死んじゃえばいいのに
死んじゃえばいいのに(2)



深夜一時。
コンビニのバイトからアパートに帰ると俺は勉強机に向かった。っていっても学校の粗大で捨てられていたちゃぶ台だけど。
まだ明日、というか今日の課題をやっていなかった。
経済学部に進学した俺にはあこがれの教授がいた。成瀬教授。ナイスミドルな白髪の教授だ。
もう本も何冊も出している。ビジネス関連から株に現代社会の風潮まで。
彼に会いたくて俺はこの大学に来た。
本当は大学なんて行っている場合じゃなかったけど。
それだけは俺の最後のわがままで。
ノートに文字を走らせて、それがびっしりと一ページ埋まると俺は一息ついた。
せめて三時までには終わらせないと。
今日の授業は九時からだった。

バイトと勉強。
正直体はどうにもつらかった。けれどこれは全部俺の我儘なんだ。
自分で学費を稼ぐのも当然だし、眠らずに課題をやるのだって学生としては当然だ。
それでも時々ぐったりと疲れて動けなくなることがある。
沼にはまったまま抜け出せられなくなる。

不意に逢坂の顔が浮かんだ。
バカみたいな勘違いをして俺をストーカーだと言い張ってプレゼントと称してキスしてきたとんでもない奴。
それでもアイツはきっとこんな切羽詰った生活なんてしていないのだろう。
「…ずるいなぁ。」
なんてそれもただの我儘にすぎないけれど。
思わずにはいられないんだ。
だからこそ余計にアイツを見ると腹が立ってしまうんだから。



***



次の週のまた水曜日。
逢坂はまた女の子達を侍らしてフルール・エ・ショコラにやってきた。しかもいつものより数が多くないか?
女の子達はキャッキャと騒ぎ立てながら、逢坂の腕を組み、背中に抱きつき、もう体中触っていた。それを傍目で見ながら俺はハァッとため息をついた。できるならホールに引っ込んでいたいがそうもいかない。この時間フロアには俺と店長しかいないのだから。

席の案内は店長がやってくれた。
それを心の中だけでホッと安堵していたのだが、どうも逢坂の席の様子がおかしい。
女の子達がおめでとうと華やかな笑顔で逢坂を祝福していた。
(嫌な予感だ…)
店長が俺のところまで来ると、そっと耳打ちする。
「あそこのお客さん、どうやらお誕生日みたいね。」

…的中だ。
あそこのお客さんというのはもちろん逢坂なわけで。

(なんで誕生日なんかにここに来るんだよ…)
と呆れてしまうが仕方ない。うちの店では誕生日サービスがあるのだ。
誕生日の方でご来店してくれた方には小さいがホールのケーキを差し上げるという。
普段ならお客さんにわざわざ名前をうかがいに行くが、別にもう知っているのだから聞くまでもないだろう。
ホワイトチョコのプレートにチョコペンで文字を書くのは俺の役目だ。

Happy Birthday to Mitsuru!

流暢な筆記体でそれを書いていく。手馴れたもので、我ながら上手く出来たと思う。
そして店長が用意してくれたホールのストロベリーケーキにのせると、ワゴンにのせてそれを運んだ。Bgmは無駄に明るいバースデーソングが店内全体に流れている。

「お客様。」

呼びかけた声に振り向いた逢坂は驚いた顔をしていた。どうやら俺がここに勤めていることは知らなかったらしい。バス停での顔は覚えているのにここでの顔は覚えてないなんてなんか…無責任だ。
「あ、お前!」
俺はそれを半ば無視したまま、言葉を進めた。
「当店では誕生日にホールケーキをサービスさせていただいています。どうぞよろしかったら召し上がって下さい。」
にこっと笑ったのはバイト仕様だ。
けれど逢坂は目をパチパチしながら俺の顔を見て、次の瞬間照れたような表情で一言。
「…ありがとう。」
と言った。
そして
「俺の誕生日まで調べてくれてたんだな…。」
と…。

わーーー!!なんか勘違いしてる!!
俺が勝手にやったことって思ってるよ、こいつ!!
冗談じゃねぇ!勝手に変な風にとらえるなよ!!!

