いつでも被害者(5) 保健室に入ると、勝手知ったるそぶりで秋介は奥からタオルと替えのジャージを持ってきた。大きなバスタオルで耀を包み込むと、耀は小さな声で 「……自分でするからいい」 と言った。やっと言葉を発した耀に少しだけ安堵する。しかし耀は乱暴にタオルを秋介の手からひったくると、仕切りの向こうへと消えていった。 同じようにして秋介が連れてきた女子は、これまた静かに椅子に座っていた。秋介の怒鳴り声によほど驚いたのか、ビクビクと秋介の顔色を伺っている。 秋介はふぅっと息をついてから、彼女に向き直った。 「手、出して」 「え?」 「手」 彼女のおさげがゆらゆらと揺れる。おそるおそる手を出してきた彼女の手をとると、彼女は頬を赤く染めた。 秋介は彼女の爪を注意深く見る。やはり、だ。 「こんなんで人叩いたら、傷がつくだろ」 耀といい、この女子といい、何故皆爪で天然凶器を作るのだろう。ため息をつきながら、爪切りを取り出す。 女子の手は少しだけ震えている。秋介は狙いがずれないようにしっかりと手を持ち、爪を切っていく。 パチン、パチン。 静寂の中に爪を切る音が響く。女子だから爪を伸ばしたいと思っていたかもしれない。けど、そんなの知った事か。問答無用で秋介は爪を切っていく。 最後に全ての爪が丸くなると、秋介はやっと彼女の手を離した。 それと同時に耀が着替えを経て戻ってきた。秋介と女子の様子を見て、ぴたりと足を止める。耀は眉をよせた。 「……何やってんの」 「爪、切ってたんだ」 「……ふぅん」 やはり、怒っているよな。 今回は耀は悪くなくて、自分が悪いのだから仕方ない。この女子の誤解を誠心誠意込めて解かなければきっと耀のご機嫌も治らないだろう。 秋介は女子の目を見た。 「何故、耀に水をかけたり叩いたりしたんだ?」 女子は顔をあげた。 「だって、それは深山君があいつに……」 「”あいつ”じゃないだろ。 羽鳥耀だ」 秋介は毅然とした態度で彼女の言葉を正した。 女子は泣きそうに瞼を重くした。厳しい顔でいる秋介に女子はぼそぼそと呟く。 「……深山君が羽鳥君にいじめられていると思ったから」 「それも違う」 耀は音も立てず、秋介の後ろに立っている。どんな顔をしているかなんて見当がつかない。 「耀は……俺の友達だ」 (あれ?) 言った傍から少し違和感を覚える。言い得た言葉だと思っているのに、釈然と来ない。 女子は不思議そうに首をかしげた。 「でも、羽鳥君は深山君を殴ったりもしたのでしょう? なのに友達なの?」 何故そこまで知っているかは聞かないほうがいい。 秋介は一拍子置いてから、答えた。 「俺は、そんなので友達決めないんだ。 俺が単純に仲良くなりたい人なら殴られても叩かれても別にいいんだ。 そんなのたいしたことじゃない」 「……そう、なの」 「君は俺の友達にひどいことをしたんだ。 それを俺は許せない。 だから、謝ってくれ」 彼女は口を固く結んでいる。しかし、秋介が無言で促すと、やっと彼女は口を開いた。積極的な言葉では決して無いが、彼女は耀に視線を向けて、言った。 「ごめん……なさい」 「……別にもういいよ」 耀の返事は当たり前だが、そっけなかった。 けれど、秋介は今までの難しい顔を一変させて、笑みを浮かべた。 「分かってくれてありがとう」 女子は顔を赤くすると、いきなり立ちあがった。ガタンと椅子が鳴る。 (え?) 秋介が見上げると、彼女は壊れたブリキ人形のように「あ、でで、ででは! もう失礼しますねっ」と言って、慌てて保健室を出ようとする。あわただしい様子に秋介が「気をつけて帰ってね」と言うと、彼女は大声で「はいぃぃ!」と叫んで、走っていってしまった。 彼女の後姿が見えなくなり、秋介は深く息をついた。 ……いつもこれだ。誤解が解けて、やっと普通に仲良くなれるかと思ったら、女の子たちは自分から離れていってしまう。なんだか不思議だ。今までの執着はなんだったんだろうとさえ思う。 我に返ったということなのだろうか。 彼女が去って保健室に耀と二人きり。やっと秋介は耀の顔を見ることができた。 「お前、なんだよ、あれ」 「へ?」 