王様の結婚
王様の結婚(1)



 海堂は夏の夜空が一番好きだと言った。12の試練を乗り越えた偉大な英雄をあらわすヘラクレス座が一番好きなのだ、と笑った。
 最後に毒の塗られた服を着せられ、その英雄が炎の中に飛び込み死に至ったという話まではきっと海堂は知らないだろう。海堂のその知識は昔一度だけ行った子供向けのプラネタリウムで語られた記憶のものでしかない。
 その星座が夜の一番高い天井を飾る時間帯だ。
 今日も遅くまで残業していた海堂と岬がマンションの前で見つけたのは、小さな子供だった。年齢は10歳を超えた位だろうか。遠足で持っていくようなリュックを尻にひいて、ずっと海堂を待っていたらしい。
 子供は海堂を見るなり、ホッとした顔をした。対して、海堂は顔をしかめた。
 海堂の後ろから顔を出した岬は子供の顔を見て、あ、と息を止めた。

「俺の子供じゃないぞ」

 何かを言うよりも先に海堂が答えた。その言葉に岬は苦笑した。

「はい、分かってますよ」

 今更海堂にこんな大きな子供がいたら、それは驚きだ。
 しかしどうにも似ている……。濃いしっかりとした眉毛も若干だが目元が吊っているところも、意思の強そうな瞳も。

「お前、誰の子供だ?」

 海堂が聞くと、子供は立ち上がった。ずっと座っていた為か、一瞬だけひざが笑ったが、すぐに立て直す。

「可南子」

 海堂は一度だけ瞬きをした。
 岬の方も見ないで一言。

「こいつは翔太……従姉妹の子供だ」

 あぁ、なるほど、と岬は頷いた。






 海堂は眉間に皺をよせたまま、家の扉を開けた。
 子供は何も言わずに海堂と岬の後を追って、入ってきた。

「で、どういうことだ?」

 冷蔵庫を開けてから岬は子供にあげる飲み物なんて無いことに気づく。仕方ないのでウーロン茶をコップに注ぎ、二人の座るテーブルに持っていった。 

「あれだよ、夏休みの学校の課題。 職場体験って奴。 せっかく親戚に社長がいるんだから、夏休み中世話になってこいって」

 海堂は心底煩わしそうにため息を吐いた。それに対して、岬は少し意外に思う。

「聞いていないし、うちは職場体験は受け付けてないんだ」
「いいじゃない。 社長なんだろ。 ちょっとくらいコネをきかせてよ」
「だめだ。 お前みたいな子供の世話をさせるために社員を雇ってるわけじゃないんだ 彼らには彼らの業務がある」

 こんなに頑なな海堂をみるのは珍しい。首をかしげながら、岬は二人の中に割って入った。

「まあまあ、翔太君は私が見ますから。 今さら他の職場探せないでしょ」

 海堂はびっくりとした顔でこちらを振り返った。

「な、岬。 そいつをここに泊めるつもりか?」
「ええ、そのつもりですけど」
「だ・め・だ」

 ググッと距離を縮めて海堂はそう言った。距離が近いのはちょうどいい。岬は海堂の耳に口を寄せた。

「王様? なんだか王様らしくないんじゃないですか?」

 ひっそりと耳に囁くと海堂はくにゃりと眉を曲げた。

「王様たるもの広い心で接する、じゃ?」
「うううう」

 悩める海堂はブツブツと何か呟いていた。二人の愛の巣が、岬との蜜月が、と聞こえて、ああこの人ってなんて恥ずかしい人だ、と岬は顔を赤らめた。
 海堂はしばらく両手で頭をかきむしっていると、突然悩みが地面にぼとっと落ちたように脱力した。

「そうだな。 二人の時間になれすぎていて、つい自分の本分を忘れていたようだ。 すまない、岬」
「え、あの、いえ……」

 だからといって謝られても微妙な感じだ。二人の愛の巣も、自分との蜜月も、岬が望んでいないわけではない。

「翔太、しばらくお前のことは面倒見てやる。 そのかわり、ちゃんと働けよ」
「うん」

 翔太は素直に頷いた。しかし、岬の方をちらりと見やると、鋭く岬の瞳を射抜いたのだった。






 夕飯を軽く食べた後、岬がいつものように皿を洗っていると、翔太が残っていた皿を流しまで持ってきた。躾の行き届いた子供など感心する。
 海堂のシャワーを浴びる音が小さく聞こえている。

「ありがとう」

 お礼を言うと、翔太はじろりと岬を睨んだ。

「それ変わって。 僕がお皿洗う」
「え? いいよ。 翔太君はお客様なんだから」
「違うよ、お客様はアンタの方だろ」
「え」

 翔太は無理やり岬からスポンジを奪い取ると、岬を押しのけて流しの前に立った。
 岬よりもずっと小さい手で器用に皿を洗っていく。なんとなく皿洗いには慣れているような感じを受ける。翔太は視線を皿に落としたまま、不機嫌な声で聞いてきた。

「アンタさ、おじさんの何なの? 親戚じゃないよね? もしかしておじさんだまして会社のっとる気?」

 驚いた。
 まるで子供の言うことじゃないというのもそうだが、そんな風にあからさまな嫌悪をぶつけられるのは久しいことだ。

「別にのっとるつもりなんてないよ」
「嘘だ」
「嘘じゃないよ」

 翔太は神妙な顔つきで首を横に振った。

「ダメ、絶対ダメだよ。 俺はおじさんのことを当てにしているんだから」
「え?」

 翔太は皿を洗い終えると、岬に向き直った。強い瞳はやはり海堂にそっくりだ。

「おじさんは、もし僕とお母さんが路頭に迷った時の為の最後の砦にとっておきたいんだ」

 岬は目を見開いた。
 それはなんというか、あまり褒められた考えではないような気がした。実際そんなことを考えていそうな人間はもしかしているかもしれないが、子供がそんなことを平然と口に出して言ってしまうことは悲しいことだ。
 岬はためらいがちに返した。

