王様の結婚
王様の結婚(3)



「おっ、今日も子連れか」

 出社するなり、櫻井は岬の横にいる翔太に「よっす」と声をかけた。翔太も櫻井には礼儀良く「おはようございます!」と答える。

「今日は何してもらおうかな〜」

 なんて櫻井が思案している中、岬は一歩外から引いて二人を見ていた。昨夜から消えない不安が岬を憂い顔にする。

「岬ちゃん?」
「あ、はい」

 櫻井は岬の顔を見て、笑った。

「どうしたの? 子育てに疲れちゃった?」

 岬は曖昧に笑みを浮かべた。

「また、櫻井さんはそんな冗談をおっしゃって」

 けれど、櫻井は驚いた顔で岬を覗き込んだ。

「岬ちゃん、本当にどうしたの? 上手に笑えてないよ?」

 言われた瞬間、カッと顔が赤くなった。顔を俯けて、目を閉じるが、瞼が震える。仮面から自分の不安がもれ出てくるようで恥ずかしかった。
 櫻井は岬に耳打ちした。

「岬ちゃんは資料室でファイリングでもしててよ。 翔太君は俺が見ておくから」

 岬が櫻井を不安げな表情で見上げると、櫻井はフッと小さく笑った。安心しろと言われているような気持ちになって、何かに怯えていた胸が少し和らぐ。
 櫻井は海堂とどこか似ている。きっと櫻井も自分の国の民を大事にするのだろうと岬は思った。



「やっほー岬ちゃん」

 しばらく資料室で資料を整理していると、櫻井がドアから頭を覗かせた。岬は「櫻井さん」と返すと、櫻井は資料室の中に入りドアを閉めた。

「翔太君は?」
「今、庶務さんに可愛がられてる。 あいつ可愛いな〜。 甘やかされ慣れしてなくて」

 岬は笑顔で頷きながら、櫻井の目を見た。

「で、どうかしたの? 翔太君に何か言われた? アイツとのこと、ばれたとか?」

 櫻井の目は優しかった。不意に不安が凄まじい質量となって出てきそうになった。岬は頭を振ってそんな不安を散らす。

「違うんです、本当に」

 違わない。
 だから、口に出した言葉は嘘のように小さかった。

「いいんだよ、別に。 何言ったって」

 王国では秘密ごとなんてしてはいけない。王様に全てを話さないといけない。岬の不安も愚痴も全て王様の宝だと。
 海堂は岬にそう言った。
 なのに、この不安は海堂には言えなかった。

「……櫻井さん」

 櫻井は顔をあげた。

「海堂さんは女性も愛せる方ですか?」

 櫻井はハッと目を瞠った。
 胸の奥底に押し込めていたつもりだったのに、口をついて出てしまった。岬は唇をかみ締めながら、息を整えた。
 岬はずっと海堂の昔の事は聞かないようにしていた。自分がそんなに誇らしい過去がないから、海堂にも聞かないでおこうと思っていたのだ。
 けれど、どうしても気になってしまった。
 ……好きだから。
 多分本当の意味で王様を好きだから。

「櫻井さんなら知ってるかもしれないと思って……」

 すぅと櫻井は息を吸った。
 ほこりかぶった部屋には光がささない。湿気を帯びた空気の中で、声がじわりと響いた。

「愛せるよ」

 鎌を振り落とされたかと思った。岬は顔を俯けた。
 何を期待していたのだろうか、自分は。

「岬ちゃん、それ聞いてどうするの」

 櫻井に言われて、同じ事を自分自身に問いかける。
 女性を愛せる海堂なら、自分はどうするというのだろう。
 岬は何も言わずに首を横に振った。何と答えていいか分からなかった。取り除きたかった不安感が増してしまっただけだった。
 櫻井は岬の肩を掴んだ。岬の目線まで降りてきて、言葉を繋ぐ。

「でもアイツが岬ちゃんほど愛せる人が他にいるかは俺には分からないよ」

 櫻井のあたたかい言葉に泣きそうになった。
 自分が何故こんなことで不安になるかも分からなかった。海堂の親戚と会っただけなのに、海堂の可能性を勝手に思案して、落ち込んで。
 自分はなんて面倒な人間だろう。

「海堂さんには私が変なこと言ってたこと言わないでください」

 岬がそう言うと、櫻井は「でも」と言った。

「言わないでください」

 王国に秘密を持ち込んでしまった。それだけで自分が王国にふさわしくない人間じゃないかと思えてくる。
 それでも海堂といたい。
 モヤモヤとした不安の中で、それでも海堂の横に並んでいたかった。

「岬〜」

 そうして、少しの間沈黙だった資料室に彼の声が届いた。一瞬でそれが海堂だと分かり、岬は人形のような顔を即座に作った。
 不安な顔も涙目も海堂には知られたくなかった。

