さよならポンちゃん(3)



 それから、タイちゃんはタイちゃんのお母さんの妹夫婦に引き取られることになった。
 タイちゃんにお父さんはいなかったし、タイちゃんのお母さんのお父さんお母さんはずっと昔になくなっていた。
 最後の親族がタイちゃんのお母さんの妹夫婦だったのだが、タイちゃんのお母さんとは随分昔から折り合いが悪く、近くに住んでいる割には顔をあわせるのは数年に一回位だったらしい。今回、タイちゃんを引き取る事にも随分としぶっていた様子だった。
 タイちゃんのお母さんの妹は房江(ふさえ)叔母さんと言った。
 房江叔母さんはタイちゃんのお母さんが死んだ直後はタイちゃんのおうちに一緒に暮らしてくれたようだ。けれど、それも長くは続かない。タイちゃんの家は取り壊して、土地を売ることにしたらしい。
 山に来る時、タイちゃんはいつも泣きはらしていた目をしていた。
「僕、怖い。あの人」
 あの人というのは房江叔母さんのことだ。
 房江叔母さんはひどくタイちゃんを叱るらしい。タイちゃんにはできないことがたくさんある。学校の勉強はできないし、家事だって他の人なら要領よくできるものを何倍もの時間がかかってしまう。
 タイちゃんのお母さんはずっと「いいのよ、太一のペースでゆっくりやっていこ?」と笑ってくれていた。けれど同じことをしても房江叔母さんは「なんではやくできないのかね、この子は!」といらついた口調でがなり立てる。
 タイちゃんが山に来る時も毎度叱られているらしい。
「引越しに掃除にやることはたくさんあるのに、遊ぶ事だけは一人前かい!全く、姉さんはどういうしつけをしていたのかね!」
 それでも、タイちゃんはごめんなさいとすみませんを重ねて山にやってくる。
「僕、もう帰りたくない」
 木のブランコに乗りながらタイちゃんはわんわんと泣いた。
「ポンちゃんとずっと一緒に居たい」
 僕はうん、と頷いた。
 タイちゃんをいじめるおばさんなんて僕も嫌いだった。だから考え無しに僕はタイちゃんに言ってしまったのだ。
「いいよ!じゃ、ずっと一緒にいよう?ここで一緒に暮らせばいいよ」
 タイちゃんは驚いて僕の顔を見た。
 パチパチと目を開けて、じっと僕の目を見てきた。
「いいの?」
「いいよ!」
 どうやって生きていくかなんて何も考えていなかった。
 けれどタイちゃんは子供で、僕はお化けだったけれど、やっぱり子供だった。
 一緒に暮らすということがどれだけ楽しくて幸せに思えたか。それはきっとその時の僕たち二人にしか分からないものだ。
「明日、僕、荷物まとめてここに来るよ」
「うん。じゃ、明日ね」
 タイちゃんはぶんぶんと手を振りながらその日は帰って行った。
 久しぶりに見たタイちゃんの笑顔に僕も心から嬉しくなった。

 明日からは一人じゃない。
 そう思うと、長年孤独だった日々が嘘みたいだった。

 けれど、その時の僕は何も考えていなかった。
 子供はすぐに大人になってしまう。
 それは、まるである日突然嵐が来て、子供の心だけ連れて行ってしまうように。






***






 翌日、約束の時間になってもタイちゃんはやってこなかった。
 山で一人で待つのはつまらなかった。今日から過ごすタイちゃんとの楽しそうな日々を想像するとその落差に落ち込むくらいだ。
「迎えにいっちゃおっかな」
 つい心の声が口をついて出てしまう。
「どうせ、誰にも見えないし」
 僕の姿は子供や純粋な人にしか見えない。迎えに行ったって問題ないだろう。
 僕は座っていたブランコから勢い良く降りた。そして服についた葉っぱを手で払った。
 タイちゃんの家なら知っている。
 山の入り口がある通りを真っ直ぐと降りていった先の木造の民家だ。
 僕はルンルンしながら、山の麓まで降りていった。山を出るのは何年ぶりだろう。少なくともタイちゃんと会ってからは初めてだ。
 タイちゃんを迎えに行ったら喜んでもらえるかな。
 僕の頭の中にはそのことだけしか無かった。

 明かりのついた部屋を片っ端から外から覗いた。二階だってお手の物だ。お化けは宙を浮くこともできる。
 その端っこにある部屋にタイちゃんがいた。
「タイちゃん、タイちゃん」
 窓をコンコンと叩くと、タイちゃんが訝しげに振り向いた。そして窓の外に僕の顔を見つけると花のように笑った。
「ポンちゃん!」
 ガラリと開けられた窓を通って、僕はタイちゃんの部屋に入った。
 部屋の中はぐちゃぐちゃだった。その中央にかばんが置いてあり、どれを入れようかとても悩んでいた事が分かった。
「ここ二階だよ!ポンちゃん、すごいね!飛べるんだ!」
「まぁね」
 わぁわぁと興奮するタイちゃんに少しだけ得意げに返した。
「それより、荷物つめようよ。早くここを出て行こう?」
「うん!」
 タイちゃんは元気に頷くとまた慌しげに部屋を駆け回っていろんなものを引きずり出してきた。
 お菓子にタオルケット。お母さんの写真に文房具。何日か分の着替えに、いつも大事に持っているトレーディングカード。
「そんなにかばんに入んないよ」
 僕はそれをニコニコしながら見て、時々タイちゃんに突っ込みを入れていた。タイちゃんは悩ましげに荷物を選出していた。それさえも僕にとっては楽しい時間だった。
 なのに。

