いつでも被害者
いつでも被害者(4)



 翌日、秋介の顔の傷を見たクラスメートはまた騒ぎ立てた。

「お前、それまた同じ奴にやられたのか?」

 曖昧に答える秋介にクラスメートは群れを作ってざわついた。
 2回目の顔の傷ということもあり、男子たちは流石も気の毒になったようだ。一方、女子たちは「せっかくの綺麗な顔がぁ〜!」とまた憤怒し、秋介はそれを苦笑しながら宥めた。

「そいつ、何考えてるのよ! せっかくの王子顔が」
「ほんっと! その女、文化的じゃないのよ。 野蛮だわ」
「どこの女か知らないけれど気が知れないわ」

 体裁なんてものを気にせず堂々と悪口を言える女子というものはある種の恐怖かもしれないな、と秋介は思った。耀の顔も知らない女子たちは彼への陰口で意気投合し、どんどんと盛り上がっていた。きゃっきゃっとした女子に輪を囲まれながら、ふと耳元で囁かれた。
 体感温度が2度ほど下がる冷たい声。

「……誰に殴られたの? 私がボコボコに仕返してあげるのに」

 驚いて振り向くと、女子たちが不思議そうな顔をして秋介を見ていた。

「どうかした? 深山君?」

 ……危険信号だ。
 女子の群れの中には冗談でゾッとするようなことを言う女子もいるかもしれない。けれど、本気で言っている子だっているかもしれないのだ。どの女子に言われたかと目を凝らしても大人数で話されると正直誰だかわからない。

「いや、俺は大丈夫だから。 仕返しなんていらないよ」

 個人に言わずにグループに言うと「……秋介君って優しいのね。 だから……」と小声で聞こえた。頭の隅で警告音が鳴り響く。

「今の誰が言った?」

 神妙な顔で秋介が尋ねると、女子たちは顔を見合わせた。クラスメートじゃない女子も混ざってるせいで顔と声が結びつかない。
 チャイムが鳴ると、女子はすぐにばらけてしまった。秋介はそこに立ち尽くして、息を呑んだ。

(なんか……気をつけないと)

 長年の勘が告げている。また、困ったちゃんの予感だ。
 自分だけが被害を受けるのなら良いが、今回は少し違う。
 耀が危ないのは嫌だった。






 掃除の時間に中庭で箒を掃いていると、見慣れた後姿を発見した。ゴミ箱を手に持って焼却炉の方へと向かっていく。真の黒髪に近い毛色やしっとり感でもう既に分かってしまう。

「耀!」

 中庭に出たところで呼び止めると、耀は不機嫌そうに振り向いた。

「今、なんで俺だって分かったの」

 会うなりこの態度だ。そんな性格にも慣れてしまったのか、秋介はそれくらいでは笑みを崩さない。

「え、分かるよ」
「後ろ姿で分かるなんてへんた……」
「でも耀も今、声だけで俺だって分かっただろ?」

 言いかけた言葉を笑顔で指摘すると、耀は小さく唸った。上手く言葉を選べず、口を噤んだ耀を可愛らしく思う。

「最近、変なこと何も無い?」
「は?」

 耀は眉を寄せた。その顔を注意深く見たが、この前と何も変わらない。蛾をみるような不愉快な顔つき。うん、いつもと一緒。

(大丈夫みたい……かな?)

 とりあえず被害は耀に及んではいないようだ。けれど何が起こるかなんて分からない。正直、耀に近くにいてずっと見張っていたいような気持ちだ。
 ふと、耀の制服に目がいった。正確には制服の下の白い肌が頭を過ぎった。

「そうだ、痣治った?」

 悪気も無く話題にすると、耀は秋介がとんでもないことを言ったかのように目を見開いた。

「おまえ、ここで脱がす気か」
「なんでそうなるの」

 必要以上に警戒心を強める耀に笑ってしまう。そんな秋介を見て、耀は目をむいた。秋介は耀の様子に気づかずについつい悪ふざけを続けた。

「ちょっとだけ見せてよ」

 ゴミ箱を持った耀は手で制する事ができない。ペラリとシャツをめくろうとすると耀の体を捻って避けた。

「もう治ったから!」
「じゃ見せてよ、少しくらいいいでしょ」

 耀の制止にかからわず、秋介は手を伸ばした。ズボンからシャツを取り出した瞬間、肌が一瞬見えた。

(あれ?)

 ふと疑問が浮かんだ。
 秋介がつけた青痣はこないだ保健室で見た時には赤くなり、もう既に治りかけていた。けれど、今、見えたその部分はまた青く、しかも点々と痣を増やしていたように見えた。

「なんで……痣が増え……」

 ゴミ箱が地面に落ちた。ゴミが中から出てきて、風で散らばる。
 見てはいけないものは見てしまった気がした。言葉を失っていると、耀はすぐに秋介の手をシャツから遠のけた。耀自身、それが見せたくは無いものだった事は一目瞭然だ。

「もう、いいだろ……っ! 放っておいてくれよ、バカ!」

 ズダン

 両手で体を遠ざけられる。その力が思いのほか強かったのと痣に気をとられていた為に、秋介は体を簡単に崩した。地面に手をつきながら、尻を強く打った。耀は青ざめた表情で秋介を見ていた。生気を無くしたその顔はまるで人形であるかのように微動だにしない。

