潜在的のびイズム(1)



「……うまー! 冬真ー!」

 ――誰かが。
 誰かが僕の名前を呼んでいる。

「おーい、起きろ、冬真ー!」

 ハッとしてベッドから飛び上がると、そこには不二夫の顔があった。僕は悲鳴を飲み込み、布団をかぶった。
 ここは僕の部屋だ。とはいえ、幼馴染の不二夫はほとんど顔パスで僕の部屋までこられる。そのことをたった一瞬忘れていて、僕は非常に焦った。
 別にどこにも証拠は無いが、昨夜は僕は不二夫のことを思い浮かべながら床についたのだ。僕のふにゃちんは最近不二夫のことを考えると硬くなるわけで。そんなことを不二夫に知られたら、何をされるか分からない。
 僕は布団の隙間から不二夫の顔を覗いた。

「な、何……」
「なあ! お前、タイフーン8のアルバム持ってたよな?」

 起き抜けに言われて、たじろぐ。不二夫は基本、僕がどんなステータスでいても気にしない。寝ていようが、起きていようが、オナニーしていようが。実際、そんな状態の時にドアを蹴破られた時はドキュメンタリーにしてもいいくらいの恐怖だった。

「……うん、持ってるけど」

 僕は訝しげに不二夫を見る。不二夫はにやっと笑う。

「よし、はやく出せ。 今すぐ出せ。 五秒以内に出せ」

 朝一番からノリノリの命令口調だ。僕は文句を言いたげに不二夫を見たが、不二夫は「はやくしろ」とふんぞり返っていた。
 僕はパジャマのまま、ベッドから起き上がると、CDラックから不二夫の欲しがるアルバムを取り出した。

「それそれ! じゃ、もらってくな!」
「え」

 僕の手からアルバムをさらう不二夫。
 僕は大声で不二夫を呼び止めた。

「ちょ、返――」
「ああん? お前、俺様に逆らうのか?」

 不二夫に睨まれて、僕はシュンと肩を小さくした。

「いえ、どうぞ。 お好きに!」
「さすが、ふにゃちん! 物腰柔らか〜」

 ……どんな褒め言葉だ! それは僕のちんこと性根の優しい性格を比喩しているのか!
 不二夫は変わらずの最悪ぶりだ。なのに、僕といったらこんな不二夫に……。絶望的な感情を抱いてる。
 不二夫は出て行く前に、ふと気づいたように振り返った。

「あ、あと、来週発売のニューアルバムも買っておけよな」

 僕は体を震わせた。

「えー! 僕、今月のお小遣いもうないよ」
「ああん? お前のあの豚壊せばいいだろ?」

 ちなみに豚というのは僕の豚の貯金箱だ。

「……ひどい」
「うっせー」

 不二夫は鼻歌を歌いながら、僕の部屋を出て行った。僕ははぁっと大きくため息を吐いた。
 命令されるわ、集られるわ、人のもの盗むわ、最悪な男、不二夫――それが僕の幼馴染だ。
 でも、僕はそんな最低でジャイアンな幼馴染に恋をしている。今年の夏に、僕は上級生三人に襲われかけたことがあった。その時、助けてくれた不二夫は何故か光り輝いていた。もともとは不二夫のせいで襲われかかったのだが、そのことは都合よく意識から消えていて、ただヒーローのような不二夫の姿が今も僕の胸の中で居続けていた。
 まあ、でもすぐに不二夫が帰ってくれたのはありがたい。
 僕は最近、不二夫の顔を見るとすぐにおかしくなってしまうのだ。なんというか、発情? 不二夫にすがり付いて「好き〜! 不二夫、好き〜! もうなんでもする〜!」と叫びたくなってしまう。僕にはもう奴隷根性が性根づいてしまっているから。

「なんであんな奴」

 僕は小さく呟くと、顔を赤くした。
 なんだか、不二夫のことを考えるとまた僕のふにゃちんが、……いやなんでもない。僕は布団をひっかぶると、一所懸命他の事を考えて、気を紛らわせた。



***



 学校で不二夫に会うと、不二夫は当たり前のように「宿題やってきたか」と言って手を出してくる。僕は黙ってノートを差し出した。最近は不二夫のためにノートを書くのも苦ではなくなってきた。今までより綺麗に丁寧に書いて不二夫に分かりやすいノートを作る努力なんてものもしてみたり。不二夫の為になるならもうなんでもいいかな、なんて恋したがりの僕が勝手に呟くのだ。いわば末期症状って奴。

「? なんか珍しいな、最近」

 すごすごと差し出す僕を不二夫は不審がる。僕は動揺した。

「な、何が」
「いうことよく聞く」

 不二夫はうーんと腕を組んだ。そしてニカッと太陽のように笑った。僕はドキっと胸を鳴らした。無駄に白く歯並びの良い不二夫が笑うと、何故か威圧感が生じる。

「いい子いい子!」

 不二夫は僕の頭を撫でた。僕はカカッと顔を赤くした。不二夫の為なら僕はなんでもしたい、と言う気持ちが大きくなる。
 そして、持っていたかばんに手を入れた。
 僕は恋をしていた。不二夫に。ちょっと痛いくらいに。

