猫にキス(5)



「寂しいの?じゃあ、俺がそばにいてあげようか?」

そう言ったのは、猫だったか。慎太郎だったか。

今はもう、分からない。



慎太郎が静歌のアパートに来なくなって3週間。
静歌はまた迫り来る孤独の破片と戦っていた。もはや星太郎でさえそこから抜け出すのを手助けしてくれることは無かった。
あれから静歌は勇気を出して、慎太郎にメールを送った。けれど、何故かメールはすぐに帰ってきてしまった。
「…受信拒否、されてる?」
静歌は泣きたくなった。友達だと言っていたのに何故こうなったのだろう。
何か自分は彼を怒らしたのだろうか。
もう自分のことは嫌いになってしまったのだろうか。
泰明や芳樹に聞いてもダメだった。
「なんかアイツ何もいわねぇんだよ。」
と芳樹の方がイラついた様子で教えてくれた。
泰明はひたすら「静歌は悪くないと思うよ。」と静歌を宥めてくれた。

けれど、当然のように不安など消えるはずなかった。

なぜなら不安の塊がいつもそこにいるのだ。

星太郎だ。

星太郎を見ると自然と慎太郎を思い出す。
慎太郎が自分を初めて訪ねてきたとき。
初めて自分の名を呼んだとき。
友達を紹介してくれたとき。
全てが順番に現れる。

そうして静歌を苦しめるのだ。
星太郎が大好きだったはずなのに、星太郎といるのがつらくなってしまう。
それが静歌は悲しくて仕方が無かった。

静歌はもとあった姿に戻らないといけないと思った。
もとあった姿。

星太郎と会うその前の姿だ。


***


慎太郎はアパートの中でこもっていた。
学校には行く気がしなかった。泰明と芳樹に二人して責められるからだ。

しかし、慎太郎だって別に理由が無くてあんなことをしたわけではない。

理由はあった。
慎太郎にとっては何よりも大切な理由だ。

好きになってしまったのだ。
静歌の事を。

まさか自分が男を好きになれる人種だとは思っていなかった。
けれどそういう葛藤よりも、とにかく静歌が好きでたまらないという思いのほうがよっぽど強かった。

それでも静歌の元を離れたのは、静歌を失望させたくなかったからだ。
静歌は慎太郎を友達だと思っている、といった。
それがどうにも枷となっていた。

友達だと思っていた人間が自分を肉欲の対象としていると知ったらどう思うんだろうか。
裏切られたと思わないだろうか。
しかも、静歌は自分で友達の輪を広げたいと願っている。慎太郎も最初はそれに協力した。けれど、静歌への想いが募っていくにつれて、静歌を誰にも見せないで閉じ込めておきたいと思うようになってしまった。
仕舞いには大の親友である泰明や芳樹にもやきもちを焼く始末だ。

俺は、静歌の側にいてはいけない。

それに間違いはなかった。
友達として側にいられない自分は静歌には必要が無い。

慎太郎はダンッと壁を殴った。
それは悔しさから来たのか、哀しさから来たのか分からなかった。
けれど静歌への激しい思いだということに間違いはない。

ピンポーン

不意にチャイムが鳴り、慎太郎はハッとした。
このタイミング、もしかして、泰明か芳樹…?
それとも…

まさか、静歌!?

緊張が走った。
その中の誰であろうとも今は顔を見せたくは無かった。
だから、無視した。耳を両手で押さえる。
無視すればいずれは諦めるだろう、そう思って。

しかし、予想と違い、チャイムは一回しか鳴らなかった。
そのかわり、違う音が聞こえる。
音ではない、鳴き声だ。


ニャァァ


「あの声は…。」

慎太郎はヒュッと息を呑んだ。

そして思わず腰をあげる。
そんなまさか、と思った。
思いながら玄関へと足早に向かう。
玄関の穴から向こうを覗くが誰もいない。そしてやはり聞こえる猫の鳴き声。


ニャァァァ


途端にたえられなくなって扉をあけた。
そこには予想したとおり、星太郎が籠にいれられた状態で置かれていた。

「お前…。」

籠から出してあげた星太郎は黄色い瞳を大きく開けて、ニャァァと鳴いた。
周りを見渡す。静歌を探しているのだ。
けれど、いなくてやはりもう一度ニャァァと鳴く。
何度も鳴く。

ニャァァ ニャァァ

これは誰の鳴き声だろうか。

「捨てられたんだ…。」

星太郎は静歌に捨てられた。

それとともに、何故か慎太郎は自分も捨てられたような気持ちになった。

静歌に向けた自分の気持ちが無残にもここに捨て置かれたのだ。

「ひどい、ひどいよ、静歌。」

しかし思えば自分も静歌に同じようなことをしていたのだ。
恋人になれないから、友達にもなれないから、だから静歌を捨てたのだ。

静歌をなじりたかった。

なんで俺を捨てるんだ!星太郎を捨てるんだ!

そしてそれとともに静歌に謝りたかった。

逃げてごめん、と。


なんだ、結局は、俺かよ。と慎太郎は笑った。
けれど迷いはもう無かった。

久しぶりに外に出る気がする。
太陽が無駄にまぶしい。慎太郎は靴を踏んで、走り始めた。

向かうべき場所は静歌のアパートだ。


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