傷つきたがりちゃん(5) 半日ぶりの鷹臣のアパートに連れてこられると、鷹臣は夕をドンとベッドの上に突き落とした。 「痛いよ!鷹臣!」 「うるさい!何度も電話したのに出やがらねーし!!」 「はぁ?」 携帯を取り出して見れば、昨夜からいくつも鷹臣から着信が入っていた。バイブにしていたから気づかなかったらしい。それを見て、夕は小さく驚いた。 鷹臣は不機嫌そうな顔を変えない。 「お前、むかつくんだよ!」 鷹臣はバンと壁を平手で殴る。それにビクッと夕は体を震わした。 学校はどうするのだろう、と思いつつも鷹臣の顔を見ればそれどころではないことが分かる。 鷹臣の顔は怒りしか見当たらなかった。 「……お前は俺に振られればすぐに次の男なんだな」 これに夕がムカッと来たのは言うまでも無い。 「なんだよ!そんなのお前が俺のこと、相手にしてくれないからだろ!?」 昨夜のことだってそうだ。 決死の覚悟で誘ったのに、それを馬鹿だと一笑に付したのはどこの誰だったろうか。 「俺だっていつまでもお前のこと好きでいるわけじゃないんだからな!!」 強がりのつもりで言ったが、鷹臣は顔をひどく歪めた。 「そうかよ。……分かった。それなら俺にも考えがある」 そう言ったと同時に鷹臣は夕に覆いかぶさった。 何かが口に当たったと思ったら、鷹臣の唇だった。そしてその舌が中に侵入してきて、夕の口内を荒らしていく。 「や…何…ん…たか……みぃ…んん………」 初めての口と口とのキスだった。なのに、それは貪るように激しい。 息も絶え絶えになりながら鷹臣の名前を呼ぶが、鷹臣はそれには答えなかった。鷹臣の顔を見上げれば、そこにはまるで冷静さを失った男の顔しか見えなかった。 じっと顔を見られているのに気付いて苛立ったのか鷹臣はそのままドンッとベッドに夕を押し倒した。 「抱いてやるよ。けど、覚えておけ。俺はお前を俺の恋人にはしない。……絶対にな」 夕は瞠目した。数分遅れでその言葉を理解すると、さぁーっと力が抜けていった。今までの自分を全否定された気分だった。 夕に施される愛撫は確実に夕を喘がしたが、心の中まではそんなに甘い世界に没頭はできなかった。 (抱くのに、恋人にしない?絶対?) じゃ、この行為は何なんだろう?何のための行為なんだろう。 虚ろになっていく夕の心に鷹臣は追い討ちをかけた。 「いいか。俺はムカついてるんだ。俺のこと好きっていってたくせに、フラフラしやがってっ!」 それを聞いて、夕はああそうかと納得した。 (嫌がらせなんだ……) 鷹臣に体中キスされて、本当ならすごく嬉しいはずなのに何も感じられなかった。涙がボロボロ流れていたが、それは愛撫によるものなのかそれ以外によるものなのか分からなかった。 鷹臣が夕の中に入ってきた時も夕の心は決して温かくならなかった。 幸せの欠片も感じられない。 ただ、今までの記憶から掘り起こしたようにキリジの言葉だけがぼわっと浮かび上がってきた。 『じゃ、頑張ってそいつのことを忘れようよ。報われない片思いほどつらいものは無いよ』 好きだけど、諦める。 もしかしてこれはそのきっかけになることなのかもしれない。 そう思うと、涙が一層にあふれ出てきた。 悲しい。 悲しい。 これは決別の儀式。 ギシギシとベッドがなる。 嗚咽を押し殺して、夕はただ揺られた。 「……っ」 そして鷹臣がかすれた声を出して、自分の中にあついものを吐き出したときに夕はそっと心の中で呟いた。 ……さよなら、鷹臣。 本当なら愛し合うための行為の中で、夕と鷹臣は最後まで目があうことが無かった。 隣でスースーと眠ってしまった鷹臣はまるで泥酔したかのように眠っていた。その顔は子供のようで無防備そのものだった。 「……疲れてたのかな?」 夕はその愛しい男の頬に手を添えた。 触れてしまえば分かる。心の中はまだ恋心と名づけられる淡い気持ちでいっぱいだった。けれど夕はそれに気付かないふりをして手をそっと頬から離した。 夕はメモ帳を取り出すと、一番上の紙に文字を綴った。 短く文章を書き終えるとそのまま鷹臣の部屋を出ていく。 もうここに来ることも無いだろう、と周りを見渡せばまた涙が出てきそうだった。それをグッと押し戻して、扉を開ける。 バタンと閉じてしまえばもうこれで終わり。 あっけないな、と夕は思った。 そうして昨夜置きっぱなしにしてあった車を回収した。車の中で携帯電話の電源を切った。あんな変なメモを残して消えたら、電話が来るかもしれない。 家に帰る気はしなかった。 また行ったら怒られるかな?って思いながらも、向かうべきところは決まっていた。 「夕ちゃん!?」 ラビリンスに着くと泣きはらした瞳の夕を見て、キリジは激昂した。 「あのやろう!」 鷹臣へのこぶしを作るよりも早く夕を力いっぱい抱きしめてやる。その瞬間に、もう一つ涙がポロリと夕の瞳から落ちた。