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「ねぇ、君ってゲイなの?」

 会社でそう聞かれた時、智は水をかけられたかのようにびくっとした。
「え、え? なんで、えぇ?」
 会社でそういうそぶりを出した覚えは無かった。けれど、どこか自分でも分からないところで気付かれる事だってあるだろう。嘘を吐くのが苦手な智は明らかに顔に出してしまった。まさにそうです、ホモですよと。
 会社のトイレで会ったその男は今まで同じ会社にいたことも知らないような男だった。けれど、男は確実に智だと分かっていたようだ。何せ、しっかりと苗字まで知られている。
「三谷さん、別にそんな風に見えないのにね」
 そう言って手を洗う男の言い方には悪意は無いようだ。
「あ、あの……どこでそれ知って……」
「あぁ、こないだ見たんだ」
「え?」
「hide-and-seekって店入ってくの。 あそこってそういう店なんだろ?」
 ママの店だ。そういう店というものがゲイの集まる店というのなら半分正解で半分不正解だ。あの店はあらゆるセクシャルマイノリティが集まる店だ。
「大丈夫だよ、言わないから」
 にこりと笑った顔は社会人が営業の時にする笑顔だ。胡散臭いというよりは、爽やかで見ていて気持ちが良い。
「俺さ、営業の舞川 修史(まいかわ しゅうじ)っていうの。 覚えておいてよ」
 同じ会社の名刺を渡されて、智は頷いた。智をゲイだと分かっていてこんな風に接してくれるなんて悪い人ではないのだろう、と感じた。むしろ良い人だろう、とさえ。
 智はホッとした顔で名刺を大事そうに握った。舞川は目を細めてそれを見つめていた。
 その時の智は自分の人を見る能力、特に男を見る能力が皆無だということなんて忘れていたのだ。



***



「あれ、ママ、最近男装ばかりじゃない?」
「ママ、どうしたの? いつものスカートは……」
「ママが男の格好してるとそそられないんだよね」

 ピキリと手に持っていたグラスが割れた。
 そこからピキピキとひび割れが続き、ついにはパリーンと粉々になって床に落ちた。
「……どいつもこいつもっ!」
 カウンターにいるバーテンダーは磨いていたはずのグラスが散り散りになっているのを見て、くそっと舌打ちした。
 薄暗い店内に、ポツポツと光る灯りが棚に並ぶグラスを綺麗なオレンジ色に彩っている。夜はまだ浅かったが、それでも店には既に何人かの客が入っていた。
 何が男装だ、俺はもともと男だっつーの!とどすのきいた低い声でバーテンダー、もといこの店のマスター、通称ママが呟く様子を見て逃げないでカウンター席にいられるのは智とジェシカだけだ。
「仕方ないじゃないの〜、もう名物になってたんだから! カナちゃんの女・装!」
 そう言うジェシカはどこか楽しげだ。
「……何が名物だ」
 ぎらりと睨まれてもジェシカは怯まないでニヤニヤ笑っている。二人は古い仲なのだ。
「でも、光栄じゃない! 皆がカナちゃんの女装を待ってるのよ! それってニューハーフにとって羨ましい限りじゃない!」
「俺はニューハーフじゃないっつーの!」
「よっ、期待の新人!」
「けんぞ〜〜〜!」
 二人の言い合いの傍らで智はオロオロと双方を見ていた。
 ママはほんの少し前まで本当はしたくもない女装を毎週していた。本名は金井恭一、れっきとした男だ。ニューハーフでもなんでもないのに、ママがこの店の女主人だと信じ続けて水曜に通った智の為に。
 智と恋人になってからは、ママはきっぱりと女装をやめてしまった。しかし、ちらほらと客から出てくる声いわく、皆が今もママの女装を待ち続けている。
 そして、それは。
「でも、智くんもカナちゃんの女装姿好きよねぇ〜?」
「え、うん!」
 ……実は智も一緒だった。
「トーモー」
 闇から這い上がってくるような声に智はびくりと体を揺らした。
「え、だって……やっぱ女のときのママもかっこいいし……」
 ポッと頬を赤くして言う智に対して、ママが突然智の耳に顔を寄せた。口元はにやりと笑っている。
 あ、この顔は。
 智はきゅんと胸を射られる。
「……そうだよな。 智ちゃん、こないだ、俺の女装してた時の服見て欲情してたもんな」
 ぼそりと耳元で囁かれて、カァーっと智の顔が染まった。
 こないだというのはこの店の二階にいた時のことだ。ママが店を閉めるまでの間、智はママの部屋で待っていたのだ。その時に、ママが女装していた時によく着ていた服を見つけて、つい。
 魔が差した。何をしたかなんて口に出して言えないことだ。
「え、あの、ママ、あれ、み、見てたの?」
「匂い嗅いだりして何してんのかなって思ってたら、まさか」
「わぁ、言わないで! ママ!」
 智がママの口元を手でふさぐと、ママはぺろりとそれを舐めた。指と指の間を嘗め回されて、智はぷるぷると震えた。
「ちょっと〜、ここで盛るのやめてくれる?」
 ジェシカの一言が間に入ると、ママは事もなさげに体を引いて戻す。さっきまでの妖しい空気ががらりと戻った。
 ママは満足したようにふふんと笑い、表情を仕事モードに切り変えて業務に戻った。智はほっと小さく安堵しながらも、胸のドキドキに酔いしれた。
 その様子を見ていたジェシカは智くんも大概好きよね〜っと呆れた顔で笑った。
「あ、そうそう、智くんにあげるものがあったのよ」
 不意にジェシカがかばんから何かを取り出した。智は首をかしげながら、それを見つめた。ビニール袋の中には服が入っているように思えた。
「ああ見えて、カナちゃんっていろんなプレイ好きらしいじゃない」
 なんでそれを、と一瞬だけ思ったが、ジェシカは智よりもよっぽどママの古馴染みだ。
 確かにそれは事実だった。ママが智に我慢させたり、羞恥をあおるような事を強いることは多い。でも智もそれが実の実は好きだったり……する。
「多分、カナちゃん我慢できないと思うのよね」
 ジェシカの言葉を不思議に思いながら、智は袋の中のものを見てあ、と声を発した。
 その後、ジェシカはにやにや笑いながら、あることを提案した。智はそれをふむふむと興味津々に聞いた。
「智くんが頑張れば上手くいくかもよ?」
 智は赤い顔でうん、と頷いた。
 それはまるでいたいけで騙しやすい成人男性が言葉巧みに詐欺師に言う事を聞かされているようだったそうな。