「あ、あと。 不二夫、僕今日お菓子作ってきた」
「はあ?」

 不二夫は目を見開いた。

「不二夫、チョコチップ入りのパン好きだろ? 最近、頑張ってパン作りを習い始めたんだ」

 僕はかばんの中からパンを取り出す。土日、まるごとこの為に時間を割いた自分がいる。

「……おお?」

 不二夫は僕の作ったパンを見て、奇声をあげる。僕は頬を赤くしながら、パンを見せた。無駄に形状にこだわってみた。

「見て、不二夫って文字になってるんだ、このパン」
「……」

 不二夫は押し黙ると、不意にやはり太陽のように笑う。僕は嬉しかった。その笑顔が見たくてこのパンを作ったんだ。

「お前、なんかキモいな!」

 ハハハッと笑われる。金タライでも落とされたように僕はショックを受けた。不二夫の笑い声がまるで僕を嘲笑するように僕の脳内にこだまする。

(そうか、僕はキモいのか)

 不二夫が去った教室で、僕は肩を落とした。ショックで昼ご飯が喉を通らない。ふと、気づくとクラスメイトがずいぶん遠巻きに僕のことを見ていた。まるで宇宙人でも見つけたような形相で。
 僕は首をかしげた。

「……どうかした?」

 僕が聞くと、普段よくしゃべる本村(もとむら)が僕におそるおそる近づいた。
 そして、額に手を当てる。

「……熱は無いよな?」
「ないけど、何?」

 僕はそんな本村を不審がる。本村の他にも普段普通に喋るクラスメイトは皆遠巻きだ。女子もいる。僕は標準で普通でノーマルな男子学生だ。人付き合いもそれなりにする。

「お前……好きなの? 不二夫のこと」

 ボッカン。
 僕の顔が一瞬で茹で上がる。
 本村は「嗚呼」と青ざめた顔になった。僕は机の上にのの字を書きながら「え、別に、そんなことは」ともごついた。
 ふと、顔をあげると本村やその他クラスメイトがヒソヒソと何かを喋っている。
 僕は慌てた。そうだよな、やっぱり男が男を好きだなんて引いてしまうよな。
 と、思ったけれど、どうもクラスメイトの様子は少し僕の考えている状態とは違うようだ。

 聞こえてくる単語は、「どうするこいつ、かわいそすぎる」「なんで今更あいつを好きになるんだ」「ひきずりまわされて頭変になっちゃったんじゃ」

(なんだかホモ以前の事を言われてる気がする……!)

 僕が静かにショックを受けていると、クラスで最もチャラい男、――真田(さなだ)が一歩前に出る。どうやらクラスメイト代表ということのようだ。
 僕が真田を窺い見ると、真田はスルッと軽口で言い放った。

「冬真、やめときなよー。 だって、不二夫ってもう彼女いるじゃん?」
「え!」

 僕は目を見開いた。

(彼女!?)

 その瞬間、大きくなった瞳から大粒の涙が飛び出てきた。それはまるで蛇口をひねったように簡単にダラダラと。クラスメイトはぎょっとして僕に駆け寄る。皆が次々と声をかけてくる。
 次に行けばいいよ、可愛い女の子紹介するよ、どうせなら男を紹介してもいい、とにかく不二夫はやめろ、不二夫と一緒にいすぎて変になっちゃってるだけだよ、正気になれ。
 当然のように不二夫を諦める前提の声かけが多くて、僕は顔を俯けた。

(知らなかった……)

 彼女が出来ていたなんて。
 確かに不二夫はバスケ部のスタメンで、普通にしていたらかっこよくて、でも僕の前では横暴で。昔、不二夫にはじめての彼女ができた時、不二夫は僕にキスの練習させろと言って、僕の唇を奪っていった。何度も何度もキスをして、「もうそろそろイケルな!」と言って、不二夫は意気揚々と彼女とデートをしにいったものだ。あの時の僕は不二夫を好きじゃなかったから、どうとも思わなかった。僕にかまう時間が減って平和だと思ったくらいだ。その後、しばらくして不二夫はその彼女とは別れて、また僕をいじり倒すようになった。それからは、不二夫には彼女できていないし、僕をいじめる時間が減ったことは無かった。バスケ部に入って、練習でどんなに疲れた体でも不二夫は当たり前のように僕の家に寄っては嫌がらせをして帰る。彼のストレス発散が僕をいじめることだったから。
 ここのところだって、別に僕の家に来る時間が減っているようには感じなかった。だから、僕は気づかなかったのだ。普通、彼女ができたら僕をかまう時間なんて減るはずだろう?
 僕は鼻を啜りながら、立ち上がった。