キリジはそれを見ないふりをしながら、きつくきつく抱きしめた。その場にいた理人がふくれっ面で止めない限りずっとそのままだったかもしれない。 「よし!今日は飲もう!」 そう言うキリジに夕は困った顔で返した。 「俺、どうしよう、車で来ちゃった……」 「いいよ!またうちに泊まればいいじゃん!」 「いいの?」 おそるおそる聞く夕に力いっぱいキリジは答えた。 「全然大丈夫!!」 「あのーキリちゃん、俺との約束は……?」 隣で文句を入れようとする理人に対してキリジは石化するような睨みを利かせた。理人は仕方なさそうに肩をすくめるがそれもキリジの良い所だということは既に承知していた。 「ごめんね、理人さん……」 夕にまでそう言われて、理人は苦笑して「気にしないで」と言った。 「可愛い夕ちゃんのためだから仕方ないよ」 「お前、またそんなこと言って!」 自分としては軽く一言を付け足しただけなのに、キリジが文句をつけてくる。理人は小さくため息をついた。 「とかいって可愛いと思ってるのはキリちゃんの方でしょ」 そう言うとキリジは少しだけ顔をしかめた。けれどすぐに表情を戻して、夕を連れて奥にいってしまった。 全く面倒な恋人を持ったものだ、と理人は腕を組んで息を吐いた。 キリジはしばらく夕に付きっ切りで慰めてやった。夕もそんなキリジに「俺に構いっきりでごめん」と何度も謝ったが、キリジは「いいんだよ!」とそれを一蹴した。 しかしそんな謙虚な夕が見られたのも最初のうちだけだった。 それからいくつかキリジが夕にカクテルをつくってやると、夕はだんだんと酔っ払ってきた。 「次はスーピーリータース!!ストレートで!!」 ……しかも明らかに悪酔いだ。隣に座っていた理人が困ったように助言する。 「その状態でスピリタス飲んだら死ぬよ?」 「いーや!スーピーリータースーがーいいーー!!キリちゃんはやく!」 困ったキリジはスピリタスを何倍にもジュースで薄めたものを夕に渡す。けれど夕はそれに満足したように嬉しそうにそれを受け取った。 理人がキリジに「困ったね」と目配せする。それに対してキリジも曖昧に笑った。 そんな二人のやりとりを見ていた夕はパッとひらめいたように今度はいきなり大声を出した。 「キリちゃん!俺、決めた!!今日新しい恋人つくる!」 頬を赤くして、目をウルウルさせた夕はひどく扇情的だった。上気した顔はいつもより幼そうでしかも酒に酔っていて舌足らずになっている。悪い男が居れば、確実にホテルに即効連れて行かれているところだ。 そんなときに自分から罠に嵌るような発言をする夕にキリジは口を大きく開けた。 「えぇ!?」 「何!?ダメなの?だって失恋の傷を治すには手っ取り早く新しい恋だと思わない!!?」 「ああぁ……夕ちゃん声大きいよ……」 見れば何人かが夕の方をちらりほらりと見ているのがキリジには分かった。 「何?その子、相手探してるの?」 その中の一人が我先にと夕に声をかけると後ろに居た何人かがゴソッと立ち上がった。 「いや、俺じゃダメ?」 「え、俺の方が……」 ワラワラと夕の周りに集まってくる男共を見て、キリジはあぁ、もう!と嘆いた。 一方、夕はその男達を見ながら、真剣な表情を見せた。 「……俺のこと大事にしてくれる?」 「「「うん!」」」 一斉に頷く男達に夕は嬉しそうに破顔した。その表情にその場にいた男達全員が欲情した、なんてことは夕は知らない。 「やめろって夕ちゃん!」 キリジがとめる中、隣に居た理人は「本当に仕方ない子だなぁ……」と言って席を立った。その手には夕の携帯電話があったが、夕はそんなことにも気付かなかった。 キリジが本気でカウンターを出て、とめに入ると夕がギロリとキリジを睨んだ。 「うるさいよ、キリちゃん、邪魔しないでよ!新しい恋人作るったら作るの!」 「夕ちゃーん……」 キリジは本当に泣きそうになった。本気でとめようと思えば力づくでとめればいい話だったが、キリジは夕がどれだけ傷心していたかを知っていた。 新しい恋が本当に夕を助けると言うなら万々歳なのだ。 けれど、だからってこんなにやけくそな状態で相手を選んで欲しくなかった。 そう言おうとしたが、夕はキリジを無視して目の前にいる5,6人の男たちに指をさした。 一番左側に居た一人を指差すと、突然夕は口を開いた。 「……どーれーにーしーよーうーかーなー!!」 その場にいる全員がガクリと地面に落ちる。 (流石にそれは安易過ぎるだろ!!) 完全に酔っ払っている夕に対して誰もつっこめない状態もまたおかしくあったが。 夕は一人ずつ指差しながら、続けた。 「てーんーのーかーみーさーまーのーいーうーとーーおーーりーーー!!」 それを見ていた理人は「本当に困った子だね」と笑いながら携帯の向こうの誰かとしゃべっていた。 next やけっぱちゆうちゃん。 written by Chiri(3/29/2008) |