 扉が開いて、海堂が部屋に入ると、海堂はふてくされた顔で岬と櫻井を見た。

「なんだ、櫻井。 お前にはお前にしかできない仕事があるんだ。 こんなところで暇つぶすな」

 明らかに不機嫌な海堂の理由を櫻井も察する。

「うっせーよ、それはお前の方だろ」
「俺こそが資料作りの申し子だ。 お前はここの責任者だろ」
「それはお前だ……」

 櫻井はちぇっと文句を垂らしながら、資料室を出て行った。
 岬と海堂が二人きりになると、海堂はふぅと長く息を吐きながら岬の腰に手を回した。

「……海堂さん」
「岬、王様はすごいだろう」

 耳元で囁かれた。岬は不思議そうに海堂の顔を見上げる。海堂は誇らしげに笑っていた。

「翔太も臨時ではあるが、民の一員だ。 民には優しくしなくてはな」

 使命感に満ちた王様。
 そんな子供のような顔をした海堂が好きだ。なのに、これはやきもちももしかしたら入っているのかもしれない。
 王様、自分は二人だけの王国も幸せでした。ずっと大きくしなくていいです。二人だけで必要十分な幸せに囲まれているのが安心できたのです。

 機嫌よく笑う海堂の胸に岬はよりかかりながら、呟いた。

「……海堂さんはみんなの素敵な王様ですから」

 岬がまるで自分に言い聞かせるその言葉でも海堂は嬉しそうに「そうか、そうだな」と笑った。その笑顔がまた岬の胸がツキンと貫いた。




 定時になり、翔太を連れて岬は先に家へと帰った。海堂は今日も残業だ。翔太は寂しげだったが、おそらく我慢するのに慣れているのだろう。何も言わずに淡々としていた。
 そんな翔太は家に帰るなり、トランプを出して、「王様の結婚」をしだした。

「何度やってもできないなぁ……」

 なんて言いながら何度も何度もトランプを並べてチャレンジをする。完成して、海堂に見せたいのだろう、岬はほほえましく見守りながら翔太の様子を見ていた。

「翔太君、ランダムにではなく例えば同じ数字や柄を消していくのはどうでしょう」

 押し付けないようにさらりと進言してみる。翔太はゲームに夢中になっていたのか、岬の言葉でも気にならなかったようだ。

「そっか〜。 やってみる」

 存外素直な答えが帰ってきて岬は思わず笑みをこぼした。ソファで本を読みながら、海堂の帰りを待つ。そろそろ、ご飯を温めておこうかだなんて思っていたその時。

「できたぁ!」

 歓喜の声が上がった。
 翔太はあまりにも嬉しかったのだろう、岬の方に勢い良く振り向いてもう一度叫んだ。

「できたよ!」

 岬は体を起こすと、トランプの前で膝を折った。

「本当だ、すごいですね〜。 まだ教えてもらって1日しか経ってないのに」
「すごい? 本当に?」

 キラキラとした顔で岬を見る翔太は今日の海堂の表情と良く似ていた。そんな愛しい人によく似た顔はやはり憎めないどころか愛らしい。

「やっぱり、海堂さんの親戚ですものね。 頭の回転が違うのかも」

 ちょっと良く言いすぎたかな、なんて思ったが、翔太は目を一層大きくして笑った。どこが大人なのだろう、こんなにこの子はまだ子供だというのに。

(うわ、可愛い)

 不覚にも胸がきゅんと鳴った。翔太はハッとして、笑う事をやめると口を尖らせた。

「……あんた、結構やるんだな。 俺の王国の家来にしてやってもいいよ」

 翔太がそう言うと、思わず岬は噴き出してしまった。

「あ、なんで笑うんだよ!」
「だって、その発想が」

 あははと声を大きくしてしまう。
 海堂と少し暮らしただけでこんなに影響されてしまって。やっぱり王様気質なのは家系かなぁ、なんて心の中で思った。

 ふとカチャリと音が鳴る。
 扉の方を見ると、海堂がじとりとこちらを見つめていた。

「あ、海堂さん。 おかえりなさい」

 岬が笑いかけると、海堂は一層目を細めて岬を恨めしげに睨んだ。

「何仲良くしてんだ、お前ら」

 仲間はずれなのがどうにも嫌らしい。大きな図体を折り曲げて、悔しさを我慢した顔でこちらを覗く。

「な、仲良くなんかしてないよ!」

 ツンデレ翔太が吼えて、岬は苦笑いした。

(あーあ、もう戻っちゃった)

 せっかく可愛くなったのに、と少しだけ残念がる。
 海堂はやっと部屋の中まで体を入れると、荷物を降ろした。上着を岬に渡しながら、ふと思い出したように言った。

「そうだ、翔太」
「え?」

 翔太が嬉しそうに振り返る。

「可南子が明日お前を迎えに来るって言ってたぞ」
「え」

 ヒュッと翔太が息を止めた。
 それを岬は背後から見ていた。

 まるで翔太の上にも鎌が落とされたようだった。
 今日の自分のように突然現実を見せられて頭が真っ白になる様。

 岬が手を差し出すと今度は翔太は振り払わなかった。頭を撫でても、何も反応しないまま翔太はそこで立ち尽くしていた。





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鈍感な王様。
written by Chiri(12/5/2010)