朕は猫である
朕は猫である(3)



 チチッと鳥の鳴き声を窓の向こうで聞き、朕は目覚めた。
 タカヒサの家で起きるのも四日目である。鳥のさえずりを一枚ガラスを隔てて聞くのにも慣れてきた。
 ふと体を起こすと、タカヒサがいないことに気づいた。テレビをつけると今日は月曜日だとあなうんさーが言う。
 タカヒサを探すとタカヒサはキッチンで何やらもぞもぞと手を動かしていた。朕はタカヒサの背中をポンと叩いた。

「タカヒサ、今日はげつよーびじゃ」
「……知ってるよ。 だから大学行く準備してるんだろ」

 いきなり後ろから叩いてもタカヒサは驚きもしない。本当に面白くない男だと言う事を再確認しながら、朕はふとタカヒサの手元を見た。
 タカヒサはまたしても歪な握り飯を作っていた。

「本当に下手じゃな、おぬし」

 笑いながら、タカヒサの手をまじまじと見る。こんなにも大きくて、どんなに大きな荷物も持てるし、朕さえも担げるその手は綺麗な握り飯を作る事さえできない。それがなんだか面白かった。

「ほぉ、これが白米を自動的に炊いてくれる炊飯器か〜」

 テレビを見てて幾つか現代のことを学んだ。白米は釜で炊かないらしい。電気さえあれば勝手に炊いてくれる炊飯器というもの。それがあればあんなにも美味しい白米が炊けるというのだ。

「下手だって言うなら、お前作ってみろよ。 丸めるだけだろ」

 タカヒサはじろりと朕を睨んだ。
 朕は口を尖らせた。

「朕は皇子だから、そのような事はしないのだ。 お前も学ばない奴じゃな」
「どっちがだ!」

 タカヒサが不穏な様子になるので、朕はそそくさともう一つの部屋の方に逃げた。最近タカヒサはすぐ怒るのだ。昨夜は朕にとんでもない事をしたせいもあり、大人しかったが……。
 そういえばタカヒサも大学というものに今日は行くらしい。あの図体でまだ齢21というのがどうもうそ臭い。とはいえ、朕の国で齢21といえば既に大の大人ではあるが。
 どうやら、今日は朕は一人で留守番らしい。
 タカヒサがいなければ朕は外には出られない。元々最近の朕はてれびっことなりつつあるので、なんとも思わないが。

「おい、ちん。 こっち来い」

 弁当を作り終えたらしいタカヒサに呼ばれて朕はまたダイニングに向かった。タカヒサの機嫌が治ってることを確認してから、歩み寄る。

「ほら、これ。 作ったんだ」

 何かと思い、朕はタカヒサの手元を見た。握り飯があると思いきや、もっと違うものがそこに乗っていた。

「なんじゃ、この布切れは」

 つい猫の習性が残っているのか、朕はその臭いを嗅いだ。やはりまた臭い。これはこの間タカヒサが着ていた服ではないだろうか。けれど、形が少し違う気がする。

「帽子作ったんだ。 お前その猫耳恥ずかしいんだろ?」

 タカヒサが何のことでもないように言った。
 朕は目をぱちくりとして、タカヒサとその帽子を交互にみやる。

「この布切れが帽子じゃと?」

 朕が本音をそのまま言うと、タカヒサは少しむすっとしてその布を朕の頭にかぶせた。

「ほら、ちゃんとぴったりだろ」

 壁にかけてある姿見で確認する。朕が嫌っているあの醜い耳がきちんと布の中におさまっていた。白髪なのはやはりおかしいが、それでも朕は人間のように見えた。
 そういえばタカヒサは昨夜遅くまで起きて何かをしていた。朕は気にせず、ガースカ眠っていた。タカヒサはあの時朕の為にこの帽子を作っていたのだろうか。
 朕はいきなり胸が苦しくなった。
 何かの病気かもしれない。医官を呼んでもらいたいくらいである。
 けれど、違う。
 この胸の痛みはあたたかさから来るものである。
 人に気遣いをされて、想われて、感謝と嬉しさから来る締め付けである。こんなのは皇子であった頃でも味わった事は無かった。

