ネイキッド
ネイキッド(4)



 教室には教師が答案用紙の束を持って立っていた。先日行った実力テストのテスト返しである。
 戻された答案用紙を見て、ホッと安心した。父に毎回見せているテスト順位で失望されるのは嫌だったから。

「今回は弐羽が最高得点だ」

 数学教師は少しだけ誇らしげに笑みを浮かべた。
 そんなことを言わなくてもいいのに、と思いながら悠貴は自分の席に戻る。ふと、舌打ちが聞こえてきた。
 何度か聞いた舌打ちだ。ちょろいと言ったのも偽善者と言ったのも同じ生徒だった。流石に誰のものかも分かってきた。
 クラスメイトの佐東(さとう)だ。去年から同じクラスだった。なのに、何故か今年度に入ってから佐東は自分を敵視するようになった。
 黒河といい、佐東といい、自分は彼らの地雷を踏む特殊技能でもあるのだろうか。

「弐羽くん、最高得点すごいね」

 授業が終わると、女子に声をかけられた。ふと顔をあげると、この間黒板を消すのに手間どっていた女子が立っていた。久保さんと言って、いつも髪を二つに縛っているどちらかというとおとなしめの女の子だ。
 今日は髪を下ろしているようだ。前よりもずっと女の子らしさが際立って、なんだか可愛らしい。

「いや、全然だよ」

 悠貴が答えると、久保さんは何かを後手に持っていたらしい。それを目の前に差し出した。

「あのね、お菓子作ったんだ」

 そう言って何かを渡される。綺麗な包み紙にくるまれた黄金色のカップケーキだ。
 驚いて久保さんを見上げる。

「もらってくれる?」
「え? そんな……」

 そんなのもらえない。と口をついて出そうになった。
 こんなの手間がかかりすぎている。材料費だっていくらかかかっているはずだ。
 冷や汗を感じながら、どうしていいか分からず手を泳がせる。

 けれど、久保さんは「食べたら感想教えてね」と言って、そのまま走っていってしまった。後ろで佐東が「モテる男は違うねー」と囃し立てる。その言葉に戸惑いながら、悠貴は机の上に残ったカップケーキを眺めた。
 もう何が何だか分からない。
 カップケーキの完成度はかなり高くて、表面に凹凸が一つも無い。こんなの、すぐに作れるのだろうか。練習を重ねていたりはしていないだろうか。
 そう思う度に罪悪感が呼び起こされる。

「へぇ、久保さんってそうなんだ〜」

 福場は悠貴の前に座ると、楽しげに頬付けをついた。

「って福場、見てるなよ。 悪趣味だろ」

 悠貴は口を尖らせて、福場を睨むと福場は一層楽しそうに笑った。

「いいじゃん、モテてるのお前なんだから」

 まぁ、お前いい奴だしなと福場は頷いた。

 彼女がいたことは無い。作ろうと思ったことも無かった。けれど、女性には何故か優しくしたいという気持ちはいつもあった。
 母がいないからだろうか。母という女性の偶像だけが一人歩きしているのかもしれない。

 ふと、教室を見渡すとちょうど黒河が外に出て行くのが見えた。それを目で追いかけて、何故か追いかけたい衝動に駆られた。
 今、久保さんにお菓子をもらうところを見たとしたら、黒河は何か思ったかもしれない。黒河は自分のことを好きだったと言ったから。

「ん、どこ行くの? 悠貴」
「え、分かんない」

 自分でも何故黒河を追いかけているのか分からず、それでも本能的に彼を追いかける。
 黒河についていくと、彼は屋上に向かっているようだ。黒河が屋上の扉を開けて屋上に入っていくのを、一足遅れて追いかけた。
 扉を開けると、黒河がすぐ横に腕を組んで立っていた。目があうと、悠貴の方があとずさってしまった。

「何、なんか用」
「え、分かんないけど」

 慌てて追いかけてきたせいでカップケーキを手に持ったままだった。黒河はそれを見ると、面倒そうにため息を吐いた。

「何、自慢?」
「ち、違うよ。 俺、久保さんと別につきあってるわけじゃないし……」

 口に出して分かった。自分は単に誤解を解きたかったのだ。

「ふーん」

 黒河は興味無さそうに答えた。
 その答えに何故か自分は自信をなくした。どんな反応を自分は期待していたのだろうか、と考えて自分でも落ち込んだ。
 黒河はそんな悠貴の表情を見て、ハッと笑った。

「もしかして誤解ときに来たの? 俺、一年の時はお前が好きだったけど、今はなんとも思ってないよ」

 黒河のその言葉に自分は動揺した。

「あ……そうなんだ」

 何故か張り詰めていた気持ちがシュルシュルと抜けていくようだった。
 急に申し訳なくなって、その場から逃げようとした。しかし、黒河が自分の腕をとったのだ。反作用が起きて、悠貴は黒河の体にぶつかった。

「なぁ、お前さ」

 顔を上げると、近くに黒河の顔があった。顔を赤くしながら、続く言葉を聞く。

「何かもらったりした時、もっと喜んだら?」
「へ」

 何を言われたかよく分からなかった。

「久保さんにももっと喜んで見せろよ。 可哀相じゃないか」

 悠貴が顔を上げて黒河を見ると、黒河はチッと舌打ちをした。

「お前って人に何かされるの苦手だろ。 される度、喜ぶどころか困るだろ。 そういうの全部顔に出てるんだよ」
「え」

 目を見開く。黒河に何を言われているのかが今だ分からなかった。
 けれど、その言葉を理解して。

「えええ」

 なんで知ってるの、ってまず思った。
 黒河はそんな悠貴を見ながら、ハッと自嘲した。

「俺、お前の事結構分かってるつもりだよ。 あんだけ好きだったんだもんな」

 何がおかしいのか、黒河はハハハッと小さく笑った。何も楽しそうではないのに、何故笑うのだろう。
 自分はそんな風に黒河が悠貴を見ていたなんて知らなかった。悠貴の一言一句を彼はずっと胸の中に留めていたのだろう。心の中を見透かされた気がして、急に気恥ずかしくなった。顔を俯けて、黒河から自分の体を一歩遠ざけた。

「はは、何その反応。 かわいー」

 なんのことでもないように黒河は笑った。その反応を見て、悠貴はなんだか胸が苦しくなった。自分の上履きを見ながら、素直に聞きたいことを口にした。

「……じゃあさ、もう俺のこと好きじゃないってのは分かったけど、今は? そういう気持ちがなくなったら、友情も残らないのか」
「残らねーよ」

 即答だった。
 胸がまた苦しくなって、息が詰まった。涙が出てきそうになるのを力を入れて堪えた。自分は何故こんなにショックを受けているのか。
 黒河はそうだなあ、と呟いた。
 青く広がる空を見ながら、彼は目を細めた。

「今は……なんていうか、憎らしいだけだよ」

 そんな風に言うのなら好きになってくれなくて良かった。
 なんていう言葉を口に出す気にはなれなかったけれど。





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黒河め!(と書きながら思う)
written by Chiri(10/3/2011)