傷つきたがりちゃん(1)



「えぇ?誰よ、コイツ?」

 目の前に立つ露出度の高い服を着た女性を見て、柏木夕(かしわぎゆう)は大きくため息をついた。
 もう11月だというのに太ももを惜しみなく外気に晒した女性はその横に立っていた西洋のマネキンみたいな男に文句を言う。
「ちょっと、鷹―――??今日は2人っきりじゃなかったの?」
 毒々しい色をした口紅をつけた女の口からはそれに良く似合った棘のある言葉が発せられた。
 鷹と呼ばれた男はそれが奴のデフォルトであるように、笑みを崩さないまま、まあまあと女性を宥めた。
「こいつはただのパシリ。運転手だと思えばいいだろ?」
「そうなのー?でもぉー……」
 女が夕を汚物を見るような目で見る。夕はそれに無言で耐えながら、車のバックドアを開けてやる。まるで本物の運転手のような姿勢を保つ。
 女はそれに気をよくしたのか「仕方ないわね」と言いながら、そこに乗り込む。そして男がその横に座った。
 夕は車のドアを閉めると、運転席に移動した。バックミラーを見れば、女は既に火傷しそうな熱視線を男に向けていた。
「……今日はどこまでだよ?」
 夕はなるべく感情を抑えた声音で男に聞いた。本当はこんな風に使われて気持ち良いはずがない。けれどこの男にはどうしても逆らえないのだ。
「いつものクラブまで」
 いつものそっけない答えが返ってきて、夕は無言で発車した。
 後ろではうざったい程甘ったるい空気が2人の中で流れていた。
「鷹が運転すればいいのにぃ」
「仕方ないだろ?俺、バイクの免許しか持ってねーし」
「じゃ、バイクの後ろにのせてくれればいいじゃないの」
「もしもの時、お前を怪我させたくねーんだよ」
「やだぁ!鷹ったら!」
 そんな男の砂を吐きそうなセリフを聞いて、夕はイライラしながら指でステアリングを叩いた。
(他人を後ろにのせるのが大っ嫌いなだけなくせに……)
 男はバイクを運転中に後ろから抱きつかれるのが嫌いなのだ。風と一緒に走っているはずなのに、どこかにおもりがあるようで気持ち悪い、と前夕に言っていたのを夕は覚えていた。
 信号待ちになって、不意に後部座席が静かになった。ちらりとバックミラーを見ると、2人が濃厚なキスを繰り出していた。
(俺もいるのに、羞恥心の無い人だな……)
 男に対してもだが、女に対しては一際強く思ってしまう。
 だがこんなことも夕にとっては日常茶飯事だ。男はいつもこうやって夕が運転する車の中でこういう行為に及ぶ。
(……逆に俺に対するセクハラだろ、これ……)
 夕がげっそりして、それを凝視していると鏡の向こうで男だけが夕に目線をあわせてきた。女が酔いしれる中、男は夕に見せ付けるようにくちゅくちゅと音をもらす。

 プップーッ!!

 後ろからクラクションを鳴らされて、夕はハッと前を向いた。信号が青くなっているのに気付いて慌てて発進した。女が「やあね〜」と文句をもらす横で男が小さく笑う気配が感じられた。





 男の名前は織口鷹臣(おりくちたかおみ)と言った。
 夕にとっては切っても切れない相手だった。こうやって鷹臣のためにパシリに徹しているのも全て鷹臣のことを好きだったからだ。もちろん恋人の意味でだ。脅されているわけでもなんでも無い。けれど先に惚れた方が負けといえばその通りで、夕は完全に鷹臣に屈服していた。
 鷹臣は夕が自分のことを好きだということは知っている。それを知っていてこの仕打ちだ。
 初めて夕が鷹臣に告白した時、鷹臣は逆上するでも気持ち悪がるでもなかった。ただ平然と
「ふぅん、そうだったんだ」と事も無げに言ったのだ。まだ大学に入って間もない頃の話だ。
夕が「そそそれだけ?」と赤い顔で返事を要すると、鷹臣はおもしろそうに口角を上げて夕を覗き込んできた。
「何?俺がお前とつきあうとでも思ってんの?」
 夕はグッと息を呑んだ。そんな期待などはなからしていない。だって夕はゲイだけれど、鷹臣は根っからのノンケなのだ。
 夕はフッと目をそらした。足元を見れば、このまま逃げてしまおうかなんていう誘惑まで生まれてくる。
 けれど、鷹臣はなんてことのない様子で続けた。
「……でも、まあお前が俺の言うことなんでも聞くっていうなら考えてやってもいいかな」
 夕は不思議な思いで顔を上げた。
「なんでもって……?」
「俺のパシリになれっつーことだよ」
 下僕と言う名のパシリだ。
 意味を理解して夕はなんて奴だ!と思った。そう思いながらも、その一方で可能性が少しでもあるなら、とも思ってしまった。
「どうする?」
 鷹臣の指が夕の肩をトントンと叩く。まるでカウントダウンされているような気分になり、夕は慌てて頷いた。
 それを見届けると鷹臣は天使のような、そして悪魔のような笑顔で笑ったのだ。

