ホーリー1 五嶋紀一(ごしまきいち)は人生でこれほどまで幸せだと感じたことはなかった。 バイト帰りの道から見上げて、自身のアパートの部屋の光がついているのは分かっていた。 右手にはコンビニ袋をぶらぶらと提げている。幸せの重みだった。 「ただいま。」 「お帰り、変態。」 扉を開けるや否や、すぐに返事が返ってくる。 8畳の部屋が一つしか無い紀一のアパートに、小さな肢体が見え隠れする。目がパッチリとしていてかわいらしい、まだ中学一年生の男子、棗希(なつめのぞみ)だ。 希は家においておいたキャンディーを口に含みながら、紀一の唯一持っているゲームで遊んでいた。 紀一はやんわりと希の横に座り、ちょっとずつ距離を縮めた。 「寄るな、変態。」 ピシッと言われる。 「何でだ?」 「どうせ、お前は僕の体が目当てなんだろう。」 なんでもないような口調で希は言った。 「違う。」 「どうだか。」 希はどうでもよさげに呟いた。紀一は違うのに、と小さく呟いた。 紀一は最初、希のストーカーだった。その頃紀一は大学に通っていたのだが、初めて希を見たときからもう希の虜だった。希の日常を探り、よく後を追い掛け回した。 あわよくば、希を監禁してしまおうと思い、ある日希に甘い言葉をささやきかけた。なんてことはない、よく聞くような誘い文句だ。 『うちにおもしろいゲームあるから遊びに来ない?』 当時、小学校高学年だった希はいぶかしながらも紀一のアパートまでついてきた。 そのまま一生ここに閉じ込めてやろうと思っていたのだが、何も気づいていなかった希の方から『また明日来てもいい?』といってきたのだ。 もちろん紀一に異存はなかった。紀一はすんでのところで犯罪者にならずにすんだ。 それから希はよく紀一のアパートに来るようになった。紀一は希に合鍵を渡していつ来てもいいと言った。その言葉に違えず、希は毎日のように通うようになった。 「希、プリン買ってきた。」 紀一は先ほど手にぶら下げていたコンビニ袋からプリンを出す。三つが一つのパックに入っているタイプのオーソドックスなプリンだ。 「マジ?じゃ食べるから頂戴。」 希はすかさずゲームを終わらそうとする。が、紀一は。 「希はゲームやってていい。オレが食べさせてやる。」 紀一の言葉に希はえぇっと口を歪ませた。 「赤ちゃんプレイかよ。まじ変態だね。」 「どこでそんな言葉を覚えてくるんだ。」 紀一は眉をひそめた。 そんな紀一を気にせず、希はま、いいや。と一言言ってテレビに目をうつした。画面の中では希の操るプレイヤーが四方に動き回っている。 紀一はそれを見届けてから、スプーンでプリンを掬うとせっせと希の口へとそれを誘う。 紀一はこれで希が「もっとほちい。」とでも言ってくれれば完璧なのに、と薄っすら心の中で思った。希が変なことを言うから意識してしまった。赤ちゃんプレイは間違いはなかった。 希は紀一が自分を異常な目で見ていることくらい知っていた。 希が紀一のアパートに来た二回目のとき、希は紀一にあっさりと言ってのけたのだ。 『あんたみたいな奴を変態って呼ぶんだな。』と。 それでも希は紀一の家に何度も足を運んだ。 毎回、ゲームをして、紀一の家にあるおかしを食べつくして、更には紀一をこき使う。 ちなみに紀一が少しでもへんな事をすれば、いつもより険のある口調で「触るな、変態!」と一蹴する。そうすると紀一は諦める。紀一は忍耐強い変態なのだ。 とにかくそれでも紀一は幸せだった。紀一は希の近くにいれるだけで嬉しかった。 希は一旦ゲームに区切りをつけると、紀一に振り向いた。紀一はそれまでぴたりとぎりぎり触れないような位置で希を眺めていた。 「おい、変態。」 「何。」 変態と言う呼び方にももう慣れた紀一が即答すると、希は少し言いよどんでから、また言う。 「今日、泊まらせろ。」 有無を言わさない命令口調だった。 実は希が紀一のアパートに泊まるのは別に初めてではない。希の家はかなりの放任なのか、希が泊まることに関しては何も言わないらしい。 そんな日、紀一は夜中眠れないが、希は天使の寝顔ですやすやと眠る。その写真を何枚もとっては紀一はパソコンの中で整理する。いつもそんな夜になる。 「いいけど…でもただじゃだめだな。」 「何すればいいの?」 希がムッとした顔で紀一を睨む。紀一はそんな顔もなんてかわいいんだろうと思いながら、頭をぽりぽりとかいた。 「キスさせて。」 途端に希がげぇ〜っと声を出す。蛙が車に轢かれたときのような声だ。そんな希を見て、紀一は妥協案を出す。 「ほっぺたでもいい。」 「それでも嫌だ。」 「じゃ、手でいいよ。」 「手?」 不思議そうに希が右手を差し出す。紀一はそれを逃すまいと引っ張りあげて、その指を口に含んだ。 「うわ、やめろよ!」 逃がさないように希の手首に入れた力を緩めないで、紀一は希の指を一本一本惜しむように嘗め尽くす。 「ちょっ…やだぁ…。」 なんだか恥ずかしくなってきた希の顔は真っ赤に燃えていた。紀一はそんな希を押し倒したいなんて思いながら、目を細めた。 ピチャピチャといやらしい音をたてる。 「もう…放せよ…。」 ぷるぷると小刻みに震えだした希を見て、これ以上は無理かと思い、紀一は指を口内から出した。 途端に紀一の手を振り払うと、希は羞恥心に燃えた瞳で紀一をねめつけた。 「変態!!」 「悪いか。」 紀一はさも美味しかったというように舌で口の端を舐めた。 その様子を見て、希は更に顔を赤くさせた。 「もうするなよ!!」 「今日はな。」 「これからずっと!!」 最後の希の声を聞こえないことにして、紀一は奥にある収納に足を向けた。希のお泊りグッズはもうすでに常備されていた。 布団を二つ並べて、紀一と希は床についた。 もちろん紀一は希の顔が見れるように内側を向いて寝転ぶ。寝転んだはいいが、寝る気なんてひとかけらもない。 紀一の視線に気づき、希は睨み返した。 「見るな、変態。」 「見ちゃ悪いか。」 「きもいんだよ。僕が寝ても絶対触るなよ。」 「触らないよ、今日は。」 約束だからな、と小さい声で紀一が答えた。でも日が変わったらそんな約束無効だ、とも心の中で呟いた。 「なぁ、変態。」 「なんだ。」 希はやんわりと上目がちに紀一の顔をのぞいた。その表情に紀一は冗談でなく鼻血を吹くかと思った。 「新しいゲーム機買って。」 「家にある奴は飽きたのか?」 「飽きた。」 先ほどのかわいらしい表情は確信犯か。紀一は心の中でため息をついた。 いつの間にか希は自分を操る術を手に入れてしまったらしい。俗に言う小悪魔だ。 でも紀一には逆らえなかった。小悪魔なら小悪魔らしく、自分を焦らして興奮させれば良いと思っていた。 「どのゲーム機が欲しい?」 「最近発売された奴。」 「アレは高いぞ。」 確か七万円くらいする奴だ。子供じゃ買えない。 「知らないよ。買ってよ。」 依然として意味深に目配せさせる希に、紀一は仕方が無いなと答えた。 単発のバイトを何個かやるか、と紀一は心の中で算段をつけた。買ってやった暁には今度こそ希からキスをしてもらおう、と祈りながら。 NEXT |