さよならポンちゃん(7)



 ゴンゴンガンガン鳴っていた山を荒らす音は夕方になるとやっと止んだ。
 工事の人たちはいなくなって、それでも山を蹂躙していった機械だけは残った。山も一部が削り取られた痛ましい状態のまま。
 そして雨が降り始めた。
 これが恵みの雨か、哀れみの雨かは僕には分からなかった。
 けれどその雨は一日で止むかと思いきや、三日三晩、降り注いだ。
 雨の間は、工事の人たちは来なかった。僕はその間ずっと自分の宿り木であるモミジイチゴの木を抱いて眠った。
 そして四日目。
 日が山際から出た瞬間、これが最後の日なのだと僕は思った。雲ひとつ無い晴天。雨雲はどこかにいなくなった。
 今日から、また工事が始まるだろう。
 僕はもうタイちゃんに会うことは、無いだろう。
 そう諦めていたその時。
 誰かが山を駆け上ってくる音が聞こえた。
 何かから全力で逃げてるんじゃないかというほど、はやい速度で。
 それが徐々に自分のいる場所に近づいている。
 僕は宿り木をぎゅっと抱きしめたまま、そこを離れなかった。
 けれど、誰かがすぐ僕がいる所まで駆けてきたので、僕はゆっくりと振り返った。
 朝霧に包まれたそのシルエットを見るだけで僕にはそれが誰か分かった。

「タイちゃん……」

 タイちゃんはシャベルと麻布、荒縄を持って、立っていた。
 ツカツカと僕が抱いていた宿り木の側まで来ると、シャベルでその地面を掘り出した。
「……タイちゃん、来てくれたの?」
 僕が話しかけても、タイちゃんは答えてくれない。
「ねぇ、ここが無くなるって聞いて、来てくれたの?」
 泣きじゃくりながらタイちゃんに聞いた。
 タイちゃんは何も答えてくれない。だって僕なんて見えていないのだ。
 けれど、僕たちの想い出は忘れていなかった。
 タイちゃんの中でゼロになってしまったと思っていた自分の存在はまだ、タイちゃんの奥底にちゃんといたんだ。

 タイちゃんは取りつかれた様にガンガン地面を掘っていく。僕の宿り木の根っこを引き抜くと、それを麻布に包み込んで、紐で縛る。タイちゃんの額から汗がビッシリと出ていた。僕はそれを固唾を呑んで、見つめていた。
 大変な作業のはずなのに、タイちゃんは無言でひたすらやっていたせいか、すぐに終わった。タイちゃんは僕の宿り木を担ぎ上げると、また来た道を戻ろうとした。
 その時に、ちらっとこっちを振り返った気がした。
 僕の事を見たのかと思ったけれど、タイちゃんは僕のことなんて見えていないはずだ。
 けれど、タイちゃんはその後も道を進む度に何度も何度も後ろを振り返って、僕を見た。まるでこっちにちゃんと来ているか確認しているかのように。
 僕はタイちゃんのすぐ横を歩く事にした。僕がついてきているのをタイちゃんが分かるように。見えていないのだろうけど、ちゃんと分かるように。
「……タイちゃん、僕、ここにいるよ」
 僕がそう言うけど、タイちゃんは何も返さなかった。
「ちゃんと、ずっとここにいるからね」
 タイちゃんはやっぱり何も返さなかった。
 いつのまにか、涙が僕の頬を伝っていた。

 僕の言葉は聞こえていないと思う。
 けれど、聞こえていればいいなと思えた。

 また、信じることを続けよう。

 いつか話せるよね。

 またタイちゃんと一番近い位置で話せる日が来るよね。



***



「え、お前、それどうしたの?」
 泥だらけのタイちゃんとタイちゃんに担がれた僕の宿り木を見て、成司さんはあんぐりと口を開けた。
「モミジイチゴの木なんだ。もらってきた」
 タイちゃんはずっと担いでいたそれをやっと地面に下ろした。庭を見渡して、どの辺に埋めようかな、と呟く。
 成司さんは気味悪そうに僕の宿り木を見つめていた。
「えー。っつーかその木に生ってるのってこの間、窓のところに置いてあった野苺じゃねーの……」
 やっぱり成司さんは鋭い。
「そうかもね」
 タイちゃんは成司さんの言葉を受け流すと、あそこに決めた!と庭の一角を指差した。
 タイちゃんがシャベルでそこの土を掘り出すと、その横から成司さんがタイちゃんの邪魔をし出す。
「なぁなぁ、それ、ここに埋めるの?やめようぜ〜、なんか気持ち悪いって」
「おじさんの許可はもらったよ」
「親父はあんまりそういうの分かんないんだよ……」
「……そういうのって?」
 タイちゃんが手をとめて、成司さんを見上げた。
 成司さんは目をそらしながら、口ごもった。
「そ、その、……たぶん、お化けとかそういうの……」
「成司って、見えるの、そういうの?」
「いや、見えないけど。なんかなんとなく感じるって言うか」
「そんな中途半端な奴の言う事、聞かない」
 きっぱりと言い切ったタイちゃんに、僕も成司さんもびっくりした。
 成司さんは「おおおお前、どうしちゃったの?もう既にとりつかれちゃったの?」だなんて意味不明な事を言っている。
 でも、そうだ。タイちゃんはいつも大人しいから。こんなはっきりと物事を言うタイプじゃない。
 成司さんが目を瞠っていると、タイちゃんが顔を俯けた。
「……僕にももう何がなんだか分からないんだ」
 さっきよりもずっと語気の弱い言い方だった。
「けど、この木はここに埋めるって決めたから」
 タイちゃんは成司さんの目を見て言った。
 タイちゃんはシャベルを持ち直すと、また穴を掘り出した。
 成司さんは「もういいよ!」と拗ねてどこかに行ってしまった。
 それまで僕はずっと庭の隅に隠れていたのだけど、成司さんがいなくなってひょっこりを頭を出した。
 タイちゃんは成司さんが嫌がったら、ここに木を埋めるのやめるかと思っていた。だって成司さんは今、タイちゃんと一番仲が良い人間だもの。
 だからタイちゃんが成司さんの言う事を突っぱねてくれたのがすごく嬉しかった。
 僕はしゃがんで、タイちゃんが穴を掘るのをずっと眺めていた。
「ありがとね、タイちゃん」
 僕がそう言うと不意にタイちゃんがフッと笑った気がした。
 多分気のせいだろうけど、絶対気のせいだけど、それでも僕にはそれがタイちゃんからの返事に思えたんだ。

 その時はとても優しい風が僕たちを通り抜けていった。





next



見えてるのか見えてないのかはっきりしろと。
written by Chiri(8/28/2008)