王子とおおがらにゃんこ(6) 扉の傍で立っていた眩しい人物は、龍輝が男たちに組み敷かれているのを見るや否や、光の速さで猛進してきた。 「どけ、この豚野郎どもが!」 王子の口から驚くような単語が飛び出る。 それと同時に王子の脚が宙を舞った。 「くらえ、仙人蹴り!!」 ボキッ 「うわぁぁ」 え。 黒帯の龍輝でも驚くようなすばらしい上段回し蹴りだった。軸足のバランスも体軸を活かした回転の勢いも文句なしだ。 王子は転がったバーテンを脚で踏み吐けると、残りの二人の方へとくるりと振り向いた。 「てめぇらもくらいたいのか? 言っとくが、俺は空手10段だぜ!?」 いつか話した内容を覚えていたのか、王子は得意げにそうのたまった。二人にはその凄さなど分からなかっただろうが、それでも転がっているバーテンのうめき声が二人を慄かせた。 「う、うわぁぁぁぁ」 情けない声をあげながら、男たちは怒涛のごとく、その場を立ち去った。 「おら、お前もどっか消えろ」 王子に踏みつけられてバーテンはひぃぃっと声をあげると、首を押さえて逃げていった。 残された龍輝は呆然と王子を見上げた。 「大丈夫か?」 龍輝はコクコクと頷いた。 「そっか、良かった」 笑っている王子は久しぶりだった。 「王子、それ、上段蹴り、す、すごい……ど、どうやったの?」 「あぁ、あれ? お前の空手の話聞いてから、ダチに教わったんだ。 すげーだろ?」 龍輝は何度も首を縦に振った。 本当にすばらしい蹴りだった。空手を習うのが初めてならば天才の域だ。素質があるから鍛錬すれば龍輝よりもずっと上手くなれる気がした。 「だろ?」 朗らかに笑う王子の声にホッとした。緊張していたものが一気に緩んで、涙が真珠のようにぽろぽろと転がった。 王子は、龍輝の傍に膝をついた。 「言っておくがこれでこないだの借りは無しだからな」 はらりと縛られていた手の縄をはずされる。縄の跡が赤く残っていたのを王子が痛ましげに見つめる。 そして同時に緩められていたズボンを見て、王子は途端に眉間にしわを寄せた。 「あいつら……蹴り殺せばよかったかな」 龍輝は王子の視線に気づいて慌てて手で隠すが、 「隠すな」 王子に止められた。 「ええ、何、王子……」 意味が分からなくてパニックになる龍輝に対して王子はひどく冷静だった。眼光が静かな光を帯びる。 「結局、惚れたほうが負けっていうからな」 「え? は?」 「いいよ。 俺が下になってやるって言ってんだ」 龍輝は口を開けたまま、固まった。 脳みそがついていかない。 王子が惚れた?誰に?下?何のこと? 意味を理解しない龍輝にイラッとしたのか、王子はもう一度龍輝の耳を引っ張って、怒鳴った。 「お前が好きだから、俺が下になってやるって言ってんだ!」 「えええええ!?」 驚くよりも先に王子が龍輝をガバッと抱きしめた。いきなりのことでヒュッと息がとまる。 押し倒された勢いで二人一緒にごろんと転がると、王子が自ら下になった。 「俺のこと、好きにしろよ」 王子が耳元でささやいた。王子はにやっと笑うと、 「お前も俺が好きなんだろ?」 と龍輝に聞いた。 龍輝は呆然とした顔のまま王子を見つめ返した。 今までそんな風に龍輝に聞いてくれる人間がいただろうか。 ぽたぽたと王子の顔に涙が落ちる。 「おら、泣くんじゃねぇよ」 「だって」 王子の手が伸びる。 龍輝の頬を優しく撫でた。 「泣くなって」 「だって、俺……」 −−王子が好きだ。 こんな風に受け止めてくれるなんて。 本当は嫌だって言っていたのに。 自分が一番じゃないとって言っていたのに。 「王子、カッコよすぎる……」 王子は着ていたシャツを自分の指ではずしていった。 まぶしい肌が露となる。 自分よりもずっと綺麗できめ細かい肌。誘うような表情。 美しく筋肉の締まっているその体躯。 「おら、来いよ」 王子が龍輝の手を取って、自分の胸へと置いた。 王子、好き。 王子、大好き。 王子が自分を想って、下になることを受け入れてくれたように。 自分も王子相手なら、上になることができるかもしれない。 そう思って王子に触れた瞬間。 ピリッと痛みが胸に走った。 「……ち、がう」 「は?」 何かが迸った。 まだ心に重いものが挟まっている。 「なんか、違う……」 「はぁぁ?」 王子の顔が険しく変化する。 重いものがのしかかって重たいのだ。この正体は何だ? これは……。 罪悪感? ドンッ いつの間にか王子を突き飛ばしていた。 王子は驚いて目を見開いてこちらを見ていた。