ダメ人間奮闘記(3) 結局その一日を寝て過ごすと、武藤はまたけろりとした顔で俺の世話をしてくれるようになった。 最近は俺は一応朝に起きる事にしている。朝に武藤が俺の髪の毛を結ってくれるからだ。その時間をなんだかんだいって気に入っている自分がいる。 そして朝ごはんを一緒に食べて、武藤を見送る。まるで本当の嫁さんみたいだ。 もちろんご飯を作ってるのも食器を洗っているのも相変わらず武藤の役目だが。でも俺はいってらっしゃいのチューをしてやっている。だからやっぱり嫁さんなのだ。 でも結局その後はいつもと同じなのだけれど。 ネトゲ、ネトゲ、ネトゲ、テレビ、ネトゲ、トイレ、ネトゲ。 そのサイクルが途切れたのはいつもは鳴らないはずの呼び鈴が鳴ったときだ。 見ると、時計は夜の九時を示していた。 武藤の帰宅ならば、勝手に合鍵で入るはずだ。俺は呼び鈴を無視した。 しかし、三、四回立て続けに鳴らされて流石にうざったくなってきた。 仕方なく、玄関の扉を開けると、綺麗な女性が何かを担いで中腰で立っていた。見ると、担がれているものは真っ赤な顔をした武藤だった。 「え?え?」 俺が状況を飲みこめずに、目をぱちくりしていると、女性が険のある顔で唸った。 「重い!」 そう言われてハッとした俺は女性の担いでいる武藤を受け取った。 触ってみてびっくりした。武藤はまるでこの世のものと思えないくらい熱かった。 俺が驚いていると、女性はスッと姿勢を正して立った。 「武藤君、熱があるの。寝かせてあげてくれる?」 俺は頷き、早速武藤を奥の部屋にあるベッドで寝かせる。 その間に女性は断りもなしに武藤の部屋にあがり、周りを物色していた。 俺が奥の部屋から出てくると、女性はまっすぐに俺のことを見てきた。それはもう、つま先から頭のてっぺんまで、射抜くように。 「あなた?武藤の同居人って。」 「ハイ…。」 俺は肩を小さくしながら答えた。 全身を舐め回すように見られて居心地が悪かった。だって俺の格好は本当にひどいのだ。 頭は朝武藤が縛ってくれたパイナップルヘアーのまんまだし、そこにはお花のでっかいゴムがついている。上はヒヨコレンジャーイエローとかいうよく分からないヒヨコのキャラクターの絵が描いてあるださいトレーナーだし、下は高校の時の小豆色のジャージだ。靴下は履いてなくて素足のままだし、全身が俺をダメ人間だと主張していた。 女性はハァッと頭痛がするように頭に手をやってため息を吐いた。 「私、彼と同期の天草アズミっていうの。武藤君にはすごくお世話になっているわ。」 「ハァ。」 「武藤君、今日朝からつらそうで無理していたみたい。きっとこの間の風邪がぶりかえしたのね。」 俺の耳がぴくりと反応した。 「この間の…風邪?」 「もしかして知らなかったの?」 アズミさんは信じられないように目を見開いた。 「この間も一度病院で倒れたのよ?あの時は仕方ないから病院で一日休ませてから家に帰したはずだけど。」 「あ…。」 あの日のことだ、とやっと思い当たった。 この間、武藤が帰ってこない日、武藤は病院で倒れて寝ていたのだ。だから、俺の夕飯を作りに帰って来れなかったのだ。 俺が呆けた顔をしていると、アズミさんの視線はより厳しくなった。 「…呆れた。いくら同居しているだけとはいえ、同居人の体調くらい心配してあげたら?」 棘を隠さないアズミさんの言葉に俺は身を小さくした。 「とにかく!今日は武藤君にお粥でも作ってやってちょうだい。あと、薬も食後に飲ませるのよ?」 「お粥…。」 そんなの作った事が無い。 俺が絶望した顔で呟くと、アズミさんがギランと目を光らせた。 「まさか、そんなんも作れないとか言わないでしょうね?」 なんだか泣きそうになった。 でも作れないものは作れない。俺が小さく首を振ると、アズミはふんっと鼻息を荒くさせた。 「じゃ、いい!私が作るからアンタは薬持って来て!!」 ついには初対面の女性にアンタと呼ばれてしまった。 俺は悲しくなり、意識を暗くさせたが、仕方ないのだ。これが普通の反応だ。 だって俺はダメ人間なのだ。そんな俺を文句を言いながらだけど嬉しそうに世話してきた武藤の方がおかしいのだ。 結局、俺は薬を探しに部屋の中を駆け巡った。 いろんな引き出しを開けて、薬箱を探す。呆れた事に俺は薬箱の位置さえ把握できてなかったのだ。 結局その様子もアズミさんにばれて、アズミさんは眉間にピクピクと皺を寄せていた。 「呆れてものがいえないわ…。」 そんなピリピリした彼女にコウチだけはあまり近寄らないで俺の側に居てくれた。と思ったのも束の間、彼女がコウチにもついでに餌をやるとコウチは嬉しそうに彼女に擦り寄っていった。 ……薄情者…。 結局ダメ人間に味方してくれる人なんていないのだ。 台所から良い匂いがしてきたと思ったら、彼女が鍋を持って、俺の前を通り過ぎていった。その奥には武藤が眠る寝室があって、俺はその部屋を開いたドアの隙間から覗いた。 「武藤君、起きてちょうだい。お粥作ったのよ。」 アズミさんが寝ている武藤に呼びかけている。 武藤は目をつぶったまま、彼女に返していた。 「ん…。先輩がお粥作ったんですか?そんなわけないでしょ?」 「武藤君…。私、あの人じゃないわ。」 