いつでも被害者
いつでも被害者(1)



 春の陽気が燦燦と照らす学校の中庭。
 深山秋介(みやま しゅうすけ)は眠そうに目をこすりながら、たくましく育った木の根元でウトウトとしていた。ふと影が落ちてきて、何かと思い目を開ける。
 男子学生が秋介を見下ろしていた。

(誰だっけ、こいつ)

 思い出せずに顔を凝視する。
 染み一つ無い肌は少し青白いほど透き通っている。目は凛々しくも、パッチリと開いていて、睫毛がびっしりと隙間無く生えている。なんだかまるで女子のような瞳だ。そして口もほのかに桃色に光り、男子の心を躍らすような清らかさ。人形のようで、でもやはり男子なのだ。
 その顔は般若のような形相だった。

「あんた……俺のこと好きなんだろ?」

 ふと、そいつが口を開いた。
 秋介は眉間に皺を寄せた。何の話だ、と心の中で呟く。

「は? 何のこと? 別に好きじゃないけど」
「嘘付けよ!」

 俊敏に男は手を伸ばしてきた。襟をとられると、いきなり景色が逆転した。一本背負いをされたことに気づいた頃には地面に叩きつけられて、臀部に衝撃が走る。
 そして地面に尻をつけた状態の秋介に向かって、驚くほどの速さで拳が舞い降りた。

「うぐっ」

 鳩尾にそれは決まり、秋介がぐったりと項垂れるや否や、男子学生は走り去った。意識が遠のく時に、自分の不幸を呪う。

 秋介は本当に、今までも運の悪い男だった。
 秋介はどちらかというと容姿には恵まれていて、頭だって悪い方ではない。なのに、何故か変な奴らにしかモテたことが無いという戦歴だ。告白されるのだっていつも思い込みが激しい女子にばかりだ。普通の感覚を持った女子には高嶺すぎて話しかけづらいと言われたことがある。
 そんな風にストーカー女子やら勘違い女子につけまわされるようになっていってそのうちついたあだ名が「幸薄王子」。姉曰く、秋介は「王子は王子でもハッピーエンド後に国が崩壊しそうな感じ。 しかも不可抗力で」……という感じらしい。何それ、と内心思いながらもいつの間にかそんなキャラ付けがされてしまっている自分の運命に凹む。
 それにしても、男から襲われたのは初めてかもしれない。
 しかも寝ているところの奇襲攻撃だ。ひどすぎる。
 大体、秋介の立場としては男子からは同情的な意見が多い。「お前、なんでそんな良い顔持ってて、そんな不幸なんだ」というのは親友・橘の意見。「秋介はかわいそう。 普通の顔の男子よりもろくなモテ方してない」というのはクラスメートの意見。
 もう放っておいてくれレベルだ。
 気絶している間に走馬灯のように今までの人生が思い出された。夕方になって、やっと悪夢から目を覚ました時には日はとっぷりと沈んでいた。
 その日、ふらふらとしながら家に帰り、事情を話すと姉にまた爆笑された。

「あんた、本当に変な奴に好かれるわよねー」

 まるで噂話をするように無責任に姉は言った。姉は秋介と同じような顔をして、不幸体質を受け継いでいない。とどのつまり、ただ美人の容姿をしている。
 秋介はそんな姉を羨ましく思いながら、自分との差に軽く絶望した。

「好かれてる? いや、なんかすげー嫌われてるっぽかったけど」
「えー嫌われてるなら向こうから近づいてこないでしょ」
「いや、でも」
「ツンデレかしらね」

 姉はきっと何か妄想でもしているのだろう。気味悪い笑顔で笑っている。

「……男にツンデレって言われてもね」

 まー確かに顔は女子並みに可愛かったし、もしあれが女子で最近流行りのツンデレと言われたら「なるほど!」と納得できる容姿だった。

(でも、男だもんな)

 自分で自分に湿布を貼ると、はぁっとため息をつく。
 変な生き方をしてきたせいで、どうも体は頑丈になってしまった。無意識に受身をとっていたらしい。あとに残るほどの大事には至らなかった。

