王様の結婚(4) 祭囃子の音が遠くで聞こえる。その音に翔太は耳をピクピクさせるウサギのような反応をして、窓の外を見つめた。 「ああ、そうだ。 今日はお祭りでしたね」 岬は祭りの案内を出してくると、翔太と海堂に見せた。翔太の目の玉が一瞬だけ大きくなる。 近所の神社で年に一度行われる地元の祭りでは、たくさんの明かりと屋台が並ぶ。人の背の何倍にも育った桜の木には、桜の代わりに赤い堤燈がぶら下げられ、真っ赤に染まった並木の下を人ごみが練り歩く。 翔太は何も見えない窓の向こうを眺めて、もしかしたらその光景を心の中で見たのかもしれない。頬を赤くしながらぷくりと膨らます。 「翔太君、せっかくだし行きましょうか?」 岬がそう言うと、翔太は押し黙った。すぐに行くと言うと思っていたのに意外だった。まるで最初の日の来たばかりの時のように、心の中にぎっしりと何かを考えているように。 「なんだ、翔太いかないのか。 俺は行くぞ」 ウキウキと浴衣に着替えだした海堂に翔太は「え」と振り向いた。岬もぱたぱたとかばんを取りに行くものだから、翔太は「俺も行く!」と慌てて叫んだ。 人ごみの中で、手を繋いだ。海堂と翔太と岬。木から垂れ下がり、連なって揺れる堤燈のように横一列に並んで歩く。 「翔太君、ほら、射的がありますよ」 岬がそれを指差すが、翔太は「……う、うん」と小声で呟いた。気がのらないのか、我慢しているのかの見極めの末、おそらく我慢しているのだろうなと岬は思った。 「しょ」 岬が何かを言いかけたその時。 「なんだ、翔太やらないのか。 俺はやるぞ」 海堂は翔太を気にもせず、一人で楽しそうに射的に向かった。それを見て、翔太は目をまんまるくしながら「やる! 俺もやる!」と叫んでついていった。 そんな姿に岬はクスクスと声を殺して笑った。やはり海堂には敵わないなぁだなんて思いながら二人のシルエットを追う。 その後、海堂と翔太は男の勝負をしだし、大人気ない海堂は翔太をボロクソに負かした後、「そんなんで王になれると思っているのか」と意味の分からない説教をしだした。 翔太がむくれて帰ってくると、岬は翔太の手をとった。いつのまにか翔太は岬のことを嫌がらなくなっていた。 岬は自分よりも体温の高い子供の手が温かくて胸がホッとした。 「……あれ?」 ふと翔太が顔をあげた。何かと思いながら岬も翔太の視線を追うが、何も見当たらない。 「なんか声しない?」 翔太の言葉に今度は岬も耳を傾ける。 「ちょっと俺、行ってくる」 「え、翔太君……」 パッと潔く手を離される。 岬は追いかけようとしたが、小さな体は人ごみの中を切り分けるように走っていった。やっと射的から戻ってきた海堂は「どうかしたのか?」と首をかしげた。岬が困惑した表情で海堂を見つめると、海堂はニッと笑った。 海堂は射的の賞品である熊のぬいぐるみを岬に手渡すと 「新しい民だクマ」 だなんて呑気にアフレコしていた。 *** 15分ほど木の影で待つと、人いきれから翔太が走って帰って来た。その姿に岬はホッと胸を撫で下ろしたが、その手の中にあるものを見てギョッとした。 翔太は子犬を抱いていた。 「なんだ、その犬は」 海堂は眉をよせて、翔太の腕の中を覗き込む。おそらく雑種ではあるだろう。白いふさふさした体毛に泥が混じっている。目は潤んだ顔をして、怯えた様子も無く海堂を見つめてくる。 「敷地の奥で捨てられてたんだ」 岬はハラハラと海堂と翔太を見比べる。翔太は当然のように海堂にその犬を渡そうとした。海堂は不可解そうに聞いた。 「……なんだ?」 「この犬飼ってよ。 おじさんち金持ちだし、あのマンションペットOKだろ?」 海堂は眉間に皺をよせた。 名前は何にしよう〜だなんて口ずさむ翔太に海堂は腕を組んで対峙する。 「その犬を俺は飼わないぞ」 翔太は海堂の言葉にハッと目を見開いた。 「いいじゃん。 犬一匹飼うくらいの甲斐性も無いの?」 「そういうことじゃないだろ」 翔太はぐいっと身を近づけて、海堂にその犬を見せる。腕の中の犬は瞬きすらしないで海堂をじっと見つめていた。 