百万回殺された悪魔
百万回殺された悪魔(1)



彼は、リリスと呼ばれていた。
リリス、即ち悪魔の子供。
その名の通り、彼は人間と悪魔の両方の血を受け継いだ子供だ。

背中にはまるで壊れた傘のようにひしゃげた羽と腐った蔦のような尻尾が生えている。
髪の毛は漆黒、瞳も同じ色だ。それでも人間である母親に似た優しい目をした子供だった。
少なくとも、その羽と尻尾が無ければ、見た目はごく普通の少年だった。

けれど彼の運命をそんな綺麗にできてはいなかった。

彼の悲境はまず身柄を売り飛ばされるところから始まった。
彼の母親は父親である悪魔に心酔していたが、悪魔とは本来人間などには現を抜かさない。一度限りの激しい性交を終えると、悪魔はどこかに消えうせ、それ以来母親の前に現れることは無かった。
その時の子供が彼であったのだが、母親は自分に子供ができたと知ると悲鳴をあげた。
と、いうのも日を追うごとに美しかった母の顔、体、あらゆるところが醜くただれ落ちてきたのだ。本来、悪魔の精気は魅惑的で中毒になることが多いが、それはものすごい猛毒なのだ。それ故に体の中に悪魔の子を身ごもることは、母親の身を滅ぼすことと等しかった。
母親は死に物狂いで自分の美貌を守ろうとすぐリリスを堕胎させたが、その時、なりそこないの肉の塊が出てくるはずが卵が出てきた。彼は既にその時点で卵を破り、そしてすぐに幼い体を露にさせた。人間の子ならば十月はかかるものを彼はその十分の一の早さで体を作った。しかも生身ではなく、卵となって出てきたのだ。
そのことが母親をひどく恐ろしくさせた。

それからしばらく、母親は彼と共に生活したが、すぐに発狂した。
「悪魔の子、悪魔の子。」と彼を理不尽に罵り、何度も殴った。
その際に彼の怪我が尋常ではないスピードで塞がったことが更に母親の狂気に拍車をかけた。

「あんたのせいで私は幸せになれない。」
「あんたのせいで私は全てをなくした。」

リリスはその羽と尻尾を隠せばただの子供だった。
体は確かに特殊だった。けれど痛覚はあった。痛いものは痛かったし、その後すぐに傷は治ったがそれでも母親が殴るのをいつも怖がっていた。
悪魔なのだから魔術を使えるかといえばそうでもなかった。それはリリスが人間と悪魔の子供故に血が薄まったからかもしれなかったし、単純に彼がその使い方を知らなかっただけかもしれなかった。
ともかく、彼には母親の暴力に対抗する術など無かった。

そんな母親が突然リリスを売り飛ばしたのが5歳の時だ。
半分ただれた顔をした母親が見目の良い子供をつれて、とある旅商のところに押しかけてきたときは旅商はひどく訝しげな顔をした。
しかし、母親がリリスの羽や尻尾を隠していた布を取り去ると、商人は初めてのものを見る目つきに変わり喉を鳴らした。
「これは良い見世物になる。」
そう言い、母親に半年間暮せるほどの金を受け渡すと、母親はひどく喜んだ。
「あんたも最後には役に立ったわね。」
醜い顔でそう笑うと、そのまま帰っていった。リリスはそれを不思議な様子で眺めていた。自分がどういう運命に置かれているかなんて全く理解などできなかった。
そしてそれ以来リリスが母親と会うことは無かった。

