友康は手際よく、それらを新聞紙に並べていく。薄い紙を間に挟むと、新聞紙を閉じ、辞書に挟んだ。 きっと何度も繰り返している行動なのだろう。手つきが慣れていて、間違うことが無い。 そういえば何故友康は一人でここに住んでいるのだろう。 母親も父親も亡くしたようなそぶりは無い。なのにアルクがこっちに来て、一度も友康の家族には会っていない。 それに友康は家族の話をあまりしないのだ。まるで痛いキズに触れないでいて我慢する子供みたいだ。 「友康は寂しくないの」 「ん?」 「一人でここに住んでいて」 聞いてみて、しまったとアルクは思った。友康の目の光が途端に曇ってしまったように思えたのだ。 失敗した失敗した失敗した、と頭の中で何度か繰り返す。 失敗した時はあれ、だ。混乱した頭でアルクは動いた。 「何? アルク」 「へ」 ほとんど無意識にアルクは友康を抱きしめていた。朝、自分がされたことが嬉しかったからだろうか、腕が勝手に動いていた。 友康は目を光らせた。 「お前、そんなくっつくと犯すぞ」 「犯す?」 「ケツ掘るぞって言ってんの」 またそれだ。友康のその言葉はまるで自分を他の人から遠ざける為にあるようだ。 少しだけむっとしながらアルクは質問した。 「犯されると痛いの?」 「ああ。 当たり前だろ」 「じゃ、痛いのになんですんの?」 友康はハハッと笑った。 「突っ込む方はきもちいいんだよ」 そういうものか。それならば。 「……別にいいよ。 友康が気持ち良いなら、別に」 アルクがそう言うと、友康は一瞬目を大きくした。 「……ばーか」 友康はアルクの顔を見ずに、頭を撫でた。 友康の手からはほのかに草木の香りがする。それがなんだか安心する。 アルクは自分でも不思議だった。 何故だか分からないが、友康に何かしてあげたいという気持ちが止まらなかった。 next この世界に馴染みすぎなアルク。(馬鹿だけど適応能力が高い) written by Chiri(3/19/2010) |