いつか王子様が(1)



いつもお姫様に憧れを抱いていた。

ピンチの時にはいつも王子様が来てくれる。寂しければ王子様に抱きしめてキスしてもらえる。そんなお姫様を道也はいいなぁいいなぁといつも羨んでいた。
別に女の子になりたいわけではなかった。けれど、誰かに一心に愛され、守られたいと道也はいつも思っていた。

「僕にもいつか王子様、来るかなぁ?」

まだ道也が小学校低学年の頃、枕もとで道也に絵本を読んでいた母親は息子の突然の発言に一瞬だけ目を瞠った。母親に良く似た可愛らしい顔は何の疑いも無く、目の前の母親をじっと見ていた。

「…僕は男の子だからダメかなぁ?」

はにかむような表情を見せた道也に母親はハッと我に返り、すぐに安心させるように花のように笑った。

「もちろん来るわよ。みーくんが待っていたら、王子様は絶対来る。」
「本当?」
「本当よ。絶対に本当。」

道也は蕾が花咲くように笑った。
母親はどうしたものか、と心の中でため息をついたが、目の前のあどけない顔を見るともはやそんなことはどうでもいいとさえ思った。とりあえず父親に相談しようと思ったが、父親もこの純粋無垢な子供に夢中なのだ。この子の笑顔さえ見ればあとはどうでもよくなるような予感はしていた。

そういうわけで道也の親へのカミングアウトは随分昔に達成されていた。両親は夢見がちな道也の考え方を知っていたし、両親も別に否定はしなかった。
時々母親が「みーくん、王子様見つかった?」とワクワク顔で聞いてくるくらいだし、父親に限っては「みーくんが誰かとつきあうなんて考えたくも無い。」と眉間に皺を寄せて道也を困らせた。

そんな道也だったから、小学校の時はクラスメイトとは上手く馴染めなかった。昔からお隣に住んでいた三宅隆一以外はあまり道也に近づこうとはしなかったし、女子に関しては昔は道也と毎日のように遊んでくれていたのが年を重ねるにつれてその不自然さに気づき、態度を豹変させた。
「きもい。」「おかま。」「へんたい。」それが道也に発せられた罵声の数々だ。

隆一は道也を唯一敬遠しない人間だった。
別に彼が特別だったわけではない。何故なら彼は道也が赤子の頃からずっと一緒に遊んでいた昔馴染みなのだ。つまりは、彼が何か正義感やら良心があって道也と仲良くしていたわけではなく、ただ彼はそんな道也を当たり前と思うほどまでに慣れていただけだった。

