さよならポンちゃん(1)



 ずっと一人ぼっちだったんだ。
 山の中で一人ぼっち。
 モミジイチゴやクワの実を食べたり、大きな木に登ってみたり。
 一人で遊んでみたけど何にも無いんだ。
 楽しいとか悲しいとかそういうの。
 でもね、タイちゃんと会ってからはそんな生活がすごく変わった。
 一緒に木にぶらんこを作って遊んだよね。
 色とりどりの昆虫を夢中で捕まえたよね。
 一緒に遊んだ日々は僕の中でキラキラ光っている。
 何にもなかった世界が嘘みたい。
 世界はいろんな色でいっぱい。嬉しいことや楽しいこと、幸せなことばっかり。
 だからね。
 タイちゃんが僕のことを見えなくなって忘れても、それでも。
 僕はタイちゃんのために何かができたらいいなって。
 そう思っていたんだ。






***






 僕はとある田舎の山に住む、タヌキのお化けだ。
 まだ昔の頃、狼がいた頃の話だ。
 僕はお母さんダヌキとはぐれて、一匹でいるところを狼たちに食べられちゃった。
 お母さんはね、僕に「ここなら安全だから待ってなさい。」って言ったんだ。
 けど、お母さんが帰ってくるのが遅くてどうしても気になってそこから動いてしまったバカな僕。そのせいで結局狼に食べられてひとりぼっちで死んじゃった。
 最後にお母さんに会いたいな、勝手に動いてごめんなさいって伝えたかったなって思っていたら、いつの間にか僕はこの山に戻っていた。
 ドロドロしたお化けみたいな状態で。うん、っていうかお化けなんだけど。
 お化けになってからは狼に食べられることもなかったし、命の危険も無かった。
 けど、もうお母さんには会えなかった。
 そのままいつの間にか時間が経って。
 そのうちそこにいる狼たちはいなくなっちゃって。
 山の周りは人間たちが住み始めて。
 ガンガンゴンゴン工事が始まって、山はどんどん切り崩されていった。
 今では残るぽつんとした小さい山。
 それが僕の住処だ。



 タイちゃんが山に踏み込んだのは僕がもう3百年はお化けとして過ごしていた頃だ。
 10歳くらいの人間の男の子。いや、それよりももっと幼いかもしれない。人間の年を当てるのは苦手だ。
 人間なんてちゃんと近くで見たことなんてなかったんだ。
 タイちゃんは最初嬉しそうに網を持って現れた。モンシロチョウとかをきゃっきゃっと言いながら追いかけまわして、山の中に楽しげな笑い声を響かせていた。
 ミーンミーンって蝉がうるさく鳴く中、僕は気配を殺してタイちゃんを観察していた。
 蝶々がひらりひらりと羽を泳がせる。
 それにあわせてぴょんぴょんとタイちゃんが飛び回る。
 その様子がとても可愛かった。みているだけでも楽しかった。
 そうして僕が勝手にタイちゃんを盗み見ている間にすっかり日は暮れてしまった。
 森が暗くなるにつれてタイちゃんの様子はおかしくなった。
 空を見上げては不安げな表情になり、回りをきょろきょろと見渡す。
 そして仕舞いにはそこで立ちすくんで泣いてしまったんだ。
「うわーーーん!おうちに帰りたいよーー!!おかーーしゃーーん!!」
 グスングスンと鼻水をたらしながら、タイちゃんはいきなり走り出した。
 多分混乱して、前が見えてないんだ。
 その向こうは崖なのに。
 僕は慌てて、タイちゃんをひきとめた。タイちゃんが怖がらないように人間の姿に化けて。
 グイッと手を掴めることが分かると、ビックリした。僕、一応お化けなのに。
「……だぁれ?」
 僕の顔を真正面から見て、問いかける。
 僕のことが見えるってことはよっぽど純粋な子なんだと思う。ましてや触ることができるなんて。
 僕は嬉しくなった。
 久しぶりに触れられた生き物の体温。タイちゃんの腕は毛が生えていなくて不思議だったけど、僕はそれでも嬉しかった。
 タイちゃんは不思議そうに僕を見ると、つんつんと耳を触ってきた。
「この耳、どうしたの?」
 僕もこのとき初めて人間に化けたから、上手に変身できなかったみたい。耳と尻尾だけは残ったまんまだったようだ。
「たぬきしゃんみたいだね!」
 ずばりと言い当てたタイちゃんはほっぺたを林檎みたいに真っ赤にさせて笑った。僕もそれにつられて笑顔になってしまう。
 タイちゃんは耳と尻尾を交互に見やって、次に僕の顔をじっと見た。
 そしてやはり突然満面の笑顔になって、