「明日、会ったらどうしよ」

 このままじゃ、また同じことをされそうだけれど。
 姉は湿布をはった箇所をトンと叩くと、「ま、気をつけなさいよ」と言った。



***



 太陽が優しく注いで、空気も肌に優しい。今日も絶好の登校日よりだ。なんて恨めしい。
 朝、秋介は気のりしないで学校に向かうと、校門の前の路地で親友の橘(たちばな)に声をかけられた。

「おはよ、秋介」
「おはよ」

 返事をした瞬間、橘は秋介を凝視して、目を糸のように細くした。

「何その傷」

 口元に絆創膏。しかも姉が好きなクマキャラの絆創膏だ。昨日襟を取られた時に少しだけアイツの拳が掠って切れた。
 秋介は口元を右手で撫でて、ハァっとため息をついた。もしかして、今日の帰りには傷が増えているかもしれない。

「別に。 いつものことだよ」
「あー」

 橘は「お前も苦労するな」とそれだけで納得した。
 橘は中学からの付き合いだ。秋介が勘違いしたストーカー女子に監禁されかけた時も突然先輩の女子に婚姻届にサインを求められた時の事も知っている。
 秋介は今度の相手が男だとは言わなかった。どうせすぐ分かるに決まっている。大体、悪い事は予想の斜め上を行くと決まっている。

「あーーー!」

 そう思った瞬間、叫び声が後方から聞こえた。なんだか声に聞き覚えがあるぞ? つんけんした物言いで、嫌悪感が声そのものに現れている。
 ……昨日の男子学生の声だ。
 振り向くと同時に、前から襟を掴まれた。

「お前、なんで今日ここにいるんだよ!」

 隣に橘がいるのにお構いなしだ。男は秋介をそのまま、道端の塀に押し付けた。
 何故いると言われても仕方ないじゃないか。体は丈夫だし、こんなの慣れているといえば慣れている。変人に好かれる体質の秋介をなめないでほしい。

「いや、受身とったから怪我なかったし。 もう大丈夫だと思って」
「何なんだよ、お前。 きもい」

 真顔で言われた。
 意味が分からない。ひどい、と素直に思う。

「なんで秋介がきもいんだよ」

 そこで橘が口を挟んだ。男はやっと橘の存在を認識したようで、急にビクッと体を揺らして橘を視界に入れた。

「だってコイツ、いつも俺のこと見ている……」

 被害者の口ぶりで男は言った。橘はあくまで秋介をかばう物言いをした。

「秋介ってよく遠くみつめる癖があるんだよ、それだけのことだろ」
「ちげーよ、それは俺のことみてんだよ。 コイツ、変態だから」
「は?」

 思わず秋介も口をぽかんと開けた。
 秋介の遠くを見る癖は本当だ。目が悪いせいか、時々遠くにあるものを目を細くしてみては、何があるかを予想したりするのだ。癖というか、ただの暇つぶしだ。
 なのに、変態?
 えーもうそんなの初耳。おいおいと泣き伏したくなる。そんな秋介の絶望など知った事も無く、男はキッと秋介を睨んだ。

「とにかくお前もう学校くんな」

 男に顔を近づけられて、凄まれた。めちゃくちゃな事を言っている自覚は無いようだ。

「そんなことを言われても……」

 困ってそう言うと男の目が更にどぎつくギンッと光った。
 その目の下にはクマがあって、どこか顔全体が疲れていることにその時秋介は気づいた。

「あんたさ、ちゃんと眠れてる?」

 無意識に秋介の口をついて出た言葉に男は一層目を据わらせた。

「俺の生活はおまえらのせいでめちゃくちゃだよ」

 男は「おまえら」と言った。変だ。秋介は1人しかいないのに。
 秋介が男をジッと見つめると、男は急に目を逸らし、青ざめた顔のままで小さく舌打ちした。
 つかまれていた襟を急に離されて、首周りが楽になる。
 もう少し眠れていたら血行もよくなり、この男の顔色もよくなるかもしれないな、と秋介は思った。男はまるで触れたら折れてしまいそうなほどに、白くてたおやかだった。
 そのまま男は何も言わずにその場から立ち去った。今にも倒れそうなおぼつきで歩く男の後姿を秋介はハラハラしながら見つめた。
 橘はそんな様子を見ながら口開いた。

