我慢はできません(2) 穂積は一悟を捕まえると、しばらく歩いた先の裏道にあるバーに一悟を連れ込んだ。足を踏み入れた瞬間、一悟は後悔した。 マスターに挨拶する穂積。開店前なのに快く迎えるマスター。そして開店前なのに屯っている常連客とその常連客と挨拶をかわす穂積。常連客は男同士なのに、キスをしたり、抱き合ったりしている。ここはゲイバーだ。 つまり穂積のテリトリー内である。 「なぁなぁ、ケツ大丈夫だった?」 カウンターにつくなり、あけすけに穂積はそんなことを口にした。一悟は固まった頭を動かす。どう答えればいいのか分からず、とりあえずとぼけてみる。 「えっと、何のことでしょうか」 「だから、ケツ。 血出てただろ、ごめんな、俺とまらなくて」 「いえ、だから、そんなの知らないですって」 「何? イチゴちゃん、昨日のこと覚えてねーの?」 「何の覚えもございません」 「ってか何その敬語」 もちろん、覚えてない。というのは嘘である。いや、本当か。この記憶が現実とも限らない。幻覚かもしれない。 「俺、嬉しかったのに、ひでー」 ひでーっていう割には穂積はニコニコしていた。ガッシリとした筋肉が服の上からも分かる。そうして腕まくりしている腕もどこか色っぽかった。 この体に昨夜抱かれたと思うと、羞恥心が奥底で燃える。 「昨日だってさ、俺、一目みてすぐ分かったよ? イチゴちゃん昔と全然かわってなくてさ」 唇が震える。 「可愛いまんま」 幼い頃、穂積の言う可愛いという言葉はおそらく嘲笑だった。いじめとセットに言われる言葉だった。「女みたい」「可愛い」「イチゴみたい」 そのせいか、一悟の心には何も響かない。 ただ、この時が過ぎればどんなにいいか、とだけ心の中で何回も呟く。 しかし意に反して、穂積は懐古モードに入っており、突然語りだした。 「あの頃、俺、お前のこと好きでさ」 流石にぎょっと目を剥く一悟。 「あまりにも可愛いからついいじめちゃったんだ」 テヘペロ、とでも言い足しそうな軽口だった。わなわなと拳が震える。 「イチゴちゃんが可愛すぎるせいで今はこの性癖だぜ? 責任取れよ」 そう言うと、穂積は一悟の肩を抱いてきた。一悟は近づく穂積を両手で押しのけながら、低い声を出した。 「いや、俺は逆にあんたのせいで今も男が苦手だよ……」 「え、そうなんだ? かーわいー」 ものともしない穂積。 (馬鹿にしてんのか) と言いたくなるのをグッと我慢して、一悟はスコッチを呷った。クラクラと天井のサーキュレーターがまわる。 酒には強くないけれど、こんな奴が横にいると、つい現実逃避したくもなる。ため息をつくと、不意に穂積がポツンと言った。 「まぁ、昨日はいきなりで悪かったよ」 居心地悪そうに謝る穂積を見て、判断力の鈍った脳みそが重大な判断ミスをする。 ちょっとは穂積も大人になったのかと思ってしまったのだ。 「まま、飲んで飲んで」 酒を注がれて、もう一杯口をつける。ほろ酔いになってからは、二人で乾杯などもしてしまう。そんなことをしつつも、実は昨夜もまったく同じプロセスを踏んだことなど一悟は覚えてさえもいなかった。 しばらくすると、瞼が重くなり、体が羽が生えたように軽くなった。 誰かに抱えられていると思ったとき、自分がどこにつれられて行くかなんて見当もつかなかった。頭の中でさっき見たサーキュレーターがクルクルと回っていた。 目が覚めると、ぼんやりと視界が揺れた。 (あれ? 俺、昨日どうしたんだっけ……) またしても記憶が鈍い。頭の歯車が回りだすまで少し時間が必要だった。けれど、実際昨夜一緒にいた人物を思い出して、ハッと起き上がった。真っ赤なシーツが頭をかき混ぜる。またこのホテルか!好きだな!と悪態つこうにも混乱して何も話せない。 まず、体がうまく起き上がらない。何かが乗っていて重い。 (え、何) まさか、だ。 自分のお尻に何かがささっていた。認めたくない、認めたくないけれど。 「やっと、起きたか」 そこには特上の笑顔を貼り付けた穂積がいて。穂積は一悟に覆いかぶさっていた。彼の体が一悟の奥で繋がっている。 「これでごまかし効かないだろ?」 抜けないようにするの、大変だったぜ、と彼は呟く。 一悟は混乱した。今までの人生で一番のパニックだ。 「っや、ぬいて」 「抜くかよ」 穂積の息がかぶさる。混乱が混乱を呼び、よく分からない涙が出てくる。一悟の中で穂積が大きくなり、質量を増す。そのまま、グイッとスライドして動かれる。 「やあ、あ、あ、もうへんた……」 「本当お前可愛いなぁ」 やっと言えそうだった反論も彼の甘い言葉でかき消された。 ふと思い出す。 小学生の頃、一悟が泣いてる中、光悦とした表情で彼はいつも言ったのだ。 