死んじゃえばいいのに
死んじゃえばいいのに(4)



腹が痛い。
嫌な痛みだ、と思った。



あれからその後もいつものようにバイトと学校を両立してきた。
学校では今度こそもう絶対寝ないように。バイトも少しも休まないように。とにかく人に迷惑をかけちゃいけない。それだけは心の中で誓って。

いつもなら週に二回必ずフルール・エ・ショコラに現れる逢坂は今週は一切現れなかった。それくらいに俺に対して怒っているのだろう。
けど、逢坂の顔を見ないで済むのは若干俺をホッとさせた。
逢坂は良い意味でも悪い意味でも俺の感情を揺さぶる。けど、今はその感情とのつきあいさえも面倒でやりきれないのだ。

(とにかく今を乗り切らないと。)

そう思いながらあがいてあがいて毎日を終わらせていった。
けれど心の中ではそんな自分に疑問も沸いてくる。今は一年の後期に差し掛かったところだ。
こんな日々がこれからもずっと続く?
あと三年以上も?

それを思うとどこまでも落ちていってしまう。
それはもう這い上がれないんじゃないかと思える所まで一気に急降下だ。

(がんばんなくちゃ。)

根拠の無い励ましと叱咤で自分を奮い起こすのはいつものことだ。
それしか方法が無いのだ。

何も考えないようにしようと思った。
考えたところで何も変わらない。なら、考えないでひたすら突っ走った方がいい。
それでいこう、それしかないんだ。



***



会ったのは偶然だ。
もちろん俺が奴をストーカーしていたはずが無い。
けれどこうも出会ってしまうと、もしかしてこれは必然なのではないかとさえ思ってしまう。

フルール・エ・ショコラのバイトが終わった後、俺は自分のアパートのすぐ近くにあるコンビニの方のバイトをしていた。
そこに、逢坂美鶴がやってきたのだ。
俺は目を見開いて、逢坂を見た。逢坂がレジに商品を持ってきたその時、やっと気付いたのだ。おそらく逢坂も同じだろう。

買おうとしているものはペットボトルのお茶だ。本当にただ喉が渇いて立ち寄っただけのことのようだった。
「また、お前かよ。」
逢坂は忌々しそうに呟いた。
「…気持ち悪いストーカーだな。」
ひどい言いがかりだと思った。
嫌悪感でいっぱいの言葉をぶつけられて、俺はやっとその時初めてそのことを否定する言葉が出てきた。
「…俺は、お前のストーカーじゃない。」
「はぁ?」
「何勘違いしてたのか知らないけど、お前が俺のバイト先に来ていただけだ。俺は、お前が来るよりも先にあのバイト先にいたんだ。」
いいながら、腹が痛い、と思った。
キリキリと見えないのこぎりで内臓を切られている気がする。いたぶるような遅いペースでギーコギーコ、と。
逢坂は眉間に皺を寄せた。
「ああ、そうかよ。ほざいてろ。」
俺の言葉を信じていない様子だった。ストーカーの最後の言い訳だとでも思ったのだろうか。
悔しかった。
悔しくて、苛立って、腹が痛くて…。
「おい、早くレジ打てよ。」
言われて、やっと手を動かした。
ペットボトルのラベルを読み取り、値段を言うと、逢坂が面倒くさそうに500円玉を出した。俺はそのおつりをレジから取り出すと、それを逢坂の手にのせた。
「今度こそもうつけまわすなよ。」
逢坂にそんな言葉をぶつけられた。
逢坂はそのままレジを離れる。
コンビニから出て行こうとする。

(ああ、お腹痛い…)

もう、限界だった。


ゴトッ


後頭部がコンビニの床に鈍い音を立てて、落ちていった。
その場にいた客が「きゃぁ!」と小さな悲鳴をあげて、周囲が俺の異変にきづいた。

あまりにお腹が痛くて立っていられなかった。
もう限界だった。

(やばい、またやった…)

痛みには覚えがあった。胃潰瘍だ。
一回、前にやっているからこそ、なりやすい病気だ。

コンビニの店長が異変に気付いて俺に立ち寄る。
しかしその前に違う人間に抱き起こされた。
(いてぇ、体、揺らすな)
そう思って相手を睨みつけたら、さっき出て行ったと思った逢坂美鶴の姿がそこにはあった。
ひどく切迫した表情で俺を信じられないように見つめていた。

「大丈夫か!?どこか、体悪いのか!?」

その顔を見て、俺は何故か痛みが和らぐのを感じた。
嬉しかったのだと思う。逢坂がまた話しかけてくれたのが。
(変だ。こんな奴、大嫌いなのに。)
死ねばいいって。最初は思っていたはずなのに。
「大丈夫かい?村井君!?」
駆け寄ってきた店長に俺は小さく頷いた。
「だ、大丈夫です。ただの貧血です。あの、でも今日は…。」
「最近、ずっと顔色悪かったもんな。はやく家に帰って休みなさい。」
意図をすぐに汲み取ってくれて助かった。
俺は上半身だけ起こした。まだ腹が痛む。
咄嗟に貧血と言ってしまったのは、迷惑をかけたくないからだ。胃潰瘍といえば、救急車を呼ばれかねない。
そこまでしてもらうのは気が引けた。
(明日、病院行こう。)
そう心の中で誓いながら、俺はそろそろと立ち上がった。すぐ横で逢坂が心配そうに俺を見つめていた。
「だ…大丈夫だから。」
「大丈夫なもんかよ。」
すぐさま否定されてしまって、俺は困ったように笑った。
「お前んち、どこだ?送ってく。」
はっきりと言い切る口調で言われた。
「い、いいよ。」
「嫌だ。送っていく。」
そう言って逢坂は俺の肩を抱いて、支えてくれた。
店長も「今日は彼に甘えて送ってもらいなさい。」と強く進言する。仕方なく俺は小さく頷いて、逢坂に家まで送ってもらうことにした。


