キミのスイッチ
キミのスイッチ(3)



「加村、こないだ言ってたことなんだけど」

 休み時間になると共に、潤は加村の働くフロアに顔を出した。加村はぴょこんと顔をあげた。ひょこひょこと潤の元に駆け寄ると、神妙な顔で何度か頷いた。

「今週の土曜日に駅前で集合な。 俺、いいとこ知ってるんだ」

 潤が笑いかけると、加村がぎょっと目をむいた。加村の視線を潤を通り越した先にあった。

「へぇ、どこ行くの? 楽しそう」

 第三者の声に潤も振り返る。なんとなく声で分かっていたが、そこには赤澤が満面の笑みで立っていた。

「ちょ、お前なんでここに」
「え? 俺もシステム二課に用事だけど?」

 加村は人見知りなのだ。赤澤が来るなんて言ったら加村はきっと来ないだろう。そんな事を思いながら、潤はなんて断ろうかと逡巡した。

(ダメだ、赤澤と一緒に出かけるなんて……)

 そんなの。

(なんて良いシチュエーションなんだ……)

 だってそんなの、よだれが出そうだ。
 思いがけずスイッチを押すタイミングができるかもしれない。ダメだと思いながらついついウズウズとしてしまう。ああ、でもこの場合は加村の約束が先だ。赤澤は断らないといけない。決死の覚悟で断り文句を発しようとしたその時。

「髪の毛を切りにいくんだ」

 その言葉は加村の口から出た。
 驚いて加村の方を見ると、加村は赤澤に目を合わせてちゃんと会話をしていた。
 赤澤は少し驚きながらも口元に笑みを浮かべた。

「へぇ、切るんだ! すげーじゃん、俺、加村の顔見てみたいな」

 相変わらずの爽やかさである。キラキラと光線を発しているような赤澤の笑顔に潤は「うお」と心の中で声をあげた。
 加村は少し顔を赤くしながら、もじもじと赤澤を伺い見た。

「じゃ、一緒に来ます? 赤澤さんっていつもどこで髪切るんですか?」
「え? 俺? 俺もいいとこ知ってるよ。 そっちにする?」
「はい、是非」

 潤はポカンと口を開けた。
 っておい。なんでそっちに行く流れになってるんだ。
 というか、加村も人見知りはどうしたんだ。人見知りは。

 呆れた顔で二人を見ながらも、なんとなく理由は分かる。赤澤が笑顔で自然と会話に入ってきたのだ。他の人間だと感じる遠巻きな距離感や警戒心を全く感じさせなく。

(本当に、完璧な奴)

 手がぶるりと震えた。
 あの男のスイッチを暴いてやりたい。
 赤澤、お前の裏の顔を俺は知りたい。



***



 何の悪戯か、駅前で集合した加村と赤澤と潤。待ち合わせた時の服装も三人三色だった。無難思考の潤と、加村は意外とセンスがあるのに髪の毛が全てを台無しにしている。そして一人爽やかに決める赤澤。駅前の注目を一身に浴びている気がするが、この際気にしないでおこう。

「じゃ、こっちな」

 赤澤は楽しそうに手を振り、二人を誘導する。
 何故か先導を切る赤澤に、何も文句を言わずについていく潤と加村。なんだかシュールだ。

 美容院に着くと、赤澤は店の人と挨拶していた。美容院なんて男も行くのか、なんて思っていると不意に赤澤に手招きされた。

「どんな髪型にする? って」

 ああ、と潤が頷く。潤は加村にウインクして、親指をあげる。

「俺にまかせろ。 課長の好みなら俺が把握してる」

 小声で加村に言うと、加村も力強く頷いた。
 潤は店員の傍に行くと、細かく指示を出した。

 髪の色をまず栗色にしてください。目が大きいのが際立つように前髪を短すぎずに切って下さい。あと頬っぺたも丸く見えるように髪を切ってやって下さい。最後に頭のてっぺんなんですけど、ふわふわに漉いてやって下さい。

 ……ちょうどこの写真みたいに。

 そう言って、潤が美容師に写真を見せると、美容師はブッと噴出した。

「くれぐれもよろしくお願いしますね。 貴方の手に全てがかかっています」

 杉下課長直伝の笑顔で美容師に圧力をかけると、美容師はとても困った様子で「ぜ、善処します」と回答した。
 それから潤は「俺ら外の喫茶店で待ってるから」と加村に告げてから、赤澤と共に外へ出た。
 赤澤は不思議そうに潤を見ていた。

