傷つきたがりちゃん(8) 二人がいなくなったあとのラビリンスはまるでゲリラライブが終わったあとのようだった。よく分からない興奮と高揚感に包まれた客達も1時間も経てばいつもの様子に戻っていったが、それでも皆が口々に、「いやー貴重なもの見ちゃったぜ」だなんて呟いている。 そんな中、ブツクサと文句を言い続けているのはキリジである。 「正直、本当に嫌なんだけど、夕ちゃんの相手」 「まあまあ、夕ちゃんが好きだって言うんだから仕方ないじゃないか」 「そうなんだけど」 そうやって宥める理人だって笑ってはいない。 「っていうか今日ドサクサに紛れてキリちゃん、夕ちゃんのこと抱きしめまくってなかった?」 どきり。 キリジの胸が鳴った。 「いや、だってあれは」 正直、あれはおいしかった。可愛い夕ちゃんを慰めるという名目で堂々と抱きしめる事ができた。柔らかかったし、良い匂いがした。多分柔軟材の香りだ。まさにフローラル夕ちゃん。 「まさか、まだ好きとか言わないよね?」 ニコニコと笑う理人の目は笑っていない。 「まさか」 「だよね」 笑みを崩さない理人が怖い。 キリジは先刻のことを思い起こしていた。最後の方のあの二人の会話はまるで結婚の誓いのようだった。 男同士は結婚なんてできない。 浮気なんてしようと思うなら、すればいいだけの話だ。 抑する法律も罰を与える法律も無いのだ。 けれど、鷹臣は、きっと一生を縛り付けなければ気が済まない男なのだ。 今この時一緒にいればいい、という考えは無いのだろう。 そして夕は一生鷹臣を好きでいられる人間だったということだ。 「……なんだよ、考えてみればお似合いだったって話かよ」 ぽつりともらした言葉を理人が拾う。 「何が?」 「なんでもない」 思えば、キリジにとって男同士との付き合いなんてそこまで重く考えるものではなかったのかもしれない。だから夕のことも諦められたのだろうか。 ならばちゃんと考えてみればいい話だ。 自分がもし結婚できるとして、誰に自分の一生を捧げたいか。 真剣に考えて、思い浮かぶ人がキリジの一生を預ける人間なのだろう。 「……ま、お前でいっか」 理人を一瞬だけ見て、そう呟いたキリジに、理人は首をかしげた。 よく分からないけれど、穏やかに笑うキリジになんとなくで言葉を返した。 「うん、キリちゃんには俺がいいよ」 キリジは小さく笑いをこぼした。 鷹臣と夕のようにこっ恥ずかしい宣誓はできなくても、キリジにとっての誓いはこれで十分だった。 *** 「ん、鷹臣っ……」 部屋に入るなり、唇を重ねられた。 いつか言ったねちねちでどろどろでえっちいキス。それが今、ありありと叶えられている。 「夕、好きだ、……好き、好き、すきだ」 いい足りないように何度も鷹臣が言う。 今まで何も言わなかったのが嘘みたいだった。どこにその気持ちを隠していられたのだろうか。 首筋にも何度もキスをされて、そのたびに「好き」といってくれる。まじないをかけられている気分になる。 「なぁ、お前もちゃんと言い返せよ、不安になるんだ」 「何それ」 子供のような言い方に笑ってしまう。 けれどすぐにまじないを言い返してやる。深く深く繋がりあえばいい。 「俺も、好き。ずっと好き。鷹臣、だいすき」 だいすきといった後にまたキスを落とされた。 「可愛いなぁ、夕ちゃんは」 男なのに可愛いといわれるのも嬉しい。 今まで甘い言葉なんてもらえなかったから余計に嬉しい。 今日の鷹臣は夢みたいだ。 ベッドに寝かされて、両手を握られた。 「ずっと好きでいてくれ」 言われなくてもずっと好きだよ、と囁くと鷹臣が全身をぷるぷると振るわせた。 「俺、つきあうんだったら、ずっと好き同士でいたいんだ」 まるで理想を語るように鷹臣はそう言った。 つきあうってそもそもそういう意味じゃないんだっけ?と夕は思ったけれど、鷹臣にとっては今までのつきあいは違うようだった。 「俺、初めてだ、ちゃんと好きあってつきあうのは」 だから子供のしゃべり方だ、それは。なんだかむず痒くなってくる。 鷹臣がなんだか可愛く見えてくるなんて。 鷹臣は喜びを素直にあらわせないらしい。 照れるように顔を背けるとまた首元にキスを落とした。服に手が入れられて、そっと腹を撫でられる。這い上がってきて、小さな突起にも触れられた。 「あ、……」 ぞくっと震えが来て、思わず声に出してしまう。 「夕、可愛い」 可愛いのは鷹臣の方だ。 そう声に出すことができない。 もう片方の手で尻を撫でられた。その手が奥に入ってきてしまえば、もう実況は無理なわけで……。 可愛かったはずの鷹臣はすっかり雄雄しくなって夕を貪った。 朝起きると、夕の右手と鷹臣の左手がガッシリと結ばれていた。まるで二人の間の隙間を認めない握り方。 起きようと思って、手を外そうとすると鷹臣がぱちりと目を開けた。 「だめだ」 いきなり何だ、と思ったら、鷹臣が言葉を継ぎ足した。 「いっちゃだめだ」 「どこにもいかないって」 「でも、あの時はいなくなったろ?」 あの時というのは、メモを残していった時のことだろう。 「……あんな思いはもうたくさんだ」 眉間に縦皺を作って、鷹臣はむくれた。それを見てなんだかホッとした。夕だってあんな思いはもうたくさんだ。 「もうどこにもいかないって」 夕がそう言うが、どうにも鷹臣は納得がいかないらしい。 鷹臣は夕の手と鷹臣の手の間の空間を見つめる。 「俺の手と夕の手の間にさ、鎖があればいいのにな。頑丈な奴」 鷹臣が手で夕との間に線を結ぶ。 それを夕も目で追った。 「そんなのなくても俺は大丈夫だよ」 「そうだろうけど……」 やっぱり鷹臣はむくれたまんまだ。 しかし、数分目を細めて何かを考えた後、何かいいことを思いついたようだ。 「あ、そうだ」 「ん?」 「指輪買おうぜ。決めた、今度買いにいこう」 行き着いた結論は、どうやら指輪を鎖の代わりにすることらしい。 夕はクスっと笑った。 左手を掲げて、薬指に嵌った指輪。 きっと、それは幸せの重みだ。 夕と鷹臣の誓いの証。 優しい鎖だ。 おわり 指輪なんかより手錠の方がいいんじゃ…… written by Chiri(4/6/2008) |