そう叫んで頭に突っ込みを入れて、そのまま脳天をかち割ってやりたかったが流石にやめた。
店長が見ていたからだ。

その後俺が無言でその場を離れると、逢坂を囲んで誕生日の歌が聞こえた。女の子達がやることって寒くて、恥ずかしいんだなぁだなんて思いながら、それでも少しだけ羨ましかった。

俺はバイトでむなしく過ぎていった今年の自分の誕生日を思いだした。
学校の課題を昼間でやってその後に深夜のコンビニのバイトだった。
(くそ。)
なんとなく悪態づいてしまう。
そして次の瞬間、ハッとした。
(っていうかアイツ俺より年下かよ!!)
半年後に生まれた逢坂は俺よりはるかに身長があり、がっしりしていた。
つくづく羨ましい奴だ。

…死んじゃえばいいのに。

もちろん本当にそう願っているわけではないけれど。



***



バイトを終えて、フルールを裏口から出るといきなり誰かに呼び止められた。
「村井!」
振り向くとそこには今日から19年前に生まれた奴が壁にもたれて佇んでいた。
前は名前など呼んでなかったくせに今日呼んでくるということはどうせバイトで使っているネームプレートを盗み見たのだろう。むしろそっちがストーカーなのでは、といいたくなる。もちろん俺は男にストーカーされるようなかわいらしい顔なんて持っていないのだが。
俺はあからさまに嫌な顔をしたが、驚くことに逢坂はそれには気付かなかった。あるいは気付かないふりをしているのか。

「今日はありがとう。」

そう言う男の顔は確かに優しかった。
俺が女だったらメロメロになるような甘い表情だった。
けれど俺は男でそんな顔一つに対してもむかついてしまうような心の狭い奴だったのでプイと顔をそらした。
「…別に、あれはただの店のサービスだし…。」
「でも今日は俺の誕生日って知ってたからしてくれたんだよな?」
真っ先に気付いたのは店長だ。だなんてニコニコしている男の気を悪くするようでなんだか言えなくて俺は気まずそうに顔を俯けた。
「流石、俺のストーカーだな。」
そういう男は満面の笑みだ。
ちがぁう!!!と意気込んで言おうとするのを俺は握りこぶしを作って我慢した。
「っつーか女の子達はどうしたんだよ?」
いつも一緒に店を出て行くのに。
逢坂はニコニコしたまま、
「先に帰ってもらった。」
と答えた。どうやらわざわざ俺のことを待っていたらしい。
俺はハァッとため息をついて、勝手に歩を進めた。その後を当然のように逢坂がついてくる。
空は優しい青で包まれていて、木々の木漏れ日が穏やかに俺達におりていた。
太陽はそこまで照っていないのに、日差しはあたたかく直に肌にしみ込んで来る強さを持っていた。

ふと思った。
昔、よくこれに似たことがあったような気がする。
そうだ、あの時はまだ俺は幼くて。後ろを歩いていたのは逢坂じゃなくて父親だった。

くっきりと空に浮かんだ雲の形をぼんやり見ながら歩く俺に父親は優しい声で言った。
「転ぶぞ」
そしてその次の瞬間、俺はまさに転んで、ひざをすりむいた。
痛くて起き上がろうとしない俺を父親は右腕だけで持ち上げ、そのまま地に置いた。
「今度は転ぶなよ。」
父親はそう笑って俺の手を繋いだ。
「うん!」
俺もなんでかしらないけど、足が痛くて仕方ないのに笑っていた。
手の温度が何よりも暖かくて、むしろ暑くてうっとうしいのに、それでも手を離そうとは思わなかった。

思えば父親が遊んでくれるのは稀だった。
仕事が忙しいだの、つきあいが忙しいだのでめったに家にいやしない。
時々家にいるかと思えば母親と喧嘩していたりするのだ。
母はいつも父親をゴミクズと呼んでいた。
小さいころよく父と喧嘩していて「ゴミ捨て場に捨てるわよ!ダメ亭主!」と何度も叫んでいては俺を不安にさせた。母も過激な人だったが、父は父でゴミクズと呼ばれるに値するような人間だった。器も無いくせにやることだけは大胆。勝手な判断でとんでもないことをやらかすのだ。ある日突然思いつきで山にある中古の家を買ってきて、「ペンションにする」とか、逆に仕事が修羅場の時にモンブランに登ってくるだとか、いつも思いつきで行動をする父親に母は悩まされていた。
それに加えて蒸発だ。
あの時ばかりは流石の母親も言葉を失っていた。
それからの母は俺達に重荷を背負わせた父親を憎んでいた。
ゴミクズと呼ばれていたのが懐かしい。今では父をあらわす単語は何一つ口にしたくないほど嫌悪していた。
…俺も父親なんて大嫌いだ。あんな男だけにはなりたくない。

(それでも…)