「何なの、さっきから!ドンドンうるさいわね!」
 一階の方から怒鳴る声が聞こえると、階段を登る足音が近づいてきた。
 ピシャァンとタイちゃんの部屋の扉が開くと、そこには房江叔母さんが立っていた。
 思わず僕とタイちゃんはフリーズした。
 房江叔母さんはぐちゃぐちゃになった部屋をぐるりと見回すと、鬼の形相に変わった。
「太一!!アンタ、これどういうこと!なんでこんなに汚くしてるの!」
「お、おばちゃん。あ、あの僕……」
「部屋の片付けもろくにできないのかね、この子は!」
 可哀想に。タイちゃんはさっきまでの笑顔が嘘のように小さく縮こまっていた。
 一方的に怒鳴り散らす房江叔母さんに僕は腹が立った。腹が立ったが、どうしようもない。房江叔母さんには僕が見えないのだ。
 いつもの如く、他には誰もいないと思ってタイちゃんを分別の無い言い方で叱り付けている。
「姉さんもこんな子供の世話ばかりで可哀想だったろうに!挙句の果てに死んじまって!あんたは疫病神かね!」
 あまりもの言い草に僕は堪忍袋の緒が切れそうだった。これから毎日房江おばさんの夢枕に立って悪夢を見せてやろうと思った。悔しいけど、僕にはそれくらいしかできないのだ。
 その時、タイちゃんが震えた声をあげた。
「じゃ、おばさん!僕出てくよ!!」
 房江叔母さんは反射的にギロリとタイちゃんを睨んだ。
「なんだって?」
「僕、今日ここを出てこうと思ってたんだ!誰にも迷惑かけないところに行くから!」
「何を言ってるんだい、あんたは!あんたみたいな子が一人で生きていけるはずないだろうよ!」
「一人じゃない!ポンちゃんと一緒だ!」
「ポンちゃんだ?誰だい、それは」
「ポンちゃんはここにいるよ!」
 タイちゃんのぴんと伸ばされた指が僕の方を向いた。
 僕はああ、と情けない顔をした。

 だめだよ、タイちゃん。
 それはダメなんだよ。

 指された指の先を房江叔母さんは注意深く見たが、彼女には何も見えなかった。当たり前だ。僕の姿が見えているのはタイちゃんだけだ。
 けれど、そうなのだ。
 僕はタイちゃんとしか遊んだ事は無かった。
 タイちゃんのお母さんとさえ会ったことも無かったのだ。
 タイちゃんが僕が他の人には見えないことは知っているということはありえない。

「なんだい、誰もいないじゃないか」
 房江叔母さんは当然の返しをした。
 けれど、それをタイちゃんが驚き、僕の方を何度も見返した。
「なんで!ここにいるよ!狸の耳が生えたぽんぽこポンちゃんだよ!」
 タイちゃんの声がどんどん大きくなる。
 けれどその叫びは房江叔母さんには決して届かない。
「気持ち悪い子だね。頭までおかしいのかい」
「なんで!そこにポンちゃんがいるの見えないのぉ!?」
「何もいないだろうが。大体、ここは二階だよ!玄関とおらず誰が入ってこれるんだい!」
「だってポンちゃんは空を飛べるから!」
「あんた、おかしいよ。気味が悪い」
「おかしくない!だって、いる!そこにいるのに!!」
 分かってもらえないタイちゃんはそこに泣き崩れた。
 わあああああと悲痛な声を上げるタイちゃんが僕には痛ましかった。

「来週にはもう引っ越すからね。あんたも用意しておくんだよ、太一」

 おばさんは泣き続けるタイちゃんを慰めようともせず、それだけ言うとそのまま部屋から出て行った。
 僕はタイちゃんの背中に手を置いた。
「タイちゃん……あの……」
 なんて声をかけていいかが分からなかった。
 房江叔母さんが言っている事はある意味では正しい。僕は見えない存在だ。いないといってもいいかもしれない。けれど確かにいる。いることはごく一部の人にしかわからない。
「うそつき……うそつき……」
 タイちゃんの声が掠れて伝わった。
 傷つけてしまった。
 お母さんがいなくなって僕しかいないと思っていたのに、その僕が確かなものではなかったなんて。
 僕はタイちゃんを深く傷つけてしまったのだ。
「ごめんね、タイちゃん」
 僕の謝る声が聞こえたかも分からなかった。タイちゃんは膝に顔を埋めたまま、あげようとはしなかった。
「今日は帰るね……」
 開け放たれた窓から僕は抜け出した。
 夢の中で描いた二人での生活が夜風にまぎれて消えていく。
 その風はひんやりと僕の体を冷やしていって、現実を見つめさせた。
 山まで戻ると僕は人知れず泣いた。
 誰が悪いというわけじゃない。
 タイちゃんは悪くない。
 房江叔母さんだって間違っていない。
 だから、その時は僕はもうどうしていいかなんて分からなかったのだ。


 それから、タイちゃんは山には来なくなった。
 心配してタイちゃんの家まで僕は見に行った。タイちゃんの顔を見つけて手を振ったが、タイちゃんは何も反応を示さなかった。
 タイちゃんは僕が見えなくなってしまったのだ。





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ステレオタイプな意地悪養母。
written by Chiri(6/29/2008)