百万回殺された悪魔(3) 昼ごろになると、タオスがにやついた笑みを顔に張り付かせて倉庫に入ってきた。 「よぉ、昨夜はどうした。わーわーうるさかったが…。」 (聞こえてたんだ…) ラピはげっそりとした顔のまま、タオスを見た。 朝方、痛みは静かに引いていった。 体の中に海があるような感触だった。 穏やかだけれど揺らせば波が立つ。その気になれば津波だって起こすかもしれない。 タオスは眉を顰めた。 「調子の悪いフリしても無駄だからな。今日も上客なんだからよ。」 (今日もアレ、やるんだ。) 自分の心の魔を打ち払う儀式を称した殺人。 ラピは足元に目線をうつした。ラピの爪先は倉庫の床と同じくらいに汚れていた。 (殺人とは言わないか…、僕は人間じゃないんだから) じゃあ、なんなんだろう。 悪魔でもなく、人間でもなく。それなら? ラピ そうだ、ラピ。 信じられるものは自分の血だけだ。 (…僕の名前はラピ。それだけは真実だ) そしてそれが唯一にして最大の頼みだった。 どくんどくん、と鼓動が鳴っている。 いつもよりその音が近いようにラピは感じた。 *** 日が既に昇っていくらか経った頃。 ラピはギィィと鉄の扉が静かな音を立てて横にスライドしていくのに気づいた。 いつものようにタオスと客と思われる人間が見えた。 いつもと違ったのはその客の一人がラピと同じくらいの少年だった事だ。いや、もしかしたらラピよりももっと幼いかもしれない。ラピは年の割には発育不良だった。 「わぁぁ!!こいつがそのリリスって奴!!?」 倉庫に入った瞬間、少年はラピの前まで駆け寄った。 目を輝かせてラピを覗き込む。 するとまだ倉庫の入り口に立っていたもう一人の男に呼び止められた。 「こら、パントン。まだ何も説明を受けていないのに危ないじゃないか。こっちに来なさい。」 「えー大丈夫だろ。どうせコイツ繋がれているし。」 パントンと呼ばれた少年はラピの顔を見るとニッと笑った。ラピはうつろな瞳のままパントンを見つめ返した。 美しく光る金髪に青い瞳。そして子供だというのに、リボンとフリルのついたシャツの上から上品で茜色の絹糸で誂えられた貫頭衣を着ている。 貴族の子供だ。 「なぁ、コイツ。全然うごかねーよ。本当に生きてるの?」 不意にパントンの手がラピの頬に触れた。 その瞬間、ラピは驚いて目を見開いた。 「パントン!」 焦ったような男の諌め声が響く。 「大丈夫だって。ね?」 パントンはラピの頬を触ったまま、男にウインクした。 ラピは激しく鼓動する自分の心臓に動揺しながら、パントンを見た。 (触ったりしてくる人間は初めてだ) ラピの視線に気づくと、パントンはまじまじとラピを見た。 「うわ、お前、綺麗な顔してるんだな。すげー。さすが悪魔って感じ?」 誉められて、ラピは小さく顔を赤くした。誉められたことなんて無いのだ。 「こっち見ろよ。」 パントンの声に、ラピはそっと顔を上げた。 パントンは天使のような極上の微笑を浮かべていた。 「あぁ、やっぱり綺麗だ。」 パントンはにこにこと笑った。 「それでこそ殺しがいがあるよ。」 結局はそうなのだ。 そのためにここに来たのだから。 けれど少しでも期待してしまった自分が滑稽だった。 初めて同い年くらいの子供が来たから、ありえもない想像をしてしまった。 友達になってくれれば、と。 けれどそんなわけにはいかない。所詮、狩る側と狩られる側の人間なのだ。 比べてみればまるで同じ人間とは思えなかった。もちろんラピは半分は人間ではないにしろ。 金持ちで上等な服を持っていてなんでも持って居そうなパントンと、何一つもらえないラピ。 同じくらいの年なのにどうしてこうも違うのだろうか。 パントンにはラピには無いものがたくさんある。 それはラピがいつも欲しいと思っているものだ。 タオスの説明を受けたパントンはその手から剣を受けると、爛々と目を輝かせた。 どうやらもう一人の男ではなく、パントンの方がラピを切り刻むらしい。 