「あの、私は別に海堂さんに命令できる立場じゃないから」
「ふーん。 じゃ、なんでここに住んでるの?」
「……え、えーっと」

 子供に察してもらうなんてことは難しい。なんて言えば納得するかがすぐには分からず、岬は言葉に詰まってしまった。

「岬は俺の国民だからだ」

 風呂から出てきた海堂が立っていた。
 岬と翔太が同時に振り向くと、海堂は当然のことを言ったように仁王立ちでいた。

「国民?」

 翔太が意味の分からないといった顔をする。

「そう、ここは王国だ。 国民を守るのは王様の仕事、俺の仕事だ。 お前もまた可南子の旦那の国に属してる国民だろう」
「大人の癖にばかばかしいこと言うんだね」

 確かに、と心の中で呟いたのは内緒だ。

「なんだと!」

 海堂が一瞬で沸騰した。海堂の本分を否定されてしまって心底腹立たしいようだ。海堂はそもそも王様とはなんたるかを語り始めた。

「そもそも王様と言うものは民を思いやりだな……」

 翔太は半分聞く振り、半分それでもつまらなそうに聞いていた。そして一言だけぼそり。

「……王様だなんてばかげてるよ。 だって、俺の家にも王様はいたかもしれないけど傲慢で乱暴でゴジラみたいに自分の国を破壊しちゃったもの……」

 床を見つめる翔太に対して延々と説教をする海堂。
 海堂と翔太を二人並べると少し違いが分かった気がした。
 海堂は例えるなら赤だ。炎のようにいつも熱い。けれど、翔太は少し涼しい色をしている。海堂の熱のこもった説教をするりと右から左へ受け流している。
 冷めた子だなと思った。今の所、翔太の中に子供のような一面を見た覚えが無い。
 どこかに隠してるのか、それともそもそもそんなもの無いのか……。
 岬には分からなかった。






 布団を居間にひいていると、「それ誰の為の布団?」と翔太が聞いていた。相変わらず岬に接する時は機嫌が芳しくない。

「翔太君の為のだけど……」
「えー、俺ここで寝るの? やだよ」
「どうして?」
「だって、これじゃいかにもお客さんじゃん」

 ムスッと眉を寄せる姿に岬は困ったように笑った。

「じゃ、僕のベッドで寝る? 僕がここで寝るから」
「うーん……」

 腕を組んで考える翔太はまるで必死で自分の為の巣を作る鳥のようだ。傷つかないように自分を守ってくれる場所が欲しいのだろう。
 その間、海堂は自室で翔太のお母さんに電話をしていた。途切れ途切れに海堂と翔太のお母さんとの会話が聞こえてくる。海堂はどこかいらついた口調だった。
 次の瞬間、「それでも母親か!」と海堂が怒鳴った。岬は内心冷やりとした。布団を敷いている岬にも翔太にもその怒号は聞こえた。
 どんな事情があるのか想像し、不意に翔太が不憫になった。黙々と布団を敷く翔太の頭を撫でようとしたら、「触るなよ」と言って先に手を打たれた。
 もっと子供らしく甘えたらいいのになぁと心の中で想う。
 そうしたら甘やかしてあげられるのに。

 自室の扉をバタンと締めながら海堂が出てくると海堂は不機嫌な様子でソファに座った。翔太はその様子を眺めてから、立ち上がった。
 海堂の前にツカツカと歩み寄り、海堂と対峙する。

「母さん、離婚するって?」

 海堂はピクリと片方の眉を上げた。

「知ってるよ。 俺、そこまで子供じゃないから。 職場訪問なんてただの口実だって。 本当は俺がいない間に離婚するつもりだって」

 翔太は顔を俯けて拳を握った。
 海堂は「そうか」と呟いた。そして海堂はその手を翔太の頭上に伸ばした。

「強い子供は好きだ」

 海堂は翔太の頭をワシャワシャと撫でた。翔太は何も言わず、それを甘んじて受け入れていた。

 岬はそれを見て、あれまぁと心の中で呟く。岬の手に触れられるのは嫌でも、海堂の手なら良いらしい。なんだか複雑な心境だ。

 そして更にあからさまな事が翌朝起こった。

「なんっじゃこりゃ!」

 海堂の素っ頓狂な声に岬は布団から飛び起きた。
 まだ朝が早い。外は薄暗かった。なんとなく忍び足で、海堂の部屋をのぞくと海堂が自分のベッドで寝る翔太を見て、あんぐりとしていた。
 海堂と海堂によく似たミニサイズの翔太。二人が並んで寝ているとまるで写真にとっておきたくなるような衝動に駆られる。
 岬はまたもやあれまぁまぁ、と呟いた。
 翔太には昨日確か、岬のベッドを宛がったはずだったのだが。
 部屋の外から覗く岬と目が合うと、海堂は「これはなんだ?」と海堂を指差した。

 翔太が子供らしくないなんて嘘だったようだ。
 岬はふふっと笑うと、

「王様。 それは”なつかれている”って言うんですよ」

 はてなを飛ばす海堂に教えてあげると、海堂は困ったように口元をひしゃげて笑った。





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未消化だったお礼小説を今更出してみる。。大変遅くなってごめんなさい(遅すぎるにも程がある)
written by Chiri(12/5/2010)