「朕は手作りのモノをもらうのは初めてじゃ」

 言葉にすると同時に、目から涙が流れた。
 タカヒサは尊い朕の涙を見て、口元を締めた。何をされても驚かないタカヒサも流石に驚いたのだろうか。

「ちん。 なんで泣くんだ」

 皇子である朕に手作りのものなど渡してはいけないのである。例えそれが母であろうと、贈り物は全て最高級の職人が作ったもので、職人以外の手作りのものを着たり食べてはいけなかった。真心の塊であるそれを朕は味わった事など無かった。
 タカヒサは右手で自分の首を掻く素振りをした。

「……どんな生活をしてたか分からないけど」

 朕は涙に濡れた目でタカヒサを見やる。

「お前は今はもう皇子じゃないんだ。 ちんは俺の同居人だ」

 こんなに臭いのに。
 よくよく見るととんでもなく汚い縫い目である。柄も布地が既に趣味が悪いせいで、帽子にしたところでセンスがますます問われるものとなっていた。
 それでも、これは手作りである。
 朕の為に真心を込めて作ってくれたものである。
 朕はかぶった帽子の端を両手で握り締めた。

「臭い帽子じゃけど、朕は大切にするぞ」
「臭いは余計だ」

 ポンポンとタカヒサに頭を撫でられて、ぽろぽろと涙が落ちていく。朕の真珠のような涙をまたタカヒサに見せてしまった。けれど、タカヒサは朕はもう皇子ではないと言う。皇子の涙は誰にも見られてはいけないが、朕がただのタカヒサの同居人であるなら話は別かもしれない。
 もしかしたら朕はタカヒサには心を許してもいいのかもしれない。



***



「じゃ、行ってくるからな」

 合鍵と言うものを渡されて、タカヒサが玄関から出て行くのを朕は注意深く見送った。カンカンとトタンの階段を降りていくのを確認しつつ、朕はタカヒサにもらった帽子をかぶり、耳を隠した。しっぽは服の中に隠し、白髪はどうしようもないからそのままにする。タカヒサの襟高なジャケットを着れば髭も隠せる。
 音を立てないで扉を閉じると、朕は部屋の鍵を閉めた。廊下から下を見渡すとちょうど駐車場を横切るタカヒサを見つけた。朕は慌てて、頭を隠す。
 今日は、タカヒサを尾行する事にした。
 タカヒサは、朕は皇子でないと言った。ならば、皇子でない人間の生活とやらを見せてもらおうか、というわけである。
 タカヒサの一日を見て判断して、朕は皇子であることを辞めるかまた考えようと思ったのだ。

 タカヒサは軽い足取りで進んでいく。たしか学び舎までの距離は徒歩15分くらいだったはずである。
 タカヒサは大通りに出ると、そのまま歩いていく。朕の尾行にはまったくもって気付いていないようであった。
 途中、タカヒサは驚くべき行動をとった。

 一人、目の前で転んだ男の子を助け、
 一人、荷物を抱えた老婆を助け、
 一人、迷子になっていた幼女を助けた。

 ヤツは特に困った様子も無く、いつものあの無表情のままでそれを当然のことのようにしたのだ。
 朕はひどく驚いた。
 タカヒサはこの街の憲兵なのかと疑念さえ抱いた。けれど、ヤツはただの貧乏な学生であるはずだ、でなければあんな貧乏生活をしているはずもない。

 そして、朕は気付いたのである。



***



「タカヒサ、そなたは……」

 夕方となり、部屋に戻ってきたタカヒサに開口一番朕は告げた。タカヒサは眉をよせた。いつも着ているジャケットにハンガーをつけて、壁にかけながら朕を見つめる。

「げぼくたいしつじゃ」
「はぁ!?」

 朕の言葉を受けて、タカヒサは口を歪めた。朕は自分の言葉に絶対の自信を持っていたので、腕を組んでタカヒサと対峙する。

「そなた、何も言わずとも今日人を5人助けたであろう。 誰にも頼まれてもいないのに、そなたが勝手にしたのじゃ」
「……お前、今日俺のあとつけてたのか?」

 ぴくりとタカヒサの目下の肉が動く。
 朕は恐れずに続けた。

「故に朕は今日理解した。 そなたは下僕体質である」

 タカヒサは怒気を含んだ目で朕を睨んだ。

「ったくなんでそうなるんだ」
「じゃなきゃ、自分から人を助けるなんていう愚かな真似はしないであろう」

 朕はにやりと笑った。

「そなたが下僕なら、朕は皇子であるべきである。 この現代でも朕は皇子であり続けるのじゃ」

 結論はつまりはそれだった。朕は今日、皇子でないタカヒサの生活を見て、朕はやはり皇子であり続けると決めたのだ。
 タカヒサのように何も期待せず、人を助けるような人間に朕はなりたくなかった。それはプライドが許さないのじゃ。王族は立っているだけで、尊敬される立場であるはずじゃ。
 タカヒサは大きなため息を吐いた。朕のことをあきれ果てた様子で見やり、座布団の上に腰掛ける。怒気はどこかに行ってしまったらしい。こたつで頬杖ついて朕のことを見ている。

