ネイキッド
ネイキッド(7)



 それから不思議と黒河は悠貴の傍に来るようになった。前のように檻に閉じ込められた野獣の目で悠貴を見ることはなくなった。
 ただ、今度は悠貴が動物園の囲いにいれられた動物であるかのように、遠慮なく観て、近づき、触れてくるのだ。
 そうこうしている間に中間テストも終わり、渡部は泣きながら机に覆いかぶさった。

「うわー俺の人生終わったー!」

 そんな渡部を見ながら、福場はハハッと笑った。

「普段から勉強してないから悪いんだよ」

 福場は意外に成績が良いのだ。そして、黒河も基本平均点より全教科上だ。
 渡部には悠貴のノートも貸して見せたが、どうやらあまり功を奏さなかったらしい。

「やっぱり、授業中寝てるのが一番の要因かな!」

 と、渡部は舌を出して「てへ」、と笑った。

「てへ、じゃねーよ」
「反省してないだろ」

 福場と黒河、二人に責められながら渡部は「いいんだよ、俺は部活に生きるんだから」とへらへらと笑いながら言った。こんなへらへら顔の渡部は部活をする時に一気に真面目な顔になる。汗をユニフォームで拭いながら、ゴールを遠くに見据えて、そこめがけて一気にフィールドを走りぬける。ゴールを決めた瞬間に彼は本来の明るさを前面に外に出し、チームメイトとハグをするのだ。そんな彼を応援している女子、いや男子も多いのだ。
 悠貴もそんな渡部の生き方に憧れる生徒の一人だろう。
 彼の生き方は、何か一つに特化させて長所を磨いていく、そんな生き方だ。その一つの長所を伸ばせれば、他の短所なんて薄れていくのだから。
 けれど、悠貴はそんな生き方はできない。
 一つの事を伸ばす反面、その他で失望される可能性があるから。渡部ならそんなことへっちゃらに受け止める事ができても、悠貴には耐えがたかった。だから、憧れずにはいられなかった。

「俺は渡部のそういうとこ、すごいと思うよ」

 悠貴がなんとなく口にすると、渡部も黒河も福場も全員が悠貴を信じられない表情で見つめた。

「いや、お前だってすげーじゃん。 今回のテスト、校内で9位だろ? すげーじゃないか」

 福場が真剣な顔をして言うので、悠貴は困った表情になった。
 悠貴の学校では中間テストや期末テストで10位以内に入った生徒は廊下に張り出される。それはたくさんの人の目につくし、本当は恥ずかしかった。
 けれど、自分の名前をそこに見つけたとき、悠貴はどこかでホッとした。父に報告できる良い知らせがある、と。未だ父とは、あの一件以来ろくな会話ができていなかったから。

「俺の事はいいって」

 曖昧に笑みを浮かべたまま、そう言って話を切った。
 不意に、クラスメイトが悠貴を呼ぶ声がした。

「弐羽〜、青木先生が呼んでるぞ」
「今いく」

 即答して、悠貴は席を立った。福場と渡部は楽しそうに次の話題に移っていた。
 そんな中、振り返ると黒河だけが自分を見ていた。

「ちょっといってくる」
「ん」

 何かを言わなくてはいけない気がしてそう言うと、黒河は納得したように頷いた。こんな風に近い距離で黒河と話すことができるようになるとは思わなかった。まぁ、それでも黒河にとって自分達は友達ではないという主張らしいが。

 職員室に入ると、すぐに白衣を着た毛むくじゃらの中年教師に手招きされた。毛むくじゃらと言う表現は全身毛深いという意味だったが、的は外れていないと思う。彼は密かに『獣人』と生徒内で呼ばれている。
 悠貴にとって去年のクラス担任である青木先生だ。青木先生は今年は学年主任に上がったと聞いている。

「おい、見たぞ、順位。 やったな」

 青木先生は満面の笑みを作ってから、グリグリと悠貴の頭を無断で撫でくりまわす。悠貴は上から与えられた圧力に堪えながら、「やめてください」とその手を押しのけた。

 やっとのことで青木先生の手を押しやると、先生は腕を正位置に戻した。そして、ぎょろっとした目で悠貴を見上げた。

「なぁ、お前、勉強頑張ってるんだろ。 進路のこと、考え直さないか?」

(きた)

 悠貴は俯きながら、心の中でいちはやく反応した。
 顔を上げると、青木先生はやっと真面目な顔をしていた。知っている顔だ。二年の終わりに、父よりも先に青木先生に自分の進路のことを告げた。
 自分は大学に行く気が無い、と。