(不二夫に聞こう……)

 もしかしたらクラスメイトが勘違いしているだけかもしれない。僕は不二夫のクラスに駆けて行った。クラスメイトは一層不憫な顔で僕の様子を眺めていた。



***



「ああ、彼女? いるぞ」

 校舎裏に呼び出した不二夫は面倒そうに僕の質問に答えた。
 不二夫の言葉に僕は固まった。魔法で岩にでも変えられた気分だった。

「先週告られて、顔も可愛いしいいかなって思って、胸もでけーし」

 不二夫はにやつきながら、「料理も美味いんだ」と囁いた。僕は呆然と立ち尽くす。不二夫はそんな僕の様子なんてお構いなしに言葉を継ぐ。

「手作りハンバーグが得意料理なんだぜ? すごくね」

 僕は頭に血がのぼった。
 どうせ僕に胸はない! 顔だって地味だ! ハンバーグなんて作ったことない!(パンは焼けるけど) けど、僕は不二夫が好きなのに!

「何それ、もともとその子を好きなわけでもなかったってこと?」

 僕が責める口調で言っても、不二夫は怯まない。

「ああ? いいだろ、別に。 顔が可愛けりゃ、そのうち好きになるだろ」

 簡単に言う不二夫の言葉に僕は拳を握った。

(そんなあとから来て。 簡単に僕のことよりも好きになるというのか……)

「……そんなの女の子に対して失礼だよ」

 僕は呟きながら、(そうじゃない)と心の中で呟く。きっと女の子は自分のことを好きでもなくても、つきあってくれたら嬉しいと思うだろう。その行為を失礼なことにしたいと思うのは、僕が不二夫を好きだからだ。
 不二夫はイラつきながら、僕を睨んだ。

「なんだよ、お前。 俺様に命令するなんて、ふにゃちんのくせに生意気だな」

 僕は足が竦んだ。不二夫を怒らせると怖い。怖いけど、僕の口を閉じない。勝手に言葉が出てきてしまう。
 だって、僕は不二夫が好きだ。

「キス……の練習は今度はしなくていいの」

 不二夫は眉を顰めた。

「ああ? もう充分だろ。 俺様、キスうめーし」
「……うまくなんてないじゃん」

 あんな噛み付くだけのキス。
 僕が呟くと、不二夫は憤慨した。

「言ったな! 口出せ」
「んぐ」

 不二夫の唇が僕の唇に覆いかぶさる。
 昔は何度も歯がぶつかった。けど、今は上唇と下唇を間に挟んで、窺うようにキスをしてくる。そうこうしているうちに今度は舌がぬめりと進入する。舌は僕の舌に絡まり、僕の口の中を勝手に動き回る。僕が一歩後ろに下がると、不二夫は僕の肩を持った。そして、角度を変えて、また唇を繋げる。歯列をなぞり、口内の天井をツンと舌先でなぞる。舌ごと絡めとられて、表面を撫でるように舐めあげていく。途端に僕は体の力が抜けていき、不二夫の腕にそのままもたれかかった。
 不二夫は唇を離すと、濡れた唇で笑った。

「どうだ、超うめーだろ」

 僕は肩を上下しながら、地面にへたり込んだ。

(腰……くだけ……)

 その不二夫のキスは夢のようで。
 多分、それは僕が不二夫をそんなにも好きだからだろう。時間が止まったように長くて幸せな時間だった。息ができなくて溺れていって、それでも幸せだと思った。

(そんなキスを彼女とするというのか)

 僕はぽつんと涙を流した。地面に落ちていく涙を見て、不二夫は笑った。

「なんだよ、気持ちよすぎて涙出ちゃったのか」

 僕の腕を掴み、立たせる。僕は顔を上げたくなかった。けれど、不二夫に顎を掴み取られ、無理やり顔をあげさせられた。
 僕の涙目、赤く染め上がった顔、全てが不二夫の目に映る。不二夫は息を呑んだ。

「なんだよ、お前、その顔……」
「もう、いい」

 僕は不二夫の手を払いのけると、不二夫を残して走った。
 教室に戻ると、クラスメイトの不憫な顔がそろっていた。やっとクラスメイトの気持ちが分かった。確かに僕は可哀相だった。
 僕が本村に泣き付くと、本村は当たり前のように慰めてくれた。
 机に突っ伏しながら、僕は考えた。

(大体、不二夫を好きって状態の方がおかしかったんだ)

 なんであんな最低な奴好きにならないといけないんだ。

(僕も彼女を作る)

 僕も不二夫みたいに可愛い可愛い彼女を作ればいいんだ。





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何故そいつを好きになるんだ、という皆の疑問。洗脳されているような恋模様。
written by Chiri(8/1/2012)