「さっきの写真、何だったの? 芸能人とか?」
「ふふん、秘密」

 見せたのは杉下課長のハムちゃんの写真だよ。なんてことはまさか口に出せないまま、潤は鼻歌を歌って向かいの喫茶店に入った。カランと鳴る鈴の音と一緒で足取りも軽くなる。
 赤澤は「なんだよ、教えろよ〜」と何度かせっつきながら、潤の後を追った。



***



「加村、意外と可愛い顔してそうだよな」

 赤澤は窓から美容院を見つめると楽しそうに微笑んだ。アイスティーに口をつけると、コトリとカップを置いた。

「ああ」

 潤は頷きながら、加村の顔を思い出す。髪の毛で覆われたその素顔は見たこと無いけれど、隙間から覗く瞳の真ん丸さはいつでもとても可愛らしかった。

「ってお前も可愛い顔してるけどな」

 ふさっと音がする。

(ん?)

 潤の前髪が赤澤の手で持ち上げられたのを知って、潤は「うわあっ!」と声をあげた。びくっとして椅子ごと後ろに引く。赤澤は手をすぐに引いたが、くせのついた前髪が浮かび上がったままになった。

「ええ、そんなにビックリすること?」

 声をあげたせいで他の客がじろじろとこっちを見ている。潤は息を整えながら、赤澤を睨んだ。

「俺のは分かっててやってんだよ。 目立ちたくないんだ。 大体俺はそこまでモサッとしてるわけでもないだろ……」
「ふぅん、でも可愛いのに」

 ニヤニヤ笑いながら、目元を覗いてくる。
 潤は今まであまり目立たないように悪戯をしてきたのだ。大体、目立つ奴は犯罪者には向いていない。ってスイッチを押す事は決して犯罪というわけではないが。

「でも、あれだよな」
「はぁ?」

 半ば怒りながら返事をする。

「俺だけその素顔知ってるってシチュエーションもいいよな」

 ボワッ。顔が熱気で赤くなる。

「うわ、お前まじ恥ずい。 死んじゃえ、バカ。 どっか行っちゃえ」
「え、変なこと言った? 俺」

 赤澤は可愛らしくて首をかしげた。騙されるものか。
 大体、何なんだこのやりとりは。甘い飴ばかり与えられているようなこの会話は。
 誰か、窓を開けて風を入れてくれ。俺と赤澤の頭を冷やしてくれ。

 そもそも潤は赤澤のスイッチを押したいだけなのだ。そんなの一瞬で終わる。ちょっとだけ手を伸ばして赤澤の耳元のそれを叩くだけじゃないか。
 なのに、こんな何の意味も無い会話をしてしまって。赤くなったり、照れてしまったり。本当にバカみたいだ。
 しかし、それは今までで一番魅力的なスイッチだ。スイッチを押せばこんなバカらしいやりとりも終わる。でもそう思うと今度は押せなくて。
 胸の中やら頭の中がいろいろと難しい。
 潤が頬杖をついてグルグルと考えていると、ふと赤澤が声を発した。

「あ。 あれ、もしかして加村じゃね?」

 赤澤の視線が窓の向こうへと移る。もうそんな時間が経ったのかと思いながら、潤もすぐにその視線の先を追った。

「……え、まじか」

 思わず言葉が漏れた。潤は赤澤と顔をあわせた。宇宙人でも見たような赤澤の顔はきっと自分の顔と似たような表情だろう。
 こっちに気づいて手を振る加村は。
 ……加村は、あまりにも。



***



 おそらく最初に聞いた一言は、
「嘘だ」
 だった。

「可愛い」
「小動物みたい」
「女だったら」
「たまらない」

  その後も様々な声を聞きながら、潤は食堂を歩いた。右隣には何故か当然のような顔をして歩く赤澤、左隣にイメチェンにも程がありすぎる加村だ。
 髪を切った加村はあまりにも愛くるしすぎた。テレビの中にいるアイドルのようだ。そのくせ、潤が美容師に頼んだ髪型は加村にぴったりとフィットしていて。守りたくなる雰囲気をうまいことはらんでいる。
 杉下課長を落とせるかと言われると分からないが、既に社内の何人かは加村を見て心を奪われていた。