あの暖かい日差しの日、父に手を繋がれながらどこかに歩いていったあの日。
あの日を思い出すと幾分か憎しみもやわらぐものだ。

「おい、村井。」

ふと振り返ると、父の姿が消え去り逢坂のが浮かび上がった。
俺が「なんだ?」と手短に聞くと、逢坂は一瞬黙った。顔を俯けているから、どんな表情なのか分からない。分からない、と思った瞬間、手をとられた。

「手、繋いでやる。今日のお礼だ。」

相変わらずとても傲慢にそう言い放った逢坂はどうやら少し照れているらしい。
「…照れる位ならそんなのしなくていいのに。」
「なんだよ、素直に喜んでればいいんだよ、お前は。」
「…こんなんで喜ぶかよ。」
少しだけ反論したが、手を解こうとは思わなかった。自分でもその理由がよく分からなかった。
何でだろう。
毎日働いて勉強して疲れていた。疲れているときは人肌が恋しくなるものだ。
俺はこのとききっと手を振り払うのも面倒なくらい疲れていたのだ。
きっとそういうことだろう。






それから、逢坂と俺は何度かバイト後のバス停までの道を一緒に歩くようになった。
話してみれば逢坂はバカみたいに自分に自信のある傲慢な人間…なだけではなかった。意外に知性もあり、学校にも意欲的に言っていて自主的に勉強したり、教授の所に尋ねたりしているそうだ。

「お前も知ってると思うけど、俺んちの親、社長なの。」

バイトの後のいつものバス停までの道、長くてたった十分くらいの距離だ。俺と逢坂はまた一緒に歩いていた。
俺が逢坂の親のことを知っていること、それはストーカーだから知っていると思われているのだろうか。
そうだとしたらとんだ誤解だ。逢坂が金持ちの息子だというのは大学内での周知の事実だ。最も、逢坂はまだ俺が同じ大学に通っていることなど知らないだろうが。
「だからいずれは親の会社継ぐことになるから、一応勉強はちゃんとしようと思って。俺の大学、すごい尊敬してる教授、いるし。勉強は好きだし。」
「ふぅん。」
一応聞いているふりをしながら、心の中で毒づく。
(なんで、俺、こいつと一緒にいるんだろう…)
ストーカーだと思われている最悪極まりない勘違いは未だ続いている。けれど、それに対してこいつは嫌悪感を示さない。俺を遠ざけようとせずに、むしろ向こうから寄ってくる。全く不可解な言動だ。
けれど、そうやって寄ってくる人間を突き放すほど俺は冷酷な人間ではなかった。
というか、なんだかんだいって俺は突き放せないのだ。
父親に似たこの男を。

逢坂はそんな俺の心情などに気付くはずも無く、嬉しそうに話を続けた。

「ここに来るのは、本当気晴らしなんだ。俺、ここのチョコケーキが大好きでさ。でも男一人じゃ入れないだろ?だから女の子誘ってんの。」

フルール・エ・ショコラのチョコケーキは確かに美味しかった。甘さを抑えた味で、男でも結構食べられるのだ。常連客には男性客も多い。
「なら今度、チョコタルトも頼んでみろよ。あれも上手いよ?同じチョコ使ってるから、甘さも控えめだし。」
「まじで?分かった、今度食べてみる。」
逢坂は嬉しそうに笑った。機嫌よさげに鼻歌を交える。
俺はその表情を目を細めて眺めていた。
(なんか子供みたいだ、こいつ…)
子供みたいに自分に自信を持っていて、子供みたいに無邪気で。
(やっぱ、父さんに似てる…)
逢坂の笑う横顔が父親のものと微かにかぶる。
胸の奥がちくちくと痛む。嫌悪感と憎しみがあふれ出る。
ああ、なのに。
「次行く時が楽しみかも、俺。」
満面の笑みを浮かべる逢坂に俺は小さく頷いた。
(…子供みたいに自分に自信を持っていて、子供みたいに無邪気で……。)

…子供みたいに無責任。

だから嫌い、なんだ。






その夜、その後のコンビニのバイトからアパートに帰った俺はやっと携帯にメッセージが入っているのに気付いた。
そのメッセージを残した人間もそのメッセージの内容もすぐに分かってしまう。
実際に聞いてみるとその通りだった。
『眞澄です。良い仕事があるんだけど、やってみないか?一週間で15万だ。良い返事待っている。』
携帯を置いて、一息ついた。
(一週間で15万かぁ…。すげー破格。)
どうせまた俺はこの仕事を受けるだろう。いつもそうなのだ。
悩んだ末に受けてしまう。やはり何をもってもお金には変えられなかった。
とにかく今はお金を稼ぐことだけ考えていなければいけないのだ。





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キスされているくせに、なんだかんだいって馴染んでいる村井君。
written by Chiri(10/4/2007)