いつでも被害者
いつでも被害者(2)



 秋介は下駄箱というものには基本悪しき思い出しかない。
 というのも、下駄箱というものを秋介を好いている女子にとっては秋介に繋がる重要なゲートだと思っているらしい。前述した婚姻届けで迫ってきた女子も、それは下駄箱に入れられていたのだ。秋介の名前までも既に記入し、後は判を押すだけの状態で。もちろんそれに関しては流石の秋介も婚姻届を破り、あとでその女子に認識違いを正しに行った。
 またの時は、上履きに土がつめられていた時があった。何の悪戯かと思ったらそこに花の種が植えてあり、「二人の愛の花を育てましょう」というメッセージだ。本当に背筋が凍る発想だ。
 本日も下駄箱の前に立って、秋介は一息ついた。
 今日も変なことは起こっていませんように。一心に祈ってから、下駄箱の蓋に手をつける。
 途中から一緒に登校してきた橘が楽しそうに横から覗いてくる。

「あ」

 ……手紙が一通入っている。薄い水色で品の良い封筒だ。

「お、ラブレターですか?」

 橘に囃されて、「うるさい」と秋介は怒った。こんなまともな手紙をもらうのは久しぶり、いや初めてかもしれない。どんな女子だろうか。しとやかで上品で清楚な子だろうか。
 結局秋介だってただのしがない高校男子だ。ラブレターというものには心躍る。
 内心ワクワクしながら封筒を開いた。
 中の紙を開けた瞬間、大きく漢字三文字が目に入った。

 ”決闘状”。

 隣で橘がブハッと吹き出した。
 秋介はあんぐりと口を開けると、例のごとく自分の不幸加減を呪ってその場にうな垂れた。



***



 放課後、指定された場所に向かう。
 テニスコート裏。遠くでテニス部の掛け声が聞こえる。地面は草も生えていない固い土で、校舎と校舎の隙間風のせいで少しだけ砂埃が立っている。
 その中央にあの男が仁王立ちで立っていた。
 上3つがきちんとボタンを留められていない学ランとその中に着たシャツが妙にそれらしく靡いていて、”決闘”らしさを醸し出している。

「来たな」
「そりゃ、呼び出されたから」

 首元の皮膚をかきながら答えると、男が顔をあげた。
 やはり綺麗な顔をしている。人間離れしていると言ってもいい。何かの精霊か妖精が人間界に降りてきたようだ。
 その顔が今は赤く染まって、怒りをあらわにしている。

「決闘だ。 俺が勝ったら、もう俺に近づくな」

 男の言う言葉にいまいち納得がいかない。

「だから、そもそも俺はあんたのことなんて好きじゃないって」
「嘘だ、だっていつも見てる」

 ブルッと男は身を震わせた。

(これは……思ったより厄介だ)

 説明でどうにかなるものではないとは分かっていたかもしれない。その誤解は既に男の体に染み込んでいる。
 男は本気で秋介を”変態”だと思っているし、本気で秋介に対して”怯えて”いる。それはどこか哀れな勘違いだ。

「えっと……」

 秋介は首を掻いた。
 下駄箱に入っていた手紙には律儀にも男の名前が書いてあった。出会って二日目にしてやっと男の本名が分かったわけだ。

 ーー羽鳥耀。

 学年は一つ下。道理で知った顔ではないし、名前も聞いた事無い。

「はとり……”よう”……、君?」

 秋介が彼の名前を呼ぶと、男は口元を震わせた。

「違う……」
「へ?」
「俺を”よう”って呼ぶ奴は……」

 ゆっくりと男は顔をあげた。ギンと目が光った。

「死ね」

 そんな殺生な!
 同時に男が殴りかかってきた。白い手がにゅっと伸びてきて、それを秋介は慌てて左手で受け止めた。骨が当たる音を左手の平で感じ取る。すると今度はもう一方の手がすかさず腹部めがけて飛んできた。

(うわ、はや……)

 その瞬間、手加減とかそういうものがぽっかり抜けていき、秋介は右足を全力で薙ぎ払った。それは男の腕ごと体を持っていき、男は地面に打ち付けられた。
 ズサササと地面をすべる音が後を追いかけてきた。
 自分でも足の感覚で分かった。全力で攻撃してしまった。すぐには立ち上がれないだろう。

「ご、ごめん」

 慌てて倒れた男に駆け寄る。男は仰向けに寝て両手で顔を隠していた。唇は固く結ばれている。

「……くそ、負けた」

 心底、悔しい物言いだった。掠れた声がどこか色っぽくさえあり、目元には涙のようなものが見える。思わずドキリとする。
 男は秋介の顔を見ると、屈辱的そうに口を開いた。

「何が欲しいんだ? 俺の体か?」
「え」

 秋介は唖然とした。

 (か、体!? 体をもらってどうするんだ)

 意味が分からずあたふたとしてしまう。男はわけが分からないという顔で秋介を見ていた。わけが分からないのはこっちの方だ。別に秋介は何かが欲しい為に戦っていたわけではない。

「言えよ、何が欲しいんだよ」
「え? えっと」

 そんなことを言われても分からない。そもそもこの男とはまともに話をしたことも無いのだ。ぷれすて3にぴーえすぴー。自分が欲しいものを言ったとして、この男が納得してくれるかも分からない。

(……そうか)

 ハッとして、気づいた。

(それならこれから話をすればいいんだ)

 秋介はぼそりと呟いた。

「名前……」
「え?」

 男はきょとんと目を大きくした。

「名前、”よう”じゃないならさ、なんて読むんだ?」

 男は子供のような大きな黒目で秋介を見た。それは、まるで追求するような瞳だ。
 男はその小さな口をしょぼしょぼと開いた。

「……”あかる”。 ”よう”、じゃなくて”あかる”って読むんだ」
「そっか、”あかる”か。 珍しい名前だな」

 秋介がにこりと笑いかけると、あかるは困惑した表情を見せた。

「ちょっと、まさか名前聞くだけ? 他に何かするんだろ?」
「え、別にいいよ」
「なんでだよ! お前、変態だろ」
「いや、だから変態じゃないから」
「嘘だって」

 あれやこれやと言いあっていく内にポンポンと耀の周りにクエスチョンマークが増えていく。
 一体どうやったらこんなに強く勘違いができるのだろうか。でもこの勘違いを正してあげるにはそれくらい同じ強さで説得しないといけないのかもしれないな、と秋介は思った。

「じゃ、さ。 一つお願い」

 秋介が言うと、耀は口元だけで笑った。
 彼の心境としては(そら来た)というところだろうか?

「保健室一緒に行こう? 傷の手当てがしたい」

 秋介が耀に手を差し伸べると、耀は眉を顰めた。

「保健室に連れて行って、どうするつもりだよ、変態」
「だから消毒だって」

 苦笑すると、耀は「フン」と鼻息を荒くした。まるで野生の猫みたいだ。飼いならされてなく、自尊心が高い。
 それでも勝負に負けた手前か耀は秋介の手をとった。

「いいよ、保健室でも地獄でもついていってやる」
「だからなんでそんなに」

 人間不信なのかもしれない、この猫は。
 なんとなくそんなことを秋介は思った。
 そう思うと何故か逆に信用してもらいたくなった。自分が安全な人間だと、ちゃんと友達になれる人間だと。
 痛そうに抱える耀のお腹をさすってやると、耀は「ぎゃ!」と声をあげて、秋介を睨んだ。
 この猫は簡単にはお腹を出してくれないらしい。





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ツンデレにしても面倒で厄介。
written by Chiri(5/7/2010)