「よろしく、……夕ちゃん」





 それからはこの通りだ。
 あの時から二年経った今でも鷹臣が好きな時に夕を呼び出し、その都度パシリにしている。二人は大学生3年生になり、鷹臣は薔薇色の甘美な日々を、夕はひたすら尽くすだけの灰色の日々を送っている。夕は親からもらいうけた車を持っていたので鷹臣もこれ幸いと最大に利用した。
最初は鷹臣とその恋人を送り迎えさせられて、夕は信じられないという顔で鷹臣を見つめた。けれど鷹臣はにやりと笑って「またよろしくね、夕ちゃん」と笑うだけだ。
 いつのまにか、鷹臣が女と一緒にどこかに消えるのにも慣れてしまった。大体の時はクラブに送り届けるが、時々はホテルまで送ってやったりもするのだ。
 鷹臣はホテルに女を連れて消えていく時、必ず夕の方へ振り向く。その顔には意地悪な笑みが浮かんでいて、夕の気持ちを分かった上でその行動に出ていることが分かった。
 けれど、逆らうことなんてできなかった。
 もしかしていつかは、だなんて淡い期待が疼いていた。
 それは夕にとって捨ててしまうにはもったいなすぎるものだったのだ。

「着いたよ」

 夕が後ろをあえて見ないでそう告げると、二人がのっそりと離れる衣擦れの音が聞こえた。それに少しばかしかホッとしながら、外に周りこんでまたドアを開けてやる。
 先に鷹臣が出ると、鷹臣は女にその手を差し出して立たせてやる。それを横目で見ながら、夕は2人が車から降りるとドアを静かに閉めた。
「帰りはまた電話するから迎えに来いよ」
 当たり前のように鷹臣に言われて、カチンと来るがそれに口答えしようとは思わない。いつもと一緒のことなのだ。
 夕が疲れた様子で運転席に戻ると、
「ちょっと待って」
 忘れ物を思い出したように鷹臣が運転席に寄ってきた。
 女が後ろで「どうかしたのぉ?」と聞くのに対して「ごめん、ちょっとコイツに伝言あるから」と言って夕の元にツカツカと歩み寄る。
 ちょうど運転席は2人を下ろした歩道の反対にあるのだから、女にとってそこは死角だ。
 そう、これだっていつものことなのだ。
「ほらよ、お駄賃」
 鷹臣は少しかがむと何も言わない夕の頬にそっとキスをした。
 まるで子供にするような触れるだけのキス。
 他の女にはどれだけいやらしい大人のキスをしても、夕に対してはこんな幼いキスしかしない。期待されると迷惑だからだと鷹臣は言う。
 それでも毎回、続くこの遊戯を夕は少しだけ、……ほんの少しだけ気に入っていた。
 お駄賃と言われているだけある、僅かだが心が幸せになるのだ。
 夕が息を止めて、鷹臣がキスを終えるのを待っていると、鷹臣が不意に至近距離で夕を凝視する。夕はどきっとしたが、鷹臣は馬鹿にしたように笑った。
「こんなんで赤くなるなよ、ガキ」
 そう言われてもこれは仕方ないのだ。
 鷹臣に頬に口付けされるだけで夕はいつも顔がほてってしまう。夕は別に男の経験が無いわけではないが、それでも鷹臣に対してはこんなにも純朴になってしまう。
「ちょっと、鷹、まだぁ?」
 後ろで女の声が聞こえた。その瞬間、鷹臣は夕から彼女へと意識を戻していく。
 鷹臣は「じゃ、後で迎えに来いよ」と簡単に言うと、そのまま彼女の元へと帰っていった。彼女の腰に手をあてながら二人でクラブに入っていくのが見える。
 それを遠めに見ながら、夕は小さく息をついた。
 本当に馬鹿みたいだ、と音の無い言葉を呟いた。





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俺様ノンケ攻めと頑張りやさんのゲイ受けのお話です。
written by Chiri(3/15/2007)