「あんた、こんな顔してる子を平気で見捨てられるのかよ」 翔太はきゅっと唇を噛んだ。 (あ……翔太君、今自分と重ねてる?) 岬はその犬と同じように訴えかける翔太の瞳を見た。とまらない海堂を岬は止めようとしたが遅かった。 「見捨てれるさ」 翔太はカッと顔を赤くした。 きびすを返すと、全速力で走って逃げた。岬は、慌てて追いかけた。 「海堂さんは先に帰っていてください!」 さっき見失ったようにはいくものか、と心の中で念じながら走る。 「翔太君!」 翔太の足は速かった。あっという間に海堂の元から、そして人ごみをすり抜けて、裏林へと場面が移動する。岬はそれをいつまでも追いかける。 けれど、子犬も抱えているのだ。しばらくして、翔太は自分の足でひっかかり、草木の上にボスンと転んだ。緩んだ手の中から子犬が零れ落ちて、それでも子犬は翔太の近くできゅーんと鳴いていた。 岬は駆け寄って、翔太の膝小僧から出る擦り傷にハンカチを当てた。 翔太は赤い目のまま、鼻を啜った。 「……俺、なんかあの人を勝手に尊敬してたんだ。 どこかで助けてくれるんじゃないか、とか。 いつも母さんの話を聞いてる限りではすごい人だって聞いてたから」 「……王様は優しいよ」 翔太は振り返った。 「嘘だ」 岬は翔太の額に手を当て撫でた。 海堂の言おうとしていることは岬には分かっていた。翔太は自分のできる本分を理解しすぎている。 「本当だよ。 だから一緒に帰ろう。 私、本当はね、結構強いんだよ。 だからいざとなったら助けてあげるから」 翔太は岬を見上げた。 「……うん」 大丈夫だよ、翔太。 海堂は自分のような人間も拾ってくれたんだ。優しい人だ。優しい王様なんだよ。自分の民を見捨てるなんてことはしないよ。 でも。 君はきっと王様のようになりたいと願う子供なのだろう? *** 家に帰ると、電気もつけずにソファに座っていた海堂がギロリと翔太を睨みつけてきた。臆しながら翔太も海堂を見つめる。 「文句を言うなら逃げるんじゃなくて、ちゃんと言葉にしろ」 海堂の言葉に翔太は一歩前に出た。 「おじさん、あんたは冷たいよ」 「違うな、責任を持っているというんだ」 翔太の腕に抱えられる子犬を見て海堂ははぁっとため息をついた。 「俺はそいつを見捨てられる。 でも俺は拾うこともできる。 捨てるも拾うも俺の責任でするんだ。 お前もそろそろ自分で責任を持つんだ」 「え……」 海堂は腰を上げると翔太の前に立ちはだかった。 「俺に責任を押し付けるんじゃない。 この犬はお前の国の初めての国民なんだ。 お前がちゃんと責任持って育てるんだ」 翔太は目を大きくした。 「守られるのを待ってるのはもうやめろ。 男だろ、お前が守るんだ」 海堂は翔太を頭に手を置き、撫でると思いきやポンと叩いた。 「お前の母親も気の強い奴だが、お前に情けない姿を見られたくないからお前を俺のうちに置いたんだ。 今頃相当まいっているだろう。 お前が守ってやらないといけない」 翔太は口を締めた。 「お前が傍にいて、助けてやるんだ」 今度は何度かポンポンと撫でられた。翔太は顔を俯けると、目を手で隠した。 「アンタはずるい。 俺はまだ子供だ」 「いつまでも子供のままじゃダメだろう。 今が男になる、王になるまさにその時なんだ」 翔太は力強く頷いた。 岬は小さく笑みを浮かべた。海堂はやはり優しい王様だ。大きくて優しくて力強い。こんな王様のいる国に置いてもらえているなんて、どれだけの幸せだろうか。 やがて遠くに鳴っていた祭囃子も聞こえなくなり、シンと静まった部屋に翔太の母親が呼び鈴を鳴らした。 翔太は子犬を抱えたまま、母親と対峙した。 俺が犬の世話も見るし、母さんも支える。 この国は俺が支えるんだ。 そう言い放つと、翔太の母親は「まぁ、あんたったら変な影響受けちゃって」と笑いながら、目頭に一粒涙を浮かべた。 帰り際、翔太は岬の服の袖をギュッと握りしめた。海堂と翔太の母親が玄関で話し合う中、翔太は恥ずかしそうに岬に耳打ちをした。 「やっぱりあいつみたいなお父さんが欲しかった。 厳しいけど、優しいもん」 ドキッと岬の胸が鳴った。