いつか王子様が(2)



道也が誓耶と一緒に登校するようになって一ヶ月が過ぎた。もう既に6月の半ば。
道也と誓耶の距離はかなり近いものとなり、誓耶は道也を名前を呼ぶようになっていた。
そして道也は誓耶のことを誓耶先輩とこれ以上に無い程の敬愛を込めて呼ぶのだ。

「あとは告白するだけだよ!」

道也は上気させた頬で隆一にそう報告した。
隆一の部屋にいきなり来て何を言うかと思えばそんなことだ。
ベッドに寝転んで漫画を読んでいた隆一にとってはとんだ迷惑だ。
隆一は体を起こして、道也を見た。
そして瞬間、あーだめだ、と嘆息する。明らかに恋する乙女。道也は盲目的に恋におぼれていた。
「もう少し、待ってみたら?」
「なんでなんで?」
道也は口を尖らせた。
「だってあの人、なんていうかうそ臭い…。」
隆一は道也の顔を見ずにそう言った。本当のところはそうは思ってなかった。
見ていれば誓耶は完璧な王子様だ。趣味は乗馬で、成績も上位。元々お金持ちで家柄だって上品だ。そんな人間普通はいない。本当の王子様みたいなんだ。そう、誓耶は本当に本当に王子様なのだ。
それが隆一にとってはおもしろくなかった。
案の定、道也はぷんすかと怒った。
「なんだよ!隆ちゃん!先輩のこと何も知らないくせに!」
まるでやかんがピーピーと音を立てながら煙を撒き散らしているようだ。
隆一はなんだかそんな道也が見ていられなくてそっぽを向いた。道也が突然立ち上がる。それを気配だけで感じながら隆一は目を泳がせた。
「僕、決めた。明日告白する。」
ぎょっとして隆一が道也を見ると、道也はキッと隆一を睨んでいた。
「見てろよ、隆ちゃん。」
隆一は眉を八の字にくねらせた。
(そういうつもりで言ったんじゃないんだけどなぁ…。)
そう思いながらも決して道也には言葉を漏らさなかった。
道也はそんな隆一など気にせずに帰ってしまった。隆一は扉が閉まるまでは道也の後ろ姿を追ったが、何の躊躇いもなく帰る道也にはぁっとため息を吐いた。
隆一は手持ち無沙汰になって、そのまままたベッドに寝転んだ。
こうなったらもう祈るだけだ。
誓耶が本当に道也の王子様で、道也を大好きになってくれればいい。
そう思いながら隆一は目を閉じた。





翌日の朝、道也はいつもの通り誓耶の乗る車両に飛び乗った。
前から三両目。降りるとき、一番学校に近い出口から降りられる。
「おはよう、道也。」
たくさんの人に押しつぶされながらも王子様は今日も平然と立っていた。満員電車をものともしないで涼風をふかしている。
「おはようございます。誓耶先輩!」
道也の元気の良い挨拶に誓耶はにこりと笑った。
「そういえば、昨日ね、前に道也が見たいっていっていた映画を借りてきたんだ。今日学校が終わったら一緒にうちで見ないか?」
突然の誘いに道也は自分の目玉を取りこぼしてしまうかと思った。
「い、いきます!絶対!!」
チャンスだ!
思わず頭の中でガッツポーズだ。
チャンスだった。告白のチャンス。しかも初めていく誓耶の家で、だ。
道也は高鳴る鼓動を抑えながら、誓耶の顔を盗み見る。
誓耶はやはり満員電車のもたらす圧迫をものともしないでどこふく風だ。
ふと視界の隅で人ごみに揉まれている隆一が見えた。隆一は人との間で板ばさみになりながらも心配そうに道也を見ていた。
(隆ちゃん、僕は大丈夫。)
道也の中で根拠の無い自信がめりめりと形を作っていく。
隆一に向けて道也はにんまりと笑顔を作った。

