ダディ・フー(4)



義父の存在の危なさが少し薄れてから、2週間くらい経った。
相変わらず義父は春海の部屋の扉をノックしては、あらゆるスイーツを置いていく。それを春海は義父がいなくなった隙に中に入れると、普通に食べるようになった。一度食べ始めたら止まらない。何故なら義父が置いていくスイーツはどれも美味しくて有名な店のばかりだったからだ。
食べてみればどれもおいしい。
おいしいと義父のことを少し見直す。
そんな毎日。



ある冬の日、春海は自分の体調に関して嫌な予感をしていた。
そういえば朝から喉が枯れている。しかも寒気と熱気が交互にやって来る。そして体中が水の中にいるように緩い動きしかできない。要はだるい。
つまり、風邪をひいたのだ。
(またか…)
春海は確実に年に一回は風邪をひく。それは本人も承知していた。
ただ厄介なのは今回の風邪が意外に春海を追い詰めるほど強力だということだ。もともと我慢する性格の方だったが、それでも今回はもう無理!といえるくらいつらかった。
そのまま授業が終わるまではどうにかもったがこれ以上はもうどうしようもない。どうせ、母親に連絡はつかないのは知っていた。この時間、母親は仕事中だ。
春海はしばらく逡巡したが、もうどうしようもなく体がつらかったので大樹を呼んだ。
「大樹。」
「んー?どした〜?」
「…あとはまかせた。」
「はぁ!?」
そう言って春海はごつんと頭を机に打った。
大樹は驚いて、春海に触れたがその体が存外に熱いことに気付き、はぁっとため息をついた。
「お前ってそう言う奴だったよな…。」
仕方なく、大樹は春海を抱えて春海のアパートへと向かう。
高校生になって春海と大樹の身長差は広がった。大樹は運動部に入って、体もどんどんたくましくなる一方春海は実益にもなりうる家庭科部に入ったのだ。今では筋骨隆々とした大樹に比べて春海は子供のまま背だけ伸びたような体つきだった。
(軽いな…)
春海をおぶってみて、大樹は心の中でだけ思った。
しばらく歩道を歩いていると、背の上で春海が気付いたようだ。
「…大樹、ごめんもう歩けるから。」
その言葉に大樹は苦笑した。
「いいよ。お前すげー発熱してんじゃん。家までこのまま送るよ。」
「…ごめん。」
思えば春海と大樹のつきあいももう長かった。
中学一年生の頃からの友達だ。それほどまでに友達暦も長かったので春海の性質も大樹にはなんとなく分かっていた。
春海は一見自立していて極普通の男子と同じなのに、時々どうしようもない時に人に上手に甘えるのだ。おそらく幼い頃から一人暮らしを始めて自然と身に付いた処世術なのだろう。家族に甘える分のそれを上手に友人たちや周りの人間に分散させているのだ。
甘えてくる時は本当によっぽどの時だ。だから春海が助けを求めてくる時は全力で助けてやりたいと大樹はいつも思っていた。秋菜に関しても同じである。秋菜は高校からの友達だが「春海って時々母性本能くすぐられるのよね。」と前にこぼしていることがあった。それを鋭いな、と大樹は常々思っていた。
大樹は春海が何故一人暮らしをしているのかも知っていた。義父とのことも昔聞いたことがある。中学の頃からずっと一緒だ。高校受験の時も側に居た。
だから、大樹は今まで本当に大変な時の春海を知っているつもりだった。
けれど最近線が細くなって、考え事の多い春海に関しては何も分からなかった。
「…春海、お前俺に隠し事してないか?」
突然口を開いた大樹に春海は何も返せなかった。
隠し事といえば義父のことしか思い当たらなかった。
「…なんか、隠し事とか、お前らしくなくね?」
そう言われて「…うん。」と春海は答えた。
確かに春海はいろんな相談事を大樹に持ちかけてきた。
けれど今回は。
今回のことだけは言えないなと思っていた。元義父に犯されたなんて絶対言えない。どちらにしろそれを上手に言葉にできることもないだろう、と春海は考えていた。
そしてやっと春海は思い当たった。
「なんか、気づいた。」
「何が?」
「大樹に言えるようなことじゃないんだ。これは俺とアイツで解決しないといけないことなんだ、多分。」
「アイツ〜?」
「うん、それについては今度、話すよ…。」
春海はこんなに長い間人に言えない悩み事を持つのは初めてだった。今までは悩むというよりは義父の存在に怯えていたから尚更ちゃんとした頭で考えられてはいなかったのかもしれない。
だからこそ義父に対してどう接していいか実はちゃんとはわかっていなかった。ただ自分の体がアホみたいに虚弱になっていって、ストレスを溜め込んで毎日鬱々としている。
このままじゃいけないことは分かっていた。何かアクションをおこさないと何も変わらない。
こんな日々は間違っている。
だから、多分。