翔太が見た海堂は父親になるべき人間なのだろう。それを岬がわがままを言って引き止めているのかもしれない。 「じゃ、翔太君がいつかそんな人にならないとね」 「そしたら、岬、俺のところに来てくれる?」 岬は目を瞬いた。 「あんた、優秀だもん。 俺がおじさんよりすごくなったら来てくれる?」 「えーっと」 すごくなったら、と言われても。岬はごまかし笑いをして、翔太の頭をポンと撫でた。翔太は口を尖らせながら絶対だからな、と声高々に言い切った。 うん、これはこれは。 ……王様には黙っておこう。 翔太と母親を玄関先で見送ると、海堂は少し寂しそうな視線で翔太の乗る車を追った。 思わず出てしまったのだろう。その一言は。 「岬と俺との両方の血を受け継いだ子供が欲しいなぁ」 岬は息をのんだ。 その言葉は受け皿がどこにも無いような愛情とせつなさでできていた。 ツキンと痛む胸はどうしようもない。海堂と生きていく限り共にある痛みだ。罪悪感と良心を苛まれる痛みだ。 しかし、海堂はにこにこと笑ったまま、続けた。 「男が子供を産めたら良かったのにな」 え、と海堂を見つめる。海堂の目は夢物語を語ってキラキラと輝く。将来本当にそうなるかのように。 「そうしたら、俺が子供を産んでやろう。 お前に痛い思いはさせないからな」 儚い夢の中で使命感に燃える海堂はまるで子供のよう。やり場の無い愛情がコロコロと転がっていく。 それはまるで零れ落ちる星屑のように。とても綺麗なものなのに、ぽろぽろと落とされていく。 「……海堂さん」 貴方の落とした星屑は自分がいくらでも拾い上げよう。切なさと一緒に何度でも。何度でも拾うだろう。自分はそれを切ないものだと知っていて拾うのだ。 けれど、貴方は本当はどう思うのですか。 海堂はゆっくりと振り向くと、岬の顔を見つめた。 「……あなたは、子供が欲しいとは思いませんか?」 岬のただならぬ声音に海堂は顔を顰めた。 「私との間には子供はできないです。 でも、もし貴方が別の人と結婚したら」 「岬!」 突然肩を掴まれた。何事かと思い、海堂の目を見ると、海堂の瞳の奥に焔が見えた。 「え……」 「お前は不満なのか! 俺が作った王国が」 海堂は岬の手を引いてそのまま胸の中に収めた。 「俺が作った大事な国にお前はいなくてはならない。 お前がいなくなったら、俺の王国は崩壊するぞ!」 「王様……」 そうか、と岬は呟いた。 不安に思うことは、それ自体が王様の国に対する冒涜になるのか。 「……私は自信を持っていればいいのですね」 当たり前だろ、と海堂は神妙な顔で言った。 スッと重石になっていたものが浄化していく。海堂の体温の中でかわりに温かいものが胸いっぱいに注がれる。 岬はやっと心から息をつくことができた。心から安心した笑みを浮かべる事をできた。海堂はそれを狙っていたかのように、その瞬間に岬の唇を奪った。 「そうだ、帰ったら、『王様の結婚』をしようか? あれをすると、実は俺は岬と結婚できたようで幸せな気持ちになるんだ」 どうやら妃は岬であっていたらしい。それがくすぐったく嬉しく思う。海堂があのゲームをすれば、絶対キングとクイーンは結婚できるだろう。 けれど、岬は海堂の胸元に顔を寄せた。 「海堂さん……私は、ゲームよりも……」 海堂は顔を顰めると、不意に目を背けた。ザリッと足元の砂が鳴る。海堂は家の方に向き直ると、岬の手をぐいぐいと引っ張り、早歩きで進んでいく。 「今すぐ帰るぞ」 岬はそれにひきずられながら、海堂の繋いで手から伝わる温かみに笑みを浮かべた。 それからのことである。 3日もすると海堂は『王様の結婚』にすっかり飽きてしまい、トランプはまた押入れの奥へとしまわれてしまった。それでも、海堂は毎日変わらず朝のキスを岬に授ける。その唇を顔に受けながら、岬は思った。 もし結婚の本質がどこにあるのだろうと聞かれたら、こういうところにそれは存在するのだろう。 おわり 王様がどんどん子供っぽくなっていく。なんでしょうね、甘えられる人がいると安心するのかな。 written by Chiri(12/5/2010) |