「別に自ら下僕になっているわけじゃない。 俺はただ放っておけないんだ」

 タカヒサの言葉に朕は目を細くした。それをつまり下僕体質というのでは?と朕は思ったからである。

「ガキの頃から父親がいなくて、弟たちや母さんを守るのは俺しかいないって思ってたからな。 人の世話をするのが癖になってるんだよ」

 タカヒサの言葉に朕は目を瞠った。全ての動作を止めて、タカヒサの目を見つめた。
 今、タカヒサは父親がいないと言った。

「タカヒサ、そなたは父親がいないのか」
「ああ、八歳の時に死んだよ」

 その瞬間、朕の目からダーッと涙が流れ落ちた。自分でも制御できないほど、堰を切ってあふれ出た。
 タカヒサは驚いて体を強張らせた。

 別にタカヒサのことを同情したわけではなかった。ただ、朕は自分の偉大なる父王を思い出していただけだった。
 父王は朕に何でも教えてくれると言った。国の一番の高台に連れて行き、これが朕の国であると見せてくれた。朕はそれがとてつもなく広く大きな国だった為、しり込みをしてしまった。

『父王様、朕には無理です。 このような大きな国、朕には治められません』
『−……よ。 臆するでない。 全て、朕がそなたに教えよう。 朕の思念、技術、家来達、全てである』

 父王が呼ぶ自分の名前も思い出せなくて、胸が痛くなった。父王の真の名前さえも思いつかずますます自分が恨めしくなる。
 しかし父王はその後すぐに倒れ、朕に何も教える事なく床に臥すようになってしまった。朕は父王がまた朕を叱りつけ、一から王とは何たるかを教えてくれるのを待った。だから、好き放題に国を乱したのだし、大臣の言う事も聞かなかった。朕を諌めるのも、育てるのも父王しかできぬと信じていた。
 朕が鏡返しを受けて、あの国から人間の姿を消したあの時も、父王は何も言わずに「……そうか」と呟くだけであった。そうしてしばらくして父王は逝去された。朕はそれを猫の姿で宮中の屋根の上から見ていた。葬儀の場にも出られず、猫の目からは涙も出ず、朕はそれをただ眺める事しか出来なかった。
 朕は父王に何も教わらず、そして何も残せなかった。

「おい、ちん」

 タカヒサに声をかけられて、朕はハッと我に返った。目に溜まった涙を右掌で散らすと、朕は慌ててそっぽを向いた。

「ったくお前は本当に表情がくるくる変わるんだな」

 まるで不思議な生き物を見たようにタカヒサは呟いた。その瞬間、朕は腹が立ち、またタカヒサの方に向き直った。けれど、タカヒサは優しい目で朕を見ていた。まるで父王が朕を見ているかのような温かい視線だった。

「……本当放っておけねぇ」

 そう言って、タカヒサは朕の頬を撫でた。朕は何故かまた涙を落とした。ぽつぽつ、と小さい水の円をこたつの上に落とす。
 こんな風に朕に触れるものなどかつて居ただろうか。

「放っておいてもらっては困る。 タカヒサは朕の世話をし続けるのじゃ」

 朕がそう言うと、タカヒサはハッと息を止めて笑った。朕のその言葉をそこまで苦にした様子もなかった。

「分かったから。 あと、外出る時は気をつけろよ。 変な奴らだっているんだから」

 そういってタカヒサは朕に何かを渡した。なんじゃろう、これは。「迷子札」?

「俺の携帯番号とか書いてあるからいざとなったら呼ぶんだぞ」

 朕はこのものを『下僕体質』と呼んだ。それはきっとあながち間違ったことでもないのかもしれない。
 けれど、もう少し良い言い方で、そうである事をもっと褒め称え、敬えるような言い方で呼べたらよいのに、と朕は思った。





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一瞬で泣けるちん。子供ってほら一瞬で泣くじゃん。あれあれ。
written by Chiri(4/25/2011)