(俺は、アイツとちゃんと向き合わないといけないんだ…)

熱に浮かされたように春海は決心した。いや、実際熱があったのだが。
そんな春海の様子に大樹ははぁっとため息をついた。
友人が自分を置いて少しだけ大人になってしまったようで大樹は少しだけ寂しい気持ちになった。
人は人に言えないことを心の中で育てることで大人になっていくかもしれない。
センチメンタルにそんなことを大樹は考えていた。






***






大樹は春海をアパートまで送ると、コンビニで買ったおにぎりとお茶、そして風邪薬を目に見えるところに置いて帰っていった。それに感謝しつつも、春海は何も考えられずパジャマに着替えるなりベッドに突っ伏した。
(体、熱い…)
そうは言っても汗を拭うのも面倒だった。
結局自分の吐く濡れた息さえも煩わしく思いながらいつのまにか春海は眠っていた。



夢の中で義父にあった。
これだけアイツのことを考えていれば夢に出てくるのも当り前だろうな、とどこかで現在の自分が呟いていた。
まだ春海が小学生だった頃の昔の義父だ。義父はいつも春海を見つけると抱え上げてくれた。顔を見れば義父のお得意の無表情だ。
しかし今思うとあれは義父の嬉しそうな顔なのかもしれない。少しだけ眉尻が垂れ下がっているのだ。
昔の頃はそういう義父の顔を何度も見た。現在の義父はそんな顔はしない。
本当に無表情。もしくは罪を背負ってそれを激しく後悔した哀れな男の顔だ。
昔の顔が見たいな、と素直に春海は思った。
昔の義父の笑顔。笑っていないけどあれは確かに笑顔だった。
確かにつらい顔させたいと思う気持ちもどこかにあった。あれだけ春海を苦しめているのだから自分も苦しめばいいのだ、と思う。けれど、それだけでは味気ない気がした。
普通の人なら多分義父の顔の変化などわからないだろう。けれど春海にはきっと分かる。
それをなんとなく春海は確信していた。


意識の働くところの遠く向こうでカチャリと扉が開く音がした。
部屋の扉が開き、誰かが侵入してくる。
けれど夢を見ていた春海には現実と夢がごっちゃ混ぜになってよく把握できていなかった。

「春海…風邪をひいてるのか?」

トーンの低い男の声。
義父の声だ。
それに気付いた春海は無意識に口元を綻ばせていた。
まだ意識は夢の中にあった。自分が幼い頃の優しい父親。
「おとうさん…。」
春海の言葉に義父は瞠目した。
義父が春海にそう呼ばれるのは随分久しぶりだった。それが嬉しくてじんわりと胸があたたかくなり、不覚にも瞳が濡れた。
「…おとうさん、泣いてるの?」
相変わらず幼い口調の春海はベッドに横たわった状態のまま義父に手を伸ばした。
義父の頭の上に手をかざすと、ぽんぽんとそれを上下させた。義父の頭を柔らかく撫でてやる。
「泣いてないぞ。春海、体はつらいか?」
「汗でぬれてて気持ち悪い。」
「そうか。」
義父は春海の前から消えると、濡れタオルを持って戻ってきた。
「身体拭くから、体おこしてくれ。」
言われるがまま、春海はつらそうに上半身を起こす。瞳はまだ熱に浮かされているのか、きちんと開いていなかった。
ふわふわしていて、まだ夢の中にいる感じがした。
目の前にいる男は幸せな夢の住人で、まさかそれが現実だとは思っていなかった。
パジャマの前を開けられて、ひんやりとしたタオルの感覚が春海を触れたときも「きもちいい」と春海は嬉しそうに喉を鳴らした。