パントンは新しいおもちゃをもらったように剣をぺたぺたと触り、素振りをしたり、倉庫の光にかざしてみたりした。そしてその後、狙いを定めるようにラピのことを目を細めて見つめてきた。 一歩一歩とパントンの存在がラピに近づく。 (ああ、また殺されるんだ) 絶望した瞳のまま、パントンを見つめる。 もはや、パントンは子供の顔ではなく、それこそ悪魔のような顔で舌をなめずり笑っていた。 (怖い) 見ていられず、頭を床に向けたが、パントンの靴が近くまで来ているのが見えていた。 そしてラピの前で静止する。 (怖い) 剣の柄がカチャと鳴ったのが聞こえた。 パントンの影が剣をふりかざした。 そして風が送られると共に、剣がラピの頭にふりおろされた瞬間。 「嫌だーーーーーーーー!!」 ラピの中の何かが急に目を覚ました。 ゴォォォ 倉庫は突然激しい地震に見舞われ、パントンは床に落ちた。 そしてピキピキと床が鳴ると、途端に亀裂がラピを原点とした放射線状に広がった。 「な、な、なんだ、これ!!?コイツがやってんのか?」 揺れはさらに激しくなって、倉庫の壁にも亀裂が走る。 タオスともう一人の男がぎゃーぎゃーと叫びながら倉庫から出ようとする。 天井からいろんな破片が落ちてくる。そして次の瞬間、ぼこっと地面が割れた。 「わあああああ!!」 パントンの声だ。 そう思いながらもラピは意識を上手く保てなかった。 目の前のものがどんどん暗くなる。見えなくなる。頭が痛い。でも気持ちがいい。分からない。なんなんだろう。 この感情は。 そしてそのまま轟音が鳴り響く中、ラピはフッと意識を手放した。 *** 熱い。息苦しい。 体中の血が沸騰しそうだ。 そう思った瞬間、ラピは目を開けた。 しかしそこにはあるはずのものが無かった。 (え、何?) 倉庫にいたはずだった。それなのに床が無い。倉庫さえない。 倉庫の外周りにはいくつか他の倉庫があった。そしてそれらの倉庫を囲うように木や茂みがあったはずだ。 それが全て、無い。 ラピを取り巻いて、直径50メートルくらいの穴ができていた。穴の中には何も無い。倉庫もタオスもパントンも。何もなくなっていた。 円の外はまだ元の景色の名残があった。それでもそこさえも木が倒れていて、大地がひっくり返っていた。 その様子に戸惑っていると、ラピの背中にチリッと痛みが走った。 「…痛い。」 自分の背中に手をまわすと今までに無い感触があった。そこには腐ったような悪魔の羽がついていたはずだ。 それなのにそれが、いつもとは比べ物にならないくらい立派になっていた。 さわり心地もすべすべしていてまるで肌のように生気に満ちている。羽の骨部分も折れていた箇所は真っ直ぐに戻っている。 目を向けると、少しだけその外観が見えた。 真っ赤に染まった悪魔の羽。 悪魔の羽と呼ぶのにふさわしいものがあった。 「…なんで?」 ラピは自分の変化にぞっと身震いした。 ラピを取り巻く巨大な穴。 消えてしまった倉庫にタオスとパントンと男。 そして生気みなぎるラピの悪魔の羽。 まるでラピがこの場をどうにかしてしまったようだ。 悪魔の力で。 ラピはふと思い当たった。 そうだ、アレだ。 メフィウスに何かを体内に注がれた。 アレは魔力だったのではないか? あのせいで今まで少しも持ちえていなかった力を持ってしまったのではないだろうか。 ラピは自分は手を覗いた。 今まで短かったはずの爪が長く伸びていた。 この手で。 (この手でタオスさんたちを殺した?) 涙が出そうになった。 何故そうなるかは分からなかった。 タオスを憎んでいたはずだった。パントンもその後ろにいた男もラピを殺そうとした人間だ。なのに。 この感情はなんなんだろう。 呆然とその場で座りつくした。 夕刻の空は真っ赤に染まっていて、誰かの命を吸い尽くしたように見えた。 next 攻めが一切出てこないという… written by Chiri(7/1/2007) |