いたいのいたいのとんでけ
いたいのいたいのとんでけ(1)



 多分アルクがこの世界で最後に見たのは、兄の顔だった。自身の体が途端に光りだしたのを見て、聡い兄は「……お前、召喚されるぞ」と目を大きくした。
 召喚。
 そんなことがこの世にあるのかと言えば、あるのだ。アルクの身を置く世界は魔法の使える世界だ。生命の源に常に魔法が根付いている。その為、外部から特定の魔方陣を描けばこの世界の力を借りて召喚なんていうものができてしまう。
 けれど、その魔方陣を知っている外部のものなんてそうそう居ない。なのに勘の良い奴が時々偶然作ってしまうのだ。
 そしてそれが、今自分を呼び出している。
「アル……ーッ」
 兄の声が途切れた瞬間、アルクの身体は時空のひずみに落ちて、次の瞬間には別の世界に居た。



***



「うわ、できちまった」

 四畳半の狭い部屋に出来うる限り大きく書いた魔方陣。
 そこから煙が出てきたかと思うと、今度は人影。
 成功してしまったのだ。
 召喚術。
 友康が部屋の窓を開けると、煙が一気に逃げていった。そしてやっと見えた魔方陣の中心には。

「……あの、僕のこと呼んだ?」

 おずおずと口を開いたら、外見の軟弱さがブワッと増した気がした。
 そいつは……自分よりも背の低い男。浅葱色の大きなローブのような衣装を纏い、ぽつんと大きすぎる魔方陣の中央に立ち尽くしてる。しかも……若い。まるで自分と同じ高校生のような。むしろ年下にさえ見える。けれどたった一つ自分たちとは違うところがある。空のように透き通った青色をした髪が、時々蛍光色のピンクや黄色に光っている。
 友康は勇気を出して、最初の一声を出した。

「……えっと、……悪魔サンですか?」
「え? 違う……」

 男は自信なさそうな顔でこちらを伺ってくる。
 友康は手元にある魔法書をもう一度確認した。「悪魔を呼び出す魔方陣」、そう書いてあるのは確かだ。

「え、えっと、じゃ、……人間?」
「うーん、人間かな。 魔法使えるけど……」

 言いながら男は頭を掻いた。
 友康はワンテンポ遅くその言葉に反応した。思わずその響きに顔が高揚する。

「え、ま、魔法使い!?」
「……え、違う」
「え」

 男は眉を垂れ下げた。

「まほうちゅかい」
「は?」
「魔法使いじゃなくてまほうちゅかい」

 繰り返された言葉に耳を疑う。
 なんだ、そのふざけた単語は。
 そう自分の顔が語っていたらしい。男は口を尖らせながらボソボソと口を開いた。

「……父ちゃんも母ちゃんも兄ちゃんも魔法使いだけど、僕は違う。 まだろくな魔法も使えない見習いの魔法ちゅかいなんだ。 見習いの僕たちは魔法使いを名乗っちゃいけない。 まだ未熟な赤ちゃんと同等の扱いだから、まほうちゅかいって呼ばれてる」
「なんだそれ。 どうなってんだ、そっちの世界の常識」

 ハッと口を開けて笑ってしまった。
 男は不思議そうにこちらを見ている。向こうでは当たり前として使われている言葉なのだろうか。けれどこちらの普通で考えたら、笑っていいレベルだろう。
 男は友康が笑いを堪えながらも実は盛大に笑っているのを見ても特に何も思わないらしい。ぼーっとした様子で友康を眺めていた。

(あーあ。 なんか間抜けそうな顔してるもんな、こいつ)

 心の中で尚も笑いながら、友康はあることにハッとした。

「いや、ちょっと待て」
「ん? なに」
「お前、ろくな魔法使えないって」
「うん」

 男はあっけらかんとして笑った。
 あ、頬もかすかに桃色なんだと笑みを浮かべた顔を見てふと思う。肌が白いからきっと上気しやすいのだろう。
 ……じゃなくて。

「金は!? 金!! 俺、金が欲しくてお前呼んだんだけど!」
「へ?」
「悪魔に魂売ってでもいいから金欲しいって願うつもりだったのに!!」

 友康の中でぐおおおっとどうしようもない怒りが湧き上がってくる。
 何か召喚するところまでできてしまったものだから悔しさが何十倍にも膨れ上がる。もしかしてもう一回召喚してみたら今度こそ悪魔出るんじゃね?なんて考えが簡単に思いつくが。