道也がとある男子校へと進学を決めたとき、隆一は随分と機嫌が悪そうな顔をしていた。
「お前、まさか男目当てでこの高校に決めたんじゃないだろうな?」
言われて、道也はどきっとした。それが全てでは無いが、どうせ似たような理由だ。まず道也は女の子が苦手だったこと。そして王子様に会いたいこと。そのためには男が周りに多いことが望ましい。
「えー…、そんなわけない…よ。」
道也気まずそうに目をそらした。そんな道也の様子を見ていれば彼の心中など隆一には一目瞭然だった。ただでさえ、もう10年来の友達だ。道也が隆一に嘘をつくということなど不可能かもしれない。
「おいおい、まじでか。」
隆一は呆れた様子で道也を見た。道也はカァッと顔を赤くした。
「ほっといてよ。大体なんで隆ちゃんまで同じ学校来るのさ?」
「俺はお前の親からお前のこと見とけって言われてるんだよ。」
道也は目をぱちくりさせた。初耳だった。
「え、隆ちゃんが何で?なんて言われたの?」
「おばさんには「道也が変な王子様連れてこないように見ててあげてね。」って言われて、おじさんに関しては「道也に変な虫がついたら、即刻排除しろ」と命令されてる。」
道也は自分の父親の発言にアハハと笑った。本当にお父さんってば、困っちゃう人だなぁ、と言いながら持っているかばんをぶらぶら揺らす。
隆一はそんな道也を見て、目を細めた。道也は高校生になって、男っぽくなるどころか甘さが増した。道也を覆っていた無邪気さが今では逆に放っておけない危なっかしさに変わっている。それが何故か他人をひきつける。
「っつーか、お前まだ王子様とか待ってんの?やめろよ、くだらない。」
隆一の言葉に道也は思わずカチンと来た。頬を膨らませて、文句をいう。
「くだらなくて悪かったよーだ。どうせ隆ちゃんには分からないよ。」
「大体、お前どんな王子が来ると思ってんの?まさか白馬に乗った白タイツとか言わないよな?」
その姿を思い浮かべたのか、隆一はげぇーっと舌べろを突き出す。ついでに道也もそれを思い浮かべて、うーんと唸った。考えて見れば王子様がどんな容貌だなんて思い描いたことなんてないのだ。
「えーっと、まず顔が整っててー、背が高いでしょ。」
道也は自分の想像の中で即座に王子像を組み立て始めた。言葉に出した瞬間、ぼんっと煙をあげて道也の王子像が出来上がっていく。
「それでそれで、喋り方は品があって、優しいんだ。」
隆一は鼻をひくつかせて道也の絵空事を聞いている。その顔には見えない精霊にでも悪戯されたのか、お前、マジで?という文字が如実に書かれている。
「しかも、悪い奴は一発でやっつけられるほど強くて…。」
道也は自分の想像の中にいる王子像があまりにも完璧で、思わずうっとりしてしまった。こんな王子様が迎えに来てくれると思うと胸が甲高い音でカンカン鳴る。
「…けど強いからといってマッチョとかじゃなくて細身で華奢なんだ。」
思わずほぉっと息をつく。道也の頬は桃色に染まり、目はありもしない事象を見つめてキラキラ輝いている。
隆一は呆れ半分で道也に突っ込みを入れる。
「…お前、それ、完璧少女漫画だぞ。」
「なんだよ!王子ってそういうもんだろ!」
「お前の王子は何か根本的に間違ってる気がする…。」
隆一は疲れたようにがくんと肩を落とした。道也は一向に共感しようとしない隆一に口を尖らせて、「もういいよ!」と言ってつんと顔を背けた。
隆一を置いてさっさと歩く道也に隆一は慌ててついていった。
「待てよ、道也。」
道也は小走りの隆一に顔だけ向けると
「隆ちゃんってば歩くの遅いんだから。」
と悪戯っぽく笑った。



***



高校での道也は思ったよりも人気が出た。すべすべした肌にあどけない表情。道也はそこらの女の子よりもよっぽど可愛らしかった。そして何よりも中身が穢れていない。子供の頃はガキと言われるだけだが、歳を食えばそれは純粋さへと変わる。
男たちは道也を出来たての弟のように可愛がった。中学の頃までは男子からはまるで空気のように扱われていた道也ははてと首をかしげた。

その日の朝も道也はいざ学校にいくための準備をしていたわけだが、突然家の電話が鳴った。受話器をとれば、それは隆一からで、今日は風邪だから一緒にいけないと言う。
道也は高校に入ってからはずっと隆一と登校していたわけだが、今回はめでたく初独り登校になる。高校は道也の最寄の駅から5つ離れたところにあった。小さな道也は満員電車にいつも押しつぶされそうになる。それを道也よりも体の大きな隆一がかばってくれるのだが今日はそんな盾もいない。
「電車でぺちゃんこにならないようにな。」
ガラガラ声でそういう隆一に道也はぺちゃんこになんかならないよー、と笑って返した。電話を切ると、道也は時計を見た。
(そろそろいかなくちゃ。)
かばんを手に取り、親に挨拶をすると道也は勢い良く家を飛び出した。