「今のが今日の傷の原因?」

 秋介が首を縦に振ると、橘は「今回のも厄介そうだな」と飄々として言った。しかし次の瞬間、橘は急に真面目な顔になった。

「……お前さ、あーいうのやめろよ」
「へ?」
「敵の心配すんの」

 敵って言われて、小さく笑ってしまう。けれど橘はそんな秋介を嗜めた。

「あーいうのは無視するのが一番だろ。 お前は面倒に関わりすぎるからいけないんだ。 敵の寝不足まで気にするとか、お前はナイチンゲールか」

 秋介は橘の言っている意味がよく分からなかった。
 人間同士の問題で敵も味方も無いだろうなんて漠然と思っていたから。

「別に戦争をしているわけじゃないんだから」

 秋介がそう言うと、橘は眉を顰めた。
 「それはそうだが」と橘は言葉を濁した。納得した様子の無い橘は「だからお前は幸薄王子なんだ」と後からぼそっと呟やいた。
 風に乗って耳に届いたその言葉に、秋介はくそっと口を尖らした。
 もう、ほっといてほしいわ!



***



 学校まで行くと、行くところどころで秋介は声をかけられた。

「深山君、おはよ」

 そしてその次の瞬間、皆が皆秋介の顔の傷を見つけてぎょっとする。

「深山君、その顔どうしたの?」
「わわ、せっかくの綺麗な顔が」

 ぞろぞろと集まる女子に秋介は困ったように笑った。
 女子というものは優しい。共感する能力が男子よりも長けているのかもしれない。本当に自分のことのように心配をしてくれるのだから。

「ありがとう」

 笑いかけると、女の子たちは「キャー」と叫んだ。この光景だけを見るとまるで自分がモテているように思えるが、そうじゃないところが悲しい。こんな、上っ面でチヤホヤされるより、誰かに真に好きになってほしいものだ。
 女子の群れを通り過ぎて、教室に入ると今度は一部の男子たちが笑いながら寄ってくる。

「深山、それどうした? 今度はどんな女子だ」
「うわ、痛そうだな、それ」

 男子には話のネタにする男子と秋介の不幸を楽しむ男子、そして陰ながら同情する男子がいる。秋介に話しかけたのは前者2グループだ。今回の相手が男だと言ったらこのクラスメートたちは一気に沸き立つだろうし、陰で同情している男子たちは一層秋介を気の毒に思うことだろう。
 おかげで女子にも男子にも嫌われてはいないが、複雑な心境だ。本当に大丈夫だから、と苦笑いで返して、やっと窓際の自分の席に着く。後ろの席には随分前に着席した橘が居る。

 ふと窓から外を見てみると、誰かと目が合った。

(あ……)

 ーーあの男だ。
 向かいの校舎から奴は秋介の教室の方向に鋭い視線を向けていた。向かいの校舎にいるということは一つ下の学年のはずだ。
 相変わらず青ざめた顔だ。ゾッとするような憎しみを込められているが、顔色が悪いせいでそれも弱弱しい。

(いや、目が合ったのは偶然だよ)

 言い訳のように両手をあげたが、男は変わらず睨み続けている。
 変な話だ。
 仮に秋介があの男を見ていたとしてもそれはあの男が秋介を見ていないと分からないことじゃないだろうか。

(むしろ見てるのはあっちじゃないのかな)

 そんなことを言ったら首を絞められそうだけど。
 ぶるりと寒気を感じて、秋介は慌てて視線を別の方向に移動させた。





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誰に何言われようが変人の話が大好きだぜ!
written by Chiri(5/6/2010)