さよならポンちゃん(6)



 僕の棲む山にスーツを着た男たちがよく来るようになったのは最近の事だ。いつも大きな紙を広げて、何やら話し合っている。
 今日も、男たちが来ていた。いつもは背広の人たちなのに、黄色いヘルメットをかぶった人も来ている。山の麓を指差して、ここに駐車場でだの、ここに玄関がだの僕には意味が分からない。
 けれど僕はすぐにそれをすり抜けて、タイちゃんの所に向かった。
 だって、僕はタイちゃんに会いにいかなくちゃならない。
 タイちゃんの中から僕がいなくなってしまわないように。
 せめて、僕のいる証をタイちゃんにあげないと。


「なぁ、お前の部屋ってさ、なんでいつも窓枠にリンゴとか木の実とかあるの?」
 タイちゃんの部屋でくつろいでいた成司さんは、窓の冊子を見て眉を顰めた。タイちゃんはその言葉を聞いて、窓際を見た。
「あ、今日は野苺なんだ」
 タイちゃんはなんてことのないようにその野苺を口に運んだ。成司さんはそれを見て、「お前、なんでそんなの簡単に喰えちゃうの?腹壊すかもよ」
 今日、僕が朝置いておいた木苺。タイちゃん、食べてくれた。
 今僕ができることなんてこれだけだから。
 僕がいる証はそれだけ。
 もぐもぐと食べるタイちゃんを外から見られて、僕は頬が緩んだ。その野苺は僕の宿り木から生ったものだ。
「僕、ご飯抜きの時はいつもこういうの食べて生きながらえてきたから」
 タイちゃんが野苺を食べながら、成司さんに説明する。
「前の家でもいつも窓枠に置いてあったのか?なにそれ、誰が置いていってんだよ?」
「え、さぁ?」
 成司さんは顔を険しくさせた。
「なんかそれって気味が悪くね?」
 そんな、失礼な!と僕が心の中で叫んだのはもちろん聞こえていないだろう。
「っつーか、俺、なんか寒気がするんだ。それ見ると」
「え?」
 成司さんが野苺を指差した。
「結構、俺、勘強いっていうか。なんか、それ、やばそうな気がする……」
 成司さんが身震いした。
 前からなんとなく気付いていた。成司さんは意外に勘が鋭い。
 僕が成司さんの周りをうろついていたりすると、成司さんはやたらに背後を気にしたりする。
 多分、成司さんは僕の存在が少しだけ見えているのだろう。もしくは感じ取れるのではないだろうか。
 僕みたいな存在が見えると言うことは、成司さんはあまり悪い人間じゃないという事だ。そんな成司さんがタイちゃんの友達でいてくれるということは良いことに違いない。
 けれど。

「そういうの、食べるのやめろよ。台所行けば、他にお菓子いっぱいあるからさ」

 成司さんは窓に置いてあった木苺を掴むと、窓から庭へと放り投げた。
「あ……」
 タイちゃんは一言だけ声を漏らしたけど、それだけだった。
 やめろとは言わなかった。

 僕の宿り木で生った野苺。
 僕がタイちゃんにあげられる唯一の僕がここにいる証。
 それが庭に落ちて、潰れた。
 僕はそれをスローモーションのように見ていた。地面にあたってはじけた野苺を見ると、心が苦しくなった。
 赤い残骸が綺麗に整っていた庭の一部を汚していた。

 タイちゃんが就職して、成司さんという友達を得て、優しいおじさんとおばさんに囲まれて。いい事ずくしになったはずなのに、僕はなんてひどい奴だろう。
 僕はタイちゃんが房江おばさんにいた時の方が良かったと思っている。

 成司さんは良い人だ。
 良い人だからタイちゃんになんでも与えてくれる。
 でも僕は何もあげられない。
 だから、タイちゃんも誰からももらわないでいてくれたらいいのに、なんて。

 我儘で、意地悪で。
 僕は最低。

 その日は泣きながら山に帰った。
 夜空を見上げても、月も星も出ていなかった。ただ黒くてもやもやとしたドンヨリ雲が一面にこの町を覆っている。

「僕も雲の上まで行きたいな」

 タイちゃんのお母さんも僕のお母さんもきっとあそこで優しい笑みを浮かべて僕たちを見守ってくれているのだろう。
 なら、僕も同じように、優しい気持ちでタイちゃんを見守っていたかった。

 こんな意地悪でひねくれた感情なんていらないのに。
 タイちゃんが僕を見えなくなってから3年間、ずっと毎日、タイちゃんを見守ってきた。房江おばさんのうちにいる時は、毎日往復3時間かけて、タイちゃんのところまで通っていた。
 けれど、こんな僕が側にいたってもう仕方が無いだろう。

 僕は初めて、タイちゃんの所にいく事をやめてしまった。



***



 朝起きると、すさまじい音で目が覚めた。
 機械がガシャンガシャンと動く音。そして、山全体に響く揺れ。
「何?」
 僕は飛び上がって、山のてっぺんまで行った。
 いつのまにかオレンジ色のフェンスが山全体を囲んでいた。そして、山の木々を切り倒す、無数の機械たち。
 僕は目を見開いたまま、動けなかった。
「僕の山がなくなっちゃう」
 何度か来たスーツの人たちは工事の人たちだったのだろう。
 呆然としながら、山の麓がドンドン切り崩されていくのを僕は見ていた。
 僕の宿り木があるのはもっと山の中腹だから切られるのはまだ先だろう。けれど、いつか僕もああやって踏みにじられる。
 次々と切られていく木が地面に落ちるたびに轟音がした。それが僕には木々の叫びに聞こえた。
 宿り木がなくなった僕は、自分がどうなるのか分からなかった。
 天国に行けるのか、消滅するのか、それさえも。

「タイちゃん、やだよ」

 木々の叫びはやまない。こんな良い天気なのに、まるでここは地獄だ。
 僕はその場に蹲って、泣いた。

 僕がタイちゃんのお母さんや僕のお母さんを羨んだからいけなかったのだろうか。
 なのに、本当にこれでタイちゃんとさよならだと思うと昨夜思っていたような気持ちにはなれなかった。
 だって、僕はずっと信じていたんだ。
 またタイちゃんと話せる日を。話せる日が来るという事を。

「……タイちゃんに会いたいよ」

 我儘で最低な僕だけど、だからこそかな。
 まだタイちゃんに会いたいって気持ちは失ってなんかいないんだ。






 その頃、僕の知らないところでは。
「なぁ、お前が昔住んでたって言ってたところの山あるじゃん?」
 成司さんがタイちゃんにワクワク顔で話しかけていた。
「あそこ、とり壊してマンションにするんだって!」
「……ふぅん」
「マンションできたら、お前、新聞勧誘してこいよ。こういうのって早いもの勝ちだからさ、お得意さん、一気に増えるぜ!」
「……うん」
 その時、タイちゃんがどんな顔でそう答えていたかなんて僕には分からない。


 だって僕はずっと山で泣いていたから。





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泣きっ面に蜂。いいこと無いね、ポンちゃん……
written by Chiri(8/26/2008)