けれどふとした拍子に義父の手が春海の肌に触れた瞬間、何故か全身が総毛だった。
目の前にいるのは自分を犯した人間だということに気付いたのだ。おそらく春海の記憶だけが。
それが半裸の自分をタオルで拭いているという事実に体が拒否反応を起こした。

「や、やめて!!」

咄嗟に自分に触れていた義父の手を振り払う。
春海はベッドの上で後ずさった。背中が壁に当たると逃げ場が無いことに気付いて震えだす。

「おとうさん怖い!やだ!やめて!」

義父は春海の様子に驚いて言葉をなくした。
目の前の春海はそれこそ現実を如実に語っていた。春海は義父を恐れている。恐れさせるようなことをしたのだ。

「怖い!やだ!脱がさないで!!やめて!!いれないで!」

子供の口調のまま、そう叫ばれて義父は息を呑んだ。大人の言葉をしゃべる春海に言われるよりもずっとショックだった。自分のしてきた罪の在り処が露になって、義父の言葉を奪った。

春海は今の状態がわからなくてただ混乱した。けれど自分の肌が見えていて、それに対峙するように義父がいるだけで、気持ち悪くなった。
ガタガタと体が大きく震えだして、言うことを聞かなかった。
「怖いやだ…おとうさん、怖い…。」
たまらず、義父は春海を抱きしめた。
「や!!やだーーーーー!!」
逆効果だと分かっていたが義父は春海を離さなかった。
腕の中で暴れる春海をひたすら抱きしめることで大人しくさせる。
結局、義父が自分を解放してくれないとしると春海は小さく啜り泣きを始めた。
「やだぁこわいぃ…」
「大丈夫だ。もう怖くない。」
「やだぁ…」
「もう怖いことはしない。絶対しないから。」
「うそつけぇ……」
義父はその言葉通りそれ以上は何もしなかった。
泣く春海の背中をぽんぽんと撫で続けた。春海の痛々しいほどの泣き方は義父は胸を物凄い圧迫力でぎゅーぎゅーと締め付けた。
これほどまでに春海を苦しめているなんて思っていなかったのだ。
気付かないふりをしていたのかもしれない。

(俺は最低だ…)

やがて春海が泣き止むまで義父はずっとその体勢で居続けた。
心の中では何度も春海に謝っていた。

(ごめんな、ごめん…ごめん…春海…)

久しぶりに触れた春海の体はまるで自分を全身で拒否するように縮こまっていた。
それを、義父は悲しい気持ちで見ていた。

「もう本当に怖いことはしないって誓うから…。」

(でもそれでも好きなんだ)

二つの相反する言葉が義父の胸の中を支配していた。
その言葉の両方、もしくはどちらかが春海に届けばいいと心の中で思っていたが、実際の春海には何も聞こえていないだろう。
それを少しだけ恨めしく思いながら、義父は結局春海が寝付くまでそこに居た。
そして春海が寝たら、義父は静かに立ち上がって、アパートを出て行った。






そしてその次の日。
日課となっていたはずのノックの音は鳴らなかった。
義父は、初めて春海の家を訪れなかったのだ。





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幼児返り萌え!\(^∀^)/ そしてお義父さんは不法侵入…。
written by Chiri(11/9/2007)