 食堂で定食を頼み、中央のテーブルに座る。何故か近寄りがたいオーラでも出ているのか、周囲に座るものはいなく、遠巻きに見られる。

(はぁ、最近注目されっぱなしだ)

 向かいに座った加村と、隣に座った赤澤の交互に恨みがましい視線を送る。別に注目されるのは不快ではないが、自分は目立つ風貌をしていないのでこの面子だと逆に浮いてしまう。
 と、その時。

「お、おい。 椿」

 いつもは凛としている声が今日は何故か乱れている。声元に振り向くと、杉下課長が加村を見て、硬直していた。

「こ、こいつ、どこの課だ?」

 明らかに動揺している様子だ。この顔、なんだかこの間キャラもののペンをプレゼントした時の反応に似ている。そんなことで加村の印象が悪くない、むしろとても良いってことがありありと分かってしまう潤だ。
 加村はここぞとばかりに口を開けた。

「あ、あの。 俺、加村です!」

 よくやった、加村。と心の中で称えるが、課長は目をぱちくりとした。

「ハムらって言うのか? ……なんか小動物みたいな名前で可愛いな」
「おい、課長天然か」

 つい、突っ込んでしまった。
 加村は頑張って極上の笑みを浮かべながら「課長、ハムらじゃなくて加村ですっ」と訂正している。課長は「なんだ、そうなのか」とこれまた嬉しそうに照れた顔をしていた。
 そんな二人を見ながら、そそっと涙が出そうになった。
 まるで我が子が巣立っていくような気分だった。

「……うまくいきそうでよかったな」

 赤澤がこそっと耳打ちしてきて、潤は眉を寄せた。

(ったく、こいつ、どこまで気づいているのだろうか)

 目があうと、赤澤は意味深に笑みを浮かべた。頭の回転がはやいのも知っていたが、そこまで聡いとこっちの気が引けるのは何故だろう。

 昼食が終わり、職場に戻る途中に赤澤はまた当然のように潤の横を歩いていた。話が盛り上がっている課長と加村は空気をよんで食堂に残してきた。
 しばらく無言でいた後、不意に赤澤がしゃべりだした。

「……お前ってすごいよな。 人間関係でなんかツボをついてるっていうか。 俺も本当はそういうのになりたいんだけど、どうにもなれないんだよな」

 赤澤の言葉に訝しげに潤は顔をあげた。

「俺よりお前の方がよっぽどすごいだろ」

 潤はスイッチを切り替えられるのだ。ツボというそれはそのスイッチの意味を知っているからこそ分かることだ。いわば、潤なんて常にチートしているようなものだ。
 それよりも赤澤の方が本当はすごいのだ。あの加村と普通にしゃべっていたのだってその証拠だろう。コミュニケーションスキルが高いし、そこから始まる信頼関係も厚い。

「でも俺、もともとは人見知りだよ? 小学生の時なんて友達全然いなかったもん」
「ふぅん、意外だな」

 潤が眉をあげると、赤澤は続けた。

「だから中学生になってから自分を変えようと思ったんだ。 必ず周りの人に三つ質問用意しておくんだ。 そうするといざ話をしないといけないってなった時に話題に困らないだろ? 中学生の時だとクラスメート全員分と部活で一緒の奴、あとは先生への質問集とか作ってたなぁ」
「へぇ」

 理にかなったことをするのだなぁ、と感心する。

「質問するには観察しないといけないだろ? 普段何を持っているかとか、どんな話してたかとか。 そういうのすげー見てた。 で、数をこなすと自然と質問考えるのもうまくなってくるんだ」

 つまり、今の赤澤は過去の努力からできた人間なのだろう。昔の赤澤はそんなにうまくしゃべりもできない少し人見知りの男子だったのだ。
 でも、普通そんな風に自分を改めることなんて中学生からするだろうか。赤澤は自分のことをダメな奴のように言ったが、そんなのむしろすごい事のような気がした。

「……なんか、俺、赤澤を尊敬する」

 心から言った言葉だった。真顔の潤に赤澤は少しだけ顔を赤くしてへらっと笑った。

「椿にそう言ってもらえるとなんか嬉しい」

 そんな風に嬉しがってもらえるなんてもっと嬉しいよ、と言いたかった。
 けれど嬉しい嬉しいの無限ループになりそうだと思い、潤は流石に言葉にするのはやめた。





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なんだ、この照れくさい奴らは。
written by Chiri(12/26/2010)