いたいのいたいのとんでけ(2) 車道から排気ガスを放出しながら走る車の音が聞こえる。 隣の敷地は長い間、茂みや樹木を伐採していない。だからか、鳥の鳴き声がさえずりどころではない。まるで大合奏だ。 これが、友康のいつもの朝だ。 「あ」 いつもと同じ朝のはずが、ブルッと寒気がして昨日の出来事を思い出した。 布団、とられたんだった。まほうちゅかいのアルクに。 「おーい、アルク」 部屋の隅で丸まっている布団に声をかけるが、依然おきない。キャラメル色の髪の毛がピンピンにはねていて、それが息を吸うたび、ゆっくりと揺れている。 スピーというまぬけな寝息に友康は笑った。 「おい、アルク。 起きろ、俺は学校行かなくちゃいけないんだよ」 「……兄ちゃん、今日は学院休む……」 あ。 兄と間違えられているようで心が痛む。 友康は小さくため息をつくと、アルクをそのまま寝かせて、台所へ立った。アルクのために朝ごはんをテーブルに用意する。字が読めるのかは分からないが、置手紙も添えた。 めし、食え。 学校行ってくる。 家で待ってろ。 結局それ以降もアルクは起きず、友康は学校へ早々に出かけていった。 アルクを起こさないように扉はそっと閉めたつもりだった。 *** 教室に着くと、友康は自分の席に向かった。 前に教科書を机の中に置いていったら痛い目にあった。大きな落書きではないが、裏表紙に小さく「ホモは消えろ」と書かれているところがタチが悪い。 教科書をかばんから出すと、ふと机のキズに気がついた。 ホモハ キエロ 同じ文言が今度はカッターか何かで刻まれている。手で触ってみると意外にも角度をつけて深く彫られている。 「うわ、消せねーじゃんこれ」 前は鉛筆で書かれていたからまだ消せたものを。 はぁっとため息をついた。その様子をクラスメートは多分視界のどこかで見ているはずだ。こんなくだらないもの、いじめだなんて呼ばない。実際、落書きをした人間もキズを彫った人間もただの好奇心でやっているだけだ。友康がどんな顔をするか悪趣味に観察してるだけの話。 だが、本質的に友康を嫌っている人間がたった一人いる。嫌っている?違う。憎むフリをして、遠ざけている。 執拗な攻撃はそのたった一人の言葉をきっかけに起きたものだ。 榊亨(さかきとおる)。 同じ教室にいる、クラスメートだ。 「あ、そうだ」 ふと気づいた。 まほうちゅかいのアルク。あいつならこのキズ消せるかな。 形状変化しかできないって言ってたけど、文字を変えるくらいできるだろう。 と、その時。 「ともやす」 聞いた声に友康は振り向いた。 ぴこん、と一房だけ天井に向けて立ってしまっている髪の毛はただの寝癖だろう。色素の薄い髪の毛と白い肌はどこか遠くの異国のような雰囲気を思わせる。けれど、顔も体つきも幼く、異国を感じさせると同時に日本人に似たような雰囲気もある。 そんな異世界人。 「アルク! お前なんでここにいるんだよ」 しかもご丁寧に制服まで着ている。友康よりも小さい身体にちょうどぴったりのものを。 「この制服どうしたんだよ」 「え? 魔法使った」 アルクはポケットの中をまさぐると、「はい」と言って友康に何かを手渡した。制服と同じ素材の布切れだ。 「僕の身体にあわせたら、生地余っちゃった」 「って人の制服勝手に改造すんな」 叱っているのにアルクはにこっと笑った。 ふと周りの視線に気づいた。まだ授業が始まる前だったが、人垣が軽くできている。友康を野次馬に来ている同学年の生徒たち。まるで見世物だと思ってやがる。 その生徒たちを掻き分けてきて、登校したばかりの榊が顔を出した。 「うわ、新しいホモだちかよ」 きわめて大きな声で言われた。榊が見下す笑みを浮かべているのは見なくても分かった。 