そして道也はその日、誓耶の家にのこのことついていったのだ。



***



ハッと道也が起きると隣にいたはずの誓耶がいないことに気づいた。
道也は寝ぼけ眼のまま部屋を見渡した。
道也の他に誰もいない12畳程度ある部屋。誓耶の部屋は流石に金持ちということもあってやたらに広くてスタイリッシュだった。側面を飾る棚はどこかのインテリア雑誌で紹介されていたものだし、ベッドだってやたらに大きい。そして自分の部屋にハイビジョンテレビが置いてあるのだから、道也にとっては驚きだった。
テレビの画面はいつのまにかジージーと砂嵐になっていた。どうやら映画を見ていた途中で眠っていたらしい。
「先輩に悪いことしちゃったなぁ。」
道也はポリポリとほっぺたを掻いた。自分で見たいと言っていて、即刻寝るなんて失礼だ。
けれど映画は思いのほか道也にとってはつまらなくって、2時間の鑑賞に堪えうるものではなかった。
ふと、自分の胸元を見てみると何故か制服の一番上のボタンが外れていた。不思議に思ってそれをぼんやりと眺めていると今までになかった鬱血が存在しているのに気づいた。
「なんだろ、これ…。虫刺され?」
けれど別に痒いわけではなかった。
うーんっと唸りながら考えるがなんだか面倒になり、道也は考えるのをやめた。
そうだ、そんなことよりやらないといけないことがあるじゃないか。と今更ながらに思い出す。
(告白…するんだ…。)
胸中でそう決意すると、何故かいきなり思い出したように心臓が鳴り始めた。
ドキドキと随分うるさいものだから、必死で頭を振って何かしらの熱を冷まそうとする。しかし一向に緊張はほぐれない。
なんともなしに部屋を見渡していると棚の上に写真立てが寝かせておいてあることに気づいた。
(なんだろう…)
道也は背後を確認するとそっと写真立てを立てた。瞬間、道也は目を見開いた。

そこには誓耶と知らない綺麗な女の子がうつっていた。

とてもとても綺麗な女の子だ。まるでどこかの一国の姫のような気高さと上品さを兼ね備えている。
「…これ。」
道也は信じられないといった表情でそれを眺めた。女の子の肩にまわされた誓耶の腕がその親密さを伺えた。
「…誓耶先輩…彼女がいたんだ。」
道也は写真立てを持ったままその場にぺたりと座り込んだ。
全身の力が地面と接している部分からブワァッと抜けていく心地だった。

そうだ、だって誓耶は王子様なんだ。
かっこよくて優しくて完璧で。
そんな人にお姫様がいないわけがないじゃないか。
もうずっと前から二人は運命付けられていたのだ。

ブワッと涙があふれてきた。
自分がどれだけ王子様に憧れていて、そんな王子様を見つけられてどれだけ嬉しくて、どれだけすごく浮かれたか。
なんだかとても滑稽だった。

「…道也、写真を見てしまったの?」

ハッと振り返ると誓耶さんが困った表情でそこに立っていた。手には入れなおされたお茶があって、多分台所でそれを用意していてくれたのだろう。
道也は今までに無く情けない顔をしていた。顔は赤く泣いていて、しかもどうしていいか分からない表情だ。
「せんぱい…。」
「せっかく写真立てを寝かしておいたのに。悪い子だね、道也は。」
誓耶の言葉に道也は首を傾けた。言っている意味がよく分からなかった。
誓耶はお茶をテーブルの上に置くと、道也に向かい合うようにしゃがんだ。涙で濡れた道也の頬をその冷たい掌で包んでやる。
誓耶は静かに言った。
「俺、婚約者がいるんだ。」
婚約者。彼女よりも更に上級じゃないか。
道也は静かに絶望した。
「でも、先輩、そんなこと…聞いたこと…。」
「遠距離なんだ。彼女、随分遠くに引っ越してしまって。今じゃドイツだ。」
誓耶は写真立てにうつる美しい女性を懐かしむように見た。
その目には確かに情愛の念が感じられ、道也はもう自分に望みは残されていないことを知った。
「ごめんね。」
誓耶は道也に顔を向けてそう言った。顔にはいつもの笑顔だ。いつもと変わらない何も怖れるものがないといった笑みだ。
「先輩…僕…。」
道也が何かを言いかけたとき、誓耶の顔が急激に近づいた。
道也はそれを呆然とした様子で見送り、次の瞬間、誓耶の唇が自分のと重なっていることに気づいた。
「ん…んん〜!!?」
誓耶の舌が道也の口内に侵入したときにはいよいよ道也は混乱した。
(なんでこんな!!?どういうこと!?)
長い間、口内を侵されて、道也がハァッと大きく息を継ぐ。誓耶の顔はあいも変わらずすぐそこにあって、あの笑顔が張り付いている。
道也は目じりから涙を流しながら、呟いた。
「せんぱい…なんで…?」
誓耶は道也の耳元でささやいた。
「僕は道也の想いには答えられない。だからせめてできることをしてあげたいと思ったんだ。」
え、と道也が誓耶を見上げた瞬間、天地が逆転した。
誓耶が道也を押し倒したのだ。
「先輩、何…?」
「静かにして、道也。」
そう言って、道也の首元に口を寄せる。そうして道也の白い肌に吸い付きながら、服を優しく剥ぎ取っていった。
道也はそれをただ呆然と見ていた。