『可愛いなぁ』 何も変わっていない。彼は何も変わっていない。 いじめがセックスに変わっただけだ。 彼は一悟を今もなおいじめていた。セックスで一悟を支配しようとしていた。 一悟は自分の隙の甘さを悔いながら、どうにかこのくもの巣から逃れることを天に祈った。 カタカタとパソコンのキーボードを打ち鳴らしながら看護日誌に文字を入力する。一悟はディスプレイの暗い影の中に自分の疲れた姿をみつけて、ため息を吐いた。 「その後、幻覚はどう?」 ふと同僚の女性に話しかけられて、一悟はテーブルに伏した。 「……ますます悪くなった」 まさか誰にも相談できなかった。あれから毎日のように外で穂積に追い掛け回されては、彼の部屋に連れて行かれて抱かれている。抵抗すら虚しくなり、最近では穂積のいいなりだ。いいなりになりながら、いじめ……否、セックスを強要されている。 「なんていうか、体の方がもたなくなってきたんだよね」 主に尻が。なんていえるはずもない。診てもらったところで、お尻の治療は外科で指を突っ込まれて触診されるだけだ。 暗い気分になって話題を変える。夜勤中の一悟と同僚は詰め所に二人きりだ。 「花ちゃんは何か苦い思い出ある?」 「うーん、そうね」 同僚はうーん、と悩みながら指を口元に置く。少し言いづらそうにしつつも、「なんか一悟クンにはしゃべれちゃうな。 女子トークができる貴重な男友達だもん」と諦めるように笑った。 「小さい頃にね、いじめられてたことかなぁ」 いじめと言う言葉に敏感だった一悟はハッと顔をあげた。同僚は目を少しだけ泳がしながら、口元だけで笑う。 自分もだ、と言いたくなるが言葉が出てこない。 「女子のいじめって怖いのよ。 ずっとシカトなの」 しかし、想像していたものと違って一悟は眉を顰めた。 「私がどんなに話しかけても空気みたいな扱うのよ。 存在を消されちゃうの」 一悟には自分が存在を消されるという意味を想像できなかった。一悟はたまらず質問をした。 「いじめってさ、普通相手に攻撃するからいじめって言うんじゃないの」 「攻撃するのは関心があるからよ。 本当に排除したがる時は、無かったことにするんじゃないかしら。 女子はそういう子が多いのよ」 考えたが一悟には、よく分からなかった。 「……昔さ」 俺もいじめられてたんだ、というと同僚は驚いた顔をしていた。 「でも花ちゃんと比べるちょっと違うかも」 小さい頃、一悟へのいじめは最初に教師が自分を「イチゴ」という読み間違えをしたことから始まった。穂積はその後、一悟をいくら嫌がっても「イチゴちゃん」と呼んだ。それは一悟にとっては屈辱的で羞恥心をあおるものだった。 制服のズボンを隠されたことがあった。代わりに置いてあったのはスカートだった。しかも手紙まで添えて『プレゼントです』。背後で穂積がチラチラとこっちの様子を覗いていた。 身体測定の時には、普段にやついてばかりいた穂積は少し焦った様子で高らかに手を挙げた。 『まさかイチゴちゃんには更衣室ないんですか! 先生、可哀相だと思わないんですか。 ちゃんと用意してあげてください』 ひどい嫌がらせだった。 その度に、一悟は顔を真っ赤にして、顔を俯けた。もう一層無視してくれた方がどんなにいいか。泣くたびに『イチゴちゃん、可愛いなぁ』とにやけ顔で肩をなでる穂積に何度も殺意を覚えたものだった。 と、そんな話を一悟が同僚にすると、同僚は顔を少しひきつらせていた。 「それってさ……いじめじゃないんじゃない」 ハッとする。確かに花ちゃんのいういじめとはイメージがかけ離れすぎていた。 穂積はもしかして自分をいじめていたのではないかもしれない。 穂積は、本当は。 「……ということは、アイツはあの頃からいじめっ子じゃなくてただの変態だったのかも」 一悟がそう推理すると、はなちゃんはブフッと噴き出していた。何故笑われるか見当もつかなかったけれど、花ちゃんはお腹を抱えながら「確かにそうよね! それは認めるわ」と一悟の意見に肯定してくれた。共感してもらえて力を得る。 そうだろう、そうだろうとも。 世の中のいじめっ子に失礼かもしれない。穂積は変態で、その素質を小学生の頃から開花させていたに違いない。 けれど、同僚の話を聞いて心から気の毒に思った。 後にも先にも良いも悪いも関係なく考えたときに、あんなに自分を構ったのは穂積が人生で唯一の人間だった。自分は存在を失ったことは無い。それは、穂積が自分に執着していたからかもしれない。 next この攻めじゃ変態すぎて王道……ではないか。でも、うちのサイトの王道パターンという奴かもしれない written by Chiri(10/23/2012) |