女生徒は遠めで「うわー、まじで」と好奇の目を向けている。男たちは言葉少なげにそれでもちらちらとこちらを見ている。 「なんか注目されてるねー、ともやす」 「お前のせいだろ」 何が、とまほうちゅかいはのたまう。 アルクはこの状況の意味を完全に理解してないようだ。 ホモがこの世界でどれだけ嫌われるか。クラスメートに、女に、……家族に。 「ただの弟だ、注目すんな」 榊よりまた大きな声で友康は叫んだ。アルクが「弟?」と首をかしげるのをアルクの足を踏んで制する。 榊はふぅんと口の端を上げた。 「へぇ、弟の割には髪の色違うね」 「おしゃれだって思ってるんだよ、こいつの場合」 友康がくしゃっとアルクの髪を撫でると、アルクは顔を赤らめた。 「……兄ちゃん、子ども扱いすんなよ……」 ちょ、お前何いきなりなりきってるんだよ。 場がおもしろくなってきて、少しくらっときた。なんだかシュールだぞ。 ぷぅっと頬を膨らませて言うアルクがにくらしくて、もう一度靴の端を踏んだ。 「いたいよ、兄ちゃん」 「もうお前は黙ってろ、行くぞ」 友康はアルクの手を掴むと屋上に向かった。歩を進めると人垣が崩れていく。 1限はもうこうなったらサボればいい。アルクはトテトテと風を分けて歩く友康の後を追う。 廊下をすれちがう生徒全員が自分に注目しているような気がしてならない。被害妄想だと思い込んでも、実際に見られているのも分かってしまう。 屋上に出ると、空が青くて広かった。じめじめとした気持ちと裏腹すぎて全てが恨めしくなる。 「あーくそ。 あいつめ」 「何であの人あんな事いうの」 振り向くと、じめじめ感とは縁の無いアルクが友康を見ていた。 あ、そっか。 いつも、友康は学校が面倒になると屋上に来る。けれど、一人で来るのだ。誰かを連れ立ってここに来た事なんてなかった。 友康が階段の入り口付近の壁に座りかかると、アルクもその対面にちょこんと座った。 「榊ね。 あいつ、俺のこと目の敵にしてるんだよ。 あいつの一言でこうやって学校で孤立したし、それがきっかけで家族にも性癖知られたしな。 でもあいつの顔って俺の好みそのものなんだよな。 強気そうで、怖いもの知らず」 「友康ってあの人好きなの」 友康はハッと笑った。 「将来はな、ああいう奴を金で釣ってヒィヒィ言わしてやりてぇんだ」 「えぇ」 それでお金が欲しかったんだ、とアルクがぼそっと呟いた。 確かにこんな綺麗な青空の下で言う事でもないかもしれないが。 悪いか。だって金があれば、少しはホモだって受け入れてくれるんじゃないか、とか思うじゃないか。家族だって友康に対して少しは好意的になるかもしれない。 自然と膝を持つ手に力が入った。 「もうお前、今日は帰れよ」 「え、やだよ。 まだ友康の席見てない」 意外にアルクは頑固だ。友康に眉間に皺を寄せた。 「あーもう勝手にしろよ。 でも先生に見つかったら怒られるぞ」 「別に僕、怖くない」 「……そうか」 「うん、じゃまた家でね」 アルクは一人で立ち上がって、屋上を降りていった。足音が遠くなると、いつもの一人だけの屋上だ。 アルクは物怖じしない性格なのか、時々どこか頼もしくすらある。 「あーあ、俺もお前みたいになれたらいいのにな」 そんな湿っぽい言葉は空の青さに消えていった。 1限目の終了を告げるチャイムが鳴ると、友康はやっと立ち上がり、自分の席へと戻った。 手持ち無沙汰に机を撫でていると、ふと机のキズの変化に気づいた。確か、「ホモハ キエロ」と彫ってあったはずのところだ。 ニイチャン、ガンバッテ 友康を傷つけた言葉は偽りの弟まほうちゅかいからのエールに変わっていた。 next 魔法使いとか出てくるのにただの学生生活という。 written by Chiri(3/16/2010) |