さよならポンちゃん(4)



 ほどなくして、タイちゃんは隣の町へと引っ越していった。
 僕はあれから諦められず何度もタイちゃんのうちに足を運んだ。けれど一度もタイちゃんは僕のことが見えるようにはならなかった。
 タイちゃんは暗く歪んだ目をして、房江叔母さんの言うがままにしていた。すると房江叔母さんも少しは満足して、タイちゃんに優しく接していた。
 僕は突然自分の存在がこの世にとっていらないものに思えた。
 タイちゃんが僕を見えないのだったら、孤独が僕を待っている。それは寂しくて冷たくて何の幸せも無いところだ。
 タイちゃんが引っ越す日、僕は怖くてみにいけなかった。
 どれだけ話しかけてもタイちゃんの中まで届かない空しさに耐え切れなかった。

 僕はタイちゃんと二人で作ったブランコに毎日揺られる。
 誰も踏み込んでこない山は寂れてしまっていて、タイちゃんといた日々まで嘘のように感じられた。
 けれど木々の隙間から見えるお月様だけが、僕をずっと見ている。
「あそこに僕のお母さんもタイちゃんのお母さんもいるのかな」
 夜空に浮かぶ満天と輝く星を見て、そんなことを考えていた。

――約束だよ。ずっと一緒だよ

 タイちゃんと約束したのもこの場所だった。
 あの時、僕はあのお星様やお月様になろうと思ったのだ。
 例え気付いてもらえなくてもいつでも見守っているような存在に。
 タイちゃんが僕を見えなくなったとしてもいい。
 一緒に過ごした日々に嘘は無いから。
 僕がタイちゃんを想う気持ちにも嘘は無いから。

 その日、僕はまた夜空を見ながら決意した。

「僕がタイちゃんを守るよ」

 お星様を少しでも安心させてあげようと、僕は決心した顔でにっこりと笑った。



***



 タイちゃんが新しく住む町を探し出すのは手の折れる作業だった。
 それでもどの町にもいる僕みたいなお化けにタイちゃんと房江叔母さんの特徴を話して、聞きまわった。同じ県だということは知っていたが、それでも探すべきところは広かった。
 僕は自分の宿り木であるモミジイチゴの木に長くは離れていられない。だから夜は必ず裏山に戻って、朝に出発した。あまり効率的な方法ではなかった。
 僕はタイちゃんを探すのに一ヶ月費やした。
「あぁ、そんな感じの子だったら、最近あそこの家に出入りしてるよ」
 そう答えてくれたのは、側溝に住むねずみのお化けだった。
 僕はそのねずみにお礼を言うと、真っ先にその家に向かった。
 タイちゃんに会いたかった。
 例え、タイちゃんが僕と話せなくても。僕を見えなくても。それでもいいから、会いたかった。

「太一、洗濯物終わったら皿も洗っておいておくれ」
「はい」

 聞こえてきた声に僕は息をのんだ。
 そっと塀から頭一つ分、顔を覗かせるとタイちゃんが一人で洗濯物を干していた。
 相変わらず暗い顔をしていて、まるで魂だけがどこか遠くにいってしまったようだった。それを痛ましげに思いながらも、それでもタイちゃんにまた会えたことを感謝した。

「太一!あんた、また色落ちするものを一緒に洗濯したね!こっちきな!」

 しばらく見ていると、房江叔母さんが出てきて、タイちゃんを引っ張ってどこかにやってしまった。僕はそっと家に侵入した。どうせ誰にも僕を見ることなどできないだろう。
 中に行くと、房江叔母さんがこっぴどくタイちゃんを叱っていた。家の中に連れてきたのは外聞が悪いからだろう。
「あんた分かってるのかい!これは二度目だよ!同じことを二度も言わせないでおくれ!」
「すみません……」
「今日は自分の部屋で反省してな」
 タイちゃんはぺこりと頭を下げると、階段を登っていった。僕はすかさずその後を追った。途中、他の部屋の房江叔母さんの子供たちがいるのが見えた。兄と妹の二人兄弟のようだが、僕やタイちゃんよりも年上だろう。タイちゃんをちらりと見ると、めんどくさそうにため息を吐いただけだった。
 僕の存在が見えないあたり、どうも擦れている子供に思えた。
 タイちゃんは部屋に戻ると膝を抱えた。
 僕は部屋の隅で同じく膝を抱えた。その時、ぴくりとタイちゃんの目が光ったように見えたが、すぐに頭を垂れてしまった。
 タイちゃんの部屋はひどく狭くて、窓もとても小さかった。本当は納戸だったのではないだろうか、部屋の隅にはタイちゃんのものとは思えないようなガラクタも置かれていた。
 僕はずっとタイちゃんの部屋にいた。
 どこかの時計でゴーンとなるのが聞こえると、一階から夕食の匂いがした。
 僕はタイちゃんが立ち上がるのを待ったが、タイちゃんはそのままの姿勢を保っていた。

 もしかして、ご飯抜き?

 房江叔母さんはやはりタイちゃんにつらくあたっているらしい。
 そういえばタイちゃんは少し痩せたかもしれない。いろんな事があって大変だったのもわかるが、それでもその半分は房江叔母さんのせいじゃないかと僕は勘ぐった。

――僕が、タイちゃんを守る。

 そう誓った言葉が蘇る。
 別にタイちゃんが僕を見えなくても、僕はタイちゃんを守ると決めたのだ。

 僕はすくりと立ち上がると、外に出た。
 今の季節はあまり木に実がならない。だから仕方ないと思いつつスーパーで売られている果物をいくつか拝借した。りんごはタイちゃんが大好きだった。お母さんに兎にして剥いてもらえるととても嬉しそうに笑っていた。
 タイちゃんの笑顔はあれからずっと見ていない。
 少しでも笑って欲しくてタイちゃんの好きなものばかり選んだ。

 房江おばさんの家に戻ると、淡く光っているタイちゃんの部屋の小さな窓まで飛んだ。手をすり抜けさせて、窓の鍵を開けると、少しだけ隙間を開ける。そこからスーパーで拝借してきた果物を部屋に落とした。
 タイちゃんが部屋の中で身じろぐ音が微かに聞こえた。

 僕はそれだけすると、タイちゃんがその果物を拾って食べてくれる事を祈りながら、元ある山へと帰って行った。
 僕の山から房江叔母さんの家までは一時間半位だ。
 僕は宙を飛べるけれど、それはせいぜい人が走る速さだ。だから車に掴まっていくのが一番早い。
 僕はこれからずっと毎日房江叔母さんの家まで行く事に決めた。
 房江叔母さんの夢枕に立って、タイちゃんを苛めるなと何度も言おう。
 おいしいお菓子をたくさん持っていってはタイちゃんにあげよう。
 タイちゃんが少しでも元気になってくれれば良い。
 そのためなら僕はなんだってする。

 明日も僕は朝からタイちゃんの元へ向かうだろう。
 ……おいしいリンゴを沢山持って。





next




次回から飛びますよ。
written by Chiri(8/25/2008)