***



「で、なんだ、それは」
 ママが帰ってきたのは、ちょうど智がそれに着替えている時だった。
 智はきゃっとまるで乙女のような声をあげた。まだ深夜0時過ぎ。いつものママならまだこんなに早くは帰ってこないのに。
 智が着ていたのは、せえらあふく。と、いうやつ。
 店でジェシカがくれたものだ。
「え、や、みないで!」
 智は慌てて、その場にしゃがんだ。まだ脇のファスナーをあげきれていないのが、何故か少し恥ずかしい。智は膝を抱えて、ブルリと震えた。
「兼三か?」
 ぴしゃりと当てられて、返答に困る。
 ママは智のしゃがみこんだすぐ側まで寄ると、立ったまま智を見下ろした。
「……だって、俺が女装したらきっとママも女装してくれるってジェシカが……」
 こんなことを口で説明している時点で計画倒れだ。
 ママははぁっと重いため息を吐いた。
「そう言うことならお前がいくら女装しても無駄だからな」
 腕を組んでそう言われて、なんだか涙が出てきた。ママ、頑固だ。
「……だって、俺、女のママも好きだもん」
「諦めろ。 もうあんな恥ずかしい格好は一生しないから」
「やだ、ずるい。 俺だってこんなに恥ずかしい格好してるのに」
「恥ずかしいのか?」
「恥ずかしいよ!」
 勢いで立ち上がると、ママがふぅんと目を細めた。智を上から下まで舐める様に見る。
 智は恥ずかしくなって、顔を背けた。
 間が持たなくて思わず口が滑った。
「……お、女の格好してくれないなら、ママともうエッチしないから」
「へぇ?」
 ママがおもしろそうに笑った。智は意味が分からない顔をした。焦るか悔しがる顔が見たいのに、とことん上手くいかない。
「どうせ我慢できないのは淫乱智ちゃんの方だろう」
「ひやぁ!」
 言いながらママは智のスカートをぺろりとめくった。太ももを指ですーっとなぞられる。智はママの胸に抱きついた。
「ほら、さっさと撤回したら? やっぱり欲しいって」
「だ、だめ」
「ふぅん、ならいいけど」
 支えてくれていた手を外されて、突然寂しくなる。智が「うぅ〜」と泣きそうな声を出すと、ママもぶすっとした表情でまた腕を組んだ。
「……確かに俺のものなのに抱けないってのはイライラするな」
 イライラといわれて胸がドキッと鳴った。
 だって別にイライラさせたいわけじゃないのだ。ただ、また女の格好をしてくれたら嬉しいな、ってそれだけなのに。
 智は子供のような口ぶりで歯向かった。
「だ、だって、ママが女の格好すればいいだけの話じゃん」
「ああ?」
「ママのバカ、頑固」
 言いながらママの髪の毛を掴んで小さく引っ張る。クイクイッと何度か引っ張るとママが智の手を強い力で掴んだ。そして部屋の壁に智の体ごと押し当てた。
「言ったな、じゃ智が俺のこと満足させられたら着てやるよ」
「へ?」
 智の顔に影を落としたママの顔は不敵に笑っていた。
「いいか? 今日は途中でギブアップは無しだからな」
「ちょ、ママ」
「とりあえず、俺のことは先輩とでも呼んだら?」
「せ、先輩、やめ……あ、」
 優しく首を噛まれて、何とも言えなくなってしまった。エッチしないって言ったそばからこうなっちゃうなんておかしい。おかしいけど、智にそれ以上文句を言う口は用意されてなかった。そのかわり「気持ちいい」だとか「もっと」だとかの単語しか出てこない恥ずかしい口がくっつけられていた。
 結局、その夜はそのままママに好きなようにされた。ノンノン、ママではなくて、先輩に、だ。
 ママが満足したかどうかなんて気にする余裕なんてその時の智には無かったが。