「あ。 ごめん、あか」

 その顔が可哀相過ぎて思わず謝ろうとしたその時、怒声が落ちてきた。

「私の王子様になんてことするの!?」

 そして次の瞬間、

 ビシャアァァ

 耀の上だけに雨が降ってきた。
 一瞬で全身を濡らした耀を呆然と眺める。耀も同じようにして目を点にして秋介を眺め返した。雨、違う。これはバケツの水だ。
 幾秒か経ってから、やっと脳から神経へと命令が下った。秋介は水が落ちてきた校舎2階に見やる。
 眼鏡と金色の淵が窓の向こうで反射した。そして次に茶髪のおさげがゆらゆらと揺れて、それがまるで何かのサインかのように目を引き付ける。同じ制服を着た女子だ。華奢な両手がバケツを持って耀を見下ろしている。
 その目は、やがて秋介の方を向き、目が合うや否や彼女は無邪気に微笑んだ。

「耀、ごめん。 ちょっと捕まえてくる!」

 秋介は自分の学ランを脱いで、耀にかぶせた。呆然と立ち尽くしていた耀はハッと我に返る。

「お、おい! 深山!」

 後方で耀に名前を初めて呼ばれた気がした。
 けれど、秋介は足を止めずに渡り廊下から校舎へと走った。階段を全速力で登り、廊下を走る。途中ですれ違う生徒は皆、何事かと秋介に注目した。そして、やっと耀が水を落とされた場所に行き着くと、秋介は足を止めた。
 下で目があった女生徒は今だそこでバケツを持って立っていた。
 足音に気づき、秋介の方を向くと、女生徒は嬉しそうに笑った。

「深山君。 そんなに焦ってどうしたの?」

 見たことのない女子だった。おそらく同じ学年だろうが、10クラスもあるこの学校では知らない女子は数多くいる。そんな彼女がとても気安く秋介の名前を呼んだ事に、秋介は少しだけ眉を曇らせたが、こういう手合いには慣れている。
 普通を装いながら秋介は彼女に話しかけた。

「なんで、耀に水を落としたんだ?」

 彼女は不思議そうに首をかしげた。

「だって、深山君、彼に突き飛ばされてたでしょ? 私が仕返ししてあげたのよ?」

 全く自分のとった行動に対して自覚をしていないらしい。

「でも君は俺と耀の関係なんて知らないだろ? 俺が彼を傷つけることをしたのだったら、それは突き飛ばされても仕方ないんじゃないかな?」
「そんなことないわ。 深山君は悪くないもの」

 はっきりと断言されてしまい、秋介は深く息をついた。
 何度も言うようだが、こういう思い込みが激しい人にはもっと強く説得しないとその思考は上書きされない。

「あのな……」
「……深山」

 名前を呼ばれて、振り返ると、水滴を垂らした耀が色を失った顔で立っていた。

「えええ、耀!」

 秋介は青ざめながら、耀の傍に駆け寄った。肩に触れると、くしゃりと歪んでしまいそうなくらい線の細さが強調されている。まるで水に濡れた紙のように簡単に壊れてしまいそう。
 耀は複雑な顔をして目を伏せた。

「ごめん、お前の方が先だったよな。 順番間違えた」

 犯人を捕まえるよりも先に耀を保健室に連れて服を乾かさなければいけなかった。耀はさっき渡した学ランもかぶらずにポタポタと廊下に雫を落としている。
 秋介は耀の手首を掴んだ。

「耀、保健室に行こう」
「ちょっと待ちなさいよ」

 ツカツカと女子が秋介と耀の間に割り入る。秋介がまずい、と気づいた時には

パァン

「私の王子様に触らないでよね!」

 女子は耀の左頬にビンタをかましていた。秋介は驚きながら、慌てて二人の間に入った。
 次の瞬間、耀の頬に血がじわぁっとにじんだ。秋介はそれを見て、更に目を見開いた。そして女子の方に向き直る。

「こるぁぁああああ! 触ったのは俺からだっただろうが!?」

 廊下に響き渡るような大声に、女子はビクッと体を振るわせた。ついでにその近くにいた生徒たちが皆が一斉にこちらを注目する。
 秋介は居心地の悪い顔で小さく咳払いした。

「……二人とも来て」

 右手に耀の手を、左手に女子の手を引いて、ずんずんと廊下を歩く。すれちがう生徒はみんな目をまるくしてこちらを眺めている。

(くそぅ……なんでこうなるんだ……)

 耀の方を怖くて見られない。耀は静かだった。本当に無言でついてくる。

(絶対これ、怒ってるだろ)

 怒られて当然だ。
 耀に変態と呼ばれて文句を言う資格なんてない。自分は確かに変態だ。変人ばかり吸い寄せる特殊体質なのだ。これを変態と言わずに何と言う。
 それなのに何も関係のない耀にその被害を及ばせるなんて。
 ぶるぶると震える耀はいつもみたいに毒づく様子は無い。すっかり病人のように白い顔で、長い睫毛を伏せたままだ。それは、抱きしめたくなるほど華奢で心もとない。
 こんなことを言ったら殺されそうだ、と分かっていても思わずにはいられない。

(なんか……守ってあげたくなる……)

 心の中で呟いた言葉は声に出ず、胸の中にそのまま居座った。





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秋介の怒鳴るところ、勢いあまって太字にしちゃったw
written by Chiri(5/15/2010)