メイク・イッツ・イーブン
メイク・イッツ・イーブン(2)



「うわ、寝坊した!」

 その日、朝起きたときには冷や汗から一日が始まった。華の大学生といえども、最低限の授業はとらなくてはいけなかった。特に厳しい教授の必須科目となれば月曜一限目からといえども、学生は飛び起きなくてはいけないのだ。
 基本、平日の朝に喜嶋はいない。当たり前だ、喜嶋は喜嶋のリーマンライフがあるのだ。
 春海は靴下を衣装ケースから発掘しながら、トーストにむしゃぶりつく。最後にジュースで無理やり流し込んでから自宅を飛び出た。

(クソッ、喜嶋が毎日いればいいのに!)

 全速力で走りながら、次の瞬間(いやいや、それは違う)と自分に突っ込みを入れる春海。何故、あんな危険男と今以上に一緒にいたいと思うのか。

(だって便利だから! それしかない! 便利だもん、アイツ)

 自分に暗示をかけながら、便利、便利とリズムに作って走る。
 しかし、残念なことに授業のチャイムは既に鳴った後だった。膝を折って一番後ろのドアからこっそり教室に入るも出欠確認は既に終わっていた。
 春海は席に着きながら、頭を抱えた。今日の授業に出なかったら、出席率が足らなくなる。これ以上授業受けたところで意味が無い。
 授業が終わり、春海が「馬鹿だ、俺は馬鹿だ」とブツブツ唱えていると、ふと春海に声をかける男がいた。

「三佐和、俺今日のお前の分、代返しといたぞー」
「え!?」

 驚いて振り返ると、そこには同じクラスの柳田 孝祐(やなぎだ こうすけ)が立っていた。柳田は一番最初にあったオリエンテーションで一通り声をかけあい、普通に挨拶するような仲になった生徒だった。

「お前、今日出席してなかったら単位とれないだろ」

 柳田は今時男子でオシャレな男だ。男の癖にカラフルなショールみたいなのを巻いて大学に来る。ジャケットも裏地パステルの表地紺のストライプ柄で、春の匂いがする男だった。もちろん女子とも仲良くしゃべられる要領の良い男だ。中学から今まで彼女を切らしたことが無いらしい。
 春海は頭を垂れた。

「お前が神か……」
「ハハ、そんな感謝してんなら今度学食おごれよ」

 ウィンクをされて、それに対して「イケメン!」と本気で春海は思った。柳田は人を観察する目がある。だから女子が大好きな気遣いの仕方や頼んでいない春海の代返ができるのだろう。

「お前、子供じゃないんだからちゃんとこないといけない日くらい自分で判断しろよー」

 柳田はなんてこと無いことのように言う。もっともな話だ。

(最近、喜嶋に甘えまくってるもんなぁ……)

 少なくとも、高校生の時は今よりもっときっちりとしていた。あの頃は一人で生きていた。自分一人が頼りだったから。でも、今はどうだ。喜嶋に甘えっぱなしだし、喜嶋はそれを許してくれる。一緒にいないと調子が狂うまでに。



 それから、柳田とは時々一緒に遊ぶようになった。大学生らしく、オールでカラオケなんかもしたし、飲みをハシゴしたりもした。
 春海は行儀よく生きてきたから、今まで酒の味なんて知らなかったものだ。初めて周りに煽られ飲まされた時は頭がクラクラと回った。地面がぐにゃぐにゃの世界に立たされているみたいで春海はすがる想いで柳田の腕を掴んだ。

「ん? 大丈夫か」
「……うん」

 そういいながらも、目は湿り、息もいつもみたく普通に出来なかった。

「お前。 酒弱いんだな」
「そうかなぁ……」

 そう言いながらトイレに立とうとした瞬間、体がよろけた。柳田が慌てて、春海の体を下から受け止める。

(うわ)