「ほら、ちょっとは自分から誘ってみろって」
「……せ、先輩、ずっと前から大好きでした……」
「告白しろって言ってるんじゃない」
「や、先輩、……意地悪」
「ふ、かわいいな」

 あれ? これって結局学生プレイしたってことになるのかな?
 ……後になってから気付いた智だった。



***



次の水曜日に智がhide-and-seekに行くと、カウンターに女性がいた。少し前まで見慣れていた服装。黒のワンピースにレースのショール。赤い唇に緩く巻いた髪型。
 ……ママだ。
「ママ、今日……」
 言いながら智はママを見たまま、立ち尽くした。
 女の格好をしたママを見るのは3ヶ月ぶりくらいだ。
 肩幅は広くて声もハスキーで低い。でも顔は美しく、凶暴なほどに魅力的。性別が実は男だってことは冷静な目で見れば分かるかもしれないが、智はいつでもママの前だと冷静ではいられなかった。ママを女と信じ込みながら、この人に抱かれたいと望んだ。自分が男を好きな性癖だと知りつつも魅かれてしまった。もはやそれは奇跡とか運命とかそういう類の話になりそうなくらいだ。
「あれ? 智君、感動で活動停止してるの?」
 入り口で立ち尽くしている智を見て、ジェシカは笑いながら智をカウンター席に引きずった。ママの機嫌は良くは無いらしいが、智がカウンター席に座るなり、智の髪の毛をさらりと撫でた。
 それだけでなんとなく智は分かった。
 多分、御褒美ってことだ。
「……にしても、カナちゃんもベタ惚れよね。 結局おねだりに負けたってことでしょ?」
 ププッと笑うジェシカはまるで他人事だ。智にそのおねだり作戦を持ちかけたのはジェシカだというのに。
「兼三は黙ってな」
「もう! 本名で呼ばないでよ!」
 二人がいつものやりとりを始めて、智はやっと落ち着いて椅子に腰掛けることができた。
 それから来る常連の人たちはママの姿を見るなり、どこか懐かしそうに笑っていた。ママがこういう格好しても誰も驚かないあたりが、この店の特徴かもしれない。何せ、皆が少なからず自分の性癖で悩んでいたことのある人が多い。
「ついに、カムバックしたのか〜」
「マスターも智君のおねだりには勝てなかったか」
「よっ、待ってましたよ、期待の星」
 それでもいろんな風に声をかけられるたびにママの磨いていたグラスがパリーンパリーンと小気味良く割れていく。
「……てめぇ、兼三、どこまで話ひろげやがった」
「あら、面白い話は皆で一緒に楽しむのが一番よ」
「このやろう……」
 ママとジェシカが二人でいつものように話している時、ふと誰かの視線を感じた。智が振り返ると、男のシルエットが慌てて物陰に隠れてしまった。薄暗い店内だからよくは分からなかったけれど、智は「あれ?」と不意に思い当たったのだ。
「今の人……」
「どうかしたか、智?」
 ママに聞かれて、智は「ううん」と頷いた。
 確証は持てなかったけど、多分さっきの男の人……。

 あれは舞川さんだったんじゃないだろうか?





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何気にノリノリで学生プレイしてるママ。
written by Chiri(4/28/2009)