ダディ・フー(3)



「また青い顔してる。」

そう大樹に言われて、春海は押し黙ってしまった。考えたやっと出てきた返答も
「…気のせいじゃない?」
「気のせいのはずあるかよ。」
と一蹴されてしまう。そう言われても春海にそれ以外に返す言葉が無いのだ。
友人に心配をかけたくないという気持ちは強くあったが、だからといって力いっぱい熟睡できるはずもない。食欲も無いのだって生理現象だ。食べようと思っても箸がすすまないのだから。
「ちゃんとメシくってんのかよ?」
「…うん。」
曖昧に答えたのが悪かったのか、大樹は口を閉ざしてしまった。

「じゃ、私が今日作りにいってあげる!」

春海がびっくりして振り返ると秋菜がそこに笑顔のまま立っていた。聞いていたのか、と思いながらも秋菜はそんなこと気にしないでズカズカと話に入ってくるような女だということを思い出した。
「大体さ、男の一人暮らしなんてどうせろくなもの食べてないんでしょ?」
「っつーかお前、なんか作れるの!?」
隣で大樹が秋菜を侮った科白を吐くが、秋菜はふふんと鼻をならした。
「残念だけど、私の特技は料理なのよ。」
「…何が作れるんだよ?」
疑わしげな様子で秋菜を見る大樹に秋菜は誇らしげに答えた。
「鍋!」
「…それって料理の腕関係ねーじゃん…。」
呆れる大樹に秋菜は食って掛かった。
「ち、違うわよ!本当は何でも作れるんだけど、元気の無い時はうちでは鍋って決まってるから!!」
「…ハイハイ。」
春海を挟んで言い合う二人に春海は苦笑した。
けれど、もうすぐで冬だし鍋ならあったかくて楽しいかも、と思った。一人で食べるのは嫌だったが、こうやって二人が楽しそうにおしゃべりしていれば気持ちも上がるだろう。

結局、その後、キムチ鍋をすることに決まって、春海と秋菜は一緒にスーパーへと寄って帰った。大樹は今日は部活があるので途中で合流するとか。
二人とも高校の制服のまま、スーパーで買い物していったからかやたら見られた。レジのおばさんに関しては「ふふ、仲いいのね。」と生温かい目で見てきた。
「絶対カップルだって思ってたよね、アレ。」
道中そう秋菜に話しかけられて、春海は少し照れて返した。
「恥ずかしかった?ごめん。」
「別に恥ずかしくないわよ!なんかしらないけどレジのおばさん、いくつか半額にしてくれたし。制服でスーパーに買い物行くのってそんなに珍しいのかしら?」
「うーん…。」
春海が真剣に考えていると、プッと秋菜が笑った。
「でも春海の場合、確かに私が養ってあげなきゃ!って言う気にさせるわよね。」
「はぁ?そう?」
「うん、普段はそうじゃないんだけど時々すごい素直なとことか笑うと可愛いとことか!」
「それって誉めてる?」
「誉めてるってか、ヒモになれる素質があると思って?」
「じゃ、秋菜が俺のこと飼ってよ?」
二人して笑った。
穏やかな帰り道だった。人としゃべることが春海の心を幾分か浮上させた。
だっていつもは一人で帰っていた。義父の影に怯えながら、外に一人でいることさえ怖くて急ぎ足でうちに帰るのだ。そうやって義父の存在は確実に春海の心の余裕を消耗させていった。

ふと秋菜が足を止めた。それに伴い、春海も歩みを止めた。
「秋菜、どうかし―――」
前を見た瞬間、凍りついた。
義父がいた。まただ。また義父がアパートの前で突っ立っていて、こっちを見ている。
目があうと春海は全身の肌面が粟立つのを感じた。

義父の顔はこの前と同じだ。特に何の感情も表面には出していない。
けれど春海は恐れ戦いた。

だってこの状況は、まるで。
まるで義父が最初に春海を殴った時の状況そっくりだった。
春海がまだ小学生の頃だ。幼いガールフレンドと遊んでいて、家に帰るのが遅れてしまった春海は義父に骨折するほど強い力で殴られた。

(…今思うと、あれってヤキモチだった?)

そう思うとそれはそれで恐ろしい。母は義父のことを異常といった。変態とも。
確かにそうだろう。大体成熟した大人である義父がまだ小学生だった子供にそんな感情を抱くなんて頭がおかしい。
こういうのをなんていうんだっけ?

