さよならポンちゃん(2)



 タイちゃんがまた山に来たのは次の日だった。
 山の入り口に足を踏み入れると「ポンちゃーん!?どこーー!?」と僕に呼びかけた。
 僕は茂みで人間に変身すると、そのままタイちゃんの前に出て行った。
「どうしたの?また迷子?」
「違うよー。これ、おかーしゃんからお礼だって」
 タイちゃんの手にはみたらし団子が四本、プラスチックの箱に入っていた。
「何、これ?」
「みたらしだんごだよー」
「これ、僕にくれるの?」
 タイちゃんは首を横に振った。なんだ、と僕が口を尖らすとタイちゃんは
「一緒にたべよー」
 と言って笑った。僕は驚いて、しばらくはびっくりしたまんまだった。


 タイちゃんが言っていた「またね」と言う言葉に嘘は無かった。
 それから僕とタイちゃんはよく一緒に遊ぶようになった。タイちゃんは小学校を終えるとランドセルを家に置いてそのまま山に駆け上ってくる。タイちゃんのお母さんが一度タイちゃんが家に戻るときに時々お菓子を持たせてくれたりもする。
 タイちゃんはよく僕に泣きついた。
 学校の誰々にいじめられたとか仲間はずれにされた、とか。タイちゃんはどうやら他の子と比べて何かが足りないらしい。
「あのね、僕ね、他の子よりバカなんだ」
 タイちゃんが頬をふくらませて僕に言う。
 僕はタイちゃんがどうバカなのか全然分からなかった。だって僕は狸のお化けで、きっとそれよりずっとバカだから。
「どんなにべんきょーしてもね、わからないんだ」
「べんきょーって?それって絶対やらないといけないの?」
「やらないとダメだよ!ポンちゃんやらないの?」
 僕はうーんっとちょっとだけ考えるそぶりをした。そしてタイちゃんににこっと笑ってみせた。
「やらないよ。僕はいらないもん」
「いーなー、ポンちゃんは」
 タイちゃんは羨ましそうに僕を見た。
「じゃ、タイちゃんもべんきょーなんか忘れて遊ぼうよ!」
「うん!」



 タイちゃんと一緒の日々は楽しかった。
 ツタと木の破片でブランコを作って遊んだり、一緒にたくさんお花やキノコをとったり、ターザン遊びをしたこともある。
 そうやってタイちゃんもちょっとずつ大きくなっていって、いつのまにか小学校の最終年、12歳になっていた。
 その頃には年の取らない僕に対してタイちゃんも疑問を持つようになっていた。
「なんでポンちゃんは年をとらないの?」
 それに対して僕は何の疑問も無く答えていた。
「えー、前も言ったじゃん。狸だからだよ」
 本当はお化けだからだけど、そこはなんとなく隠しておきたかった。
 それに、僕はお化けだけど幽霊ではない。どちらかというと妖怪の類だ。曖昧な存在だけど、僕みたいなのはこの世にたくさんいる。
「ふぅん」
 タイちゃんは納得しない表情のままだった。

 僕は突然怖くなった。
 昔、山に母親と一緒にいつも遊びに来る女の子がいた。女の子は時々僕を見つけては「たぬきがいる!」と興奮して喚いていた。僕は僕を見つけてくれただけでその女の子に対して少しだけ嬉しいとかくすぐったい気持ちを持っていた。そんな日が一年くらい続いて、しばらくすると女の子とその母親は山に来なくなった。どうしたのだろう、と思いつつも人間は飽きる生き物だからそれはそれで仕方ないのだ、とその時初めて学んだ。
 そしてそれから二年くらい経ったある日、女の子が山に足を踏み入れてきた。女の子はずいぶんと変わった様子だった。髪の毛は美しく整えられていて今までの黒髪がまぶしいほどの明るい色に変わっていた。けれど、目の奥はひどく暗く淀んでいた。女の子はフラフラとしたまま山を徘徊していて、僕は最初怖くて外に出られなかった。
 けれど勇気を出して、女の子の前に僕は顔を出したのだ。「どうしたの?なんでずっと来なかったの?」そう聞きたかった。けれど、女の子は僕に何の反応も見せなかった。というより、見えなかったのだ。僕が慌てて女の子の手に触れると、女の子の手が僕の手をすり抜けた。
 それでやっと分かったのだ。
 女の子は大人になってしまったのだ、と。人間は小さい頃は僕みたいな存在が見えたりする。疑うことを知らないからだ。それを僕は「純粋」っていう事だと思っている。純粋であればあるほど、僕はその人と近づける。だからタイちゃんと僕はお話ができる。手を繋げるし、お互いのぬくもりまで理解できる。
 けれど、疑問を持つことは人を成長させる。
 タイちゃんだってきっといつか大人になるのだろう。
 その時タイちゃんは僕のことは見えなくなる。
 それがいつなのかは僕には分からない。
 でも少しでも少しでも今の時間が続けばいいと僕は思っていた。