商人の名前はタオスと言った。タオスは妻と共にあらゆる国を旅しながら、途中で買った国産品を売りつける商人だった。基本は路上で売りつけるが、たまに店を一時だけ借りて、短期間だけそこで商売をしたりした。
そんな時、リリスはいつも傍らに置かれる。
頑丈な檻に布をかぶせてあり、その中でリリスは何も言葉を出さないでじっと横たわる。
一日に四回ほどその布が取り払われる。
その時には、タオスは小さなショーを開いているようにして、観客たちを煽る。
「今日は特別に世にも奇妙なものをお見せしましょう。美しい外見に惑わされてはいけません。中身はおそろしき悪魔なのですから。それでも見たいという好奇心旺盛なあなたたちには特別に少しだけ見せてあげましょう。ああ、そうだ。あまり騒ぐと悪魔が起きてここにいる人間を皆殺しにしてしまうかもしれませんよ?」
タオスは素晴らしき口八丁でリリスをまるで本物の悪魔のようにして扱った。
そのほうが金をとれるからだ。それなのに、好奇心に駆られた人間たちは興味津々で寄ってくる。人間も斯くも愚かなものだった。
実際のところ、リリスには何も力が無かった。だから、その場にいる観客を殺すなどできやしないのに、だ。

リリスは旅の最中、随分とひどく扱われた。
傷がすぐ治ることもタオスは承知していた。それに加えて、少しくらい食べなくても普通の人間よりも生きられるということも。
だからリリスは最低限の食事しか与えられなかったし、一週間水しか飲まされないことをあった。
虫の居所が悪ければ、タオスは金属の棒でリリスをよく殴った。それはタオスの妻も同じだ。わざわざ殴られるためだけにケージの外に出させられて、手足を縛られる。リリスが何も抵抗できない状態でタオスは笑いながらリリスを殴った。ひどく爽快だ、と言った風にである。その後気が済むとリリスはいつも檻の中に戻される。リリスはいつもそこで小さくなってその痛みに堪えていた。早く治れ、早く治れ、と自分におまじないをかけながら。

リリスの運命が更に悪化したのはそれからまもなくのことである。
その日もリリスはタオスの不機嫌が最高潮に達していて、金属の棒で殴られていた。
「や…やめて…。」
「ふん、お前ができることといえばこんなことだけだろう!!誰がメシを食わせてやってると思ってるんだ!!」
ガンガンと足を打ちつけられて、リリスは床に這い蹲った。自分ではもう起きられなかった。
「起きろ!!気を失ったら今日のメシも抜きにするぞ!」
その時点でリリスはもう二週間もご飯を与えてもらえていなかった。体は悪魔といえども衰弱しきっていて、もはや体には何の力も残っていなかった。
「立て!立つんだ!!」
その時、タオスが振りかぶった棒がリリスの頭に直撃した。
ズガンと鈍い音を立ててリリスは意識を朦朧とさせた。
(死ぬ…)
いきなりタオスの怒声が遠くなり、リリスは急激に何か浮遊感に襲われた。
(ああ、死ぬんだ…)
それはリリスにとっては何故かホッとできることだった。
これでもう苦しむ必要はないのだ、と思うと自然とうれし涙が出た。
そうして、リリスの心臓はゆっくりと止まっていった。






パチリと目をあけたとき、リリスもそれを見たタオスの妻も身を震わせて驚いた。
タオスの妻は「ヒャアアアアアアアアアアアアアア!!!」と悲鳴をあげ、タオスを呼びに言った。リリスは自分が河の岸辺にいることに気づいた。おそらくタオスの妻はリリスの死体を河に流そうとしたのだ。
リリスはひどく重い体を必死に起こした。力は一向に入らなかった。それでも少しずつ自分の体が回復していることに気づいた。
(死ねなかった…)
何か分からない涙が出てきてはリリスの頬を濡らした。
死ぬこともできない自分の体をリリスは呪った。
(僕はどうすればいいんだろう…)
依然として動こうとしない自分の体をぼんやりと見つめる。
(どうすれば楽になれるんだろう…)
遠くからタオスが目をらんらんと光らせながら走り寄ってくることが分かった。その後ろではタオスの妻が気味悪そうな目でリリスを見つめた。
タオスは地面を這っているリリスの傍でしゃがむと、
「お前、死ぬことさえできないのだな。」
と嗤った。
タオスの顔はまるで極上の玩具を手に入れたような表情だった。

「いいことを思いついたぞ。」

そしてリリスはタオスによって引きずられていき、また元の檻へと戻された。





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かわいそうな悪魔君のお話。
written by Chiri(7/1/2007)