猫にキス(2) それから慎太郎は学校が終わったらまず静歌のアパートに寄るようになった。 時折、静歌と慎太郎の学校の時間割があわず、慎太郎が部屋で待つこともあった。が、それも静歌が慎太郎に静歌の時間割を教えることで難なく解決された。 慎太郎は同じ大学の同じ学部だったが、静歌よりも一学年下だった。 本来なら敬語を使えという人間もいるだろうが、静歌は今更慎太郎の口調を正そうとは思わなかったし、慎太郎もまぁいいやと思っていた。 慎太郎は静歌を名前で呼ぶ。静歌も慎太郎を名前で呼ぶ。 内緒だが、静歌はそれが少しだけ嬉しかった。まるで友達のようだと思っていた。 「なぁ、静歌は星太郎に名前つけてなかったの?」 その日も、慎太郎は静歌の部屋に来ていた。 慎太郎は嫌がる星太郎を無理やり抱えて、そんな問いかけをした。 「名前?」 「そうだよ。普通つけるでしょ?」 静歌はうーんっとしばし悩んだ。名前なんてつけていなかったのだ。 「じゃ、なんて呼んでたの?」 「ただ、『猫』って。」 静歌がそういうと、慎太郎は顔をわざと歪めて静歌を見た。 「うわぁぁ、愛が足りねぇよ。俺の方がネーミングセンスあるね。」 『星太郎』がか?静歌は少しだけ口を尖らして言った。 「…それはどうだろう。」 「ニャァァ。」 「ってそこで星太郎も鳴くなよ!」 都合よく星太郎が鳴いたから、静歌はププっと抑えたように笑う。 慎太郎は不満そうにブツブツと文句を言う。 「ちゃんと意味があるんだぞぉ。黒猫だけど黄色い目をしてるから、夜空の星みたいだと思ってだなぁ…。」 意外とロマンチストらしい。そんな風にいじける慎太郎を見て、静歌は静かに笑みを浮かべた。 慎太郎がふと顔をあげた。子供のような顔で静歌に問いかける。 「静歌って静かな歌って書くんだよな?」 「うん。」 「なんかアンタって名前通りって感じ。すげぇ。」 「そう?」 何が名前通りなのか、静歌には分からなかった。まぁ、大人しいという意味できっと名前どおりなのだろう。 それから二人は星太郎とあわせて三人(?)でしばらくじゃれあった。 慎太郎は静歌が星太郎に買ってやっている餌を見ては「うちより高い奴だ。」とすねたり、静歌が作った菜箸とハンカチでできたねこじゃらしもどきを見て爆笑したりと楽しく時間をすごした。 静歌はそんな風に誰かと時間をすごすのがただ単純に嬉しくて、いつのまにかそれは口をついて出ていた。 「慎太郎といると楽しい。」 「え?」 慎太郎がその言葉に顔を赤らめた。きっと聞いている方もクサすぎて恥ずかしいのだろう。 「あ、ごめん。俺、友達いないから。」 弁明するように静歌がそう付け加える。 慎太郎はそれに耳ざとく反応して、きょとんとした顔を見せた。 「え?友達、いないの?」 「うん。苦手なんだ、作るのが。」 「なんで?別に話しやすいよ、静歌。」 「そう?だとしたら嬉しいな。」 静歌が穏やかに笑うと、慎太郎は慌てて言い足す。 慎太郎から言わせて見れば、静歌の大人しさは心地よかった。気持ちを安らげさせてくれるマイナスイオンの源泉みたいな奴だと思っていた。 「本当だって!顔だって綺麗だし、きっと皆話しかけるのが恥ずかしいだけだよ。」 「そうかな…。」 「そうだよ!!」 語気荒く言う慎太郎に、静歌は口を綻ばせた。 慎太郎は紅潮した頬のまま、静歌に向き直る。手には星太郎が抱かれていたが、星太郎はそれが気に食わないらしくガジガジと慎太郎の手を甘噛みしていた。 「そうだ、今度友達とさ、家で飲み会開くんだ。よかったら来る?」 「え?俺もそこにいっていいの?」 静歌はぴょこんと顔を勢い良くあげた。その仕草が猫が耳をぴくぴくさせる仕草に似ていると慎太郎は心の中で思った。 「友達、作りたいんだろ?」 「うん…。」 「じゃ、決まりだ!次の土曜の夜に開くから来てよ。」 静歌は慎太郎が優しい奴だ、と思った。できるなら、慎太郎はもう友達なんだと思いたかったが、そこまでうぬぼれることはできなかった。 だから、星太郎が、いつまでも慎太郎になつかなければいいと思った。 星太郎が慎太郎になつけば、慎太郎は星太郎を連れて帰ってしまう。そうしたらもう二度とここには来ないかもしれない。 だから、意地が悪くても、星太郎は慎太郎を嫌いなままでいてほしいと静歌は思った。 NEXT |