 春海は息を呑んだ。
 なんとなく、高校生の時に喜嶋に抱かれた時のことを思い出した。他人の呼吸が近くにあり、自分以外の体温に自分の温度が流れこむ感じ。
 緊張しながら、ソッと柳田から離れる。

「ん、大丈夫だから」

 柳田は目を細くして、春海を観察していた。その観察の目は、いつもすごいなぁと春海は思っていた。けれど、どこか怖い感じですらある。まるで何もかもを見通す千里眼にも見えた。

(俺が、男に抱かれたことあるなんて気づかれたら)

 冷や汗がひんやりと滴る。酒を飲んで無思考になるどころか、いつもよりも頭の回転が速くなっている気がする。むしろ高速に回りすぎていて暴走している。気持ちが悪い。

「お前、もう今日は帰れ。 送ってやろうか」

 柳田の申し出に春海は素直に頷いた。

「ん、いい。 迎えに来てもらう」
「え、誰に」
「えっと、同居人?」

 喜嶋にメールをすると五秒もすれば返事が帰ってきた。

『今すぐ出る』

 簡潔なメールだ。喜嶋になんてほとんどメールをしない春海だったが、この時ばかりは喜嶋しか思いつかなかった。
 喜嶋が到着すると、喜嶋は「お前、酒をこんなにも飲むなんて何を考えてるんだ」とブツクサ言いながら、春海の体を柳田から受け取った。
 柳田は小さく会釈しながら「飲ませてすみません」と謝っていた。
 喜嶋に車の後部座席に押し込められる。まるで麻袋に対するような乱暴さだった。
 車が発車して、窓の外のネオンが色を変える。春海はまだグルグルの脳みそのまま、とにかく何かをしゃべっていた。しゃべらずにはいられない。酒の力はすごい。

「喜嶋、なんか怒ってるの」
「……当たり前だ。 こんな加減も知らずに飲んで」

 不機嫌そうな声音だった。
 喜嶋はこんな風に不機嫌を顔にあらわすことはあまり無い。春海に対していつも甘い顔ばかりしていた。そんな喜嶋の今日の表情は本当に珍しく、動物園にいる珍獣を見ているような興奮を覚えた。

「今のは新しい友達か」

 喜嶋の声のトーンは変わらない。春海は口元だけ笑いながら答える。

「うん、そうー」
「……気をつけろよ」
「えー柳田のこと?」
「なんかチャラそうな男だ」

 酔っていてもカチンと来るものにはやはりカチンと来る。春海は不機嫌そうに言い返した。

「そんなんお前が言うなよ」

 喜嶋はそのまましばらく押し黙る。無言の車内を居心地悪く感じる。
 なんとなく彼の運転を注意深く観察していたら、彼が単に反省していることに春海は気づいた。激情を落ち着かせようとしているのだろうか。

「あんたさ。 頭冷やした方がいいよ。 むしろ、今度滝にでもあたってきたら? 修行してきた方がいいよ」

 白い着物着て山でやる奴、と春海が言うと、喜嶋はハハと乾いた笑いを発した。

「……そうだな、そうしようか」

 喜嶋の言葉が車内の沈黙に消えていく。
 本当馬鹿な奴、と春海は呟いた。

「お前以外でそんなこと考える奴いないよ……」

 喜嶋がそうだからと言って、春海の周りにいる人間全てをそういう目で見るのは勘弁して欲しかった。春海は普通でいたかった。普通に友達と遊ぶ大学生。皆、心の中で何を考えているかなんて分かったものではないけれど、それでもせめて表面上だけでも普通に。

「世界で俺だけって分かってれば安心できるんだが……そんなはずもないだろう」

 喜嶋が呟いた言葉は今度は交通音にかき消されていった。春海はその言葉は聞こえなかったことにして、ゆっくりと目を閉じた。





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今回は「許したいけど許したくない。ぐるぐる〜」というテーマで書いてる。
written by Chiri(5/19/2012)