耀は不機嫌そうだった。普段から少しだけ吊っている瞳を更に吊り上げている。唇をかみ締めながら、言葉を紡ぐ。 「……なんであんな奴にそんな優しくすんの?」 「え?」 秋介が聞き返すと、耀はぼそぼそと続ける。 「放っておけばいいのに」 「いや、だって……」 「……爪まで切っちゃってさ」 「だからそれは」 放っておいたら、誤解が解けないじゃないと言おうとした。爪を切ったのだって、それは耀を傷つけたからであって。 「それに、俺とのこと、……友達だって」 「え?」 秋介が耀を見ると、耀は目を逸らした。秋介は縋るようにそのまま耀を見続けたが、耀はそれを受け流す。 「友達じゃないの? 友達だろ?」 「ちげーだろ」 ガーーーンとショックを受ける。鉄の鐘で頭を打たれたようだ。 まさか、耀にとって自分が友達でさえ無いなんて。 (そこまで俺って嫌われていたのか) 「ご、ごめん」 声が上ずる。 それだけダメージが大きい。 けれど、考えてみればそれはそうかもしれない。耀は最初から秋介を遠ざけようと暴力に訴えてきたのだから。自分はどこでどう間違って、耀と友達になれたと思えたのだろうか。ただ単に自分が仲良くなりたいというだけで。 こんな自分のせいで巻き込まれたんだから、そりゃ怒るだろう。怒って仕方ない。 「そうだね、本当ごめん」 重ねて謝ると、耀はムッと眉を顰めた。 難しい顔をしている。 まだ顔色は思わしくない。普段から白い顔なのに、それがもっと白い。頬に赤みがささないと、耀の顔は本当に人形のようなのだ。 自然と、手が伸びた。 この顔をもっと笑わせたい。もっと安心させたい。そう自分は思っているのに。それが叶わないなんて。怒らせることしかできないなんて。 耀の頬を右手で撫でる。 女子から受けた頬の傷には耀が自分で絆創膏を貼っていた。その傷の上から直線状に親指を沿わせる。 「……っ」 耀はそれがまるで気持ちが良いように、目を伏せた。 そしてしばらくしてから、重い口を開けた。 「……やめろよ、気持ち悪い」 もちろんさっきまでの気持ち良さそうな表情は秋介の勘違いで。気持ち良い顔なんかじゃなかったのだ。それは、きっと我慢している顔だった。 その言葉に秋介はもう一度だけ謝った。 「ごめん」 静かに手を降ろす。 なんだか自分でも上っ面の謝罪じゃないかと思った。謝れば謝るほど心が冷えていく。何故なら心の中では、自分は耀に何しても嫌われているのだからそれならもうどうしようもないじゃないか、と盛大に拗ねているからだ。本当に自分は子供っぽくてどうしようもない奴なのだ。 「でも……」 耀に突き放されていて、きっとやさぐれてたのだ。秋介はおそらく初めて耀に減らず口を叩いた。 「耀もちょっと悪いんじゃないの。 だって今ちょっと誘う顔しただろう?」 耀は目を見開いた。空気が凍る。 (あ、しまった)と秋介は瞬間的に理解した。それも後の祭り。 耀は秋介を鬼も怯える顔で睨んだ。 耀の今までの秋介の表情はどこかまだ許していた部分があったのかもしれない。しかし、今はゾッとするほど憎んでいる顔だ。全身にそのオーラが感じられる。まるでハリネズミが針をむき出しているようだ。 「お前なんて知らない。 大嫌いだ!」 全身の力を込めて叫ばれた。 耀は音を立てて保健室の入り口まで歩むと、ドアを勢いよく開けた。ガラガラと大きく地面を擦れる音がする。 「……もしかしてお前は変態じゃないかもってちょっとだけ思ってたのに」 何故か耀は泣きそうな顔をしていた。その瞬間、心臓を一掴みされたように胸がぎゅうっと締め付けられた。 ガラガラとドアが閉まると、保健室は静まり返った。秋介は手で自分の顔を覆った。 (……最悪だ) 今、やっと分かってしまった。 自分は耀のことをいつの間にか好きになっていたのだ。おそらく、友達としてではない。恋焦がれる対象として。 なのに、それをまるで耀のせいであるかのようにした。 (……卑怯で、最悪な人間だ) 耀はきっとこういう人間が一番嫌いなのだ。 next 秋介ってとんだドMですね written by Chiri(5/15/2010) |