…何が起きている!?
僕はなんでここにいるの!?
なんで先輩は僕の上にいるの!?
先輩に告白しようと思ってここに来て、でも先輩には婚約者がいて、婚約者を愛していて、なんで僕にキスをして、何で僕を脱がすの!!?

道也の目が信じられない思いで誓耶を覗き込む。
誓耶は道也の白い肢体に興奮したように目を爛々と光らせていた。

(怖い)

「先輩、やめてください…。」
やっと出た声は震えていた。
誓耶が道也の顔を目を細めて見てきた。
「なんで?道也は僕が好きなんでしょう?なら、僕に抱かれたいんでしょう?」
「だって先輩は…婚約者がいる…って…。」
「道也、僕だって彼女を好きで裏切っているわけじゃないよ。でも君のことを想ってこうしてるんだ・・・。」
言っていることがむちゃくちゃだった。
けれど、誓耶はすぐに道也の顔から視線をはずし、また道也の体を愛撫し始めた。びくんと道也の体が反応する。

「ぁ・・・ひぃ・・・や、やめてください・・・!!!」

けれど、誓耶の動きは止まる様子も無く、道也の言葉さえ聞いていないように思えた。そこで初めて道也は自分がどれだけ誓耶のことを盲信していたかに気づいた。
(せんぱいが怖い)
とたん、道也は壊れた操り人形のように暴れ始めた。
「や、やだ、やだああ!!」
手足をばたばたと動かす道也に誓耶は舌打ちした。
そして焦れた様子で、パァンと道也の頬をひっぱたいた。
道也は震えながら、自分の頬を撫でる。ジンジンとしびれていた。
(今、殴った?)
道也は誓耶を見上げた。
誓耶は初めてあの笑顔を外していた。その下から覗かせた表情はまるで怪物のように醜悪だった。

「僕に恥をかかせるんじゃないよ、道也。」

そう言って硬直する道也の両手を縛ってしまうとそのまま行為に没頭する。
道也は頭をしきりに振りながら、ただ自分に起こっていることを信じられずにいた。

王子様の仮面をかぶっていた人間の中身は化け物だったのだ。
まんまとだまされた。
王子様だと信じていたのに。ずっと探していた王子様とめぐり合えたと思っていたのに!

道也の目じりから一筋の涙がつぅーっと流れて止まらない。
それでも最後の光がぱちぱちと瞬いている。

そうじゃないか。
こんな時こそ本物の王子様があらわれるんだ。
こういう大ピンチな時ほど。
お姫様はそうやって助けられる。
汚される前に助けられるじゃないか。
王子様、お願いだ。
僕を助けて。


「王子様王子様王子様王子様…」
道也が小さい声で呪文のように呟く。
誓耶は眉をひそめると「気味悪いことはよすんだ。」とはき捨てた。
誓耶が道也の体を触るたび、道也が大きく体を揺らす。唇をかみ締めながらもどうしても声が漏れてしまう。
「かわいいよ、道也。」
ほざいてろ、化け物が。
道也は目をぎゅっとつぶった。

もうすぐ王子様が。
もうすぐ王子様が来るんだ。

お前みたいな化け物を退治して、僕を助けてくれて、消毒するような薔薇色のキスをくれるんだ。
そう祈りながら、ひたすら道也はその時を待った。






けれど、王子様など来なかった。

王子様が現れるどころか、誓耶が道也の体の中に押し入り無残に汚していった。

痛みに堪える道也の瞳からとめどもなく涙があふれる。

(みんなうそつき)

王子様が来るって言ってくれたじゃないか。
お母さんもお父さんも。

(うそつきうそつきうそつき)

誓耶が小さい声をあげて道也の中に精を吐き出したとき、道也は虚ろな瞳のままある事実に行き着いた。




王子様なんて、………いないんだ。


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