「ぽんぽこタヌキしゃん!ポンちゃんだ!!」

 僕にあったかい名前をつけてくれた。

 名前をもらったのは初めてで。
 僕は自分に名前をつけてくれた目の前の男の子が大好きになった。
 僕がおそるおそるタイちゃんの名前を聞く。
「……きみの名前は?」
 タイちゃんは笑顔で答えてくれた。
「タイちゃん!みんな僕のことタイちゃんって呼ぶんだよ!」
 本名は鈴木太一というらしいんだけれど、その時のタイちゃんはまだ小さかったからそう答えた。だから僕もそれ以降ずっとタイちゃんと呼び続けた。
 僕は笑顔のタイちゃんを覗き込んだ。
 その頃はまだ僕の方が身長があった。僕は人間に化ける時は大抵13,4歳くらいの外見になってしまう。僕がタヌキとして死んだときの年齢を人間に換算するとそれくらいだからだと思うけれど。
「……タイちゃんは……おうちに帰りたい?」
 タイちゃんはきょとんと目を開けると、みるみるうちに涙でそれを濡らした。まるで今までそのことを都合よく忘れていたようだった。
「僕、帰りたい〜〜〜。おかーしゃんに会いたい〜」
「……そう」
 えぐっえぐっと鼻水をたらしながら泣きじゃくるタイちゃんに僕は少しだけ困ってしまった。おうちに帰りたくないといえばこのまま山にとどめてしまおうかとも思ったが、これだけ家に帰りたいといえば案内するほかないだろう。
「ちょっと待って」
 僕がそう言って、タイちゃんの後ろにあるモミジイチゴから実を一個むしりとった。そしてそのまま、それをタイちゃんに手渡した。
「なぁに?」
「黄苺だよ。おいしいから食べてみて」
 タイちゃんは不思議そうに黄苺を見つめていたが、不意にぱくりとそれを飲み込んだ。その途端、頬が真っ赤に染まり、泣き顔がまた笑顔に変わった。
「おいしい!」
「でしょ?そのモミジイチゴ、僕の宿り木なんだ」
「やどりぎ?」
「僕のおうちってこと」
 昔、僕がタヌキのままの姿で死んだとき、すぐそこにモミジイチゴの木があった。狼にガツガツ喰われながら、そのモミジイチゴをぼーっと見つめて死んだ。空ろな瞳にうつっていたその木がそのまま僕の中で強く残って、僕はその木に魂をうつしてお化けとなったみたいだ。
 つまり、僕はこのモミジイチゴが無いと生きていけない。これが僕のおうちで、すみかで、心臓だ。
「ふぅん?木がおうちなの?へんなの」
 タイちゃんはかわいらしく首をかしげた。
 僕は口元だけで笑いながら、タイちゃんに手を差し出した。タイちゃんはまるで条件反射のように手をとった。
 あったかかった。
 手からつたわるぬくもりを感じて、ふとお母さんのことを思い出した。お母さんと過ごした日々、もう戻らない日々。それでも今も大好きなお母さん。
(一緒にもっと生きていたかったな)
 だなんて我侭はもう言っても仕方ないけれど。
 僕はその繋がれた二つの掌にそっと目を落とした。
「ねぇ、タイちゃん?」
「うん?」
「君にとって僕の手はあたたかい?冷たい?」
 僕は少しだけ口角をあげた。変な質問しているなっていう自覚はあった。
 タイちゃんはうーんっと眉を寄らせて考える仕草を見せた。
「ふつー」
「ふつー?」
「うん、でも僕の方が温かいね。だいじょうぶだよ。寒くなったら僕があたためてあげる」
 タイちゃんはそういうと、両掌で僕の手を包み込んでくれた。そしてまたあのぷくぷくした笑顔だ。
 僕は心の中にあたたかいものを感じながら、微笑んだ。
「……帰ろっか」
「え?」
「僕が山の入り口まで連れて行ってあげるよ」
「本当に!?」
 タイちゃんは目を見開いてキラキラさせた。
(もっと一緒にいたかったけど仕方ないよね)
 ちょっとだけ寂しさを感じながら、もうとっくに夜を迎えた山の中をタイちゃんと二人で歩く。タイちゃんはそれが怖いのか、ぎゅっと手を強く握ってきた。
「タイちゃん、見て。月が出てる」
 空を見上げれば木々たちに囲まれるようにして浮かぶ月がいた。ぽつんとお空に一人だけ。まるで僕みたい。
 タイちゃんは月を見ると、嬉しそうに口を開けた。
「きれーだねー」
「うん」
 タイちゃんは今まで怖がっていたことをぽいと忘れて月に魅入っていた。僕はそんな様子のタイちゃんに微笑みながら、また歩き出す。繋いだ手はまだぎゅっと繋がれたままだった。

 山の入り口まで到着すると、タイちゃんはあっ!!と声をあげた。
「ここ、もう分かる!!」
 更にくだっていけば民家が存在する。そして更にもっとくだれば高層マンションなども存在するようなところだ。
「僕んちあれ!」
 タイちゃんが指差したのは遠くに小さく見える民家だった。場所が分かっていれば本当に目と鼻の先だ。
(あそこに住んでたんだ……)
 じっとそこを見れば、誰かが家の周りをうろうろしているのが分かった。
「あ、おかーしゃんだ!!きっと心配してる!!」
 タイちゃんはぱっと僕の手を離すと、有無を言わさずだぁーっと坂を駆け下っていった。
 僕はそんなタイちゃんを無言で見つめていたが、不意にタイちゃんが勢い良く振り返った。
「ありがとう!!!またね!!!!」
 一通りぶんぶん手を振ると、また体を翻して民家へと掛けていく。その姿にいっそ潔さまで感じた。
(またねって……)
 目をパチパチしながら、その言葉を考える。
 タイちゃんはまた自分に会うつもりなのだろうか?もしそうならば……嬉しかった。
 民家の近くにいたタイちゃんの母親と見られる人物がタイちゃんの姿をとらえる。タイちゃんはお母さんに抱きついて、お母さんもぎゅっとタイちゃんを抱きしめていた。
 僕はそれを見て、そっと微笑んだ。
「……よかったね、タイちゃん。またお母さんに会えて。」
 僕はまた山に戻っていった。
 僕は山では一人ぼっち。
 お友達は同じく夜空に一人ぼっちでたたずむお月様。
 そうやって僕は生きていく。
 そう思っていた。





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ポンちゃんは動物霊というよりはもはや妖怪っぽい感じでよろしくです。
written by Chiri(7/24/2007)