「兄ちゃんが言ってたこと本当だったんだ。 召喚する人ってみんな欲望に取り憑かれてるって……」
「ああん?」

 ぼそっと小声で言われた言葉に友康は思わず語気を荒くした。
 男は別にひるむ様子も無い。少し眠たそうな目で、友康を直視している。

「でも君、運いいよ。 だって違う時空には魔界もあって、そこにつながってたら確かに悪魔はいるんだけど、契約なんか交わさずに前菜にされておしまいだ」
「……そうなのか」

 うん、と男が頷く。
 そうか。本に書いてあった話は嘘なのか。悪魔はりんごが好きだから、それと交換条件に頼みごとを頼まれてくれるなんていう事は。
 友康が八百屋を買い占めて仕入れてきたりんごはどうしてくれるんだ。そしてそれに金を費やしたせいですっからかんの財布はどうしてくれる。

「絶対僕みたいな間抜けでよかったよ。 僕は別に君に何も求めないし」

 言いながら男はにこっと笑みを浮かべた。
 ……普通。
 召喚された人間ってこんなに能天気なものなのだろうか。友康の中のイメージだと「俺を呼んだな、小僧」だったり「うわぁぁ、ここはどこ?」だったりな反応が考えられた。

 肝が据わっているのか、それとも天然なのか。

「……なんかどっと疲れたな。 あんたさ、もう帰っていいよ」

 肩を落として友康がそう言うと男はきょとんと目を見開いた。足元の魔方陣を見て、口をへの字につぐむ。

「そんな、この魔方陣じゃ帰れないよ。 これ呼び出すだけの魔方陣だもん。 返す方の魔方陣無いじゃん」
「はぁぁぁ?」

 友康が意味が分からないでいるのを無視して男はその場にしゃがみこんで魔方陣をまじまじと見つめる。

「あ、……これ言語互換対応してる魔方陣だ。 あーだから言葉通じるのか。 お、契約者の名前発見。 ト、モヤ…ス…か」

 ぶつぶつと声が聞こえるのが分かるが、友康はそれどころじゃない。
 返す魔方陣が無い?
 そんな話、聞いたこと無い。というかこういうのって勝手に帰るものじゃないのか?
 手に持っていた魔法書を開いて、目次を即効であさる。召喚する方法は書いてあるのに、返す方法が無いだと。そんな馬鹿な話があるか。

「無駄だって。 その本に書いてある通りにもし魔方陣を描いたとしても、魔方陣ってその時の条件を全部映し込むんだ。 その時何考えてたか、とか、月の軌道がどこにあったか、とか血の流れの速さ、鼓動の大きさ」
「はぁ?」
「同じの描いたつもりでも、きっと同じものは描けてない。 それだけ難しいんだよ。 魔方陣を描ける魔法使いは上級の中でも最上級だ」

 ということはつまり”まほうちゅかい”であるコイツには到底描けないということか。
 絶望が時間差で襲ってくる。

「いや、でも俺はお前の事呼び出せたし」
「だから、それは……」

 ぴたっと男は動作を止めた。
 そしてちらりと友康の顔を伺う。

「……運命っていうか?」

 うっわ。めんど。
 友康はあからさまに嫌な顔をした。男はそれに対しても何も感じないらしい。眠たそうな目で友康を見ている。

「くっそ、食いぶちが1人増えただけかよ」

 頭の中で小人たちが”生活費!””光熱費!””食費!”とけたたましく叫んでいる。一人増えるだけで一ヶ月のベース金が変わるんだぞ。
 頭を悩ませていると、まほうちゅかいの男が口を開いた。

「僕のこと、捨てる?」

 眠たそうな目が一瞬だけ大きく開いて、また閉じられていく。

「別に良いよ。 慣れてるんだ。 僕は役立たずだから母ちゃんからも父ちゃんからも捨てられた。 兄ちゃんだけは僕を可愛がってくれたけど、それでも僕は同じ学年じゃいつも役立たずだった」

 伏せられた目は静かに過去の日々を映し出していた。

「バッカ、捨てねーよ!」

 思わず腹から声が出ていた。
 もしかしたら不幸自慢かと思ったけれど、男は別に何も感じていない様子で言うのだ。一層胸が痛くなる。

「自分で呼んだんだから、自分で世話するさ」

 友康は男を魔方陣から手を引っ張り、引きずり出した。
 それまでかすかに男の身体が光っていたのが、魔方陣を出た瞬間に光がスンと消えた。髪の毛も深海のクラゲのように艶々と輝いていたのがオレンジ寄りの茶髪へと色を変える。
 男は不思議そうに自身の髪の毛束を掴んでそれを見ていた。

