傷つきたがりちゃん(6)



 起きると、隣で寝ているはずの人間がいなくなっていた。
 ベッドは随分冷たくなっていた。
 あれからどれだけ経っているのだろうか。

 時計を見ればもう既に夜に差し掛かる時間だった。
 随分と寝てしまった気がする。それもそのはずだ。
 鷹臣は昨夜、夕がいなくなってからも眠れずに過ごした。朝学校に行ってから、夕が来ていないと分かると、今度は夕を探しに学校から飛び出してきたのだ。
 体も疲れていたし、イライラしていた。
 そんな時に夕が別の男と居るのを見つけて一気に怒りで燃え上がってしまった。
 そしてその状態で夕を抱いてしまったのだ。

(夕、帰ったのか……?)
 鷹臣はハァッとため息をついた。
 あんな風に抱くつもりなんて無かった。
 あんな風にキスするのだってそんなこと考えたこと無かった。夕にだけはすまいといつも思っていたのに。

(けれど、やってしまった……)

 何も無い掌を漫ろに見つめる。
 心地よい夕の体温を思い出して、体が熱くなった。

(最悪だっ……)

 鷹臣にとって男女の仲と言うものほど信じられないものは無かった。
 両親が共に浮気ばかりする人間だというのはずっと昔から知っていた。お互い、共働きのくせに妻や夫以外の相手がいて、お互いが出張する時は浮気相手を必ず家に連れ込むのだ。
 それも平然と鷹臣の前で。
 その浮気相手も何度も変わり、両親が刺激が欲しいくらいの簡単な気持ちで浮気を繰り返していることも知っていた。両親にとって恋や愛なんてものは一時しのぎですぐ変わっていくものだったのだろう。

 そんな両親のようになりたくはないと思っていた鷹臣だったがいつのまにか自分も同じような道に進んでいることに気付いた。一度に大勢を恋人にするとかの不義理はした事は無いが、それでも尋常ではないスパンで恋人が入れ替わるのだ。鷹臣を恋人にしたがる女は多かったが、鷹臣が心の底で冷めていると知ると離れていく人間ばかりだった。それは鷹臣にとって、恋人がどうでもいい存在とイコールしているようなものだからだろう。

 恋や愛なんてもの信じられない。
 いつかなくなるものだ、そう信じていた。

 女は鷹臣の前で極上の女を演じる人間ばかりだ。それに心の中ではウンザリしながら鷹臣も結局は自分を偽って女達の望むべき姿を演じていたのだから、おあいこかもしれない。
 そして鷹臣に近づく友達というべき男たちもどこかプライド高く鷹臣と張り合おうとする人間ばかりだった。
 そんな中、夕だけが一人他とは違う存在だった。

 夕は鷹臣を好きになった人間で唯一男だという異色な存在だった。
 鷹臣を好きになった男は他にも居たかもしれないが、ともかく告白したのは夕が初めてだったのだ。
 そもそも夕との出会いからして気の抜けるものだった。受験の緊張でどもりまくる夕に対して哀れみさえ浮かんでしまったくらいだ。夕は驚くほど最初、鷹臣に格好悪くうつったのだ。同情してしまうくらいに。
 けれどそれが逆に新鮮だった。
 夕は鷹臣の前で張り合わない。プライドを捨てて、接してくる。鷹臣のことを好きだと言ったとき、試すような気持ちでパシリになれという言葉をぶつけてやったが、それに対してもすぐに頷いてきたのだから。
 だから夕の前では鷹臣も気を張らない状態で居られた。
 いつしか、夕とはずっと一緒にいたいな、とも思えるようになったのだ。

 けれど、それは恋人にするという事には繋がらない。
 何故なら鷹臣にとって恋人にすると言うことは、終わりが来るということだからだ。

 夕とはずっと離れたくなかった。
 だからこその距離感が、今の状態でギリギリなのだ。




 鷹臣はもう一度ため息をついた。窓の外はもう暗くなっている。
 夕はちゃんと家に帰られたのだろうか?
 そう思いながら、何か飲むか、とベッドから出ると、ふとテーブルの上に置かれたメモを見つめた。
 そして目を見開いた。