「すいません、俺、はやく自立したいんです」

 何度も同じことを言っているのに、青木先生はなかなか諦めなかった。悠貴の顔を覗き込み、至近距離で懐柔される。

「経済的な事情なら仕方ないが……、そうじゃないんだろ? 子供だったらもう少し親に甘えたらどうだ」

 父と同じ事を言われて、なんだか足元が崩れていく錯覚を覚えた。
 そこまで自分が言っていることはおかしいのか。自分は他の子供とは違うのか。親に甘える事ができない子供は、子供じゃないのか。

「まあ、もう一回考えてみてくれ。 幸い、時間はまだあるから」

 毎回同じ言葉で締められるその会話は悠貴にとってただの息のできない数分でしかない。つるし上げのようなものだ。お前はおかしい、と何度も言われながら棒でつつかれている気持ちになる。

 職員室から出ると、黒河が片手にカバンを持って待っていた。

「話終わったか? もう帰ろうぜ。 帰りにさ、鯛焼き食いたいんだ」

 無邪気に笑う黒河に笑いかける。ホッと胸を撫で下ろす。確か、二年前もこんな感じだった。毎日のように黒河と遊び、週末も二人で出かける始末。黒河の隣はひどく安心できて、他の友達よりも肩肘張る必要なんて無かった。
 気の置けない友人。黒河はずっとそんな感じだった。

「うん、帰ろう」

 自分より少し背の高くなった黒河を見て、二年が経ったことを思い出す。こうやって昔と同じように接するようになった黒河の真意は汲み取れないが、それを単純に有難いと悠貴は思った。



***



 黒河は上機嫌だった。ワゴン式の鯛焼き屋から鯛焼きを注文すると、待つ間に鼻歌を歌い始めた。悠貴も笑いながらハミングすると、黒河は一層楽しげに笑った。
 鯛焼きを食べ終わり、家路に着こうかとしたその時、ふと目の前にある雑貨屋が悠貴の目に入った。

「あ、ごめん。 先帰ってて」
「なに?」
「ちょっと寄ってくから」

 悠貴の指さした先を黒河の目が追う。ショーディスプレイには可愛らしい髪留めやピンが並べられていた。

「何、欲しいの? 買ってあげようか」
「何言ってるんだよ」

 黒河の意味不明な冗談を流しながら、店へと入店する。ディスプレイの裏側からそれを覗くと、キラキラと宝石のように光るヘアピンがたくさん並んでいた。

「何、どうすんの、それ」
「え? 久保さんにあげようと思って」

 そう、悠貴が言った瞬間、黒河の眉が曲がった。鼻歌が突然止まり、沈黙が訪れる。まるで映画のシリアスなシーンのようだ。

「なんで」

 黒河の言葉に、悠貴はきょとんと口を開けた。

「え、だって。 なんかいっぱいお菓子もらって悪いから」
「……ふーん」

 棚にあるヘアピンはどれも色とりどりで可愛らしかった。宝石のような飾りがついているのも可愛いし、猫やウサギのデザインのものも可愛かった。その中で、小鳥が二匹並んで飛んでいるデザインのものを悠貴は手に取った。

「これ、可愛い!」

 デフォルメされた小鳥に一つだけ赤い石が埋め込まれている。久保さんはすごく派手というわけでもなく、清楚なイメージがしたのでなんだか似合うような気がした。
 早速、会計に持っていこうとしたその時、手に持っていたピンを黒河に奪われた。

「何す」

 黒河はそれを無言で自分の前髪につけると、

「いや、俺の方が似合ってる」

 とわけのわからないことを言い出した。ぽかんと彼の顔を見るが、彼の顔に羞恥心は見当たらない。

「よってこれは俺が購入する」
「いやいやいや」

 せっかく久保さんに選んだものだ。そしてどう見ても、黒河には似合わない。現実が見えていないのだろうか。

「ダメだって。 黒河には似合わないって」
「いいんだよ。 俺が気に入ったんだから」

 制止も止めず、レジに向かう黒河を見て、悠貴はため息を吐いた。他にも可愛らしい飾りがたくさんあるが、それでも久保さんにはあれが一番似合ったように感じた。仕方なく、目線を滑らせると、隣の猫のブローチがまだ残りの中では久保さんに似合っているように感じた。
 仕方なくそれで妥協をしてレジに持っていくと、既に会計を終わらした黒河が「チッ、それでも買うのか」と小さく呟いた。

(舌打ち!?)

 まさかと思いつつ、黒河を見上げるが、黒河は完璧な笑顔のマスクを顔につけていた。

 たらりと冷や汗が出る。やはり、二年前とは何かが違う、と感じた。ただの友達では無い、隠れた感情が黒河のマスクの裏側にあるのだろう。





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黒河のはじけっぷりが……おい。
written by Chiri(10/15/2011)