「お前さ、なんかいきなりこんな所に呼び出されたのに普通なんだけど。 向こうの誰かに会えなくなって悲しいとかないの」

 髪の毛を見つめていた顔がこっちを向く。

「例えばその……兄ちゃんとか、あえなくなったんだろ? 寂しくないのか」

 言葉にすると、自分の胸にもちくっと突き刺さる。家族に会えなくなる、のは、どんな事情でもやはり悲しいものじゃないのか。
 男は目を何度か瞬いた。

「……分かんないけど、そのうち兄ちゃんが迎えに来てくれる気がする」
「へ」

 男は嬉しそうに笑った。それは兄を誇りに思う純粋な笑みだ。

「うちの兄ちゃん、天っ才魔法使いなんだ」

 語る言葉に力が入る。

「うわ、まじか」

 まさに紙一重じゃないか。

「俺、そっちを召喚できれば良かったんだなー……」
「うん、そうだね」

 へらっと笑った顔を友康は正面から小突いた。

「バカ、自分で自分を否定すんなよ」
「へへ」

 あんた、ちょっとうちの兄ちゃんみたいだ、と男は笑った。
 何が似ているかは知らないが、多分適当な事を言っているのだろう。

「お前、名前なんつーの?」
「アルク」

 歩く、という漢字が不意に落ちてきた。立ったり、座ったり、歩いたり?
 親父ギャグみたいな貧困な発想には自分でも辟易とするが、なんとなくコイツにあっていると思った。のんびり散歩してそうなイメージだからか。

「アルク・アーダルだよ」
「ふーんそっか、よろしく」

 握手の文化は向こうにもあるのだろうか。アルクは極自然と手を差し出してきた。
 手を握りながら、体温を確かめる。
 人と触れ合ったのはそういえば久しぶりかもしれない。
 友康は学校ではいつも避けられている。

「俺は、佐藤友康」
「うん」
「言っておくが俺は……」

 一瞬だけ言葉に詰まった。あとから避けられる位なら今言った方がきっと傷は少ない。

「ホモだから」
「へ」
「ホモ」

 アルクは首をかしげた。ホモという言葉になじみが無いのだろうか。

「野郎同士でチンコをケツの穴に突っ込んでエロいことする人種だよ」
「……へ」

 言葉が変換されるのに時間がかかっているのではないかと思った。3秒くらいの間をおいて、アルクは初めて面食らった顔をした。その顔は不快感よりもおそらく驚きの方が強いという表情だ。
 それに少し気をよくした友康は追い討ちをかけた。

「あ、そうだ。 うちに住むんだからさ、ケツ貸せよ」
「ケ、ケツ」
「俺のチンコ、お前のケツの穴に入れるんだよ」
「や、やだ!!」

 ポン!

 まるでポップコーンのはじけるような音とともに、桃色の煙がはじけとんだ。
 そして、目の前にはカマクラの形をしたまるまるとしたものがドンと置かれる。

「ぜ〜ったいやだ!」

 中から声がくぐもって聞こえるということは、アルクが身を守っているのだろうか。
 その丸いものの柄を見て、友康はあ、と叫んだ。

「ちょ、これ俺の布団じゃん!」

 部屋の隅によせてあった布団がいまやテントのような物体となってアルクを守っている。これではアルクに触れられもしなければ、ケツも使えないし、ましてや布団で寝ることもできない。

「お前、出てこいよ!」
「やですー」

 ポン!

 また軽快なはじける音が鳴ると、目の前のカマクラからアルクの顔だけがぽっかり浮き出ていた。これ、どうやって丸まっているのだろう。完全にアルクを入れ込んでつなぎ目がくっついているじゃないか。

「あ。 これ、僕が唯一できる形状変化の魔法。 素材と物量が一緒なら形を変えることができる」
「ほぅ」

 これが魔法使い……いや、まほうちゅかい、か。実感がうっすらとわいてきた。
 そう。
 最初に友康が見た魔法は奇しくも友康を拒絶する為のカマクラ布団だった。





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おまぬけまほうちゅかい。。。。のお話。
written by Chiri(3/16/2010)