『 最後に思い出をありがとう。
 もう諦めます。俺の事はもう呼ばないでください。 』


「…嘘っ…だろ?」
 思わず呟いたがそれを否定してくれる人間なんていなかった。
 手がぶるっと震えた。
 心が締め付けられるように痛い。
「そんな…まさか……嘘だろう…?」
 もう一度呟いたがその言葉は部屋の静寂に吸い込まれた。
 ハッとして夕の携帯に電話をしたが、電源が入っていないのか繋がらなかった。それがまた自分の気持ちに拍車をかける。

 だって、ずっと一緒にいたかったのだ。
 だから、こんなにも我慢をしてきたんだ。

 なのに……

「って我慢ってなんだよ、俺……」

 どんどん混乱していく。
 後悔の感情が生まれると、それが増殖するようにどんどん心の中を占めていく。

 夕が俺を諦めてしまった。
 こんなことなら。

 こんなことなら。
 もっと優しくしてあげればよかった。
 もっとキスしてあげればよかった。
 もっと好きだと言えばよかった。

 けれどもう全て後の祭りだ。
 鷹臣は夕を傷つけてしまったのだ。きっと取り返しのつかないくらい。
 それを今更、変えることなんてできない。
 悔しさでその場に座りつくした。
 悔しいのは自分の不甲斐なさだ。


 トゥルルル……


 無機質な音で携帯が鳴り出したのは、鷹臣がしばらくそこで座りつくしてからだ。
 携帯の画面を見ると、その着信元に鷹臣は瞠目した。


 柏木夕


(まだ遅くない?)

 鼓動が強く鳴った。
 俺のこと、諦めていない?
 ……それならば、今度こそ。

『あ、鷹臣クン?』

 けれど携帯から発せられたのは夕の声では無かった。
 大人の、オトコの声だ。
 それに声も無く落ち込みながら鷹臣も答えた。

「……そうだけど、誰?」
『俺?俺、篠月理人。今さ、夕ちゃんがえらいことになってるんだよ〜』
「ハァ?夕が!?」

 夕の名前が出て、大声を出してしまった。
 その様子に電話の主はクスリと笑った。

『新しく恋人作るって聞かなくてね。聞きたい?』

 理人はそう言うと、店内に携帯電話を向けたようだ。電話はどこかの店の中からかけているようでガヤガヤした雑音が聞こえていた。
 その中に夕の声が聞こえる。
 どうやらとても酔っ払っているようで舌足らずに叫んでいる。

『うるさいよ、キリちゃん、邪魔しないでよ!新しい恋人作るったら作るの!……どーれーにーしーよーうーかーなー!!』

 そして今度は声が理人に戻った。
『本当に困った子だね。なんか夕ちゃんヤケクソで新しい恋人決めてるみたいだよ。いいの?』
 理人の声はどこか面白がっている様子で、けれど大人びていてどこか凄味を感じた。
『俺も結構迷惑してるんだよね。俺の恋人も夕ちゃんの心配ばかりしていて』
 鷹臣はごくりと息を呑んだ。
「夕は……どこにいるんだ?」
『いっておくけどこれが最後のチャンスだからね。俺だって夕ちゃんが悲しんでいるのあまり見たくないから』
「夕はどこにいるんだって聞いてる!!」
『……ラビリンスっていうゲイバーにいるよ』
「ゲイバー……?」
 そこで携帯は切れた。
 鷹臣はふぅと息を整えた。
 夕に諦められた、と思った。
 けどだからってそれが終わりになると考えるのはおかしい事に今気付いた。
 だって自分はまだ了承していない。
(そう簡単に終わらせるかよ!)
 鷹臣は勢い良くアパートを飛び出していた。





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グズグズな鷹臣視点でした。
written by Chiri(3/30/2008)