猫にキス(4)



静歌たちの学部は基本水曜は授業が無い。
それを利用して、泰明と芳樹が静歌の家に来ていた。慎太郎はバイトでいなかった。
いつになく、静歌の部屋から笑い声が響いてくる。
「マジウケるんだけど!!」
泰明はさっきから同じ話題で爆笑している。
いいかげん静歌もむくれてくる。それに気づいた芳樹が泰明を慌てて止めようとするが。
「お前、静歌が怒りそうだぞ。こういうやつほど怒ったら怖いぜ、絶対。」
「いや、だってさーーー!!アハハハハハ!!ありえないって!かわいすぎる!!」
泰明が笑っている話題はつまりは、この間静歌が寝てしまった後の話だった。
静歌はやたらと寝言を口走っていたらしい。
しかも…。

全てネコ語で。

「おもしろいからいろいろ話しかけてみたらさ、全部「ニャァン」って返ってくるんだぜ!?超ウケるんだけど!!」

静歌は顔を赤くして、泰明を睨みつけていた。
芳樹は静歌が怒ったら怖いと言っていたが、そんなことは静歌にも分からなかった。友達に対してどう怒ればいいのかさえ静歌には見当がつかなかったからだ。変な怒り方をして、それに対して飽きられても静歌は嫌だった。だから、我慢してただ泰明を羞恥心に燃えた瞳でねめつけていた。

しばらくその話題で盛り上がっていると、チャイムが鳴った。
慎太郎だ、と思い、静歌がドアに駆けていった。
「やっほー!」
慎太郎が片手をあげて、挨拶をすると、静歌は抑揚の無い声で
「やっほー。」
と返した。それに対して慎太郎は一瞬笑顔になったが、後ろで響く泰明の声に気づいて眉を顰めた。
「何、あいつら、もう来てんの?」
「あ、うん。もう一時間くらい前から。」
「俺の時間に合わせて行けって言ったのに…。」
慎太郎はブツブツ文句を言っていたが、静歌は軽くそれを流しておいた。どうせ友達同士の戯言なのだ。
「おーシン来たか!」
泰明がすかさず慎太郎の姿をとらえる。それに対して慎太郎は相変わらず不満そうな顔だった。
「来ちゃ悪いか。」
「…機嫌悪いな。」
芳樹は肩をすくめた。
慎太郎はすぐに星太郎の横に居座る。星太郎にはいまや猫用ベッドが与えられていて、星太郎はその上で寝転がっていた。
「星太郎〜!ご主人様に挨拶しろ〜。」
そう声の高い口調で慎太郎がしゃべるが、星太郎はプイッとそっぽを向いた。
「お前、面白いくらい星太郎に嫌われてるな。」
芳樹が笑いを堪えるように手で口を押さえている。
慎太郎はますます機嫌を悪くして、くそっと舌打ちした。

結局その後も四人でしばらく喋って、時間は過ぎていった。
泰明と芳樹が先に帰ると、慎太郎はハァッとため息をついて静歌の部屋でごろんと転がった。その横で星太郎が慎太郎と一定の距離を保ったままごろんと転がる。
二人のその様子を見て静歌は笑った。
「同じ格好してる。おもしろいね。」
そう言いながら静歌も慎太郎のすぐ横に腰をおろした。
律儀に慎太郎の殻になったコップにお茶を注ぐ。
「なぁ、静歌?」
「何?」
「友達、できて嬉しいか?」
「うん。」
静歌は素直に頷いた。静歌は本当に慎太郎に感謝していた。
孤独との戦いは長かったし、どうしようもなく寂しかった。
それに終止符をうってくれたのは慎太郎だ。
「慎太郎のおかげだ。」
「そうか。」
慎太郎は静かに笑みを浮かべた。しかし心の底からの笑顔には見えなかった。
慎太郎は一息ついた。そしてまた口をあける。
「俺は、静歌の友達か?」
静歌はパッと目を見開いた。頬が熱くなって、きっとあかくなっているのだろう、と思った。静歌は無言で頷いてから、言葉を付け足した。
「うん、もちろんだよ。慎太郎は大学ではじめての友達だ。」
静歌の言葉に、慎太郎は薄く笑った。
そして隣にいる星太郎に手を伸ばす。
「ニャァァァ!!!」
星太郎は相変わらずすごい勢いで威嚇していた。それを見て、慎太郎も相変わらずむくれる。
「こいつも本当に俺になつかないな…。」
「違うよ、照れてるだけだよ。」
「猫が照れるかよ。」
「猫じゃなくて星太郎だよ。」
前に慎太郎が言った言葉をそのまま静歌は返す。
慎太郎が顔をあげると、静歌はにこりと笑みを浮かべた。
慎太郎は胸が苦しくなった。星太郎のあのするどい爪で直に心臓を引っ掻かれるような心地がした。
しかし不意にその痛みが消えた。
違う、故意に消したのだ。
「もうさ、諦めようと思うんだ。」
慎太郎は穏やかな瞳を静歌に向けて、そう言った。目線は静歌から決して外れなかった。
「え?」
「もう、いいや。星太郎、俺になつかないし。」
「え、何…。」

「だから、星太郎、静歌にあげるよ。」

慎太郎は優しい笑みだった。
静歌はそんな慎太郎の目を真正面から見て何故か心が固まった。
星太郎をもらうということは、もう慎太郎が静歌のアパートに来る目的が無くなるということだった。
けれど、大丈夫なはずだ。
だってもう二人は友達なのだ。
別にそのような目的が無くても、自由にあえるのが友達のはずだ。
だから、これで二人の絆が切れるなんて事はないはずだ。

無いはずだった。

なのに、慎太郎はその日を境に静歌のアパートに来ることはなくなった。


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