「ショタコン…。」

口に出すと、隣の秋菜が不思議な顔をして、「どうかした?」と聞いてきた。それに対して首を振ったが、義父のほうはばっちり聞こえていたらしい。
少しバツが悪そうに顔をそらした。

何をするでもない義父に春海は少しばかりホッとした。
また殴られるのかもしれない、と心のそこでは疑っていた。

「秋菜、行こうか…。」

春海が秋菜を自分の部屋へ促した。先に秋菜に階段を上らせると、後ろから春海の手をとられた。
キッと対象を睨んだが、義父はひるまなかった。

「…彼女か?」

春海はなんて答えようかと逡巡した。
「彼女」がいるからてめぇはどこかに消えうせろ!と言いたかったが、それでは秋菜に迷惑がかかってしまう。なんたって異常愛だ。変態だ。何をしでかすかなんて分からない。
いろいろ考えて、でもとにかく触られている手が腐りそうだったのでとりあえず
「…触んじゃねーよ。」
と小さい声で凄んだ。小声だったのは秋菜にはこの会話を聞かせたくなかったからだ。

義父はぐいっと眉を八の字に曲げた。それを見て、春海は少しだけ目を細めた。
義父が時々その表情を変える時は大抵その顔になる。
歪んでいて尚苦しそうな顔。
それを見ると春海の心は少しだけ安息を手に入れる。
ざまあみろっ!!と思うのだ。
ある意味では春海の頭はとても単純な構造をしていた。義父の不幸を笑えるくらいの単純さ、もしくはそれは素直さなのかもしれない。

今日もその右手に何かをぶらさげていた義父はそれを春海に渡した。
「二人で…食べろ。」
(またケーキかよっ)
と呆れながら、秋菜に疑われても困るから受け取るふりをした。
いつもは部屋にもって行くなり中もろくに見ずに捨てている。この男に何かをもらうなんて考えただけでも気持ちが悪い。
しかし、ふとそのビニール袋を渡してくるその手が震えているのに春海は気付いた。
(気色悪い…)
と思いながら、侮蔑を送る意味でもう一度義父の顔を見てやった。
苦しそうに青ざめた表情の義父はもう随分な大人だというのに泣きそうだった。
見ているのも胸糞悪いと思った春海はそのまま背を向けて、階段を上り始めた。その時、後ろから義父のかすれた声が聞こえた気がした。
けれど春海は聞かなかったことにした。

「…それでも好きで、すまない。」

…本当に胸糞悪い科白だと思ったからだ。




秋菜と部屋に入ると、ふぅっと息をついた。秋菜は「さっきの誰?」と聞いてきたが、「ただの知り合い。」と答えておいた。
秋菜は特に気に留めた様子も無かったが、さっき渡されたビニール袋の中身を見るといきなり感嘆の声をあげた。
「これ、鶯堂のシュークリームよ!しかも限定30個の!」
「…シュークリーム?」
「そうよ!並ばないと手に入らない奴!」
気になって中を覗くと、まんまるとしたシュークリームが箱の中に詰め込まれていた。掌のサイズほどある大きなシューだ。
(この前ケーキが嫌いだっていったから今日はシュークリーム?)
少しだけ笑ってしまった。
逐一春海の言葉を真に受けている義父がおかしかった。
それと共に少しスッとするような気持ちもどこかに存在する。

シュークリームを見て、義父の震えた手を思い出した。
シュークリームは二個入っていた。
思えば、今までもらっていたケーキも全て二つずつ入っていた。
義父はいつも夢を見ながらケーキを買っていたのだろうか?
春海と二人で顔をあわせながらケーキを食べるその瞬間を思い描いて?
だから彼女がいると勘違いした義父はあんな風に震えたのだろうか?
そしてそれを承知して「二人で食べろ」と言った義父の心情はどのようなものだったのだろう。なんとなくそんなことを考え始めたら、きりが無かった。

「ちょっと!?春海!レディに長芋切らせる気!?」
「あ?ごめん!」

突然秋菜に呼ばれてハッと顔を上げた。
秋菜は既に買ってきた鍋の食材を切ろうと奮闘していた。しかし、長芋はかゆくなるから切りたくないらしい。鍋に入れてみたいといったのは秋菜だというのに。

「今やるから。」

そう答えた春海に秋菜「当然よ!」と返す。

(そういえば、アイツ今日は殴んなかったな…)

春海が女の子と二人きりで家に帰ってきたのに。
昔とまったく同じ状況だったが、今日の義父は大人しかった。なんとなく今日の出来事で義父が超危険人物から準危険人物位までに危険度が落ちたような気がした。

反省したということだろうか。

そんなことをぼんやり考えながら、春海は秋菜の変わりに長芋を切る為まな板をもう一つ取りに立ち上がった。


それから春海と秋菜は30分後にやって来た大樹と一緒にキムチ鍋を食べた。久しぶりの自分一人だけではない食事に春海は心のあたたかさを少しだけ取り戻した気がした。
春海の見ていない隙に、シュークリームを食べてしまった秋菜には流石に苦笑したが、実を言うと毒見役をしてもらって得した気分だった。シュークリームにはどうやら怪しいものは入っていなかったらしい。今までそのことも気にしてケーキも食べていなかったが、これからは食べようかなと少しだけ思った。
なんだかんだいって春海は甘いものは大好きなのだ。





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義父は健気攻めなんですよ。
written by Chiri(11/4/2007)