「…俺は自分で作るから大丈夫です。先輩の分もすぐ…作るから…」 「武藤君、私よ。」 「…でもその前に。先輩、キスだけ…。」 そう言って、武藤はそっとアズミさんの唇を奪った。 アズミさんは一瞬だけ目を見開いたが、そのまま目をゆっくりと閉じた。 俺は、それを部屋のドアのすぐ外で見てしまっていた。 結局、武藤がお粥を食べれずに寝てしまうと、それを下げてきたアズミさんとばっちり目があった。 俺は唇を震わせた。 アズミさんと武藤がキスしているのがショックだった。 否定したかった。 「さ、さっきのキスは、武藤が俺と間違えて…。」 気付くとカミングアウトとも言えるようなことを口走っていた。しかしアズミさんは取り乱す事も無く、お粥を台所に戻すと、剣呑な視線を返してきた。 「そんなの分かってます。…貴方、武藤君と付き合ってるのね?」 ぴしゃりと強い口調で言われたが、うんと力強く頷いていた。 しかし、それを見たアズミさんの表情は険しさを増した。 「なら聞くけど、貴方、普段恋人の世話もしてあげていないの?しかもおかゆも作れなくて、薬も探せないなんて…とんだ役立たずじゃないの!」 厳しい言葉をぶつけられてグサッと来た。 けれどそれは真実だ。 「……だって、いつも武藤が全部、してくれるから…。」 まるで子供の自信の無い言い訳のように声が小さくしかでてこなかった。 「呆れた!!あなた自分がどれだけ彼の重荷になってるか分かってないのよ!あなた、成人した大人でしょ?なら、自分のことくらい自分でしなさいよ!!」 正論だったからこそ刺さった言葉は容易には抜けない。 「武藤君はね、成績優秀だしこのまま行けば素晴らしい医者になるわ!!それなのに恋人がそんな汚らしい格好をした男だなんて!」 アズミさんの蛇のような目つきに俺は怯えた。 「貴方、全然ふさわしくないのよ!!私はね、武藤君が好きなの!私なら彼を支えてあげられると思ってるわ!!私は同じ職場だし、女だし、彼をいろんな意味で安心させてあげる事ができるの!あなたはどう?あなたは武藤君を支えて上げられるの?その自信はあるの!!?」 止まらないアズミさんの言葉に俺は顔を歪めた。 そんなの分かってる。 俺は、武藤に支えてもらってきただけだ。 俺なんてダメ人間、武藤を支える事なんてできない。 俺が大きくかぶりを振ると、アズミさんはとどめといわんばかりに俺に言葉を投げつけた。 「なら、私と同じ土俵に上がる資格なんて無いのよ!!貴方は彼の迷惑にならないようにどこかに消えるべきだわ!!」 言われてその通りだな、と思ってしまった。 今まで俺と武藤とコウチしかいなかったから分からなかった。 他の人がこの空間に介入した事なんて無かったから。 だからこの生活が変なんだ、って気付いていなかったのだ。 どうやら俺が、武藤をダメにしているらしい。 当たり前だ。 俺は武藤が風邪をひいたことなんて気付きもしなかった。 その上、ひいてると分かっても世話もろくにできない。 ペットのコウチだって俺には何も期待していない。 ふと気付くと、いつのまにかアズミさんはいなくなっていた。 俺がずっと彼女の言葉に反応しなかったから見限って帰ったのだろう。 けれどよほど俺に対して腹が立ったのか、玄関にあった俺の靴が踏みつけられていた。 残された俺とコウチだけがその部屋でただ立ち尽くす。 俺はのろのろした仕草で寝室に行った。 静かに寝息を立てる武藤の顔を覗き込むと、その影に気付いた武藤が小さく目を開けた。 「…先輩?」 「うん…。」 「…お腹、すいたの?ごめんね、すぐ作るから…。」 「ううん、大丈夫だから。」 「…ちょっと待ってね、先輩。」 「大丈夫だよ、武藤。」 ぽたりと涙が落ちた。 なんだか分かってしまった。 武藤、お前はいつも俺のこと『なんでこんな人好きになっちゃったんだろう』って言ってたけど、きっとお前は俺のことなんて本当は好きではなかったんだよ。 ただほっとけなかったんだ。 俺が何もできないから。 俺が何もしようとしないから。 武藤、お前のそれは恋じゃないよ。 俺のは、恋だったけど。 そうだ、俺はお前に恋していたんだ。 今になって気付いた。 お前にはそんなことかけらも言った事なかったけど、俺は確かに恋をしていた。 俺、多分お前の事すごく好きだった。 でも、もう決めたよ。 ここを、出て行く。 俺は、お前をだめになんかしたくない。 俺はお前にふさわしくないのだ。 俺はちゃんと一人で生きるべきだ。 お前におんぶさせたまま生きるなんて、今になってはもうできない。 俺みたいな重い荷物を背負って疲れていくお前を見たくない。 コウチは置いていくよ。 どうせ、アイツ俺よりもお前になついていたから大丈夫だろうな。 というよりきっと俺よりもこれから度々訪れるだろうアズミさんになついていくのだろう。 大体、つい先ほどの短い時間で俺よりもアズミさんの方を気に入ったくらいだ。 静かに落ちていくように眠ってしまった武藤を俺はじっと見つめた。 「さよなら、武藤。」 その一週間後、俺は武藤が仕事に出かけている間にひっそりとその家を出て行った。 next 諦め早っ!そこもダメ人間故。 written by Chiri(11/28/2007) |