 タイちゃんのお母さんが亡くなったのはそれから一ヵ月後くらいのことだ。
 タイちゃんのお母さんは信心深い人だった。タイちゃんが住んでいた民家だって、もとはタイちゃんのお祖父さんの家だ。少し古くて、踏めばギシギシとなるような木造のおうちらしい。あのおうちが建った頃はこの辺も少しだけ活気付いていた。隣の山には化け狸や化け狐もいたし、それらが人を化かすと言う事もよくあったことだ。けれど化け狸や狐の中にはいい奴もいる。人をいじめるのだってただ単に寂しいだけだからだ。タイちゃんのお母さんはきっとそういう話をお祖父さんから聞いていたのだろう。タイちゃんのお母さんは他の兄弟と違って、お爺さんが大好きだったと聞いていた。
 タイちゃんのお母さんは僕のことにも多分、気付いていた。タイちゃんが人間じゃない生き物と毎日裏山で遊んでいた事、それを理解したうえでいつもお菓子を包んでくれていたのだと思う。
 タイちゃんは人間の友達が少ない。それが、前に言っていたタイちゃんがバカだからかどうかは分からない。けれどタイちゃんが嬉しそうに僕と遊んだ事をお母さんに報告をしていたからきっとお母さんも僕を許してくれたのだと思う。


 その日は、いつも来る時間にタイちゃんが来なかった。
 僕はずっと日が暮れるまで待っていた。その時の夕焼けはやけに大きかった。ゆらゆらと夕日が揺れる中で、遠くで人間が怪我をしたときに使う乗り物の出す奇妙な音が大きく鳴っていた。なんだかとても怖い気持ちになる日だった。
 僕はふと、タイちゃんは大丈夫だろうかと思った。何故か嫌な予感だけが募っていた。

 その次の日、タイちゃんは泥だらけの姿で山にやってきた。
 顔は涙でぐちゃぐちゃで、髪の毛もボサボサのままだった。くせ毛のタイちゃんはいつもお母さんに朝、髪の毛を直してもらえるといっていたのに。
 けれど次の言葉にやっと納得がいった。
「ポンちゃん、ポンちゃん!!お母さんが死んじゃったよ〜」
 ああああああ、と口を大きく開けたまま泣く様子は久しぶりに見たタイちゃんの号泣だった。
 最初に会った、タイちゃんが迷子になった時の泣き方のまんまだった。なのに、今度は本当にお母さんに会えないのだ。ずっとずっと、どんなに切望しても。
 僕はすぐに自分のことを思い出してしまった。
 ここで待ってなさい、そう言ったお母さんの約束を無視して、僕はその場を離れてしまった。そして狼に食べられて死んでしまったのだ。お母さんとはあれからもうずっと会っていない。お母さんに会いたくて多分僕はここに残ったのに、ずっとずっと会えなかった。
「……ポンちゃんも泣いてるの?」
 いつのまにか涙が出ていたらしい。
「僕も、お母さんともう会えないから」
「……ポンちゃんも?」
「うん」
 するとタイちゃんはきつく僕を抱きしめた。
「さみしいね〜会いたいね〜〜」
「……うん」
 同じ背丈くらいの二人がわんわんと泣き続けるところを止める人は誰もいなかった。山の中は静かで、でも木々がざわざわ言っていて、まるで一緒に悲しんでくれるように感じられた。
「ポンちゃんはいなくならないでね、死んじゃ嫌だからね!」
 わんわん泣き続ける中で、そんな風に言われて僕は少しだけ嬉しかった。自分をそんなに必要としてくれる人がいるってことは何よりも嬉しい。孤独は、怖いから。
「僕は絶対死なないよ」
「絶対?」
「絶対」
 もうずっと昔に死んじゃっているから。
 そう口に出すことは無かったけれど。
 けれど、タイちゃんは僕の言った言葉をそのまんまで信じてくれた。
「約束だよ。ずっと一緒だよ」
 僕は泣き顔のままこくりと頷いた。
 人間が誓いをする時にする指きりというものをタイちゃんとして、なんだか不意に悲しくなった。
 僕は約束を破らないだろう。
 ずっと、何年経っても、何十年経っても、ずっとタイちゃんの側にいる。

 でも、タイちゃん。
 僕はずっとこのままここに居続けるけどね。
 でも、もしタイちゃんが大人になったら。僕の存在を疑い始めたら。
 そうしたら、ここに居てもタイちゃんには見えなくなっちゃうかもしれないんだ。
 そんなことを考えたくはないんだけど。

 空を仰ぐと、ぽっかりあいた木々の隙間から月が見えた。
 人間は人が死ぬと、お星様になると言った。
 僕もいつかはあのお月様やお星様のようになればいいと思った。

 タイちゃんが気付かなくたって、いつでもずっと見守っているお月様やお星様のように。





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この話、一年も放置してたんだ……すんません。
written by Chiri(6/29/2008)