アパートとコンビニは目と鼻の距離だった。歩いて5分位。それさえも今日の俺にとっては地獄だったが。
アパートについて、部屋に入った。
朝、ひきっぱなしだった布団に逢坂は俺を寝かせた。
「ご…ごめん…。」
「いや、大丈夫だ。」
謝るとすぐに答えが返ってきた。
逢坂の顔をみれば、さっきまで緊張していた顔が少しだけ緩んでいた。きっと家に送り届けられたことにホッとしているのだろう。
「…ごめん、…薬、箱がそこの棚に入ってるから、とって、くれる?」
前に胃潰瘍をやってしまった時の分の薬が少し余っていたはずだ。といってもただの鎮痛剤だが。
逢坂はすぐに薬箱を持ってくると、キッチンに行って律儀に水も汲んできてくれた。
「ありがとう。」
僅かばかりの笑みを返したが、逢坂の心配顔はなおらなかった。

しばらく時間がたつと、やっと薬が効いてきた。痛みも少しだけ和らぎ、ホッと呼吸をする余裕ができた。
それを見ていた逢坂は小さく口を開けた。
「ごめん…この間の時も調子が悪かったんだな…。」
この間というのはきっと成瀬教授の授業のことだろう。
俺を見下ろす逢坂の顔はひどく幼かった。
「なのに、俺、あんなひどいこと…。」
「気にすんなよ。体調管理も当然のことだ。」
「でも…。」
俺は逢坂が気にしないように、小さく笑みを浮かべた。
「別に傷ついてないから、大丈夫だ。」
けれど逢坂の顔は曇ったままだった。
「……こんな所で…。」
呟くような声の大きさだった。
「…こんな所でお前はいつも一人なのか?」
それでも逢坂の問いは確かに俺に届いて、俺は瞠目した。そして次の瞬間、「ああそうか。」と意味を理解した。
逢坂にとってはこのアパート自体がもう信じられないことだったのだろう。
家賃2万5千円のアパートは木造二階建ての共同トイレ・共同風呂でしかもボロボロで狭すぎる。逢坂にとってみれば人が生活するような場所ではないのかもしれない。
けれど俺にとっては現実だ。
それが俺の生活なのだ。
「なぁ?そんな無理して何になるんだ?お前、何でそんなにがんばってるんだよ?バイトだって二つもかけもちして…。ただでさえ勉強だって大変なのに。」
逢坂は理解できないといった表情で俺を見た。
「体壊してまでやることなのか?やめちまえよ、バイトもお前を苦しめてるもの全て。そんなに金が欲しいのかよ?いらねぇよ、そんなん。意味わかんねーよ。」
逢坂の瞳が揺れていた。
俺のことを理解できないと揺れる。
けれどそれでも俺のことが心配だと揺れる。
泣きそうになった。
全てを吐き出したいと思った。
吐き出して、走るのをやめて、その場にへたり込んで、もう歩きたくないとわめいてしまいたかった。
もう嫌だ、もう嫌だ、と泣き叫びたかった。
(…だめだ、俺、そうなったらもう立ち上がれない。)
本能が俺に告げていた。
今、逢坂に泣きついたらもう頑張れない。
だから。

「ごめん。逢坂。」

不意に俺の口をついて出た言葉に逢坂は眉を顰めた。
「何がだ?」
「俺、全然平気なんだ。」
「は?」
「倒れたのはわざとだ。」
「はぁぁあ!!?」
逢坂の声が大きく響く。
(大きな声、あげんな、バカ。頭に響くだろ。)
そう心の中で悪態付きながら、俺は続けた。

「俺、お前の気引きたくて、倒れたんだ。」

俺は自分ができる笑顔をせいいっぱいを演じた。
逢坂はびっくりした顔のまま、俺の顔を覗き込む。

「ほら、俺ってば、お前のストーカーだから。」

そう言った時点で逢坂が切れた。

「っざけんなよ!!そんな嘘が通じると思ってんのかよ!流石の俺だってなぁ、今までのが演技なんて信じられるかよ!!」
激昂した逢坂に対して俺は冷静に答えた。
「…でも本当なんだ。」
「バカ!!んなわけないだろ!!人をなめるのもいいかげんにしろよ!!」
「…でもそれが本当なんだよ。」
逢坂の顔をじっと見つめた。目の色から激情が伺える。
俺はもう一度だけ言った。
「…お願いだよ、頼むから。」
(じゃないと俺、もう駄目になっちゃう…)
俺のしつこく繰り返す言葉に逢坂は困惑の表情を見せた。そしていきなり不意と顔をそらした。
「なんなんだよ、お前…。」
口から小さくこぼれたのはそんな言葉だった。
逢坂は逸らした顔をもう一度俺の方へと向けた。つらそうで悔しそうな表情だった。
「…っちゃんと病院行けよ!」
そう言うと、そのまま、逢坂は俺のアパートを出て行った。
俺はやっとホッと胸をなでおろした。
部屋に残るのは静けさと闇だけ。さっきまでの喧騒は逢坂が連れていってくれた。

「…ありがとう、逢坂。」

いつのまにかもう今はここにいない男に俺は語りかけていた。

「お前のおかげで、俺、やっと決断できそう。」

そのまま俺は静かに目を閉じた。





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展開、はやいっすね。
written by Chiri(10/8/2007)