そうして道也は初めて独りで乗った満員電車の中で運命の出会いを果たした。

王子様、だ。
いつものカーブで電車が横に傾いたときだ。いつもならそこに隆一がいて自然と支えてくれるが、今日は誰もいない。そのことがすとんと頭から抜けていた道也は、カーブに絶えられず転びそうになった。そこを誰かに手首をつかまれてふんばったのだ。
見上げた先には王子様がいた。
「大丈夫か?」
そう心配そうな顔で道也の顔を覗く王子様。
道也の体温は一気に上がった。嘘じゃなく、その人間はキラキラと光っていた。ぼぉっとするように王子様の顔を眺めているとまた電車がガタンッと揺れた。
また転びそうになる道也を今度は王子様は抱きかかえた。道也は思わずヒィィィと小さく悲鳴をあげた。歓喜の悲鳴だった。
王子様は道也と同じ制服を着ていた。同じ学校なのだ、と思うと道也の頭の上に『運命』という言葉が都合よく降り立ってきた。
結局王子様は降車駅が来るまで道也をずっと支えつづけてくれた。そして一緒に電車を降りるとやっと道也は口を利ける状態までに回復した。
「あ、あの!ありがとうございました!!」
道也の火照あがった顔を見て、王子様はにっこり笑った。道也にとってのそれは今までにみた事のないほど気品のある笑顔に見えた。
「どういたしまして。」
学校に向かって歩き出す王子を足の長さの違う道也が追うようについていく。
「僕、佐々木道也っていいます。あの、名前聞いてもいいですか?」
せっかくのチャンスを逃すまいと道也は食い下がった。王子はそんな道也の様子にくすっと笑い、さらりと流した目線で一瞬だけ道也を見た。
「時谷誓耶(ときたにせいや)だよ。君は一年生?」
「はいそうです!」
「初々しいね。可愛い。」
誓耶がさらりとそんな事を言うものだから、道也はボンッと爆発しそうになった。
「そそそそそんなことないです!!」
思いのほかどもってしまって道也は自分にびっくりした。誓耶は道也の顔を見ないまま、フッと笑った。
駅を降りれば学校はすぐだ。話せる時間は後僅か。
「あ、あの!僕、いっつも通学は独りなんです!これから一緒に行ってもいいですか?」
風邪をひいている隆一のことはすっかり頭から抜け落ちていた。
道也は誓耶の顔を見ながら、必死にしゃべりかける。誓耶は笑いながら「こっち見ながら歩くとまた転ぶよ。」と言ったが、道也にはその忠告は聞こえなかった。
「危ないよ。」
不意に後ろから自転車が通って、道也は誓耶に引っ張られた。
道也はつかまれた手首に電撃が走ったかと思った。誓耶が手を離してもビリビリと余韻が残る。
誓耶は困ったように笑った。
「佐々木は危なっかしいね。いいよ、これからは一緒に登校しよう。」
誓耶の前だと道也はとんだおっちょこちょいになってしまうようだった。けれど、それでも道也は良かった。
王子様だ、王子様だ。と心の中ではしゃぐ。
ずっと待っていた王子様。
それが今道也の目の前にいた。





次の日、隆一はまだ少し鼻声なのを我慢して学校に登校した。
昨日、電車に乗ってからは王子様と一緒に登校する、という道也の主張を聞いて隆一はひどく不信そうな顔をした。
そもそも道也が寝込んでいる隆一に帰ってきて一番に報告したところから、隆一はブスッとしていたのだ。
「隆ちゃん、隆ちゃん、僕王子様見つけたよ!」
「はぁ?」
「王子様だよ!電車の中で出会ったんだ!!」
嬉しそうにしゃべる道也に隆一は何度もその夢をぶち壊したいという邪な思いが込み上げた。そのたびにゲホゲホと咳き込んで言えずじまいだ。
(道也、王子様なんてな、存在しないんだよ。)
そう言いたかった。けれど隆一はうっとりとしている道也にまさかそんなことは言えなかった。咳き込むと自然と出てくる涙をごしごしと拭った。

そしてその日から道也は電車に乗ってからは誓耶と学校に行くようになった。
はしゃぐ道也に穏やかに受け答えする誓耶。隆一は二人を遠めで見ていて、ふぅっとため息をついた。
確かに誓耶は道也の言う王子様の理想像だった。背は高くて、甘いマスクで、しかも優しいときた。だが、隆一にとってそんなことはどうでもよかった。
「…一人で登校なんて寂しいじゃないか。」
隆一は拗ねた声で小さく呟いた。


NEXT