龍輝は自分の起こした行動の意味さえも理解できていなかった。ただ手が勝手に動いていた。 違う、違うんだ。王子。そうじゃなくて。 龍輝は首を振ったが、王子の表情は変わらなかった。 王子は虚ろな表情で龍輝を見つめている。 ガラス球のような王子の瞳がきらりと光り、涙が一粒落ちた。 驚いた龍輝は、 「違うんだ、そうじゃないんだ、王子……」 弁論しようとしたがうまい言葉が見つからない。 龍輝は髪の毛をくしゃくしゃとかき混ぜた。 なんでこんなにうまくいかないんだ。 なんでこんなに。 何もかもが。 なんでなんでなんで! そうして龍輝はその場から逃げた。 王子をあの息苦しい地下に一人置いて。 *** 何でだろう。 だって両思いだったんだ。 なのになんで? なんでこんなに胸が締め付けられたままなんだろう? 痛くて重くて、つらい。 自分はどうしたらいいのだろう。 ブルブルと携帯がかばんの中で鳴った。携帯はしばらく鳴り続けると、やがて夜の闇に吸い込まれていった。 外の夜風が冷たく龍輝に当たる。 頭上で星が光っているのも目に入らないほど、龍輝の頭の中は真っ暗だ。 今まで自分が誰とも幸せになれなかった理由が。 すぐそこ。 きっと王子の傍に落ちていた。 なのに、自分は王子もそれも置いて逃げてきたのだ。 かばんがブルブルと震えている。また携帯が鳴っている。 龍輝は携帯を取り出して、液晶に映った名前を見た。 「……もしもし」 『あ! やっと出た! 龍輝』 電話の向こうからは姫の高い声が聞こえた。 『もうまじで心配したんだから! 龍輝が評判の悪いゲイバーに通ってるって噂を聞いて! 王子なんてそれを聞いてすっ飛んでどっかに行っちゃったんだからな!』 ことの顛末を聞いて、龍輝は息を呑んだ。余計に罪の意識が重くなる。 「王子なら、さっき、来たよ……」 『え、嘘! なんて?』 「俺のこと好きって言ってた……」 瞬間、姫が無言になった。 しばらくしてから、小さな声で『そっか。 両思い、おめでと』と呟いた。 おめでとなんて言われても困る。 「違うんだ、俺、逃げちゃって」 『は?』 姫の声が堅くなった。 「だって、俺、分からなくなって」 言い訳するような龍輝の言葉。 姫なら分かってくれるかもしれないと一縷の望みをかけてそう言ったが。 『いいかげんにしろよ、龍輝』 まるで別人の声、かと思った。 『お前、結局何がしたかったわけ? 俺も王子もお前に弄ばれただけってことかよ? あの王子を本気にしておいて、そんでもって逃げるってどういうことだよ』 ちくりちくりどころではなかった。 剣を持って切り刻まれるような感覚だ。 『俺も王子もお前に本気だったんだよ! 本気で好きだと思ったんだ。 なのに当のお前は何も本当のことをしゃべらないじゃないか! 逃げてばかりいるんじゃねぇよ。 甘えんな、クソ野郎』 普段の姫とは思えないほどの毒舌に押され、龍輝はその場に立ち尽くした。 逃げてばかりいるんじゃねぇよ。 甘えんな、クソ野郎 姫に言われた言葉が頭の中で反芻される。 自分は甘えていたのだろうか。そして、甘えているということをどこかで自覚していたのではないだろうか。 そうか。あの罪悪感は、隠していたことに対してだったのだ。 龍輝は王子に何も言っていなかった。王子が本当の気持ちをさらけ出してくれたのに自分は何も語っていない。王子に聞かれるがまま、答えていただけだ。王子にどうされたいのか。どれだけ王子に抱きしめて欲しいか。 龍輝が自分から語ったことなんて一つもなかったのだ。 だから、どこかで王子を裏切っているような罪悪感に駆られた。 『龍輝、恋愛は受身じゃダメなんだよ』 姫の言葉に龍輝がうなずく。 前にも姫は恋愛は戦争だと言っていた。その言葉の意味がなんとなく分かる。恋愛は自分の心を担保にして赴かないといけない戦場なのだ。 曝け出さないといけない。好きなら好きだと言わないといけない。抱いて欲しいならそう言わないと。それが自分の本当の気持ちだと我侭でも傲慢でもいいからぶつけていかないといけない。 だって、王子は自分にそうしてくれたのだから。 立ち止まっていた足を動かす。龍輝はきびすを返して、王子のいた所へと向かった。 やっと夜空の星に気づいた。 龍輝は今までどれだけのことに気づかないふりをしてきたのだろう。 next 姫、覚醒。王子=中身男前で外見男前、龍輝=中身ウジウジ外見男前、姫=中身本当は男前で外見プリティ。こういう分類。 written by Chiri(6/29/2009) |